実は孤独
「あれ? 松本君と安奈ちゃんは?」
私は動揺している事をけいちゃんに悟られないよう、平然とした顔で五号室へと足を踏み入れた。
そこにはえいちゃんの姿も安奈ちゃんの姿もなく、けいちゃんがベッドの隣にあるパイプ椅子に静かに腰をかけているだけであった。
「……ジュースを」
「ん?」
「ジュースを買いに行きました」
「……ふぅん」
私は目を合わせてくれないけいちゃんの顔を覗き込んだ。それでもやはりけいちゃんは目を合わせてくれず、首を少し動かしてうつむき下を見つめてしまった。
「なにかあったの?」
けいちゃんは本当にわかりやすい。何かあるとすぐに顔と態度に出てしまう。今は、また落ち込んでいるようだ。
私はけいちゃんの正面へと移動し、ベッドの上に「よいしょ」と言いながら腰をかける。けいちゃんはチラッとその様子を見ていたが、すぐにまた床を見つめてしまった。
「お姉さんに話してごらんなさいな」
本当は、これ以上の荷物なんて背負いたくない。
背負いたくないのだが……私は頼りになる人間として今まで生きてきた。ここでこう言わないといつも通りの私じゃないような気がして、怖かった。
「……なんて言えばいいんですかね……」
けいちゃんは「ふふ」と笑った。その表情は、今にも泣き出してしまいそうなほどに悲しい印象。
「……安奈さんが……壊れちゃったんです……」
「壊れた?」
「そう……完全に狂ってました。松本さんとキスをした後、すぐに……」
キスしたのか。へぇ。
私もえいちゃんとは一度しかキスをしていない。えいちゃんは極端にキスをする事を拒み続けていた。そんなえいちゃんがキスをしたのか。へぇ。
……「へぇ」としか思えないな。
「キスしたんだ」
「……安奈さんは、眼をギョロギョロさせて、突然服を脱いだんです。それを見て松本さんは安奈さんの頬をビンタして……」
あ〜……いけない。頭に情報が入ってこない。親身になれない。真剣になれない。「へぇ」程度の言葉しか思いつかない。
けいちゃんは必死に話してくれているのに……やっぱり駄目だ。今の私には相談に乗れる余裕は、やはり無い。
的外れにどうでも良いキスの話に食いついたりして……今の話はそんな所に食いつくべき話じゃない。安奈ちゃんが壊れたって話なのに。駄目だ、ぜんっぜん、駄目だ。
「あの松本君がビンタしたんだ」
それでも私は相槌を打ってみる。話の流れに乗っていっているフリをする。本当は私の悩みを聞いて欲しいくらいなのに。私らしくあるために、必死に相槌をうつ。
「それを見て……なんだかすごく悲しくなって……だって、あの人達は愛し合ってるのに……一方は壊れて、もう一方はビンタして……なんなんですかこれ……おかしいじゃないですか……」
「……おかしいね」
「僕はあの人達に影響を与えて欲しくて今日も来たっていうのに……なんで……」
「……うん」
私の声は、だんだんと小さくなっていった。別に意識して小さくしている訳ではない。自然と、小さくなってしまった。
正直言って、けいちゃんの話はほとんど上の空……キスをして安奈ちゃんが壊れて今は二人でジュースを買いに行っている。その程度の事しか頭に入ってきていない。しかも頭に入ってきただけで、特別何かを思うとか、そんな事も出来ていない。
乗れない相談なら、初めから乗らなければ良かったのに……やっぱり駄目だ、私……
「……ごめんけいちゃん」
「……え? 何がですか?」
「……私今日もう帰る」
そう……逃げたい。この場から居なくなりたい。えいちゃんに会いたくない。脳挫傷の影響を受けたえいちゃんを見る勇気は、今の私には無い。
突然突きつけられた現実に頭がパニックに陥っている。とても無責任で自分勝手ではあるのだが……今日は、もう無理だ。
有香さんごめん……今日だけは許して……と、心で精一杯の謝罪をする。
「と……突然何言ってるんですか? 彩子さんまだ松本さんの顔も見てないでしょう?」
「はは、そうなんだけどさ」
私はわざとらしく笑って無理矢理笑顔を作って見せた。心配させまいとして作った笑顔なのだが、どうやら上手く作れていない……けいちゃんは不審な表情を浮かべて私の顔を見つめていた。
「そうなんだけど……今日はレディースディなんだ」
「レディースディ?」
「はは、生理のこと。結構辛いんだ」
私はそう言ってベッドから腰を上げる。立つと同時に私は出口へと向かって歩いていった。
「松本君と安奈ちゃんには上手く言っておいて」
私はけいちゃんにそう告げた。後ろからけいちゃんの呼び止めるような声が聞こえてきたが、決して振り返らない。振り返ったら、引き止められる。
私はけいちゃんの声には決して耳を貸さず、無言のまま少し早足でエレベーターのある場所へと急いだ。
……まるで犯罪者のような心理だな……えいちゃんにも安奈ちゃんにも見つかりたくない。一刻も早くこの病院から出たい。
病室で皆と話しでもしていたらきっとその場の空気でなんとかなるだろうと思ってはいたのだが……やはり居なくて良かっただなんて思ってしまっている。
やっぱり会わせる顔なんて無いよ……昨晩は昨晩で安奈ちゃんを襲っちゃいそうになったし、今日は今日でえいちゃんが脳挫傷だと言われて……その怪我は私がさせたようなものだし……
「あぁ〜……」
私は頭をグチャグチャとかき乱す。誰かに相談したいけど相談出来るような相手は一人も居ない。
家族になんか話せない。友達にも話せない。親友と呼べる相手は一人も居ない。
実は、私って孤独だ。
「もう……早く来てよ……」
私はエレベーターのボタンを連打していた。カチャカチャカチャカチャという音が他に雑音の無いこのフロアによく響く。
「あぁ〜……もぉ〜……」
私はイライラしている。
何をイライラしているのか……罪の意識も、辛い現実も、全て自分のしでかした事だと言うのに……自分のこういった自己中心的な部分にも、やはりイライラする。イライラしている自分にイライラする。
「うぅ〜……もぉ」
嫌……と言おうとした瞬間、私の肩を誰かが叩いた。
私は突然の出来事にビックリし、思わず「キャッ……!」という小さな悲鳴をあげる。
「彩子さん……」
振り返ってみると、そこにはけいちゃんが立っていた。
けいちゃんは私を探して走り回っていたのか、少しだけ息を切らしている。
「……けいちゃん。何?びっくりすんじゃん」
私はまた慌てて笑顔を作る。そう、けいちゃんに心配させてはいけない。この子もこの子なりに悩みがあり、必死にそれを克服しようと努力している。
そして今まさに変わろうとしている時。私は助力こそすれど足を引っ張ってはいけない。だから私はいつでも頼れるお姉さんでなければならないし、笑顔を見せ続けていなくてはならない。けいちゃんを巻き込んだのも、私のようなものなのだから……責任を持って、けいちゃんの成長を見届けなければならない。
だから、私は精一杯笑顔を作った。頼れるお姉さんに見えるように。いつもの気丈な私に見えるように。笑顔を作る。
「お姉さん居ないとやっぱ寂しい?」
「……寂しいのは……」
「ん?」
「寂しいのは、彩子さんのほうなんじゃないですか?」
……かなわないな。




