7-4:廃 墟《童心と浜辺の宝物探し》
そういうつまらないことがときどき頭をかすめながらも、彼らは歩く。
この浜辺には、辞書で適当に開いたページにあるものをとりあえずここに持ってきたのかと思われるほど雑多な物が落ちていた。それらは遠く隔てられた名前も知らないどこかから運ばれてきたものや、あるいはかつてここに立っていた過去の誰かが海に投げ入れたものだったりした。
ユニコーンの角みたいな形の巻き貝の貝殻やドラゴンの骨を思わせる色褪せた流木。それから、星空からうっかり落ちてしまったようなヒトデ。それらはまだ浜辺と聞いて連想することの容易なものだけれど、他には胡桃や松ぼっくり、ドングリといった木の実類から、陶器の破片、錆びた小銭、モデルガンや瓶詰めの食べ物、昭和の香り漂う古雑誌などなど。
それらが持ち主の手を離れて彼の元へこうして辿り着いたいきさつについてあれこれ思いを馳せてみるだけでもけっこう楽しい暇つぶしになりそうな気がした。
すると同じように興味を持ったのか、彼女が足を止め、かがんで何かを拾い上げる。白くてキレイな手のひらにあるのは、丸みを帯びた小さな色ガラスだった。
「子どもの頃、こういうの見つけて拾うのが好きでした」
長い時間をかけて海に洗われ丸みを帯びたそれは曇りガラスのようになっており、鋭い輝きが抑えられたおかげで柔らかくて落ち着いた色合いと形をしている。見た目にも優しい印象を受け、ポップで可愛らしくて、グミのように美味しそうだった。
そして大人が大枚をはたいて身を飾り立てるために買い求める宝石というよりも、無邪気な子どもを喜ばせ、大事に宝物にされるのにふさわしい美しさを、それは備えているように見えた。
「わかります。ネジとかナットとかをたくさん持って帰っては、ポケットに穴を開けてばっかりだったのでよく叱られてました」
それを聞いて彼女は、小さい頃からこの人は個性的だったんだろうかという顔つきで、
「きれいな石とかじゃないんですか?」
「最初はもちろん石でした。でも石は尖ってて穴が開くと怒られてから拾わなくなったんです」
「あ。それでネジにかえけど――」
話の流れが読めた彼女は笑い出しそうになり、彼の目元にはもう苦笑いが浮かんでいた。
「そうなんです。それでも結局開いちゃうという。おかげでズボンのポケットのところだけものすごく厚ぼったいんですよ、何度も縫って塞いだから」
「お母さんも大変だ」
「ええ、ほんとに。迷惑ばっかりかけました」
もう戻ることのない、思い出すことしかできない過去を彼はほんの少し泣き出しそうになりながら振り返っていた。それは彼女の手のひらの中にあるガラスの欠片のように美しく、優しく、色鮮やかで、暖かい宝物だった。
普段なら見せないように隠している素顔もここでならほんの少しさらけ出してもいいような気がし始めていた。なにせ今彼を見ているのは隣にいる彼女と、言葉を持たない海だけなのだから。
彼は足下に点々とする貝殻を見た。こうして見ると貝の種類というのも色々あるらしい。同じ形をしているのに違う色や模様のものもあって見比べてみると面白い。どれひとつとして全く同じ物はないのだなということを改めて気づかされる。その中からひとつを選んで手に取ってみる。
外側は石みたいに硬くてざらざらしているけれど、内側は磨かれた大理石のようにつるつるで滑らかな虹色をたたえていた。きれいだな、と思うと同時に、ずっと殻を閉じて過ごしている貝が生前この色を見ることはあったのだろうかと子どものような疑問を抱いた。
閉ざされた暗い場所にいる限り、内側の美しさに自分ですら気づくことが出来ない。外からは硬くてざらざらしているようにしか見えない。それを今さらこうして彼が見つけて手に取ったことは手遅れだろうか。それとも、誰かに見つけてもらえたことでこの貝の美しさは報われたと思ってもいいんだろうか。
分からないまま、それでも彼はその貝殻を手のひらにのせた。
そうして何も持たない、あるいは何も持ち得ない2人は、それぞれの虚しい手のひらに小さな宝物をのせて歩いた。
それをどうしようというのではない。どうせすぐに壊れる砂の城をせっせと作って飾り付けるのに使うつもりはないし、家に持って帰って保管したり観賞したり、まして写真立てやランプシェードを作ろうというのでもない。
これといった目的や方向性もなく行き当たりばったりの思いつきで、ただなんとなく心を惹かれたから手に取っただけのことだった。
「・・・さすがにそろそろ冷えてきましたね」
彼の少し前を歩く彼女が呟く。たしかに、もうすっかり日は沈んでしまって、水平線からあらわれた月がなにもにも遮られることなく夜の海を照らしていた。
「そろそろ、潮時かもしれませんね」
何気なく振り返ってみると、2人のつけてきた足跡が、いつのまにかすぐそこまで満ちてきた波に消されてしまっていた。
どの道、いくら時間が許そうと、たとえ時がとまってくれようともはじめからこの散歩には終着点が用意されていた。ずっと海岸線に沿って歩いていけばそのうちすぐに廃墟と外界を隔てる立入禁止のフェンスに行き当たる。その事実は2人にとっての行き止まりを意味していた。このままいつまでも彷徨い続けることなど、最初からできるはずがないのだ。
「これ、どうしましょう」
なにかの代償を支払って集めたというわけでもないのにどうしてか容易に手放しがたいなにかを、ガラクタに過ぎないはずのそれらは放っていた。
「――このまま、まとめて置いてたら亡くなった人たちへのお供え物みたいに見えちゃいますかね」
両手でお椀のような形を作って、その中を覗き込みながら彼女が呟く。まるでその手のひらから、目に見えることのない砂時計の砂粒が今こうしている間にもこぼれ落ちていくのをとどめる術がないとでもいうように。
彼女はただ単に、この海の彼方へ連れ去られたままいまだ帰らない人々のことを言っているのだろうと頭では分かっていても、彼はやはりどうにかして砂が底をつくのを食い止めたいような強い想いに駆られた。
「だったら、いつもの部屋に飾ってもいいですか」
顔を上げた彼女の目がこちらを向く。月明かりを吸い込んだように雪のように白い肌が目も覚めるほど清らかで黒曜石のように艶やかな黒髪は銀色の輝きを放っている。
「これから鉢植えに水をやりに行くところなんです。それで、ちょうど窓辺のあたりが少し寂しいかなと思ってたところなので、よかったら飾らせてくれませんか」
窓辺が寂しいというくだりは嘘だった。
けれど、飾ってみたらきっと綺麗だろうと思ったことに偽りはなかった。緑のカーテンと、伸びゆく樹木の苗、そこに浜辺を彩っていた色ガラスや貝殻が添えられる。きっとあのビルに、彼の部屋にぴったり似合うだろうと想像した。
「はい、どうぞ。完成したらあたしも見に行ってもいいですか?」
彼は間を置かずに、
「もちろん」
答えてから、それはあの鍵をかけた部屋の中に初めて他人を招き入れることを意味するのだと気づいた。けれど――
(・・・まあ、いいか)
それが彼女であるのならば、彼にとっても喜ばしいことのような気がし始めていた。
あるいは、ホームで連日繰り返されることによる疲れから気を張って精一杯他人と距離をとるだけの気力を失ってしまっているだけなのかもしれないけれど。
それから、遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見送って、手のひらに収まりきらないもののいくらかをズボンのポケットにしまいながら思うのだった。
(こりゃまた、久しぶりにポケットに穴を開けてしまうかも知れないな)
もうそれを塞いでくれる誰かはいなくなってしまったけれど。彼自身も、あれか何歳か無駄に年を重ね開いたズボンの穴を自分で塞ぐくらい、すっかり容易にはなってしまったけれど。
ただ、少しだけ、こうやって何事にも慣れていってしまうのだろうか、と彼は思った。




