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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
5月14日
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7-7:ホーム《建寛の完膚なき論破》


 完璧に打ちのめされた、というのが彼の正直な感想だった。

 一部の隙もない完璧な論理、というわけではない。むしろ本人が自ら理想には届かないと認めている。そのうえで、その完璧たり得ない人間として、完全には届かない人間ながらに、できうる最大限のことをしようとしていると説くのだった。

 それは薄っぺらい正論や自己満足な綺麗事よりもはるかに現実的で、しかも実用的で、なによりも龍造寺建寛という人間の血の通った強い信念を感じさせるものだった。

「・・・・・・」

(やはり自分が間違っているのかもしれない)

 安易な理想や陳腐な自己投影で、よく知りもしない他人の力になりたいだなどと思い上がった考えを持ったことがそもそもの誤りにすら感じられた。〈ガリ勉〉はつまり、こう言っているのだ。

『おれたちにもおれたちの守るべき生活がある』のだと。

 そして彼の脳裏に浮かぶのは、目の前で兄がいたぶられるのを見せつけられたときの、妹のあの見ていて辛くなるほどの悲痛な表情だった。

 これは誰か一人の問題ではない、彼は改めてそう感じた。

 〈不良〉だけの問題でなければ、彼ひとりで背負うべき問題でもない。だからこそ、彼自身のワガママや誤った考えで周囲の人間にとばっちりを浴びせるようなことだけは避けなければならなかった。そしてそれこそが彼の最も恐れている事態でもあった。流れ弾の雨は、見境も容赦もなく、撃たれる人を選ばずに降り注ぐのだから。

「・・・・・・」

 返す言葉が、なにもなかった。

 彼はその愚かな口を閉じることしかできなかった。ただ黙って料理を続ける。包丁がまな板を叩く音が響く。テレビのあたりから楽しそうな声が聞こえる。すると何も返せない彼に〈ガリ勉〉が問いを発する。

「どうしてそこまであいつにこだわる?」

 それは意外な質問だった。

「こだわってるつもりは、別にないんだけどな」

 確かに初めて見たときに自分と似ていると感じはしたけれど。でも、そうか。他人から客観的に見ると自分はこだわってしまっている部分もあるのだろう。

「でも、このまま何もしないでいいとは思わない」

「自分のせいだとでも思ってるのか」

「――それも、ある」

 すると〈ガリ勉〉が確固たる自信をみなぎらせて否定する。

「だとしたらそれは間違いだ。

 〈罪人〉はなにも悪いことはしていない。フォルテにだって罪はない。あいつが勝手にひとりで問題を起こして騒いでいるだけだ。信賞必罰、罰されるべきは罰するのが当然だろう。していいこととそうではないことのラインは明確にすべきだ。犬であろうと人間であろうと、そのことに変わりはない」

 〈ガリ勉〉なりに彼のことを擁護している――わけではないのだろう。ただ龍造寺建寛の判決によれば彼は無実だと裁かれたに過ぎない。

「・・・俺は褒めるとか罰するとかいうことをしたいんじゃないんだ」

 どれだけ打ちのめされたとしても、ここだけははっきりさせておかなければならない。

「では何がしたいんだ」

「ここをもっとみんなが過ごしやすい場所にしたい。できれば、大河も含めて」

「随分漠然とした目標だな」

 すこし物足りなさそうな顔をされる。

「自分でもそう思うよ。でもこれは俺ひとりでどうにかできることじゃないんだ。

 大河もそうだけど、みんなの協力が要る。もちろん建寛にも手を貸して欲しい。俺たちはやり方こそ違えど、目指すものは同じだと思うんだ」

「この前あんな目に遭ったのに本気でそんなことを言ってるのか?今だって食事すらあからさまに拒まれてるのに?」

「ああ」

「――なにか具体的な計画があるなら聞かせてもらおうか」

 悪いことをした子どもに、何か弁明があるなら聞いてやろうと促す大人の態度だった。それへ彼は苦々しい思いを噛みしめながらも答えなければならなかった。

「特に、ない」

「・・・・・・」

 とうとう相手を絶句させてしまった。しかし聞かれた以上、そして答えの端を舌にのせた以上は、最後まで答えるつもりだった。

「基本的にこっちからはあれをしろとか、これをするなとかは一切言わない。ただもちろん日常的な挨拶はするし、大河からなにかアクションがあればそれがどんな種類のものでもちゃんと向き合う」

「・・・・・・」

「あとは日々のなかで何かしら変化があれば、それに対応していくつもり」

「――あくまで受け身に構えて、相手が変わるのを待つと?」

「受け身かもしれないけど、そんな他力本願みたいな言い方はよしてくれ。口で言うと簡単そうに聞こえるだろうけど、実際に本気でやろうとしたらきっと相当の覚悟がないとできない」

「呆れて物も言えないとはこのことだな」

 ぴしゃりと撥ねつけられて、またも彼が口を閉じることになる。

「・・・・・・」

「もっと深い考えがあるのかもと思って耳を傾けてみたが。こんなつまらない妄想を聞かされることになるとはな」

 それでも彼はなおも追いすがるように語りかける。

「なあ、聞いてくれ。俺は何も大河を更生させてやろうとか、このホームに適応させてやろうとか、そういうことを考えてるわけじゃないんだ。お互いのギスギスした関係をもっとましなものにしたい、でも関係ってのいうのは相手と自分があってこそのものだろ。

 それはすごく個別的なものだし、それに生ものでもあるから細かく方針を立ててしまうと身動きが取れなくなる。台本もマニュアルもないなかでアドリブでやらないといけない。だから、物足りなく感じるだろうけど、漠然とするのは仕方ないことなんだ」

 しかし、彼の虚しい嘆願は相手の心のどこにも響くことはなく、

「言いたいことはそれだけか?」

「・・・ああ」

「おれは今まで〈罪人〉には助けられてきたと思っているし、感謝も尊敬もしている。この間だってやるときはやる男だと感心した部分だってないわけではない。

 だが――それがまさかこんな半端物だったとはな」

 汚物を見るような目に変わっていた。

 心底失望したと身体全体から醸し出す雰囲気で語りながら、視界に入れることすら不愉快と言わんばかりに、また真っ白な紙の上に視線を落とした。

 そしてその晩も、やはり〈不良〉は彼の料理には一口も手をつけなかった。皿洗いの当番だった〈ガリ勉〉もそれは自分の仕事じゃないとでもいいたげに、その皿だけは最後まで洗わずに放置していた。

 彼は残された一人分の料理を自分でたいらげ、流しまで運び、どうしようもないやるせない気持ちを抱えながら一人で洗った。

 けれども、胸の中に残る迷いと自身への失望はどうやっても洗い落とせそうになかった。


 

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