最後の日 六
チッ……チッ……という音を立てて時計が針を進める。
急ぐ事もせず、サボる事もせず。一定のテンポで時を刻み続ける。
「……もうそろそろ、今日が終わるね」
私は少し蒸し暑いこの部屋に唯一ある時計を見つめながらしばらくぶりに声を発した。
それと同時に私は地面にあずけていた体を起こしひとつ「ふぁ」と小さくアクビをもらす。
「……」
返事をしない松本君の顔をなんとなく見つめてみた。どうやら、いつの間にか眠ってしまったらしい。寝息も小さく、イビキも出さないので気がつかなかった。
しかし器用に眠るものだ。座った状態で右足を立て、そこに右手を乗せてそこに全体重を預けるように眠っている。
その格好から推察するに、眠るその瞬間まで私の事を見つめていたのだろうな。
「……起きたら首痛いだろそれ」
私は返事が無い事がわかっていながら、松本君に話しかけてみた。
やはり、返事は無い。
「……まったく」
私は呆れながらも松本君の体に毛布をかけてあげた。
「松本君が安奈ちゃんについてどこまで知っているかわからないけど、一応私の知っている事を話しておくよ」
私は座りながら眠っている松本君の隣に座り、身を寄せる。
「松本君はまだ入院しなきゃいけないし……いつ退院できるかわからないし……もしかしたら施設に送られるかもしれないし……だから、今話しておく」
聴いてはいないだろうが……意味の無い事なのだろうが……本当は教えたくはなかったのだが……
それでも私は、まず松本君に話しておくべきだと感じていた。
「なんでさっき詳しく聞いてこなかったのかな〜……本当はあの時ちゃんと話しておこうと思ってたのにさ」
私はチッ……チッ……と音を立てながら進む秒針を見つめた。あの針があと数十回時計の周りを回っただけで、もう今日が終わってしまう。
今日は半年振りに松本君が外界と触れ合えた日なのだから、今日のうちに全てを伝えておかなければならない。そんなふうに感じてしまい、話す事に意味なんて無いのに、私は焦る。
「……私達が知っている安奈ちゃんの本当の名前は、礼奈っていうの。苗字まではさすがに解らなかったけど、あの安奈ちゃんの本名は礼奈っていう事だけは間違いないよ。そして礼奈は、過去に少なくとも二人殺してる。他にも洗えば余罪は沢山ありそうだけど、はっきり礼奈ちゃんが殺したって言える人間は、二人もいるんだ」
私の顎から汗が滴り落ちる。
この部屋は暑い……本当に、暑い。
握り締めている拳にもじっとりと汗をかいている。本当に、不愉快。
「……ひとりは、礼奈ちゃんの妹……アンナって、いうの」
暑いな……もう……
背筋に鳥肌を立てているというのに、やはり、暑い……
「れ……礼奈ちゃんはね……アンナを殺して……そして……た……」
……暑い。
汗が、不快だ。
「……食べたんだよね……」
暑いって思っているのに。
全身が、凍えそうだ……
伝えてはいけなかっただろうか。言葉にしてはいけなかっただろうか。
もし松本君が起きていたら、一体どんな反応を示していたのだろうか。
あぁ……暑い。暑いはずだ。だってこんなに汗をかいているんだから。
暑いんだから、震えよ、止んでくれ……
「お……お腹の肉のほとんど……と……な……内臓のほとんど……あと……右手の親指以外全部……た……食べたんだって……」
……本当は、伝えたかったんだ。言いたくて言いたくて、仕方が無かったんだ。私の中だけでとどめておく事なんて、到底出来なかったんだ。
私は、当事者じゃない。過去の「礼奈ちゃん」にも現在の「安奈ちゃん」にも、あまり深くは関わっていない。
だけど、深く関わってしまった人間と、深く関わってしまっている。そしてその深く関わってしまった人間は、すべからく、狂ってしまっている。
……怖かった。怖かったんだ私は。怖くて怖くて、仕方が無かったんだ。
興味本位だった。最初は、ほんの好奇心で調べてみただけ……まさかあの礼奈ちゃんにこれほどの過去があったなんて、思ってもみなかった。私も……私も狂ってしまうのかと思うと、もう隠してなんかいられない。たとえ狂った人間だとしても当事者の誰かに話してしまいたかった。
知って欲しかった。
「私……興味本位で調べて……興味本位で貴方達と関わって……今は後悔してる」
時計の秒針があと二周すれば、今日が終わる。
「調子に乗っちゃったんだ。まるで映画やドラマの中に入り込んだような感覚になっちゃって、私が全てを解明するんだ、とか思っちゃって……」
あと、一周で、今日が終わる。
「……私も、狂うのかな」
今日が、終わる。




