入院
額の傷は見た目は酷いが全然痛くない。かなりの量の血が出ていたらしいのだが、説明を聞くと頭というのはそういうものだそうだ。それに今は興奮状態らしく余計そう感じるらしい。
それよりも骨折はしていないようなのだが、左腕と後頭部がズキズキと痛む。
左腕は倒れる時とっさに体をかばって地面に着いてしまったから。後頭部は車にはねられた時にそこから地面に落下したから。との事。
しかしレントゲンに異常は無く、入院期間中に痛みも無くなるだろうと説明をうけた。
どうやら俺の怪我は本当にたいした事がない。
「これから検査のために3日間入院していただきます。でも退院してからも通院はしてくださいね」
医者は無機質な声でそう言い、隣に立っていた看護士に指示をだす。なにやら忙しいようで、その医者はもう俺を見る事も話しかけることもせずに席を立って診療室の奥へと姿を消していった。
俺はこれから何をしていいのか解らず椅子の上で呆然としていると、何かの書き物を終えた看護士が「待合室で貴方のお連れ様が待っていますよ。立ち寄りますか?」と話しかけてきた。そしてその「お連れ様」という言葉に少しドキっとする。
安奈……そうだ安奈。
安奈は今どんな状態なんだ?
泣いているのか……?わめいているのか……?それとも、狂っているのか……?
会いたい。安奈に会いたい。
俺はすぐさま「はい」と答え、椅子から腰をあげた。
待合室には、安奈と彩子と……知らない男の子が居た。
俺が待合室に入ると彩子と男の子は立ち上がり、彩子は駆け寄ってきて男の子はオロオロとした様子で安奈と俺をチラチラと見返している。
「えいちゃん私、なんて言っていいか……」
彩子は俺の額の傷を見て、うっすらと涙を溜める。5針ほど縫ったのでかなり痛々しく見えているのだろう、彩子には珍しくすごく悲しそうな表情をしていた。
「……別にたいした怪我じゃない」
こんな傷なんかどうでもいいんだ。そんな事より、安奈。
安奈はうつむきながら、ただただ小さく口を動かしている。俺が待合室に来た事にも気がついていないようだ。
俺は彩子の肩をぐいっと押しのけ、安奈のほうへと近づいていく。
「君は?」
俺はオロオロしている挙動不審な少年に話しかけた。
話しかけられた事にビックリしたらしく、体を一瞬はねらせ、「あ……あの……えと……」と3度ほどくりかえしたあとようやく「えっと……僕は長谷川啓二っていいます」と答える。
「俺は松本栄太……色々聞きたい事があるんだが」
俺は安奈の前にしゃがみこみ、頭を撫でる。
なんて痛々しい姿……ここまでおかしくなった安奈は俺も始めてみる。
戻るのか?こんな状態から通常の安奈に……
「安奈は……いつからこんな状態になっている?」
こんな状態……という表現だけで伝わるほど、今の安奈は普段の安奈とはかけ離れた印象だ。
うつむき下を見つめている。しかしその目は薄く濁っている印象……瞬きも滅多にしない。
しかも口からは少しだけヨダレが垂れている。それを意に介さないようにブツブツと「ごめんなさい」と呟いている。にちゃにちゃとヨダレを唇に絡ませながら、繰り返し呟いている。
「えと……貴方が事故にあってものすごく取り乱していまして……あの……その時はまだこんな感じじゃなかったんですけど……あの……」
歯切れの悪い少年の言葉に、多少イライラする。
耳の裏を掻きそうになる……舌打ちをしそうになる……
俺は一刻も早く知りたいんだ。いつこうなったのか、何故こうなったのか。
そんな俺の心境を察してか、彩子は慌てて駆け寄ってきて俺と一緒にしゃがみこみ安奈の顔を見て、いつの間にか握りこんでいてしまっていた俺の右手の上にそっと自分の手を重ね、首を小さく左右に振り、話し出す。
「それでね……アパートまで救急車で私を迎えに来て、必死な顔して乗ってくださいって言ったの……その後から。私を連れてこれた事に安心したのか急にガタガタと震えだして……それからもう一時間以上こんな感じ」
言い終わると彩子は安奈の頬を撫でた。悲しい顔をしながら、優しく撫でる。
……しかし、そうか。安奈は狂う事をギリギリまで我慢していた。
安奈は、勘違いしていたんだもんな……多分自分じゃあ俺に付き添ったり励ましたりするには役不足だと感じていたのだろう。
だからギリギリまで耐え、自分の役目を終えてから……狂った。
「なぁ彩子」
彩子はキョトンとした顔で俺を見た。その拍子に、今まで溜めていたのであろう涙が、彩子の頬を伝った。
「ん……?」
「罪の意識、あるのか……?」
「……うん……ある……」
そうだよな……彩子は、別に鉄仮面という訳では無い。
優しくは無いし無頼ではあるが、人とのつながりは大切にするし面倒見も良い。
人をからかう事はしても、決して馬鹿にはしない。それが彩子であった。
このさい、安奈の事を「しょうもない女」と言った事は、水に流す。仕方ないさ、俺の歳で同棲と言ったら水商売の女かヒモくらいしか思いつかないだろう……
安奈がどういう奴なのか少しわかって、彩子も、ちゃんと罪の意識を感じてくれているようだ。
そう、彩子は基本いい奴。彩子が大学に入ってから連絡が一切取れなくなってこいつの事が信用出来なくなってしまっていたが……こいつの事をもう一度信用してみよう。という気になっていた。
「だったらよ……ひとつ頼みごときいてくれ」
「何……?」
「俺は三日間だけ検査入院をしなきゃいけなくなった」
彩子は小さく「知ってる」ともらす。
「その間、こんな状態の安奈を一人っきりにしておく訳にはいかない……だから」
「……うん……解ったよ……」
次から次へと流れ出てくる涙をぬぐいながら、彩子はそう呟いた。




