それで、終わるんだ
彩子さんは最後の最後、自分が自分である事を選択した。
自分が自分である事……それはつまり、気丈で、我侭で、頑固で、そして、格好良い彩子である事。
彩子さんは逃げるのは格好悪いと判断した。逃げるというのは現実から目を逸らす事。罪を受け入れないという事。それは彩子さんにとって我慢出来ない事。
それらが理由で今、彩子さんは手術を受けながら生と死の淵をさまよっている。
僕は許せるであろうか……? 我慢できるであろうか……?
取り繕えるだろうか? 嘘をつけるだろうか? 発狂しないだろうか? 憎まないでいられるだろうか? 殴らないでいられるだろうか? 陵辱しないでいられるだろうか? 殺さないでいられるだろうか?
彩子さんとの約束を、守れるだろうか?
数分後、彩子さんの両親が到着した。
「彩子! 彩子ぉぉ!!」
彩子さんの両親はすぐさま病院へと駆けつけたらしい。病院から連絡が入り仕事を切り上げ大急ぎで病院へやって来たに違いない。額には汗、目には涙を浮かばせていた。
ご両親は二人とも小柄。しかしとても整った顔立ちをしている。彩子さんはどちらかと言うと母方の遺伝子を多く受け継いでいたようで、一目で親子だと言う事が解るほどにそっくりだ。
そりゃあ、美少女が生まれる……男の子が産まれても美少年になってたな。なんて、そんな事を思っていた。
「彩子! 彩子!!」
彩子……彩子……彩子さんのお母さんが延々と吼える。彩子という単語を、何度も、何度も、吼える。抱きつかれている彩子さんのお父さんは何も言えず、ただただ悲しそうな表情を浮かべながら彩子さんのお母さんの頭を撫でていた。
「彩子! 彩子!」
彩子さんは、他にも罪があったじゃないか。そもそも安奈さんへの償いは、まだ終わっていないじゃないか。だって安奈さん、まだ何も知らないんだよ? 安奈さんが知って初めて償えるというのに、まだ安奈さんが知る前に彩子さんが死にそうになってどうするんだよ。
このまま死んでしまったら何もしていないのと同じじゃないか。ただ安奈さんの逆鱗に触れ、そのまま殺されたという事になってしまうじゃないか。そんなの……そんなの……
「そんなの……っ……」
……そんなの……無いよ……
警察の人との会話は良く覚えていない。
僕自身本当に疲れていたから、半分意識が飛んだ状態で受け答えをしていた。
でもとりあえず安奈さんの名前は出していない。犯人は見知らぬ通り魔。暴漢。包丁を持ち追いかけてきたので僕達は必死で逃げ回っていたとだけ話した。そう話せと、彩子さんに言われたから……そう話した。
それ以外の話は、本当に良く覚えていない。終始ボーっとしていて何を聞かれどう返事をしたのかも全然思い出せない。遠い過去のように、思い出せない夢のように、頭の中から抜け落ちている。
「……解りました。とりあえず後日また事情を聞かせていただきますので」
警察の人はそう言って一度僕に頭を下げてからこの場から離れていった。僕を見ていた警察の人の目は、なんだか哀れみの視線のような、不快な感じがした。
「……はい」
僕の声は誰も居ない目の前に向けて発せられていた。もう警察の人は居ないというのに、とりあえず返事をしておいた。
警察との話が終わり、僕はフラフラと歩き出す。とりあえずエレベーターが設置されている場所を目指し一歩一歩ゆっくりと歩を進めた。
この病院は松本さんが入院している病院……というか、この街ではこの病院以外に入院や急患を受け入れられる施設は無い。必然的に、松本さんが入院している病院へと僕はやってきていた。
だから僕は、松本さんの病室へと向けて歩いていた。もう面会時間は過ぎているのだが、今現在僕は病院内に足を踏み入れているのだから構わないだろう。と、自分勝手な言い訳を考えながらフラフラとエレベーターに乗り込んだ。
しかし僕はエレベーターに乗ったはいいが四階のボタンを押す事をせず、そのまま隅っこのほうで腰を下ろしてしまい、膝を抱えてしまった。ガーという音を立ててエレベーターのドアが閉まり、完全な密室が出来上がる。
「……彩子さん……彩子さん……」
なんで立ち止まったのだ。立ち止まらなければならなかったのだ。意地を張ったって良い事なんか無いだろうに……意地を張って死んだら何にもならないだろうに……
確かに格好いいけど。彩子さんの選んだ道はまるで映画のようにドラマチックだけど。
そう、「けど」と「だけど」なんだ。すべてはそこに集約されてしまう。
格好いい「けど」死んだら終わり。ドラマチック「だけど」死んだら終わり。
終わりなんだよ。死んだらそれで終わり。味わっていない感情、感動、それらがまだあるというのに。これから僕ら二人で模索していこうとしていたのに。終わってしまうんだよ。
「終わるんだよ……死んだらそれで……」
憧れていた……尊敬していた……大好きだった……彩子さんのそういう部分……だけどそれが元で苦しんでしまった。そして今、死因になろうとしている。
正直、解らない……僕は……もう、何が、なんだか、わからない。
「彩子……さん……」
僕は膝を抱えてより小さく身を固めた。全身が、寒いから。寒くて、寒くて、凍えてしまいそうだから。
僕はガタガタと震えながら、エレベーターの隅で泣き続けた。




