2-3:廃 墟《探索と仙人の縄張り》
◇ ◇ ◇
放課後になって、彼はいつものように廃墟へと足を踏み入れた。
彼の最大の懸念は、彼女がその後どうなったかということだ。一見すると昨日と変化のないようにも見える。もし警察が来ているのであれば、こうも静かではいられないだろう。となると、最悪の事態は回避できたのだろうか。
しかしまだ安心は出来ない。
自分の置かれた状況を確かめるために少しでも多くの情報が必要だった。
日が落ちきってしまう前に周辺の様子も確かめておこうと、ふだんなら寄り付かない場所まで足を延ばしてみる。すると、いきなりけたたましい犬の鳴き声を浴びた。
「相変わらず警備がしっかりしてるな」
そこから先は〈仙人〉の縄張りだった。
〈仙人〉とは彼が来る前からこの廃墟に居着いている先住民のことだ。会話らしい会話をしたこともないし、詳しいこともわからない。けれどもどうやら首輪につながれたまま飼い主に置き去りにされたり、エサも食べれず餓死を待つだけだったペットや家畜の世話をしているらしいということは知っている。
きまってかわりばえのしないボロ切れを身にまとうその老人は、言ってみればホームレスに過ぎないのだけれど場所が場所だからなのか、どこか浮世離れした仙人のような達観した印象がある。
体中に植物を巻き付けるという不思議な出で立ちをしているのだけれど、それが人間としてのエゴを捨てて自然との調和を試みているように見えるし、そもそも何も考えておらす、なんとなくでやっているようにも思える掴みどころのなさだ。
ともかく。ここでこうして待っていれば会えるはずだが・・・と考えていると、さっそく何頭もの犬をしたがえたみすぼらしい身なりの老人が現れた。
「お騒がせしてすみません」
彼は素直に頭を下げて敵意のないことを示す。
「…………」
〈仙人〉はやはり何も口にしないまま、むにゃむにゃと頭を上げ下げしている。
うんうんと頷いているのかもしれない。それから一番激しく敵意の牙をむき出しにして吠え立てる黒い中型犬のそばに屈んで頭をなでてやっている。犬はほどなくして従順に落ち着きを取り戻す。
あれはドーベルマンというやつだろう。図鑑で目にしたことがある。いかにも眼光鋭い番犬といった風体をしていて威圧感があった。
〈仙人〉を囲む犬の中にはチワワや、トイプードルに柴犬、コーギー、それから土佐犬の姿まであった。
それにしても、いつみても訓練された陸軍部隊のような錬度である。
飼い主としての手腕に素直な感動と、犬が人を襲う危険をきちんと知っておりそれを管理している責任感と手腕に尊敬の念をもつ。よくわからない老人ではあるが、やっぱりどこかすごい人なのだろう。底知れないすごみのようなものを感じる。
「ところで、今日〈縄張り〉にお邪魔したのはお聞きしたいことがあるからなんです」
と前置きしてから彼は〈仙人〉を訪ねてきた理由を伝える。
「昨晩俺がよく入り浸っている〈ウォーターフロントガーデン〉というビルに、外から女の子が入り込んできたのですが、命を捨てにきたのだったらその、一悶着ありそうだと思いまして。近くにそれらしいものが転がったりしてませんでしたか?」
「……………」
目は心の窓だという。しかし目の前の仙人の目は落ちくぼんでいるので何を考えているのか読み取れない。じゃあ口元はどうかというと、たっぷり蓄えた竜の髭みたいな白鬚におおわれているので、こちらにも心を読み取る手がかりはない。
急かすつもりもないので気長に待っていると、意識が過去へ旅して戻ってきたみたいな間があいたあと、〈仙人〉はゆっくりとかぶりをふった。
「わかりました。答えてもらって、ありがとうございます。お邪魔してすみませんでした」
これで、探索済の地域がぐっと広がった。
バカ騒ぎ目当ての若者たちや火事場泥棒目当ての悪党たちもケガを負わせてから追い返すほどの番犬たちの網にも引っかからないということは、この辺りには立ち入っていない証拠だろう。〈縄張り〉以外でおよそ思いつく場所はもうすでにあたってみた。
「残るは、いつもの廃ビルだけ、か……」
最初からわかってはいた。一番確率が高い場所はあそこだろうと。
気の進まない話だけれど、避けても通れないのでくよくよしてもしかたがない。〈仙人〉と、その足元で散歩の続きせがんでいるような忠実な家族たちに別れを告げ、彼はきびすを返した。