疎外感
過去……過去か。
過去を話さなければ、松本さんはもう抱いてくれない……しかし落ち着いて考えればこの交換条件は当然の宿命のような気がする。
むしろ今まで話していなかった事のほうが失礼だったろう。一緒に暮らして一年……よくも黙ったままでいられたものだと思う。
だけど、ちゃんと話せるだろうか。私自身もうずいぶんと遠い過去のような気がしていて、すぐにはハッキリと思い出せない。そもそも松本さんだって、彩ねぇだって、けいちゃんだって、誰だって、自分の過去を鮮明に覚えているのだろうか。しっかりと話せるのだろうか。
確かに私の過去は特殊だし、印象に残っている場面だって多々ある。けど、それは断続的で曖昧で主観的な記憶。正しいかなんて解らないし確認のしようもない。ちゃんと伝えられる自信は無い。
「……はぁ……」
…………いいや、言い訳か。これは話したくないという心のために理性が打ち出した言い訳だ。私はズルイから……話さないで済むなら一生話したくは無いと思っていた。松本さんだってむやみに聴いて来る事は無かったんだから、それでいいと思っていた。
だけどやっぱり気になるんだろうな。これからまた一緒に暮らしていこうという人間の過去を知りたいと思う事は当然の事だと思うし松本さんにはその権利がある。
私だって……出来れば全て話したい。話してスッキリして何の後ろめたさも無く松本さんと付き合っていきたい。でも、怖いんだ。ハッキリと思い出す事も怖いし、松本さんが引いてしまうのではないかと思うとまた身震いする。
……あぁ、ジレンマだ。ジレンマが頭を支配して思考がまとまらない。
「……はぁ……」
私は何度目かのため息を漏らして、空を見上げた。
空はもう西日を通りこして蒼くなっている。透き通った空気が星を綺麗に見せていた。
キィ……キィ……という錆付いたブランコの揺れる音が、誰も居ない公園にさびしくこだまする。
「クシュッ……」
さすがに少し冷えてきたらしい。さきほどからくしゃみが出る。
「あ〜……もう帰ろうかな」
私はそう呟き、ブランコから腰を上げてお尻をパンパンと叩く。そしてもう一度「はぁ」とため息をつき、空を見上げたまま歩き出した。
彩ねぇにもけいちゃんにもこんな相談を持ちかける事なんて出来ないから、私は「ちょっと散歩に行ってきます」と言い、外に出て考える事にした。しかし考えたって答えなんか出る訳も無く、ただただ自分の中のジレンマと戦う事しか出来ずに今アパートへと向かって歩いている。
それで収穫は……そうだな。普通に考えて過去を話す事が最低限の礼儀だろうとは思えた。決意は出来ないけど、思う事は出来た。
散々お世話になっているんだし……これからもなるんだし……本当の意味で過去を清算するためにも、話しておくべき事なのかも知れない。
「……引かないでよね……松本さん……もし話す時が来たなら、私を抱きしめておいてね」
そして話が終ったとしても、ずっと離さないでいて欲しい。
……ずっと側に居ると、約束して欲しい……
私は一時間ほどの外出を終えて、アパートの部屋へと帰ってきた。今日はけいちゃんも一緒にこの部屋にいる。
「ただいま」
私は玄関のドアをくぐり、中に居るであろう二人に声をかけた。
真っ先に聴こえてきたのはけいちゃんの声。「おかえりなさい」という、普段より少しだけ低いと感じる声になんだか違和感を感じる。
「……おかえり安奈ちゃん」
続けて彩ねぇも返事をした。彩ねぇの声にも、なんだかいつもの元気が感じられない。私は何かがあったのかと思い、急いで靴を脱いでリビングへと駆け出していた。
玄関とリビングを仕切っているドアを開けると、二人とも布団の上に座り込んで、なにやら暗い顔をして押し黙っている。開いたドアに気付いて二人とも私を見てはいたのだが、なにやら本当に元気がないような印象を受けた。
「何? 何かあったんですか?」
私はその雰囲気に耐えられず、少し明るい声を出していた。
「ううん、何にもないよ。あ、そうだ。今日はけいちゃんも一緒にご飯食べてくって。泊まって行けばいいのに〜って言ったんだけどさぁ」
彩ねぇは急にいつもの笑顔を取り戻し、「ははは」と派手に笑った。だけどその笑いも、なんだか白々しく感じてしまう。
「……彩子さん、冗談がだんだん悪質になっていってますよ」
けいちゃんは少し呆れたような表情を作り「ふぅ」と小さくため息をついた。でもやはりそれも文字通り「作り」のような気がしてならない。
絶対に何かを隠している。そう直感した。
「……彩ねぇ、何か隠してるなら、今のうちに話してください」
私のこの言葉を聴いて、彩ねぇは一気に顔を青ざめさせていた。そして私から視線を外し、まるで助けを求めるかのような顔をしながらけいちゃんの手を握り締めていた。
……嫌だな……疎外感を感じる……




