1ー4:Ist etwas auf meinem Gesicht?
『さて……ようやく落ち着いたわ。まあ、掛けよ』
館の一室。立派な木製の机や天井まで届く本棚。ぎっしり並べられた本……多分、老人の書斎だろう。
俺をそこに案内した老人は、俺に椅子を勧めながら問う。
『で、そのペンダントを見せてみよ』
「ああ……これです」
老人はペンダントを手に取ると、机に座って眉をしかめた。なんだかテレビのお宝鑑定番組みたいだな。
『ふむ……確かにお主の為の物じゃ。お主のマナの働きを高めるよう、術式が刻まれた魔石を使っておる。お主が我々の言葉の意味を理解できるのは、もしかしたらこの魔石の力によるかも知れんの』
……マナ? 術式?
マナはゲームやライトノベル、アニメでよく聞く。魔法を使ったり、超能力を発揮したりする為の力の源みたいなやつだ。元々はポリネシアとか太平洋の島々で、神様の神秘の力を表す言葉だってネットで見たことがある。
……まさか、それをここで聞けるとは。少し意外。
『非常に精巧に出来ておる。よい仕事じゃ。大事にせよ』
「……はあ」
ペンダントをメアリム老人から受け取って改めて見てみる。
綺麗だけど、何の変哲もないペンダント。でも、確か地震に遭ったとき光ったよな? やっぱり魔法的に凄いアイテムなんだろうか。
それはまあ、置いておいて。
俺はメアリム老人に向き直ると、気になっていることを聞いてみた。
「……メアリム様は俺が異世界人だって信じてるんですか?」
『何故それを聞く?』
老人は椅子の背もたれに体を預ける。
「だって、そうでしょう? 『異世界からの迷い人』なんて、俺達の世界じゃ子供向けの童話か空想物語のなかの話です。世界でも似たようなものじゃないかと」
まあ、魔法や魔法使いも童話や小説のなかの話でしかないのだけど。
その魔法使いは立派な顎髭を撫でながら頷いた。
『ワシらの世界でも、異世界人は神話や伝説にのみ伝わる存在……と言うことになっておる』
ん? なんか変な言い回しだな。
『と言うことになっている』とは?
『じゃが、実際はそうではない。異世界人を召喚する『召喚術』の公式な記録が残っておるし、ワシ自身、異世界人と関わるのはお主が二人目じゃ』
なんか似たようなニュアンスの話を聞いた記憶がある。
あれだ。宇宙人。世間一般ではお伽噺やオカルトの存在でしかないとされているが、実はアメリカ軍部では秘密裏に接触していて、UFOの技術提供を受けている、とか。『エリア88』的なやつ。
……
……ってか、ご老人、さらりと凄いこと言いましたね?
異世界人は俺で二人目?
「二人目って……俺の他に異世界から来た人間がいるんですか?」
『うむ。もう5年前になるか。お主より若いが、同じような黒髪、黒い瞳の男でな。ワシはその男から異世界の言葉の意味を学んだのじゃよ』
……おまけに俺と同じ日本人か。成程、爺さんと会話ができるわけだ。
「その人は今どこに?」
『さあな。『自分が召喚された理由を知りたい。もし帰還する方法があるなら、それを探したい』とか言って旅に出たきりじゃ。生きとるか死んどるかもわからぬ』
そうか……会うことができたら良かったが。でも、5年前って、結構最近だな。
しかも……
「『召喚』、ですか。つまり、俺がこの世界に来たのは……」
『こちらの魔導師が召喚術を行ったのじゃろう。数日前に大地が僅かだが揺れた……まあ、お主がこのブリューベル侯領に来るのをワシに教えたのはあの小僧じゃがな』
……俺は、何者かに呼ばれたのか。しかし、何故? なんのために?
『5年前、あの異世界人に会った時も大きな揺れが大地を襲った。北方の国では海が川を遡り、村が沈んだという……召喚術は世界の理を人の力で不自然に歪めるもの。術者の多くは力の負荷に耐えられず死ぬ。世界の歪みは此方の世界と彼方の世界に小さくない被害をもたらす。故に『禁呪』とされておる』
5年前……大地が激しく揺れ、海が川を遡り、町が波に呑まれて沈む……テレビで何度も見せられた凄まじい光景が脳裏に浮かぶ。
あれは……だとしたら、俺が呼ばれた時も……?
バイト仲間や、大学の同期の連中は無事なんだろうか?
「そうまでして、異世界人を召喚する理由って何です?」
『さあな。異世界人には『神の力』が宿ると神話に伝わっておる。大方それが目当てじゃろう……そのような力、本当かどうか怪しいがな』
「『神の力』、ねぇ」
あれだ。異世界もののライトノベルお約束『チート設定』とか『特殊スキル』ってヤツ。そんなものがあれば異世界なんて楽勝だな。
『どちらにしろ、異世界人は災厄と共に現れる存在として世に語り継がれておる。人々の中には異世界人を『災厄の使者』、『悪魔の使い』、『滅びをもたらす者』と畏れる者も多い。お主も異世界人であることは隠すべきじゃな』
成程……不条理な話だけどその通りだな。
実際、中近世のヨーロッパで『魔女狩り』が横行したのは、迷信から来る民衆の集団ヒステリーが原因だって言うし。
ああ、だから侯爵の城でも誰かに聞かれるのを気にしたのか。
そして、5年前に旅立った同じ『異世界人』。元の世界に帰る方法を探す旅に出たって言ってたが……見つかったのだろうか。
帰る方法……あるなら探したい。
その時、書斎のドアがノックされた。
『失礼いたします。お茶をお持ちしました』
『うむ』
ドアが開き、燕尾服の狼ーークリフトさんが入ってくる。
……しかし、本当に狼だな。
狼男なんて物語の中の存在だと思ってたよ。
『私の顔に何か?』
クリフトさんが怪訝そうな顔で俺を見た。
しまった……またガン見してしまった。
「いや、これは……すいません」
俺は慌てて謝る。言葉は分からなくても雰囲気で察したのが、クリフトさんは頭を振って笑った。
『我々狼人が珍しい方もいらっしゃいます。お気になさらず』
……よかった。すごくいい人だ。
クリフトさんは優雅な仕草で机の上にティーカップを並べ、琥珀色のお茶を注ぐ。香りからして紅茶だろうか?
『まあ、飲みなさい。クリフトの淹れる茶は美味いぞ』
そういえば、色々あって喉が乾いている。
「では、いただきます」
俺はいい香りのするお茶を一口飲んだ……確かに美味しい。
どちらかと言えば珈琲党だけど、素直に美味しい。なんだか、久しぶりに一息ついた気がする。
「ありがとうございます。すごく美味しいです」
『素晴らしい紅茶だそうじゃ』
『恐縮です』
老人の少し誇張した訳に、クリフトさんは笑って頭を下げた。
本当にいい人だ。俺は幸運だったのかも知れないな……