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2ー14:Zwei Stücke von Zungen wachsen Ihrem Gott

……寒いな。


……腹、減った。


俺は冷たい石壁に体を預けて、暗い天井を見上げた。


眠い。たまらなく眠い。


ここに繋がれてからまだ一睡もできていない。


元の世界でも、コンビニの深夜バイトで家に帰りつくのが早朝4時、5時で、その日就職試験というのも珍しくなかったし、ゲームに熱中して完徹してしまった事もある。


だが、今の状況はあの時とは訳が違う。


横になれないように鎖で壁に繋がれ、少しでもウトウトすると、水を掛けたり、鞭や拳でったりして俺を眠らせないようにするのだ。


拷問の疲労が溜まっているのに、眠れないのはたまらなく辛い。


……そして、寒い。


夜が更けたのか、石が露出した部屋は冷たかった。その上、俺はまだ全裸のままだ。


夏じゃなかったら凍死していたかもしれん。


その上、飯も食べていない。


もっとも、汗と汚物の臭いが籠った部屋では食事なんてする気も起きないが。





……一体いま、何日の何時だろうか。





室内は常に薄暗く、時間の感覚がない。昼なのか、夜なのかも分からない。


このまま、ほの暗い闇のなかで永遠に閉じ込められるんじゃないかという不安。


それが空腹と疲労と混じりあって、気が狂いそうになる。


くそ……何でこんな目に……


ヤバい。意識が朦朧としてきた……瞼が重い……


寝たら……寝たらまた殴られる。


殴られるのは……嫌だ。


「よぉ……生きてるか? 」


……ん?


不意に声を掛けられ、ぼんやりと顔を上げると、突然蟀谷(こめかみ)を小突かれた。


……ってぇ……何しやがる。


俺の目の前に、蝋燭の明かりを背にした男が片膝をついて座っていた。


黒い覆面を被り、黒いマントを身に付けた男。


……誰だ? 拷問吏ではないようだが……


「お前、カズマ=アジムか? 」


「……ああ」


「なんだ、名誉騎士エーレ・リッター様って言うからどんな面かと思ったが、シケた面してやがんな」


「……五月蝿うるさい」


軽口を叩く男に、俺は顔を顰めた。


なんなんだ? こいつは。


と、覆面男は俺に顔を近付けて低い声で言う。


「ラファエルからの伝言だ。『2、3日中には風呂に入れてやる。気長に待て』」


ラファエル……?


この男、ラファエルの知り合いか?


どうやってここを……


いや、こいつは本当にラファエルの知り合いか?


ラファエルの名前を出して俺を油断させようとしているんじゃないか?


「まあ、いきなり信じろってのも無理か……信用してくれなくても俺は構わんが? 」


覆面男はそう言って肩を竦めた。


余程不審な表情をしていたのだろうか。


男の伝言が本当なら、『2、3日中にはここから出してやるから、それまで耐えろ』ということか。


何でそんな中途半端な日数なんだ?


「あんたが今連れ出してくれるんじゃないのか」


「馬鹿言うな。お前がここから居なくなってどうする」


覆面男はそう言うと俺の頭をしばいた。


ぐぅ……なんでいちいち殴るかな。


俺が睨み付けると、覆面男は苦笑いを浮かべた。


「お前はここに居るから意味があるんだ」


俺がここで捕まってる意味?


どんな意味だよ。


「で? お前、本当にメアリム爺さんをって無いんだな」


「馬鹿言わないでくれ……俺は誰も殺してない」


覆面男の問いに、俺は溜め息混じりに答えた。


同じ事を何回も訴えていると、いい加減疲れる。


「メアリム様を殺したのは、髑髏の仮面を被った二人組だ。恐ろしく強くて……全く敵わなかった」


俺の言葉に、覆面男の口許が歪んだ。


「髑髏の仮面……か。そいつ、黒髪で澄まし顔のいけ好かない野郎じゃなかったか」


「……え? 」


俺が思わず聞き返すと、覆面男は慌てたように頭を振る。


「いや、いい。さっきのは忘れろ」


……この男、来栖あいつを知っているのか? だとしたら、何者だ?


俺の疑念を余所に、覆面男は俺の頭に手を当て、囁くように言う。


「じき、監察官がお前を落とし(・・・)に来る。だが、どんな条件を出されても絶対に宣誓書にサインするな。連中はお前に断頭台ギロチン以外は用意していない。覚えておけ」


何だろう……男の言葉を聞いているうちに、意識が遠退いていく。


目を開けていられない。


全身から力が抜けていく……だが、恐怖はなかった。


これは……





「僅かな間だが……眠れよ。スッキリするぜ」





その言葉を最後に、俺の意識は完全に闇に落ちた。









※ ※ ※ ※ ※









扉をノックする音に、ラファエルは書類から顔を上げた。


部屋の入り口に、覆面の男が腕組をして立っている。


「バルドールか」


宿舎いえでも仕事か? お前も相変わらず忙しいヤツだな」


バルドールの言葉に、ラファエルは苦笑いを浮かべる。


「ああ。人使いが荒くていい加減嫌になるよ」


「俺からしたら、お前さんも随分人使いが荒いぜ? こっちは帝都から帰って、まだ報告書の提出も済んでねぇってのに……」


バルドールは大袈裟に肩を竦めた。


「お前、帝都から帰還したのは随分前だろう? まだ閣下に報告を済ませてなかったのか」


「……色々あったんだよ。色々と」


ラファエルの指摘に、バルドールは憮然とする。


「……で、どうだった? 」


ラファエルは机の書類を片付けながらバルドールに問う。


「精神的に多少参っていたが、五体満足だったからまあ、大丈夫だろう」


バルドールはそう言いながら覆面を脱ぐと、汗で撫で付けられた髪を搔き上げた。


覆面の下から現れたのは、漆黒の髪を肩まで伸ばした、すっと通った鼻梁と深い黒眸を持った精悍な顔立ちの若者。


「そうか」


ラファエルは前髪を弄りながら安心したように微笑む。


「ヤツに折れてもらっては困る。俺の予定が台無しだ」


「ったく、『無事でよかった』って素直に言えないかね」


「……ふん」


からかい気味に言うバルドールに、ラファエルは憮然とした顔で目を逸らした。バルドールはそんな彼の態度に苦笑しながら、机に腰掛ける。


あいつ(カズマ)が言ってた、メアリム師を殺した連中……髑髏面を被った凄腕の剣士ってヤツな。恐らく『死神の鎌(トート=ズィッヒェル)』だ」


声を落としたバルドールの言葉に、ラファエルは眉を顰めた。


……『死神の鎌(トート=ズィッヒェル)』。


その規模、構成員など一切が不明。


分かっているのは、構成員が全員髑髏の仮面を被っている凄腕の暗殺者集団という事だけである。


その風貌と、彼等の暗殺対象となったが最後、どこまでも追い詰めて殺害する徹底した仕事ぶりから『死神の鎌』と呼ばれるようになり、帝国オスデニア隣国ヴェステニヤの上流階級にとってその名は恐怖の代名詞となっていた。


「『死神の鎌(トート=ズィッヒェル)』か……だとしたら本星ほんぼしはもっとデカいな……まあ、今気にすることではないが」


「……しかし、警戒はしておけ。帝都ローエンベルクでも連中が暗躍しているらしい……誰に雇われているか知らんがな」


バルドールはそう言うと、机から降り、『じゃあ、帰るわ』と手を振った。


「折角来たんだ、茶でも飲んでいけよ」


「いや、余り遅くなると女房ハニーの機嫌を損ねちまう。悪いが帰るよ」


「女の機嫌を取らねばならんとは、窮屈なものだな」


「お前も結婚したら分かるよ」


そんなやり取りの後、バルドールは肩越しにラファエルに『じゃあな』笑いかけると、そのまま部屋を出て行く。


その背中を見送ると、ラファエルは机の引き出しから布に包まれた塊を取り出した。


(ロベルトも屋敷の方は手詰まりだと言っていた。やはり中央本庁ツェントルムを探ってみるか)


ラファエルは布の包みを開く。


そこにあったのは、ロベルトがメアリム邸の書斎で手に入れた白い欠片。


ラファエルはその欠片を摘まみ上げると、溜め息混じりに呟いた。


「しかし……随分と厄介な連中が絡んできたものだ」









※ ※ ※ ※ ※








どうやら口を開けて寝ていたらしい。


顔面に水をぶっかけられた時、水が気管に入って激しくせながら目覚めた。


最悪な目覚めだ。


だが、頭はスッキリしている。むしろ爽快だ。


あの覆面男が使った『睡眠術ソムヌス』が効いたのか。


涙を流しながら肩で息をしていると、不意に髪を掴まれ引っ張られた。


「おう……随分と気持ち良さそうだったじゃねぇか。あぁ? 」


「あんたが起こしに来なかったからな」


「……ちっ! 」


拷問吏は不愉快そうに舌打ちをすると、俺を突き放した。


弾みで石壁に後頭部をぶつけ、目に星が飛ぶ。


くそっ……たん瘤できたらどうすんだ!


俺が拷問吏を睨むと、奴は拳を振り上げた。


……殴られるっ!


両腕を壁に繋がれた俺には避ける術がない。


奥歯を噛み締めて身構える。


「それくらいにせよ! 」


鋭い一喝に、拷問吏は忌々しげに鼻を鳴らして拳を降ろした。


「囚人に対する、取り調べ以外の暴力リンチは禁じられている。少なくとも私の前(・・・)ではな」


「……わかっております」


拷問吏は部屋に入ってきた黒のローブの男に恭しく頭を下げた。


囚人って……俺は罪を認めてないぞ?


「己の罪を告白する気になったか? カズマ=アジム」


「……監察官」


俺は、まるで汚物を見るような目をこちらに向ける男……コンラート監察官を睨み返した。


「何度も言わせないでください……俺は誰も殺してないし、間者でもない。無実です」


「カズマ=アジム……」


コンラート監察官はわざとらしく溜め息をつくと、跪いて俺の顔を覗き込んだ。


「下らない意地を張って否認すればするほど、罪は重くなるぞ。今罪を認め、懺悔すれば減刑も認められよう」


減刑?


そもそも刑を受ける謂れも無いのに?


「貴様は侯爵閣下に近付く為にまずメアリム師に取り入り、城に出入りできるようになると、仲間と共謀してエリザベート様を襲わせ、偶然を装って姫様を助けることで閣下の信頼を得て騎士として閣下の懐に入り込んだ。しかし、計画をメアリム師に悟られた貴様は師を殺し、暗殺者に襲われたふりをして罪を逃れようとしておる……間違いないな? 」


誰が描いたシナリオか知らないが、俺は随分やり手のスパイなんだな。


しかし、よく考えたらエリザベートを襲ったのも、メアリム爺さんやクリフトさんを襲ったのも来栖と烏丸じゃないか。


何で俺があいつらの罪を着せられなきゃならないんだ?


「……出鱈目だ」


「……なに? 」


「こんなの出鱈目だと言ったんです。監察官」


冗談じゃない。


吐き捨てるように言った俺に、監察官は苛立たしげに声を荒げた。


「カズマ、何故罪を認めない!? お前がそうまでして罪を認めない理由はなんだ!? 答えろ! 」


「理由なんてありません。やってないものはやってない……それだけです」


俺はまっすぐ監察官を見据えて答えた。


これくらいの恫喝。悪質クレーマーの理不尽な苦情に比べれば耐えられる。


コールセンターのバイト経験は伊達じゃない。


「既に貴様の犯した罪は侯爵閣下の耳に届いている。閣下の助けを当てにしても無駄だ。それに、事はいずれ民衆にも伝わる……偉大なる魔法使いを殺した貴様を民は許すまい。最早貴様の味方は居らぬ」


コンラート監察官は意地の悪い笑みを浮かべた。


「このまま否定を続けても、決して良いことはない。貴様がいくら否定しても、侯爵閣下や貴様の身の回りの人間、更にはこのシュテルハイム全ての民衆が貴様を犯人だと責め立てる……そうなれば貴様も罪を認めざるを得まい? 」


俺の耳元で囁く監察官。


俺がいくら否定しても外堀から埋めて屈服させるってか?


……多分、ただの脅しではない。


元居た世界でも、似たような話が大なり小なりある。






ラファエルは助け出すと言っていたが……果たして彼に俺の無実を証明できるのか。


俺がいくら無実を叫んでも、無駄じゃないのか?


ふと、そんな思いが頭をもたげた。






「私もそこまで貴様を追い詰めたくはない。今罪を認め、悔い改める事をこの宣誓書に誓えばまだ救いはある」


優しい声色。


多分それは悪魔の囁きだ。


昨日の状態の俺なら思わず頷いてしまったろう。


だが……


俺は目の前に差し出された宣誓書……監察官が描いたシナリオと、それが真実であることを神に誓って誓うと書かれたものを見詰めた。


これに署名すれば、俺はここから解放されるだろう。


もう、殴られたり鞭で打たれたりすることはない。


「監察官……今全てを認めれば、私の罪を軽くして下さいますか? 」


「うむ。私に任せなさい」


鷹揚に頷く監察官。


笑顔を張り付けてはいるが、その目は笑っていない。


「神に誓って? 」


俺の問いに、監察官は微かに顔を顰める。


だが、すぐに笑顔を作ると頷いて答えた。


「……誓おう」


今の表情と答えるまでの間で確信した。


神様にまでは誓えない……つまり嘘だ。


暴力からは解放されるだろう。拘束も解かれる。


しかし、俺に用意されているのは断頭台ギロチン以外にない。


コンラート監察官。自分自身を騙せないあんたは、モンスタークレーマーにはなれないよ。


「監察官、貴方の神様には舌が二枚生えてるようだ」


「……舌が? なんだね? それは」


胡乱な表情をする監察官。


……そっか、『二枚舌』って言葉はこの世界に無いか。


まあいいや。


「貴方が俺を世間的に抹殺すると言うのなら、すればいいでしょう。しかし、私は目先の解放の為に真実を犠牲にしたくはない……俺はその宣誓書の内容を認めない」


俺の言葉に、コンラート監察官の表情が怒りに歪む。


「……どうやら反省が足らないようだな」


低くい声で言って立ち上がった監察官は、俺を見下ろしながら、部屋の隅で控えていた拷問吏を呼びつけた。


「こやつを徹底的に痛め付けろ。拷問具の使用も許可する。その体に罪の重さを分からせてやれ……死なない程度にな」


「へい」


監察官はマントを翻すと早足で部屋を出ていく。


「さて、聞いての通りだ……意地を張ったことを死ぬ程後悔させてやるぜ」


拷問吏はそう言って暗い笑みを浮かべた。


……助けは……来ないよなぁ




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