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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
5月28日
67/106

8-11:ホーム《赤い花と託された真心》


「もらっていいの?」

「うん。あげる」

「ありがとう。嬉しいよ」

 ああ、本当に可愛い。まるで弟ができたみたいだ。

(そういえば恵里菜も小さい頃はこんな感じだったけな。恵里菜と学の血は繋がってはいないけれど、ずっと一緒に遊んであげているから自然と似てきたのかな)

 ああ、それにしても本当に可愛いやつめ、と父親のような幸せに浸っていると、〈わんぱく〉はもうひとつ花を彼に差し出した。

「これも」

「お、2つもくれるの」

「ううん、それはあの人の分」

「あの人って?」

「新しい人」

「新しい人って・・・大河のこと?」

 こっくり頷く。

 その答えは、正直彼を驚かせた。

 彼の脳裏にはまだ生々しくあの事件と鼓膜を貫き心を刺した泣き声が残っている。ましてや〈わんぱく〉はほとんど不良とは会話らしい会話をしたことがないはずだ。彼は聞かずにはいられなかった。

「怖く、ないのか?」

 すると〈わんぱく〉ちょっと怖じ気づいたようなそぶりを見せる。鼻をひくっとさせて、シャツの裾を掴みながら

「こわい」

 と答えた。

「こわいけど、あげるの」

 その言葉に、はっとさせられた。

 掛け値なしの、見返りを求めない真心を目にして、大切なことを卒然と悟った。

 忘れかけていた純粋なものを思い出せた気持になると同時に、またも泣きたいような気持ちになった。けれどもそれは、嬉しくて、暖かくて涙腺が緩んでしまうのだった。

 彼はそれを大事に預かる。

「まかされた。この花は、必ず大河に届けるよ」

 それを聞いて心底気が晴れたような顔をして〈わんぱく〉は出て行った。

 あの調子じゃ、あさっても休まず幼稚園に行くかもしれないな、と思う。

 彼は暖かい気持ちでその花を眺めていた。それは彼に勇気を与えてくれた。

 誰かの笑顔を目にして愛おしいと思い、他人の涙を見て悲しいと感じることができるなら。

たとえ自分に向けられたものでなくても、優しさに触れて嬉しい気持ちになれるなら、この心はまだ死んでいないということだ。

 そして彼は思い出す。

 こうやっていつも自分は誰かに支えられて生きてきたのだと。

 どれだけ強くなにかを願い、誓いを立てて戦ったとしても物事には限りがある。それは心とて例外でない。意志や愛ですら有限なのだ。毎日の小さな躓きや大きな挫折の中で日々、すり減り、いつか底をついてしまう。

 けれどそうなる前に、いつもこんな風にして誰かが心を彼に分けてくれるのだ。空腹ならば1人の食事でも満たすことが出来る。けれども、心の飢えばかりは他人との関わりなしではどうすることもできない。

 そして彼はそれに応えようと思った。

 自らの行動で、渡されたものをたしかに受け取ったこと示そうと。そして彼もまたそれを次の誰かと分かち合おうと。それは蝋燭の火が次々に移されて数を増やしていくのに似ている。

 あとには少しだけ気分が明るくなった彼と、〈わんぱく〉が置き忘れたままの絵本が残された。

(結局読まずに終わったな。――まあいいか、また後で来るかもしれないし)


 とりあえずこのまま待ってみることにする。そしたらなんと、今度は妹が入ってくる。

 こちらもなにか影を落とされたような表情をしていた。彼は気持ちを軽くするつもりで冗談をかましてみた。

「お。恵里菜にも絵本読もうか?」

 言ってから、娘離れできていない父親みたいだなと思う。

「もう、お兄ちゃんったら」

 妹はあのおませな呆れ笑いをする。それは苦笑いに近いもので、かえって彼の方が、しょうがない人ね、と見守られているような気持ちになった。

「小さい頃はよく読んであげてたんだけどな」

 絵本をベッドに置くと妹も隣に腰掛ける。彼はさっき〈わんぱく〉にも渡した飴の袋から適当にひとつ口に入れて妹にも差し出す。

「ん。ありがと」

 妹がとったのはイチゴ味だった。それを口の中で転がしながら

「最近、お兄ちゃん疲れてない?」

 〈希〉さんと同じことを聞いてきた。やっぱり妹には見抜かれてしまうものらしい。彼も諦めて、

「ちょっとだけね」

 と応じてみたのだが

「お兄ちゃんが顔に出すくらいだから全然ちょっとじゃないでしょ」

 鋭いところで突いてきて強がる彼に正直になるよう促す。それでも彼は笑顔を絶やさなかった。

「ううん、ちょっとだけだよ」

 一番大切なもののためにする苦労なんて、決して大した苦労にはならない。

 こんな自分が頑張って、それで家族が笑ってくれるのなら、どんな困難の中へでも進んで飛び込むくらいの覚悟はできている。なにより、大変だなんて嘆くのはトンネルをくぐり抜けた後、笑える愚痴として話せる日が来てからで十分だろう。

 とはいえ、自分がしてることが本当に願う場所に通じているのか、確証がないために頭を悩ませているのは事実だった。けれど、そんなつまらないことなど妹が知らなくてもいいのだ。


 

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