性と、情
蒼黒い空から、白くおおきな粒の雪が降っている。
白い息が風に乗って遠くまで伸び、空気と混ざりあって消えていった。
本格的な冬がこの町にも訪れてきて、ほんの少しだけ憂鬱になる。
……本当に、少しだけ。
安奈に「嫌な癖」だと言われた舌打ちが出ない程度の憂鬱さだ。
「えへ、えへへ」
安奈はにへらと笑い、俺の右隣を歩いていた。
だらしなく口を半分開き、斜め上を向きながら歩いている。頬は寒さのせいか、ほんのりと赤い。
……いや、もしかしたら俺の右手を握っているせいなのかも知れない……なんて、少し思ってにやけそうになった。
「……何笑ってるんだよ」
「へへ……んん〜……あったかいなぁ」
安奈はそう言い、俺の右腕に両腕を絡み付けてよしかかってきた。
「お、おい」
「えへへ。漫画とか、ドラマとかで、よくある風景じゃないですか」
安奈は俺の眼を見る。
「私、こういう事は一生出来ないものだと思ってたんですよ」
俺と安奈はスーパーへと買出しに出かける途中であった。
スーパーまでは歩いて20分ほどかかる。普段ならそんな雑用はすべて安奈にまかせている。
一緒に買い物になんて、一年前安奈の普段着を買いに行ったきりだった。
それ以降、俺は買い物自体あまりした事が無い。
すべて、安奈にまかせていた。
「ひそかに、あこがれてました」
安奈はニコッと笑い、腕をぶんぶんと前後に揺らし、スキップをする。
その姿は、本当にただの、十四歳の少女だった。
「よく考えたらよ、お前って俺の5歳年下なんだよな」
「そうですねぇ、まぁ5年なんてすぐですよ。すぐに追い抜いてみせます」
「……馬鹿か」
「あはは、冗談ですって、冗談」
安奈は野良になってから3年間、屋根も壁も無い場所で過ごしていたらしい。
年端もいかぬ少女が、3年間野良で生きていくという事は、どういうものだったのか……。
安奈は頑なにその時の話をしたがらない。俺もその話を無理に聞き出す事はしなかった。
せっかく閉じかけてきた傷口をわざわざ開くような事なんだから……俺にはもう聞けない。
ただ、想像はしてしまう。
おそらく、残飯を食らい、公園で寝泊りし、人目を避けて、運命を呪いながら生きてきたのだろう。
寒い日も暑い日も、耐えて、耐えて。
普通に過ごしている人間を疎ましく思い、心が汚れ、世の中を憎み、誰も信用できずに、一人、もがき続けていた。
今笑顔で居られる事が奇跡のような、そんな人生を歩んできたに違いない。
……いや、これでもまだ考えが甘いのだろう。
おそらく安奈は、不特定多数の男に抱かれている。
安奈は幸か不幸か、美人だ。
安奈は……それを利用していたに違いない。
性行為が好きな安奈が、利用しない訳が無い。
俺と安奈が最初に結ばれたのだって、安奈から誘ってきたのだ。
俺を性で、繋ぎとめていた。
「松本さん?」
安奈はいつの間にか俺の顔に自分の顔を近づけていた。俺の顔を覗き込んでいる。
俺は少しびっくりして顔を遠ざけた。
「あ、なんだ?」
「何か考え事してました?」
「いや、なんでもない」
「嘘だぁ。だって難しい顔してたもん」
「……ん」
「ね? ね? 何考えてたんですか?」
俺は後ろを振り返った。
そこには、新しく出来たばかりの足跡が、ふたつ平行に並んで続いている。
「さて、な……秘密だ」




