安奈は私、私の中に
この女医さんは二十代後半くらいの歳だろうか? この病院で一番はじっこの小さな診療室で彼女は私の舌の診察をしてくれた。
軽くクスリを塗ってくれ「痛いだろうけどすぐに治るから」と言ってニコッと微笑む。
「なんでこんな強く噛んだかな。何か衝撃が加わらないと普通ここまで深く噛まないよ?」
女医さんは「あ〜あ」といいながらノートのようなものに私の診療状況をまとめている。
その様子を見て、私は違和感を覚えた。
普通患者の診療記録として使うものはカルテ。カルテとして保存し後ほど保健所から保険料を貰うというのが普通だと思うのだが……
「……カルテ……じゃないんでふか?」
「あ? これ? はは」
女医さんはノートを指差して「はは」と笑う。そして少し複雑そうな表情を作り、ボールペンの先で頭をカリカリと掻く。
「貴方この業界じゃ有名人だからねぇ」
「ゆうめいじん?」
「貴方、礼奈ちゃんでしょ?」
その言葉を聴いた瞬間、背筋に悪寒。そしてすぐに全身に寒気と鳥肌。次に視界がぼやけ、頭と顔が熱くなる。
何故この人は私を知っている……?
「え……あ、いぇ、わたじ、安奈……」
「あれ? 安奈って……確か死んじゃったんじゃなかったの? 逆だったかな? まぁ私も噂で聞いた程度で詳しくは知らないけどさ」
そう言って女医さんはペンを置き、私の頭の耳を見る。
「貴方、何人も殺してきて感覚麻痺してるのかも知れないけどさ、もうあまり人殺さないほうがいいと思うよ。せっかく恩赦で自由になれたっていうのに、シャバで事件を起こしてもかばってくれる人なんか居ないんだから」
……この人は、どこまで知っているんだ……?
そして、噂……? 噂ってなんだ? 私の知らない所でいったい何が起きている? 誰がどんな噂を流した? なんだ……なんだ……?
「……私、ひどなんでごろづぃてない……」
「……またまた。少なくとも過去に二人、殺してるじゃない」
……私が安奈だとしたらアイツを殺したのは私で私が礼奈だとしたら安奈を殺したのは私で……どちらにしても私は人を殺してころころして
「ごろしてにぁい!」
「え? だって現に」
「ころじてないごろじでないころしてない!」
女医さんは驚いたような表情を作り私の顔を見る。見るな見ないで私を礼奈と呼ぶな。
ああああ、違う違う違う違う違う違うんだ。安奈は私。私の中に。
私の中に生きていてそしてずっと一緒だと誓ったんだだから私は安奈で安奈は死んでなくて安奈は今でもこうして死なないで生きているんだよ誓ったんだ私が、礼奈が、安奈として生きていくって。
死なないため。安奈が、死なないために。
安奈は、ずっと、死なない。死なないんだよ、安奈は。一生大事にするって言ったもん。だから安奈は幸せにならなきゃいけないんだ。愛を与えなきゃいけないんだ。
なんだよアイツは礼奈ばかり可愛がりやがって安奈にも愛を与えてやれよ安奈を大事にしてやれよ安奈は必死に生きているじゃないか醜い体を晒しながらそれでも一生懸命生きているじゃないか。
「ごろじてないごろじてない殺してないんだ死んでないしんでぁいじんでなんがいぁいだろ見えないのか私が!」
「……ふぅん。そっかそっか。マトモじゃいられないもんね」
「あんらよその言いかだ! 私はマトモなよ! 全然普通! 頭にぉ耳どぉじっぽ以外普通でしょ!?」
「普通っていうか、その耳むしろ超可愛いよ」
「えへへ可愛いでしょすごく可愛いでしょ天使の羽なんかより全然こっちのほうが可愛いどぉ思うんだ〜羨ましい?」
「人間に、天使の羽……ねぇ。そりゃ失敗するよね」
「失敗って言うな安奈の事を馬鹿にずるにぁ! 貴方に何がわかるっていうんだ!」
あぁあぁあぁあぁ。
色が混ざる混ざって黒になる。
赤も青も黄色も緑も茶色も鼠色も金も銀も。
全部まざると黒になる。黒になると、あとからどんな色が入っても、やっぱり黒は黒のまま。
白が、欲しい。白が欲しくて、たまらない。唯一白だけが、希望を持たせてくれる。
松本さん愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛してくれたら白くなれるよぅ。
だけど、伝わった試しは、無い。




