8-9:ホーム《雨蛙を目指す蝸牛の行進》
◇ ◇ ◇
自室の勉強机で、彼は一日の出来事と巡らせた思索を振り返っていた。。
なんの答えも出せずに終わってしまった授業中のこと。廃墟に向かう途中で目にした黄色の長靴、彼女が教えてくれた夜の森の話。――それから、あの演奏と、それに対しこの胸に湧き上がった色々のこと。
(俺にもまだ残っているだろうか。あんな風になにかに心を傾けられるだけの純粋さが)
なにはともあれ、〈ガリ勉〉が彼に自らの意見を述べた以上はそれに大して彼も自分自身の立ち位置を示す必要があった。つまり、彼が信じているものを諦めるのか、諦めないのか。
どちらにしても本気で選ぼうとすれば覚悟が必要になる。本気になるとは、単に炎のように燃え上がる意志だけをさすのではなく、選択した果てに起こる結果について言い訳をしないだけの責任をも意味すると考えるからだ。
そしてその重圧が彼を苦しめる。また胃がきりきりと痛む。
大した苦労もしていないはずなのに、胃の中に鉛を流し込まれたかと思うほど身体が重だるく食欲もないのはおそらくそういうことだろう。近頃は腹の中に地獄を飼っているような気さえしてくる始末で、今晩も食事の量を減らしてもらっていたのに完食するためには無理をしなければならなかった。
けれど、そんな状態になってまで彼がしぶとく粘り続けるのは、かつて自分がこれより辛い気持ちを味わったことがあるからだった。かつて大切な人に、これよりも苦しい思いをさせたことを忘れたことがないからだった。
(あの人たちも、あのときこんな思いをしていたんだろうか。こんなにしんどい目に遭ってまで俺を助けてくれたんだろうか)
道などない海を行く船乗りが夜に北極星を仰ぎ見るように、答えのない問いの前に立ち止まる彼は手がかりを求めて憧れの背中を思い浮かべた。
椅子の背にもたれかかり、窓の外のやまない雨をぼんやり見る。
窓ガラス一枚隔てた向こうには雑な植え込みやら、やたら大きいごつごつした石やら、結局いまだに手をつけていない荒れ放題のままの庭が見える。
心ここにあらずな見るともなしに見ていると、視界に1匹のカタツムリが映った。
どうやってそこまで登ったのか、カタツムリは大きな石の上にいた。そのひょこひょこした触覚の先、少し離れたところには鮮やかな翡翠色をしたアマガエルがいる。
カタツムリは渦巻くものを背負ったまま、アマガエルの方へ近づいている・・・ように見えるけれど、実際に進んでいるのかは分からない。そのくらい遅々とした歩みだった。
そのうえ、アマガエルはカタツムリになど目もくれずゲコゲコ鳴いているばかり。この調子だと辿り着くのに一体どのくらい時間がかかるやら計り知れなかった。地球から月へ行く方がまだちょっとだけ簡単なくらいかも分からない。
(ちょっと無謀じゃないか)と、彼はカタツムリに言いたくなった。
お前の足じゃのろすぎて辿り着けるかどうかも分からない。それに、そもそもまったく違う生き物なわけだから辿り着いたとて仲良くやれる保証などどこにもありはしないのだ。
それなのにカタツムリは進む。
あるいは単に身体の構造上、後戻りできない生き物というだけなのか。ただ、進むと言ってはみたものの、何度も繰り返すけれど、毎分どのくらいの速さか確かめる気にもならないくらい遅い。
いつまでも代わり映えしない景色を見ているとなんだか嫌な気持ちになる。飽き飽きするほどとろい動きに対しても掻き乱されるような感じがある。彼はとうとう目を背けてまた考え事に頭を切り換えた。
* * *
たしか、自分の役割や立場というものが邪魔をしているというところまでは考えていた。
ところがそれを取りさらわれると自分が何物であるのか分からなくなるくなる。それが、その分からなさが怖くて黒い渦の前で立ち止まっていた。ところが〈希〉さんは分からないは怖いけれど恐れるべきものではないと言った。少しずつ目が慣れてくるし、足が震えていても歩みさえすれば進めると。
彼だってフォルテを連れ帰ることに決めたとき、考えたはずだった。
先のことは分からないけれど、分からないままでも道を選ぶことはできると。それがどうしたことか、こんな有様になってしまってはいるけれど、その分からないを誤魔化すのではなく認めることが大事なのだけは確かだった。
そもそも他人と向き合うという大事業に取り組もうというときに、愚かさを極めた自分がなんの挫折もなくすんなりいくはずがないのだ。
そして〈ガリ勉〉は言った。可能性は無限にあるのだと。
だからこそ、それを処理することはほとんど困難となってしまう。
けれど、彼はこうも考えた。
(ならば、その分からないを認めてあの黒い渦の中に飛び込んでいけば、それによって今はまだ見いだせない新しい道が見つかるんじゃなかろうか)
間違いなく、砂漠から金の砂を見つけ出すような途方もない話だろう。砂漠に水を撒き続けるような徒労に終わる可能性だってある。もし下手をすれば渦に飲み込まれたきり帰って来られないかも知れない。しかし、あの黒い渦の中に飛び込んで、もう一度海深く潜ることが出来れば、誰もが笑顔になれる道筋を見つけ出せるかもしれないと彼は思った。
なにせ、可能性は無限にあるのだから。
そしてその不確定な無限の未知は恐れるべきものではないのだから。
そのアイデアは彼に新しい希望を見せてくれるものだった。痛みの中で生まれた光だった。
今までが結果を焦りすぎていたのだ。
思い通りにならないことや描いた通りになれことを嘆いていた。自分の力でどうにかしようと、そのことばかり考えていた。すぐに答えを見つけ出そうとか、理想通りになれない自分はダメなやつだとか、目指した物が間違っていたのかとすら疑い始めていた。
そして、それはそれで歪で偏ったものの見方でもあった。
俯瞰して物事を見下ろせば、心を尽くしてもうまくいかないことなどそれなりにある。逆に、手を抜いたつもりでもうまくいくことだってたくさんある。結果にこだわりすぎるあまり、結果と同じくらい大事なことを見落としていたのだ。
そもそも、躓いたり転んだりしたからといって、どうして歩んでいる道そのものが間違っていることになるのだろう。単に、平坦な道ではないというだけのことにすぎないのに。
その道のりを歩む途中で、〈ガリ勉〉の言うようにプログラムが破綻したなら、そのときは瓦礫をこつこつ拾い集めてまた一から組み直せばいい。立っている場所が揺らいで棚上げにしていた物が頭の上に落ちてくるなら、その都度丁寧に拾い上げてひとつひとつきちんと整理していけばいい。
今できないことをできるようになるためにこそ未来はあるのだ。たとえそれが有限であったとしても、すべてが終わったと諦めるには早すぎる。不確かな未来を嘆くよりもまず、今この瞬間に出来ることをしよう、と思った。
自分が不純で弱々しい人間だったとしても、弱いなりにできることだってきっとある。
ただ無心に、祈るように信じたことを貫くだけだ。できるだけ姿勢を正し、一歩一歩足を前に出す。それをずっと繰り返す。自信などいらない。そんなものがなくとも、分からないままでも、歩みを止めなければ進むことは出来るのだ。
無駄なことだと思いながらも振り下ろし続けてきたツルハシの先に手応えがあった。それは暗闇に穴を開けて閉ざされた地下の中に光をもたらした。その光が彼を貫いた。




