僕は壊れたのだろうか
家へと辿り着いたのはもう深夜と呼べるような時間帯で、玄関のドアを開けるなり母親が青筋を浮かべながら仁王立ちで待っていた。
「今までどこに行ってたの?」
僕はそんな母親の事なんて気にもとめず「別に」とだけ答えて靴を脱ぎ家の中へと上がろうとする。
しかし母親には僕のこの態度が気に入らなかったらしく、僕の肩をドンと押し「別にじゃないでしょ」と少し声を張り上げながらにらみつけた。
それでも僕はそのまま家の中にあがろうとする。母親のその行動なんてお構いなしに、ずかずかと家へと上がりこんで階段を上っていった。
後ろで何か怒鳴っているようだが、関係ない。そんなの気にしてなんかいられない。
僕は自室へ戻ると、着ていたコートを乱暴に脱ぎ捨て、踏みつけた。何度も、何度も、踏みつけた。次第に踏みつける事に飽きてきたので、今度はカッターを取り出して切りつけた。規則正しく切るのではなく、この思いをぶつけるかのように、乱暴に、乱雑に、切りつけた。
「……ああああ……」
それでも気持ちが晴れる事は無く、ただただイライラが積もっていくだけ。踏みつけるたびに、切りつけるたびに、余計、イライラしてくる。
「どんなっ……過去が……あっても……許されない……許さない……っ!」
絶対に、許してたまるか。
謝ったって、許してやるものか。
「啓二……?」
僕のこの騒ぎを聞いて姉が僕の部屋のドアから顔を覗かせた。僕はというと今は少し落ち着いて自分のベッドの上で膝を抱えながら座ってどこを見るでもなく、ただただボーッと視界を曇らせていた。
「……何?」
「何じゃないっけ……どたばたしてたしょ」
「姉貴には関係ない事だっけさ」
「……」
姉は寂しそうな表情を浮かべて、おそるおそる僕の部屋へと足を踏み入れる。僕を刺激しないようにか、足音すらも立てずに、ゆっくりと入ってきた。
「……別に普通に入ってこればいいのに」
「ん? そっか……座ってもいい?」
「……だから、断らなくてもいいよ」
姉はなんだかやりずらそうな表情を作るも、机の前にある椅子へと腰をかけて僕のほうを向く。そしてジッと、僕の顔を見つめていた。
……忘れていた。そういえば昨日から姉は少しおかしい。今まで何が起こってもこんな風に部屋を行き来するような事は滅多にしなかったのに。一体何があると言うのだろうか。
「……そいやさ、姉貴昨日からちょいおかしいよね。なんかあった?」
「ん? ん〜……ちょっとね」
姉は虚を突かれたようで一瞬驚いた顔をした。そしてすぐに寂しそうな表情を作り、僕から目を離す。
俯きふせって、少し目をキョロキョロとさせている。その挙動不審な行動が、なんだか自分を見ているようで少しイライラしてしまう。やはり姉弟という事だろうか、変な所が似てしまった。
「へぇ……そうなんだ」
「うん。そうなんだ」
この言葉を最後に、二人とも黙り込む。
お互い何を話すでもなく、何を聞くでもなく、ただただ時間が過ぎていった。
明日は、何をしようか……?
彩子さんのお見舞い……と言っても彩子さんの意識は結局戻らなかったし、しばらくは面会謝絶にするらしいし、そもそも手術が成功したのか助かるのか、それすらもわからない状態だ。
僕は何もする事が無い。何もする事が出来ない。やらなければいけない事は沢山あるような気がしているのに、何をすればいいのか解らない。
結局は、あれか。僕には何一つ、出来る事は無いって。そういう事か。
「啓二……一緒に寝てくれない?」
僕には……彩子さんを助ける事も、松本さんを救う事も、安奈さんを正気に戻す事も出来ない。
「啓二……私寂しいんだ」
彩子さんに相談された時は嬉しかったし頑張ろうって思えたのに……今は、もう……
ほんの数時間前の事。本当に数時間前だと言うのに……まっさらだった僕の心はどす黒く変色してしまい、今では松本さんも安奈さんも嫌いに……
「啓二……見てほら……私震えちゃって……」
「……んだよさっきから……うるさいよ」
僕は不機嫌そうな声で姉にそう告げた。
しかし姉の表情を見て、一気に現実へと引き戻される。姉の顔は、笑っているのに泣いていて、何故か激しくガタガタと体を震わせて腕で腕を暖めていた。
「何してんの……?」
「ふ……ふるえてる……見てわかんない……?」
「いや……わかるけど」
「だ……だったら……暖めてよ……」
……何を言っているんだ、こいつは……
「あ……暖めて……は……やく……」
……姉のその表情は、まるで映画のワンシーンのようだ。恐怖に引きつった笑顔とでも言えばいいのだろうか、とにかく、普通じゃない。
あぁ……疲れる……どうして僕の周りにはこう普通じゃない奴ばかりがやってくるのだろうか……一体、なんなんだというのだ……神様はこんなに沢山僕に試練を与えてどうしたいのか……
「馬鹿じゃねぇの……湯たんぽでも抱えて寝ればいいじゃん」
「だだ……だってさ……ししし……信頼いいい……でで、できる人間が……ももう居ない」
「それは姉貴がそういう連中とばっか付き合ってるからだろ」
「う……うんそう……そううう……そうなんだ……ごめんごめん……だ……だけど啓二は違うよね? 私信頼していいいいいんだよね……?」
……信頼できるかどうかは他人に聞くものではなく自分で決める事だろう。
それに、信頼できる人間がもう居ないという点において、僕だって同じだ……彩子さんの意識が戻るまで、僕だってずっと孤独なんだ……
もし意識が戻らなかったら……僕はずっと孤独なんだ……
「……姉貴、甘えるなよな。僕や家族の事うっとうしく思ってたくせに。いざ自分が寂しくなった途端にそれかよ。やめろよそういうの」
「……啓二……そんな……そんな事言わないででで……」
姉はうっすらと目に涙を溜めている。半分笑っているような顔で、必死に僕へと語りかけてくる。
……正直、涙はもう見飽きたよ。ここ最近見すぎてなんとも思えない。
「啓二じじ……私死ぬかもしれないよ……?」
「……そんな勇気も無いくせに」
本当の勇気は、彩子さんの中にこそある。この女程度が持ち合わせている訳が無い。
それに、思ってしまう。好きにしろって、思ってしまう。他に何も感じる事が出来ない。他に言葉が思い浮かばない。
僕は、壊れたのだろうか。




