目撃
安奈さんが何を言おうとしたのか、僕にはわからない。
安奈さんは「なんでもない」と言って、目から涙を流していた……
安奈さんのその姿を見てオタオタする僕を「あはは」と笑い、「落ち着いて」と諭し、「私帰るね」と言って立ち上がった。
「啓二君、まだ時間ある? あるなら、家まで送っていって欲しいな」
安奈さんはそう言って涙をぬぐいながら少し微笑む。
くそっ……なんて綺麗なんだ……ずるいよ涙なんて。
……実際もう遅刻の時間だ。本当なら急いで向かわなきゃいけないんだけど……
……そんな姿を見ちゃったら断れる訳ないじゃないか。
「は……はい、大丈夫です」
「そっか。それじゃあ歩きながら明日の計画でも立てようか」
そう言って安奈さんは僕に背中を向けて歩き出した。
僕も慌てて安奈さんの背中を追う。
「ほら、走って男の子」
安奈さんは背中を向けたままパンパンと手を叩き、僕を急かした。
安奈さんの家の住所を聞いてみると、結構遠くから来ていた事がわかった。
ここから歩いて20〜30分くらいの場所だろうか。トレーナー一枚で出歩くような距離ではない。
「気がついたらここらへんに居たの」
安奈さんはそう言って僕のダッフルコートのフードをかぶって頭の耳を隠す。
それにしても気がついたらってどういう事?
無意識のうちにここら辺まで歩いていたって事?
「不思議そうな顔してるね」
安奈さんは僕の顔を見てニヤニヤしていた。
僕はまたドキっとして思わず目をそらす……
「はは……そりゃそうだよね、不思議がるのも無理ないよねぇ」
……安奈さんは、さっきから事あるごとに空を見つめている。
今もまた空を見つめた。
……一体、何を見つめているのだろう……?この人には、何が見えているのだろう……?
僕もつられて空を見つめた。
白い空に、白い雪……
……だけしか見えない。
「……」
安奈さんは、愛しそうに見上げている……焦がれるように、見上げている。
……なんだか、嫉妬する。雪に、空に、嫉妬する。
この人にとって、僕なんかは通りすがりの少年でしかないのは解っているのだが……
僕の思う事はひとつ。どうしたらこの人は僕に振り向いてくれるのか。
「……何を見ているんですか?」
僕はつい、空を見上げている安奈さんに話しかける。
嫉妬の感情ありきで話しかけたからだろうか、少しだけ声を低く発してしまったようだ。
安奈さんは僕のほうをチラっと見直して、「あは」と笑い、前を向きなおす。
安奈さんは少し笑ったあと、僕の質問には答えてくれず、黙り込んでしまった。
少しだけうつむきながら、黙って前だけを見て黙々と歩き続ける。
僕はまた複雑な気持ちになった……解ってはいた事だけどこの人は、僕に興味が無い。
大きな信号を渡り、住宅街へと入っていった。
ここから先は大きい道路を歩く事は無く、ひと気の無い住宅街を歩いていったほうが近道だからだ。
僕と安奈さんはまったく車の通っていない、歩道の無い道を歩いていく。
その間、僕らはずっと無言……お互いに話しかけないし、話す事も無い。
いや、無い事もないはず。明日の予定は歩きながら話そうって言っていたのだから。
だけどなんと言うか、今はそんな空気ではない気がする。だからと言って今のうちに計画を決めておかないと破綻なんて事にも……
僕は「ふぅ……」とひとつため息をついて前を見る。
そこには冬だと言うのにビッグスクーターにまたがった背の高い男性が袖で顔をぬぐっていた。他には路上駐車している車が何台か。
しかし雪もかなり降ってきているというのに……走り屋というのは理解できない。
僕がそう思った矢先「松本さん……?」と、安奈さんは小さく呟く。
「松本さん?」
僕は聞き返す。しかし返答は無い。
安奈さんの苗字は松本……安奈さんのイトコか何か……?
でも自分の苗字も松本なのに、呼び名で「松本」と言うだろうか?
「え……?知り合いですか?」
僕がそう言葉を発した瞬間、そのバイクはブォンという大きな音を立てて急発進する。ドライバーは手に持っていたヘルメットを投げ捨てながら、大きな声で何かを叫んだ。
そしてそのまま……ガシャンという大きな音を立て……
横転した。
そして滅多に通る事の無かった車がタイミング悪く……後ろから迫る。
後ろから迫り……その男の人をドンと突き飛ばしていた……
「あぁ!」
僕は大声を上げる。
「ああああぁぁぁ!!」
安奈さんは、僕の声をかき消すほどの大きな声を出していた。




