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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
4月11日
14/106

3-4:廃 墟《水晶ピアノの神秘》


  *  *  *


 黄昏の陽だまりに包まれた中央に、宝石のように輝く透明なグランドピアノがある。

 何度目にしようと、きっと決して見飽きることはないだろう。それほどまでに圧倒的で、目にする度に新鮮な感嘆を見る者に与える美しさがそこにはあった。

 加えて、照明の効果もあるのだろう。

 部屋全体が控えめな明るさで夕暮れ色にあたためられた中で輝く今日のピアノは、青白い月光に照らし出されて夜の闇に浮かび上がった一昨日に目撃したあの冷たい流麗さとはまた違った一面を彼らの瞳にだけさらすのだった。

 その足下の地面に投げかけられた影すらも透明なオレンジ色をしている。

 教会のステンドグラスに差し込んだ光が、透明な色彩のフィルターを突き抜ける際に幻想が織りなすガラスの色に染められるのと同じだった。やがてその光は祭壇へと続く中央通路の床に窓枠に閉じ込められた聖画と同一の淡い影絵を映し出す。

 この水晶のピアノを貫いた斜陽も、それとまったく同一の光の魔法によって黄金色の海を平面的に切り抜いたような、波打つグラデーションを地面に描いている。

 その光も影も、1日の内でもこの時間だけに表れる太陽の色をしていた。

 つい立ち止まる彼を追い越して彼女はピアノに近づく。

 それを見て我に返った彼も後につづく。

 近づいて見つめるほど、いっそう溢れんばかりに輝かしい。

 まるでピアノそのものが内側に光源を秘めていて、それによって泉から湧きあがる水のようにつきることなく光が流れ出ているように思われる。そうして、美しさと眩しさのために、文字通り目のくらむ思いがする。


 魅入られた彼の前で彼女も多少は感動しているらしかったが、それでもきちんと大屋根の持ち上げにとりかかっている。

 どんな造形をなされていても、彼女のそういう、楽器は楽器として認識する音楽家としての感覚をもっているところが、もはやひとつの芸術品として見ているために、もうこのまま眺めるだけでもいいんじゃないかと考え始める彼との違いであった。

 実際、彼には素手で触れることすらためらわれていた。

「ん、よい、しょ――」 

 彼女が持ち上げに苦戦しているのでさすがに彼も手を貸した。

 実際もってみた感想は、見た目通りひんやりしているのと、想像以上に重かった。それでもようやく大屋根を開いて突上棒を立てる。

「へ~よくできてるなあ」

 普通のピアノすらろくに見たことのない彼であったがそんな感想がもれた。

「ね。やっぱりすごいですよ、これは」

 彼女が振り返る。

 彼も感心しながらつくづくと眺めると、彼女がさきほど言っていたとおりのことを認めた。

「確かに、錆びだとか、表面の細かな傷とかありませんね。埃も」

「でしょう?どうなってるんだろう」

 そう言い交わしながら2人で丹念に点検する。

 点検すればするほどその神秘は目で味わえる美しさにとどまらないということを、ますます目の当たりにすることになる。まるで一瞬前にここに現れたばかりとでも言いたげにその表面は鏡のように滑らかに磨き上げられているのだ。

 それは常識ではおよそ考えられるはずのないことだった。いくら布で覆われていて、最上階であるここに窓から砂塵や潮風が入りにくいとしても、それだけでは説明がつかない。

 保存状態を悪くさせるもっとも大きな要因を防ぎ切れていないのだ。それは、時の経過であったり、気温と湿度の変化である。

 にも関わらずに、新品同様、いやそれ以上の瑞々しい新しさ。

 あたかもこのピアノだけが連続する時の流れの理からはずれ、時の流れのほとりかどこかで

万物に定められた宿命から逃れているとしか思えなかった。


「ふーむ・・・・・・謎は深まるばかりだな」

「〈樹〉くんは、心当たりないんですよね」

「はい、初めてここに来たときに一回だけこれを見たことがあるんですが、言われてみれば一昨日の夜に見たときと変わらなかったですね」

 一昨日の夜、という言葉に彼女はぎくっと反応した。

「・・・・・・?どうかしましたか」

「その節は、どうもご迷惑を・・・・・・」

「あ、いや、こちらこそ。後ろから声を掛けたのは余計まずかったですよね」

「それも、驚きはしたんですけど」

 それ「も」、という言い方が少し引っかかった。

 人気のない暗闇の中で、後ろから知らない男に声を掛けられる以上に驚くことがあるだろうか。

「そういえば、あのときも〈樹〉くんはあんまり驚いてませんでしたね」

「あれは動揺を悟られまいと強がってただけですよ。実はめっちゃ驚いてました。でも、こっちが待ち伏せできるぶん余裕があったしーー」

 本人は気にしてるようなので、あんまり触れない方がいいかと迷って言葉を切ったが。

「・・・・・・目の前の相手が、むしろ緊張が飛ぶくらい真っ青で動かなかったから心にゆとりができたんですよね」

 彼女には少々自虐癖があるのかもしれない。

「そういう部分も・・・・・・あったのかもしれないですね。いや、別にその、見くびったとかいう訳ではなく」

 なんとか話題を変えねばと、ピアノの話に舵を切ろうとしたが、その前に確かめておかなければならないことがある。

「あ、そうだ。これは余計なお世話になってしまいますけど、せっかくお渡ししたので、誰が来たのか確かめるまでは鍵をかけてくれたりしたほうがいいかもしれませんね」

「鍵、ですか」

「今日はたまたま俺が来たからよかったですけど、もし違う人が来てたら、その危ないことになってたんじゃないかなって」

「・・・・・・」

「?」

彼女はなにやらポカンとしている。

「あ、いえ。すみません。その、私の中で〈樹〉くんのイメージがまとまらなくて」

 それはこっちだって同じなんですが、とは言わない。

 よっぽど彼がいぶかしげな顔でもしていたのだろう。弁解するように彼女が言う。

「初めて会ったときは、淡々としてて割り切った考え方の人なんだなあって思ってたんです。

 でも二度目にあったときは、少し親切になってて、かと思うと、さっき会ったときもやっぱりドライだなあって感じてたんです。そしたら今度は、その、私のことを心配してくれるというか」

 どうやらお互い、相手の人となりをつかもうとしてはひとつひとつの言動に振り回されていたらしい。よし、ここはどういう考えかをはっきりさせておこう。

「そりゃ心配だってしますよ。最初から〈希〉さんが隠れてくれれば何事もなくすむでしょうけど悪漢とかに見つかったら、事件になってしまうでしょう。そうなってしまったら――」

「警察が廃墟にやってきて、困ったことになる、ですか」

「はい、お互いにとって」

 彼女はそれを彼流の冗談と受け取ったらしく、なんだか愉快そうにしている。

 なんだか曲解されたような気がしないでもないが、これくらいにしておこう。

「でも、そういうことなら大丈夫です」

 自信を感じさせる言い方だ。

「何か武術の心得とかがあるんですか?」

「そういうのは、からっきしですけど――でも、とにかく大丈夫です」

「・・・・・・?」

 今度は彼が頭の上に疑問符を浮かべる番だった。

 が、本人がいいというなら、いいんだろう。たぶん。



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