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安奈  作者: はにゃにゃき
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悪夢

 私の手は止まらない。もう嫌だと思うことすら無くなっている。

 私を制御する理性は、とうの昔にこの男の手で奪われた。

 私は何も感じない。私は何も思わない。

 私は何も感じない。私は何も思わない。

 だって、そう感じないと、そう思わないと、私は壊れてしまう予感がしていたから。

 だから私はそう感じる事にした。そう思う事にした。

 だけどそう思うって事を思っている。何も思わないなんて無理なんだと、しばらく前に気付いていた。それでも私は思っている。

 私は何も感じない。私は何も思わない。

 私は何も感じない。私は何も思わない。

 そう思っている。

 この狂った医者を満足させる。それをただただ続ける毎日。

 それだけで私は生きていられるんだから。それだけで私は死なないんだから。

 そう言い聞かせていた。

「礼奈……口をあけろ」

 私は言われるがままに口を開く。

 得体の知れない液体が私の喉まで到達し、むせた。「ゴホゴホッ」と咳をしながら私は口の中にある液体を全て吐き出した。

 この男はどうやらスッキリしたらしく、もう私に興味を無くしてしまったようで「ふぅ」という声を出しながらズボンを履き、白衣をまといこの部屋から出て行った。

 残された私はいつものように吐き出してしまった得体の知れない液体を雑巾で拭く。

 床はタイルのような素材なので拭き取る事はいつも容易だった。

 そしてこの儀式が終わった後、何故かいつも頭に浮かぶ言葉をこの日も呟いた。

「ゆるして、安奈」


 目が覚めて時計を確認すると、どうやら今は朝の6時らしい。私は実に13時間もの睡眠をとっていたようだ。

 いつもなら9時間くらいで済むというのに……疲れていたみたいだ。

 私は「ん〜……」という言葉を発し、左手で目をこすりながら隣に居るはずの彩ねぇの姿を右手でまさぐり確認する。

 しかしそこには人の感触は無く、ただ乱雑に布団がちらばっているだけ。

「あれ……彩ねぇ」

 おかしいな……彩ねぇが居ない。

「さいねぇ〜?」

 少し大きな声で呼んでみる。しかし返事はない。

 どうやら彩ねぇはこの部屋には居ないらしい。トイレにもお風呂場にも洗面所にも。声が聞こえたなら返事くらいするだろう。返事な無いのは、居ないから。

「あれ……」

 ……居ないって……なんで?

 私は急に怖くなり、すぐさま立ち上がり玄関のほうへと駆けていった。

 やはり彩ねぇの靴は無く、この部屋の外へと出て行ってしまったようだ……

「もぉ……」

 心細いじゃないか……あんな夢を見た後なんだから、誰か側に居て欲しい。

 私はノソノソとリビングへと戻る。彩ねぇの荷物を確認して最悪の事態ではない事を察しそっと胸をなでおろす。財布と携帯だけが無くなっている所を見るとどうやら彩ねぇは朝食でも買いに行ったのであろう。この部屋にはもうマトモな食材は一切ない。

「……起こしてくれれば一緒に行ったのに……」

 私は少しぶーたれながら布団をたたみ、鳴る事の無かった目覚まし時計のスイッチを切る。

 そして別段何が目的でもないが、テレビのスイッチを入れて適当な番組に合わせた。


 それにしても、さっきの夢……すごく久々に見てしまった。

 以前は……確かにほぼ毎晩この夢を見ていた。いや、この夢という形容は正しくない。アイツの夢……アイツの夢を、毎晩見ていた。

 しかし最近では思い出す事も無くなっていたし気にもしていなかった。それなのに何故今頃こんな夢を見てしまったのだろう……

 と、そう思い返してみたら、実に簡単な事であった。

 私は一昨日、松本さんが事故にあってからの記憶が曖昧だった。彩ねぇの話ではどうやらおかしくなってしまっていて、ずっと「ごめんなさい」と呟いていたそうだ。

 おかしくなっていた時に見ていたモノ……それは、アイツの最後の姿だったから。その印象がどうやら強すぎて、こんな夢を見てしまったのだろう。

 深層心理というものは恐ろしい。一昨日の狂った時以来、アイツの事なんて脳裏にすらも掠めなかった事だと言うのに、アイツはしっかりと私のトラウマとして依然残ってしまっているようだ。

 そしてさらに深層心理の恐ろしい所は、私はアイツを……憎みきれていない。

 遊び半分に犬の耳をつけられ犬の尻尾をつけられ子宮を抜き取られ性具として扱われ……それでも私はアイツを憎みきれて居ない。

 そう調教されたし自分でも何も考えないようにしていた。でも一番の理由は、少しだけ感謝しているからだろうか……

 死なない事への執着は、アイツに貰った唯一のもの。

 この執着が無ければ私は今、生きていない。だからアイツを憎み切れない……

 こんなに幸せな状況になってきたから、尚更だ。生きていて良かったと、本気で思えている。

「悔しいな……」

 アイツのせいでこんな姿になり、実家に帰る事も出来ず沢山の苦労をしているというのに、憎みきれていない。

 むしろ私は私に無関心な世の中を憎んでいた……お金をくれる人だけが人間だって、ずっと自分に言い聞かせていた。

 なんなんだ、この心理は……この矛盾は……

 自分でも理解できない。何故こういった発想に行き着いていたのか、まったく思い出せない。

 私は思い出そうと「ん〜……」という言葉を出しながら頭を揺らして考え込んだ。

 何分間その状態だったのだろうか、突然この部屋の玄関が開き、小さい声で「ただいま〜……」という声が聴こえてきた。

「……あ……」

 ……トラウマとは恐ろしい。今更考えたって仕方ない事だろう。危うくドツボにはまる所だった。

 忘れろ。忘れて前だけを見ていればいいんだ。

「おかえり彩ねぇ。なんで一人で買い物行っちゃったの?」

 今の私には松本さんに彩ねぇにけいちゃん。彼らが居るんだから。

「あら? 安奈ちゃん起きてたんだ。いやさぁ、安奈ちゃんぐっすり眠ってたから起こすの忍びなくて」

 そうだ。忘れろ。考えるな。考えるな。

「もぉ〜。松本さんにも言った事だけど、それってすごく寂しい事なんですからね」

 でも、忘れろとか考えるなと考えているうちは、決して忘れられない。決して思考を止められない。

 私は、それが解っていながら忘れろと、自分に言い聞かせていた。それが前を見る事なんだと、信じている。


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