9-1:学 校《金魚の都市伝説とプール掃除》
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天気予報によると、とうとう今日から彼らの住む街も梅雨入りしたのだそうだ。
ただでさえ最後に雨が止んだのがいつだったか思い出すのに手間取るほど連日雨ばかり降っているのに、これからさらに本格化するらしい。
そしてその雨天の隙間を縫って、今日はプール掃除が行われるのだった。
――ところで、彼らの学校にはプールに関する奇妙な都市伝説がある。学校というより、単に水泳部の噂なんだけれども。
その都市伝説というのは、屋外プールでの練習が終わる夏季の最後に、水泳部の連中がまだ水で満たされているプールの中に祭りでゲットした金魚を放流するというものだった。最初にそれをやった人間がいったいどんな気持ちだったのかなど知りようはずもないけれど、驚くべきことにたまたまその年、水泳部はインターハイに出場した。
それからというもの水泳部の面々はヒグラシが鳴き始める時期になると賑わう屋台と人混みをそっと抜け出しては、忍びこんだ夜の学校で人知れずプールに金魚を解き放ち謎の踊りをするようになったらしい。
そうして1年かけて育った金魚は、ちょっとびっくりするくらい大きくなる。ただでさえ藻やらカビやらで不衛生なプールには実は金魚の糞も混じっている。そうしてプール掃除が開始される直前になると、水泳部の人間がバケツに入りきれないくらいの超巨大金魚をこっそり学校近くの池に逃がしに行くので誰もその超巨大金魚の姿を目にすることがないのだそうな。
真偽のほどはともかくとして、この伝説はいやいや汚い仕事に従事する生徒たちにとっては絶好の話のネタになるので、毎年決まってそのクラスの水泳部がいじられることとなりおかげで連綿と語り継がれてきているのだった。
「この汚れの中には、金魚の糞も混じってるんだってね~」
プールの底をデッキブラシでこすりながら〈グルメ〉が言う。
「へい、クマちゃんやめないか。俺たち今裸足なんだけど?足の裏が気持ち悪いったらないんだけど?」
うえ~っと舌を出しながら〈イケメン〉が渋い顔をする。
「まあでも、ちょっと風流なところもある話だよな」
「超巨大金魚のクソが?」
「違うよ、祭りで買った金魚を夜の学校で~ってとこ」
「〈罪人〉もけっこうロマンチストなところあるねえ」
この天下無双の楽天家には自分がリアリストであるかのように人をからかう趣味があるのだ。いや、確かに誰よりもリアリストだからこそ楽天的に振る舞っているのだろうけれども。するとのんびりした表情のまま〈グルメ〉が彼に賛同するかと見せかけて、とんでもないことをのんびりした話し方のまま言い放った。
「ボクも素敵な話だと思うよ~。大きな金魚、美味しそうだし」
「クマちゃん、発想が完全に肉食獣だよ」
そうこう話していると突然〈イケメン〉が背中からばしゃっと水がかけられる。
いくら〈イケメン〉をよく思わない男子生徒でも、こんな露骨な嫌がらせをするなんて、と
彼が驚きを隠せないでいると直後に黄色い笑い声があがる。
「きゃあー!水も滴るいい男!」
そこにはホースを手にしたイケメンファンを名乗る女子生徒たちの姿があった。
下手人は男子生徒たちではなかったのだ。本当に楽しそうな顔をしている。悪びれるそぶりなどまるでないし、これっぽっちの悪意もまた感じられなかった。本当に、自分たちがしていることが悪いことだなどとは露ほども思わず、ただ純粋にスキンシップを取っているつもりに過ぎないのだと彼にでも分かる。
彼女たちはプール掃除というまととない行事を生かして〈イケメン〉といかにも甘酸っぱい青春らしい交流したいと願っているだけなのだった。
「またイケメン税の取り立てかい?」
髪をつたって顔に流れてくる水滴を拭おうともせずに、やはりいつものようにイケメンは不敵に笑う。けれどその目の色にうんざりしているものが混じっていることは、彼らの立っている側からしか見えない。
「しゃーなし、ちょいと付き合ってあげますか」
そういうと滑りやすい足元をものともせずにするする近寄ってホースを奪い取り、女子生徒らに水を浴びせてまわる。黄色い声がそこら中であがる。野球部の顧問からは怒号が飛び出す。遠巻きに眺める生徒らは「うらやましい」だとか「俺たちがやったら犯罪確定」だとか話していた。
「一ノ瀬くんも苦労人だねえ」
騒動の渦中にいる〈イケメン〉を見ながら〈グルメ〉が言う。
「ほんとにね。平凡に生まれてよかったよ」
「あれじゃ彼女とかできちゃったなんて言われるかわかんないよねえ」
「それがあいつが誰とも付き合わない理由なのかもしれんね」
いくら引く手数多であるからといって、選り取り見取り自由に選べるとは限らない。世間から見てあまりに恵まれすぎるとされた〈イケメン〉は、その分ほかの誰よりも多くのものをその世間から徴収されるはめになっていた。
それは幸福の再分配というより、不幸の水平化のように見えた。自分の人生をつまらないと思い、その補償を求める人のために絶えず犠牲が必要とされるのだった。
それでも日差しは眩しく、水しぶきは宙を舞ってきらめきを放った。
梅雨の合間にすべりこんだつかの間の晴れ模様は、だんだんと夏に近づいてゆく季節の巡りと、それにつれて高まる期待を仄めかしていた。




