静寂
「わりぃんだけどよ、お前、今日は帰ってくれないか?」
そらきた……と思った。
だいたい察しはついていた事ではあった。こんな状況になっちゃったんだから。
「いいの?」
私はえいちゃんに向かって笑顔でそう言ってみせた。
元々、私はそろそろ帰るつもりであったのだが、このままじゃあなんだか悔しい。
最後に少し困らせてやろう。そう考えていた。
「お前よ……なんでそこまで俺にこだわってるんだよ」
こだわっているというか……正直に言うと、えいちゃんは友達に自慢できるような容姿だからだ。
彼氏にしたってだけで箔がつく。長身で痩せ型。今でこそボサボサの頭をしているが、整えたら超格好いい。芸能人でたとえると岡田准一のような顔をしている。
えいちゃんは入学してからすぐに友達の中で話題に上った。「彼格好いいよね」とか「超タイプ」だとか。
そりゃ、こだわらない訳が無い。
「……別に。意地ってやつ?」
だけど教えてあげない。悔しいから。
「お前さ……別に俺の事好きじゃないだろ」
好きじゃないというか……なんて表現すればいいんだろう。
人間としては、昔のえいちゃんは好き。明るかったし面白かったし。
でも男としてと言われると……疑問符が出る。そもそもそういう感情が私にはいまいち解らない。
そう思いながらぽりぽりと頭を掻いて「ん〜」と唸ってみせた。
「もうよ、かかせられるだけの迷惑かけたろ?」
……鋭いな。
どうやらえいちゃんは私の魂胆にはもう気がついているようだった。
さすが、私の性格を知り尽くしているだけの事はある。
「あはは」
私は大きな声でわざとらしく笑ってみせた。
と、同時に……
あれだけうるさかった安奈って子の鳴き声がピタッと止まった。
しぃん……と、静寂が続く。
私もえいちゃんも、動く事さえ許されないような……時間を奪われてしまったような……そんな静寂。
カチ……カチ……と、目覚まし時計の秒針だけが静かに音を立てていた。
「ありえない……」
静寂が続いて30秒ほどたってから、ようやく私は即座に思いついた言葉をそのまま発していた。
だって……ありえない……絶え間なく続いていたあの泣き声が……ピタッと止まった。
水道の蛇口をキュッと閉めたように、いきなり……
私が「ありえない」と口にしてすぐえいちゃんは時間を取り戻し、ハッと気づいたように玄関へと駆け出していた。
私もつられるように立ち上がり、玄関へと駆け足で向かう。
「……安奈……?」
さっきまでそこに居たはずの安奈って子が居なくなっていた。
そう……さっきまでこの玄関で膝をつきながらワンワンと泣いていたはずなのに……
「えいちゃん?」
えいちゃんの顔が、ものすごい顔になっている……
どう例えればいいのか……鬼……?悪魔……?とにかく……怖い……
「あんなぁぁぁっっっ!!」
ビリビリと……鼓膜にえいちゃんの叫びが響く……痛いほどに響く……
こんな大きな声を出すえいちゃんは初めてみる……いや、音にしても、生涯聴いた事が無いほどに大きい……
「どっ……どこ……いっちゃったんだろうね……」
何故こんな言葉をかけてしまったのだろうか……思った事をそのまま口から発する私の癖が疎ましい。
そんな事、えいちゃんが一番知りたいはずなのに……
「うるせぇ黙ってろ」
血走った目で私をギロリと睨みつけた。
私は思わず息を呑み、うつむき黙る……
えいちゃんは私が黙った事を確認すると靴も履かないで飛び出していき「安奈ぁ!!安奈ぁ!!」と叫びながら、アパートの前の路地まで駆けだす。
曲がり角を曲がって、えいちゃんの背中は消えた。
「……」
私はその様子を見届けたあと、少しの間立ち尽くしていた。
一体、何が……?




