小さく叫ぶ
ベッドの隣に置いてある時計を見てみる。
もう時刻は夕方の四時を過ぎてしまっていた。
「そろそろ帰らないと」
彩子がそう呟く。どうやら窓の外から差し込む西日に気がついて、俺と同時に時計を眺めていたらしい。
「うん……そうですね……そろそろ」
いままでほとんど声を出していなかった安奈も一度時計をチラっと見て、椅子からそっと腰を浮かせた。
「明日で退院ですね……ちゃんと、迎えに来ますから」
「あぁ……解った」
俺は少しだけ無機質に感じる声を自然と発してしまっていた……何を考えているのか、もっと嬉しそうに返事をすればいいのに。実際そう言ってくれて嬉しいのに……
「という事は、今日で私も安奈ちゃんとお別れなのね。さびしいわぁ〜」
彩子は半分笑ったような顔を作り、安奈の腰にぐるりと腕を回して抱き寄せてた。彩子のこういった冗談めかしてやらしい事を言う癖、まさか安奈と二人きりの時にも言ってないだろうかと、少し心配になる。
「確かに今日でお別れですけど……私達、友達ですよね?」
安奈は彩子の眼を見て少し微笑みながらそう告げた。その瞳は輝いていて、本当にまぶしく感じる。
そうだよ、それが本来のお前の姿なんだよ。本当に人当たりが良くて誰からも愛される、天使。俺が心から惚れきっている、天使。
「うんにゃ。友達じゃない」
彩子はそう言って背伸びをしながら安奈の首に腕を巻きつけ安奈の顔を引き寄せながら頬と頬を擦らせた。
「私ら親友じゃん。安奈ちゃん以上に親しく感じた女の子、他にいないよっ」
……しかし彩子も、いい顔をするようになった。最初は義務のような形で安奈を押し付けてしまって、彩子は不安のほうが大きいような顔をして安奈を連れて帰っていったが、こいつが今言っている事は嘘でも冗談でもなく、本当に親友だと思っているんだなと、納得できるほどの笑顔を作っていた。
これも全て、安奈の力なんだと、思う。
「……素晴らしいぞ、安奈」
俺は誰にも聴こえないように、少しにやけながらボツリと呟いた。
「また明日来ますね。待っててください」
「おやすみ松本く〜ん」
「それじゃあ、失礼します」
三人は病室の出口付近で手を振りながら俺に挨拶をする。俺は「あぁ、またな」と言って小さく右手を動かした。
俺のこの姿を確認した三人はゆっくりと歩き出したのだが、俺との別れを惜しむようにチラチラと俺のほうを振り返ってはニコッと笑い、また小さく手を振ってくれている。
俺はそんな三人の後姿を、見えなくなるまでずっと見続けていた。
……それにしても、なんて不思議な光景だと思う。
少し前なら俺が入院したってお見舞いに来てくれる人なんて家族くらいのものだと思っていたのに。今では三人も、本当に俺を心配して来てくれる。
なんだか満たされる。すごく嬉しい気分になる。確かにまだ解決しなければならない事もあるんだが、なんだかそれも超えられそうな気がしてくる。
心の持ち方ひとつでこんなに変わるだなんてな……今までいつ死んでもいいだなんて思っていた事が恥ずかしくなる。今は全然そんな事は思わない。むしろ、生きていたいと思う。
あいつらの笑顔が見たいから。あいつらともっと話していたいから。そして何より、安奈と一緒に居たいから。生きていたい。
「……並んで歩いてみたいな……」
俺は小さく呟いた。
安奈……安奈の言う事も、解らないじゃない。解ってはいるつもりなのだが、いまひとつ納得できない。
俺が見た限り、安奈は性行為をする毎に狂っていっているように思える。いや、そもそもの思想が、狂っている。愛の尺度は狂う事。そして愛を表現するには性行為しか無いと……そういっていた。
安奈がそうなってしまったのは、おそらく過去に何かがあったんだと思う。だから俺はその過去を知りたい。元々が天使のような人間なのに何故あんな価値観を持ってしまったのか。その過程が、ものすごく気になってしまう。だから、納得できるまではあの狂った安奈の相手は、とてもじゃないが俺には無理だ。
しかし安奈はヤダと。話したくないと言う。俺だってそれは解っていた。話しにくいというレベルではなく、話したらどうにかなってしまいそうなほどの過去なのだろう……
だけど、俺はどうしても知りたい。知らないと……納得できない。
「頭かてぇ……」
意固地になる事は無いんじゃないのか?性の開放こそが愛だと言うのならいっそのこと身をまかせてしまえば。そうすれば確かに安奈をもっと感じられる。もっと深く繋がれる。ずっと一緒にいられる。それはまず間違いない。
間違いないのだろうが……同時にこの考えは違うという違和感を感じる。
眼を閉じていたら、何も見えない。眼を逸らしたら、見失う。そんな事じゃあ駄目だろう。そんな事じゃあ今までと同じだ。
「……あーーーーっ!」
……あ? なんだ……?
誰かが小さく叫んでいる。
……いや、それよりも。俺は何故なんの脈絡も無く安奈の事を考えてる?
「……あれ……?」
……何を考えていた? あれ?
「……あーーーーっ……!!」
あれ?




