鎌鼬
木枯らし吹く晴れた空。人気のない通学路を歩く少女は、首に巻いたマフラーに鼻の頭まで埋めて道を急ぐ。そんな折、横道から肩を震わせる少年が出て来た。
「よ、う」
思わぬ所から出て来た少年のいつもの言葉に、少女は遅れて返事をした。寒そうに震える少年は上着を羽織る事もなく、この季節だというのに半袖だ。
聞けば妹と喧嘩をして冬着を全て洗濯させられてしまったのだと言う。その為、いつもと違う道で出来るだけ風に当たらないようにと努めていたが、隙間風にやられた体はいかにも冷たく、粟立つ肌に思わず笑った。
少年が妹を蔑ろにしているのはその口ぶりから知っている。であればこれも、自業自得なのだろう。いつも飄々としている少年の弱っている姿は愉快で、我慢する仕種も見えない少女に彼は毒づいた。
「で、でよ、昨日、の……テ、テレレ、テレビ、が……」
「テレレレレビ? が、どうしたって?」
「うるっ、せえ」
両肩をごしごしと擦り、熱を起こす少年に見てはおれぬと自分のマフラーを解いて彼へと手渡す。少年は驚いたようだが、ラッキーと一言、折り畳んで両肩へまわし、乾布摩擦だと激しくすりあげた。
「ちょっと、その使い方はないでしょう! 生地が傷つくから!」
「知る、かっ。さ、さみい、んだ、よ!」
がちがちと歯を鳴らしながら、お礼も言わずに少女の手から逃れて摩擦を続ける。がなる少女に適当な言葉を返してしばらく、温まったとばかりに投げて返されたマフラーは一部が伸びているような癖がついていた。
肩を怒らせて抗議する少女に貸してくれたのはお前だろうと、ここでようやくお礼を言う少年。少女は言葉が続かずに口をぱくぱくと開閉していたが、やがて諦めて口を閉じた。
マフラーを折って首に巻いていると、横では元気を取り戻した少年がストレッチなどをやっている。
「学校にならジャージがあるから、それまではもう大丈夫だな」
「アイス奢れー」
「この季節にそのチョイスは無いわ」
「有るって」
氷菓子はいつ食べても美味しいものだ。こちらの感覚が可笑しいとばかりの少年も昨日、シャーベットを食べている。だがそんな記憶も忘却するほど、今朝の寒さには堪えているのだろう。
それからは有る、無い、の言葉だけを繰り返す二人だったが、角を曲がると言葉が止まる。
そこには、ざっくりと大きな亀裂の入った道路があったのだ。両脇の歩道に達してはいないが、一部の縁石にもずれが生じている。幅もあり、何より二人の立つ場所からでは底も見えずに深そうだ。周辺が崩落する可能性も有るし、渡る事はおろか近づくだけでも危険が伴うだろう。
「なんだこれ。地盤沈下か?」
「さあ。危ないなぁ、役所に電話したほうが良いんじゃない?」
「面倒だな。あ、いや、待てよ」
少女の言葉に、少年はひとつ思い直して電話をかける。目を丸くする少女の前で、妙にはきはきとした言葉で、はいといいえとを繰り返す少年。やがて電話を切って溜息を吐くと、明るい笑顔で親指を立てた。
役所に電話をしたのか、そう聞かれてもちろんだと答える。
「近づくなってさ。役所の人が来るまで人と車が通らないように見張ってようぜ。その後、コンビニ行っておでん食おう」
「サボりの口実にするって? 学校に電話したら先生来るかも」
「電話するワケねーじゃん」
肩を竦めた少年に、まあ、そうだろうなと少女も頷く。学校への遅刻は気が引けたが、ここが危険な場所である事に違いは無い。これで自分達が離れてもしも、知らずに近寄った子供が巻き込まれでもすれば寝覚めが悪い。
少女は動機はともかく、少年に協力すべきと判断してつまらなさそうに空を見上げる少年の横に並び立つ。
風避けのつもりかと心底に嫌そうな顔を向けた少年に苛立ち、少女はその爪先を思い切り踏んづけた。
跳ねる彼から視線を変えて、一人が反対側に回りこむべきかと考えた矢先に少年は、訝しげな声を上げた。
「どうかしたの?」
「いや、なんかこう、見覚え? いや、聞き覚えが……何て言うんだっけ、ほら……。
カナディアン? あるだろ、動物の名前の」
「知らんけど」
「絶対に聞いたことがあるって! ほら、いきなりこうやってざっくりイカれるヤツ!
あのう、ほら、フェレットみたいな、カナフェレット? そんな感じの!」
道路の亀裂を指差し喚く少年に、ようやく納得のいった少女は“鎌鼬”かとその名を告げた。
なんでも冬などに起こる現象のひとつで、いきなり体に傷が生じることを言う。大気の関係で起こる真空状態の際に起こるものだ、と説明されているげ原因解明には至っていない。
少年の疑問に答えた少女であったが、当の少年は喉元まで出掛かった言葉を、なぜお前が言うのかと不当な怒りを向けている。
「はいはい、言えんくて悔しかったね」
「うるせえ」
「でも鎌鼬でこんな大きな被害でたらさ、人なんて一発じゃん」
最もな指摘。しかし少年は、綺麗な亀裂に何か作為的なものを感じると唸った。
何かの読みすぎだ。馬鹿にする少女に対しても気にする事無く、穴を見つめていた少年は再び訝しげな声を上げる。
「あれ、何だ?」
「何が?」
「白いの。穴の左端にある。手っぽい」
手。
その言葉に慌てて穴を注視すれば、確かに白く小さな何かが見えた。ひらりと動くそれは確かに手のようで。
誰かが穴に落ちたのだ。
咄嗟にそう考えた少女は、少年の制止も無視して走り出した。幼子が穴から抜け出ようともがいている。少女は確信していた。
崩れるよりも先にと、穴から覗く小さな手を握り、しっかり捕まっているように声をかける。その手は小さいながらも、握り返してくれた。鋭く走る痛みにその必死さがうかがえる。
「……お、重い……!」
協力の念をこめて肩越しに少年を振り返れば、すでに背後にまで近寄っていた彼が少女の腰へと手を回す所だった。
気合一発。踏み込んだ足に力がこもるのと同時に、足場が崩れて倒れ込む。悲鳴をあげた少女に対して、少年はすぐさま足を掴むと引っ張り上げてくれた。
その刹那、アスファルト下の土を被った少女が目を開いた先で、少女が見たものは、無数の青い目だった。
目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目。
そのどれもが、崩れた土を受けながらもこちらに目を向けている。白く、愛らしい顔立ちをした、そしてひび割れた無数の人形。少女の手にも、手だけといわず、足と体を絡めてしがみつく小さな体が、青い目を少女に向けていた。
人形たちは、壊れた体で音も無く笑っていた。
後に現れた市役所の職員により、足と手に怪我をし、土塗れになった少女の姿に危険箇所に近づいたのかと叱咤された。大事に至らなかった事からその後はお咎めなく怪我の手当てだけして貰い解放される。
亀裂は少女らが考えたほど深くはなく、一日もせずに埋め立てられた。中に破棄されていた人形が原因で地盤が安定せず、沈下したのだろうとされており、近く、施工業者の管理不足責任を問われる事となりそうだ。
騒ぎを知った近所の住人は、行方不明事件の名残だと嘯いたり、殺人犯が供養の為に人形を埋めたのだと勝手な噂話を広げた。事実の程は知れないが、それを間近で見た少女の手に刻まれた傷は綺麗にぱっくりと開いており、すぐに塞がったものの痕を残して消える様子は無かった。
少女はあの時、確かに人形がこちらの手を握ったのだ、人形が皆、自分を見ていたのだと少年に向けて何度も繰り返したが、少年は気のせいだろうと聞く耳を持たない。
少女の手に刻まれた傷は人形がつけたのだとも主張したが、これも信じられる事はなく穴の中に手を入れた事で「鎌鼬が起きたのだ」とだけ、返された。
納得のいかない少女であったが、件の話を出す度に、少年は引きずり上げた時の少女の下着にプリントされたマスコットの話で大笑いするので、遂には少女もこの話を口にする事は無くなった。
引き上げられた人形は全て、業者により廃棄場で処分されたと言うが、焼かれたのか、埋められたのかは風の噂にもならなかった。
木枯らし吹く晴れた空。少女はこの季節になると、足元に何か嫌な気配を感じるようになる。
もしかすればそのすぐ下に、この晴れた空を思わせる笑顔が光を目指して咲いているのかも知れないと。
ご読了、ありがとうございました。ほっこりするように努めていますが、内容に一時でもヒヤり、ゾクりがあれば嬉しい限りです。
改めて述べますが、霜月透子様主催、【ヒヤゾク企画】参加作品となります。このような素敵な機会と巡り会えたこと、また企画を立ち上げて下さった霜月透子様に感謝いたします。
活動報告にて企画の存在を知り、お題を拝見して思い浮かんだ内容ですが、不躾な参加にも関わらず了承下さり本当に感謝です。
※参加作品検索リンクへのバナー、タグの貼り方が分からず四苦八苦しております。調べ終わり次第バナーを載せたいと思いますのでご容赦下さい。