変態
家に帰ってきて電気をつける。外はもう薄暗くなっていた。
時計を眺めてみるとまだ16時50分。本当に日が短くなってきたんだなと感じる。
僕はとりあえずコートを脱いで衣紋がけにかける。このコートは……昨日まで安奈さんに預けておいたコート。
なんだか不思議な感覚。あの雲の上の存在だった安奈さんが、僕のコートを着ていただなんて。そしてさっきまで僕がそのコートを着ていただなんて。こうしていつもどおり一人で自分の部屋にいると、本当に信じられない。
……なんだか、変な気分だ。このコート自体が愛しくて仕方なくなってしまう。
「……ばか」
そうだ。変態じゃああるまいし。今何を脳裏に映し出した?馬鹿馬鹿しい……
僕は一度顔をパンと叩き、この部屋をあとにする事にした。あのコートを見ていたら、本当に馬鹿な行動をとってしまいそうだ。
部屋を出てすぐにある階段をゆっくりと下りて、一階にあるリビングへと歩いていく。
僕の家族はいわゆる核家族。両親は共働きで20時くらいまで帰ってこない。2つ上の姉が居るが、この姉もあまり家へと寄り付かなくなっていた。両親が帰ってくるギリギリまで家に帰ってこず、どこで何をしているのか僕も知らない。
姉はギャルと言い切るほどギャルでは無いのだがギャルじゃないと否定も出来ない、つまりちょいギャルみたいな感じだ。僕の頭を茶色に染めたのもこの姉が勝手にやった事。「私の弟としてふさわしくなってもらわなきゃね」とか言いながら無理矢理脱色させられた。
いつもならこんな時間僕以外にリビングに人が居る事なんて滅多にない事なのだが……今日に限っては何故かその姉がリビングのソファーの上に座りながらテレビを見ていた。
「あ、啓二居たんだ」
姉は一瞬だけ僕を見た後、またテレビへと視線を戻しとくに笑う事も無くお笑い番組のビデオを見ている。このビデオは姉が家に居る最中ずっと見続けていて、きっと姉自身も飽きてきているのだろう、もうクスリとも笑う事は無かった。
「また見てるんだ」
僕は姉の隣に腰を下ろす。特にやる事が無いので僕もそのビデオを一緒に見る事にした。
今では結構売れている若手芸人が、まだ無名に近い時期にやっていた漫才。そういえば姉はいつも言ってたな。「この漫才師は絶対に売れる」って。
確かにその予感は当たったのだが……姉はこの漫才師達が売れてしまった途端に興味を無くしてしまったらしく、彼らが出演しているテレビ番組等を見るような事はせずに今ではこのビデオを何度も見続けているだけであった。
「未練がましいなぁ」
僕がそうポツリとつぶやくと姉は少し睨むように僕を見る。
「うっさい……な……」
僕をチラっと見た後、何かに気がついたように姉はもう一度僕をまじまじと見た。
「……? 何?」
「いや……あんた、なんかあった?」
何かあったって……そりゃあったけど、なんでそれが解る?
僕は一瞬ドキッとして体を一瞬はねらせる。こういった挙動不審で小動物的な所は、きっと何があっても変わらないんだろうなと思う……
「……なして?」
「……んん〜? なんだろうな、雰囲気変わったけさ」
まぁ、毎日顔は合わせているから少しの変化くらいすぐに見抜けるんだろう。
しかしなんというか……今日あった出来事を話す事は姉弟だからこそ言える事ではない。
憧れている人がいるとか、怒られたりした事とか、感動したりした事とか、涙を流したりした事とか、変わりたいと願った事とか。
話せる訳がない。話したら絶対に馬鹿にするに決まっている。
「別に、なにもない」
「……ふーん」
そう言って姉は見ていたビデオを停め、首をコキコキと鳴らしながら携帯電話を取り出し、それをいじりながら階段へと向かって歩いていった。
しかし「ふーん」で済むような疑問なら、はじめから聴いてこなければいいのに……そのたびにドキッとする僕の心臓が持たない。
僕はそう思いながらもチャンネルを取り、特に見たい番組なんぞ無いから適当にザッピングをした。
「今日は早く眠るんだぞ」
「うん」
……は?
なんで僕が昨日なかなか寝れずに夜中まで起きてた事を知ってる?ついつい条件反射のように返事をしてしまったが、電気は消していたし物音だって立ててない。ただただ寝付けなかっただけなんだ。
それなのに、なんで知っている?
「ちょい姉貴!」
僕は少し大声を上げた。階段を上ろうとしていた姉貴は急に呼び止められた事に驚いていたようだ。携帯から目を離し、僕の顔をまじまじと見ている。
「……何?」
「な……なんで僕が夜中まで起きてた事知ってるの……?」
姉貴は「あぁ」と呟いて、右手を突き出し輪状にし手首を使って左右に動かす……
それが何を意味しているのか……僕は解らない歳ではなかった……
「ギシギシ聴こえんのよね。自慰行為も大概にしなよ」
「……」
僕は品の無い姉の行動を見て呆気に取られていた。
頭の中が真っ白になるこの感じ……はは、少し安奈さんの気持ちが解る。
なんて、くだらない事を考えている場合では無い……姉は、気付いていたのだ。僕の、そういった事に……
「はは。そんな真っ赤になるこっちゃないじゃん。普通だよ普通」
姉はそう言ってスタスタと階段を上っていく。別段変わった様子も無く、いたって普通に。
さっきリビングで顔を合わせた時も普通に振舞っていたという事は、きっと僕のその行為は以前から知っていた事なんだろう……
そしてそれは特別な事ではなく、普通の事なんだと理解してるようだった。姉は世間話でもするかのように軽く僕にそれを打ち明けてきた。
……いやいやいや、普通じゃないだろう……どう考えたってそういう事は知ってても話さない事だろう……
姉は……ギャルっぽい。ギャルに限りなく近い普通の人みたいな人間。
きっとそういう事について……僕より限りなく知っていて限りなく理解している……高校で何か部活をやっている訳でもないのにいつも帰りは20時に近い。
きっとその間に……
「おえ……」
僕は一瞬想像してしまい、嘔吐感に襲われた。
僕の悪い癖が出てくる……そういった事を無為に想像してしまうのだ。姉のそういった行為なんて気持ち悪いだけなのに……
「……くそ……」
少しだけ下半身が膨張している……やっぱり僕は少し変態か……?




