3-7:ホーム《そよ風の庭の不穏な風》
◇ ◇ ◇
ホームではまたも争いが起こっていた。
妹に事情をきいてみると、始まりは些細なことだったという。
先の一件で自宅謹慎を言い渡された〈不良〉が禁を破って外出しようとしたところ、録画していた特撮ものを〈わんぱく〉よりノリノリで観ていた〈ガリ勉〉がそれに気づいた。
「大河、家にいろと言われていただろう。そんなに雑念をもてあますなら部屋で座禅でも組んでみたらどうだ。気も鎮まるし、自分を見つめ直すのにもいいぞ」
「うるせえよ。坊主の説教みたいなこといいやがって。だいたいなんだよお前の名前。龍造寺建寛って、寺でも建てんのかよ。経でも唱えてやがれクソ眼鏡」
実に喧嘩らしい、なにかむしゃくしゃしたから難癖をつけたくらいのごく他愛ないものであったらしい。まあこの程度いつもよりマシかと一同は遠巻きに眺めていた。
が、書斎から降りてきた〈専門家〉がリビングで喧嘩を目撃してから事態が一変したのだという。
生まれついたときから不愉快という感情しか知らないとでも言いたげなあの、不機嫌がシワとなって無数に刻まれたような顔で凄んで見せながら
「家にいなさいと言ったのをもう忘れたのかしら?アナタは今年高校受験を控えているんだし、ちょっとの辛抱でしょう。アタシはアナタのためを思って言っているのよ」
と、誰が聞いても白々しくて押しつけがましいことを言う。
文字に起こせば言っていること自体ははまともだったが、台詞を吐く表情と声色がお前のことが鬱陶しくてならないと自分から白状しているような有様だった。
なんの気休めにもならないどころか、これが最も彼の怒りに火をつけた。
「それはお前が勝手に決めたことだろ。お前のその薄気味悪い善人面みてると吐き気がしてしょうがねえ」
このホームの子どもの中で最も体格に恵まれている〈不良〉が身にまとう空気をたぎらせて、残らず怒気に変えながら、ほとんど殺意と呼びたいくらいの荒々しく威圧的な視線を〈専門家〉へ向ける。
彼が帰ってきたのは、そんな、まさに流血沙汰が起こらんとするどきどきワクワクがとまらない素晴らしいタイミングだったらしい。
聞きながらどっと疲れが押し寄せてきた彼は、いっそため息でもつきたかった。が、年少者の妹と〈わんぱく〉のたまらなく心配そうな顔を前にしてしんどいのは自分だけであるなどと勘違いを起こすこともできなかった。
「大丈夫。大河は外では喧嘩ばっかりしてるらしいけど、ホームの人間には手を出したことがないだろ?」
「でも、だからって絶対ないとも言えないじゃん」
痛いところをつかれる。
「それでも建寛がいるだろ。あいつはなんだかんだで争いを好まないからいざというときには場を丸く収めてくれるさ」
「でも、ヒロ兄ちゃんは悪者やっつけるヒーロー大好きだから悪者と思ったらタイガのことやっつけるかも」
実に的確な指摘をする。
子どもってやっぱり、ちゃんと周りを観ているのだな、と思い知る。まして〈わんぱく〉は特に素直で地頭がいい気がする。
「たしかに、学のいうことももっともだ」
子どもだからと見くびって口先だけのまやかしで丸め込もうとしてもこちらの思慮の浅さを露呈するだけだろう。それだけでなく、彼自身が自分の本心を隠しているということが伝われば、嘘でもついて安心させてやらなけれなならないほど不安な状況だと思われてかえっていらぬ恐怖を抱かせてしまうだけかもしれない。
だから、彼は薄っぺらい言葉を引っ込めることにした。その上で、なお――
「だけど、それでも大丈夫だ」
彼は揺るぎない決意と義務感をこめてまっすぐに伝える。
「あそこの誰かが喧嘩をすることに、万が一なってしまうかもしれない。けど、それでも恵里菜や学が怪我するようなことだけは何があっても起こさせない」
そのためには何発かあの見るからにパワフルな肉体から繰り出される右ストレートや左フックを食らうことになるだろうが、自分の身一つで、この2人、なによりも妹を守れるなら安いものだった。もとより、彼の残された人生の使い道はそのためだけにあるのだから。
「だから、絶対に大丈夫だよ」
彼は真剣な表情を和らげて安心させるために微笑んだ。
それでも〈わんぱく〉の不安はぬぐい去れないようだったが、諦めて折れたのか、彼をひとまず信じてることにしてくれたのか、それ以上の追求はされなかった。妹は、彼をまっすぐに見つめているが、なにを考えているかはわからない。
「ね、お兄ちゃんがこういってくれてるから大丈夫だよ。部屋に行こう?絵本読んであげる」
妹がお姉さんらしく、学の手を優しく引いて部屋へと引き上げる。
2人が入っていってドアが閉まるまで、彼はその後ろ姿を見守っていた。