膨張
僕は沸きあがってくる欲望を制止させようとしている。頭を抱えて布団に包まり「落ち着け」と自分に言い聞かすように呟いた。
それにしても昨日の夜は悲惨だった。夜は様々な誘惑が僕を襲う。
考えないようにすればするほど思い浮かんでしまう。少し落ち着こうと漫画を読むと軽い性描写が想像を膨らませる。そして例の安奈さんが着たコート……それが視界に入るたびに頭がおかしくなりそうになる。
……匂いは、嗅いだ。確かに昨日の夜、匂いは嗅いだがそれでとどまった。自分が嫌になるというより、安奈さんを汚すという行為が嫌になった。
知り合う前は……何度となく安奈さんを頭の中で汚してきたのだが。知り合ってしまった今となっては、なんだかとてもいけない事のような気がして、嫌になる。
「……よし」
僕はそう呟き、かぶさっていた掛け布団をガバッと勢い良く剥ぎ取った。
少し落ち着いた。今はもうあまり邪な事は頭をよぎらない。
これでこそ、安奈さんに純粋だと言われた僕の姿じゃないか。
安奈さんは言っていた。「僕の良い所を伸ばしていけばいい」と。
だから僕はより純粋になる。心から。精神から。
そうすればきっと、安奈さん達のようなすごい人達になれると思う。肩を並べて歩いても恥ずかしくない男になれるような気がする。
「もう大丈夫だ」
僕は自分に言い聞かせた。
リビングで朝食であるパンをほおばりながらなんとなくテレビを見ていると、普段居るはずの無い姉が寝巻き姿のまま携帯の画面を見ながら二階から降りてきた。
昨日からの姉はなんだか変だ。家に居る事なんて滅多に無かったのに。今までの長期休みだって初日から友達の家に泊まりに行っていたはずだ。
「おはよ」
姉は携帯から一瞬視線を外し、チラッと僕を見ながらそう言った。
「……うん」
僕はそっけなく返事する。
別に元気良く「おはよう」と言ってもいいと思うのだが……どうも昨日話された事を意識してしまう。無意識のうちに声は小さくなり、姉とはマトモに目を合わせられない。
「よっこいしょ」
まるでオバサンの印象だ。姉はとても十六歳とは思えない声を出し、腰を押さえながら僕の隣に座る。
茶色に染まったボサボサの頭を手串で整えようとしているのか、右腕で手串、左腕で携帯をいじっていた。なんとも器用。
「頭洗えば?」
僕は見るに見かねて姉にそう告げる。姉くらいになるとこの状態で外出もしかねない。かなりいい加減な性格をしているのだ。
「洗ったほうがいい?」
「そりゃそうだろ」
姉は「わかった」と言い、洗面所へと向かって歩いていった。それでも携帯電話は肌身離さず握り締めている。
まったく、姉は携帯依存症だ。携帯無しではもう生きていけないのだろうな。
先月分のパケット通信料はゆうに20万を超えていた。これがもし定額制じゃなかったらと考えると恐ろしい。
僕はそんな事を思いながらもう一度テレビへと視線を戻す。テレビに表示されている時計を見て七時半だという事を知った。
「もうこんな時間か」
今日は6時には目を覚ましていたはずなのだが、どうやら布団の中で自分を抑えていた時間が長すぎたようだ。こんな調子では学校が始まると大変な事になってしまう。
もっと努力しないと。性欲を抑えるのではなく感じなくならなければ。
「あ、そうだ啓二」
突然姉は僕の真後ろから声をかけてくる。
「ん?」
姉のほうを向き直ると、姉は寝巻きだけを脱いで下着姿でそこに立っていた。
……何をやっているんだ、このババァは。
「……何してんだよ。早く風呂行って来い」
「あら? 挙動不審にならないね」
なるか。気持ち悪い。
姉はやはり昨日から少しおかしい。家に居る事もさることながら、何故かやたらと僕に絡んでくる。
「何? なんかあったの?」
僕は少し不機嫌な声でポーズをきめている姉にそう告げた。
このババァに一体何があったと言うのだ。やけにテンションが高い。
「あんたなんか昨日からおかしいっけさ」
「……いや、どう考えてもおかしいのは姉貴だろ」
僕がそういうと姉はまた僕の顔をじぃっと見る。昨日からなんだというのだ。おかしい。
「だから、何?」
「やっぱおかしいって。なんか格好いい」
「は?」
突然何を言い出すんだこのババァは……格好いいなんて今まで誰にも言われた事も無い言葉なもんだから、不覚にも少しドキッとしてしまったじゃないか。
「何言ってんの?」
僕は少しだけ高鳴る鼓動を抑え、平常心を装いながら姉の顔を見続けた。顔が赤くなっていないか、かなり心配ではあるが……目をそらすとまたからかわれると思い、決して視線はそらさなかった。
「いや、なんか格好いいんだよ。もしかして童貞卒業した?」
「……姉貴さ、昨日からなんなんだよ。そういう話、今まで一度もした事無いじゃんか」
僕がそう告げると姉貴は少しだけ寂しそうな表情をして「別に」と呟く。そして脱ぎ捨ててあった自分の衣服を拾い集め、そのまま素直に洗面所へと向かって歩いていった。
本当に、なんだと言うのだ。少しではない、かなりおかしい。
それにしても……悔しい。姉のあの姿にではない、格好いいという言葉に、少しだけ下半身が反応しているようだった。
僕は情けなくなり右手でこめかみを押さえ「はは」と呆れから来る笑いを漏らした。




