2ー13:Wie ist der Grund, warum Sie dafür leben?
「随分な目に遭ってるようだね」
トラムの声に俺は顔を上げた。だが、視界が霞んで少年の姿は見えない。
ペンダントを奪われたからか。少年の存在が遠く感じる。
なんか、動くのも億劫だ……全身が痛いし、頭も痛い。
トラムの声が届くと言うことは、フェレスが近くに居るのか?
いつもながら……まるで他人事だな、お前は。
「ねえ、カズマ。君はまだ生きる希望を持ってる? 」
無視かよ……ま……いっか。
当たり前だ。こんな所でくたばってたまるか。
「そっか。それを聞いて安心したよ」
姿は見えないが、トラムは笑ったようだ。
「カズマ、君は意外と人を惹き付ける力が有るようだね」
さあな……よく……分からないな。
「君の友人が動いてる。君を救うためにね……勿論、僕も君のために力を尽くすよ。友達だからね」
俺の……友人?
俺の脳裏に金髪の美丈夫と琥珀色の髪の大男の姿が浮かぶ。
そうか、あいつら……
「カズマ、『絶対に生き延びる』って気持ちを持ち続けるんだ。生き延びるための目的や理由を強く持てば、大概の苦痛に耐えることができる」
……生き延びる……理由?
「君の生きる理由はなんだい? 」
俺は……
顔面に冷たい水が叩き付けられる。
不意討ちで水が鼻に入ったらしく、突き抜けるような痛みが鼻孔を走った。
「おらっ! 寝てるんじゃねぇよっ! 」
乱暴な言葉の直後、頬に衝撃と痛み。
口の中に鉄の味が広がる。
くそっ! 痛ぇ……
石壁が剥き出しになった薄暗い部屋。
俺は後ろ手に縛られ、縄でぐるぐる巻きにされている。
体を縛る縄以外は一糸纏わぬ全裸。しかも、宙吊り状態。
所謂『吊り責め』だ。
どれくらいこんな状態なのか分からない。
袋を頭に被せられて来たので、ここがどこかも分からない。
最悪だ。
目の前には、俺を殴った男が嗜虐的な笑みを浮かべて立っている。
拷問吏。
と言っても、彼は一般的にイメージされるようなボンテージ姿の筋肉質ではなく、ごく普通の体格のいい役人だ。
俺が拷問を受けている割りに冷静なのは、メアリム爺から捩じ込まれた知識のひとつ『身体強化術』をこっそり使ったからだが、痛いものは痛いし、吊り下げが長時間続けば腕が壊死する。術だって永遠に効果が有るわけではない。
どちらにしろ最悪だ。
「苦しいか? 罪を認めてしまえば楽になるぞ? 」
拷問吏が俺の髪を掴んで引き寄せた。
酒臭い。口臭で吐き気がする。
彼等のような拷問吏は、仕事のストレスを軽減するためにワインをたらふく飲んで拷問をしていると昔ネットで見たが……
「認めるか。俺は無実だ」
俺はそう言うと、男の顔に唾を吐き付けた。
血が混じった唾を鼻面に喰らった拷問吏は、舌打ちすると腰に下げた鞭を外す。
鞭といってもSMで使うような九尾の猫ではない。
乗馬鞭である。
男は気合い一閃、鞭を振るった。
激しい音と共に、胸から腹にかけて一撃。
痛いというより熱い!
俺が顔を歪めて呻くと、男はなおも鞭を振るった。
何度も、何度も。
胸や腹、太股に縦横のみみず脹れができ、皮膚が裂けて血が流れる。
はぁ、はぁ……くそっ!
俺は痛みを堪えながら男を睨んだ。
お互いに息が荒い。
「クソが……まだそんな面ができるか」
拷問吏は忌々しげに言うと、壁のロープをほどいた。
俺を吊るしていたロープだ。
両腕を縛られたまま支えを失った俺は、受け身も取れず床に倒れ込む。
痛ってぇ……
全身を強く打って顔を顰める俺に、拷問吏は手にした桶の水を引っくり返した。
その途端、鞭で打たれた傷に凄まじい激痛が走る!
余りの痛みに俺は床を転がりながら絶叫した。
真水じゃねえ! 塩水じゃねえかっ!
「早く罪を認めてしまえ……つまらん意地を張っても、死ぬより辛い苦痛が続くだけだ」
拷問吏はそう言うと、肩で息をする俺の頭を踏みつけた。
※ ※ ※ ※ ※
オスデニアを代表する詩人、ヴォンテールはヴェスト城の薔薇園の美しさを、舞い踊る可憐な乙女達に例え、『地上の楽園』と評した。
一説には、当時のブリューベル侯が自分の庭園を人気の詩人に絶賛させて名声を高めようとしたのだ、と言われている。
事実はどうあれ、季節の異なる5万株の薔薇が咲き乱れるヴェスト城の薔薇園は、帝国で最も美しい庭園である事には変わらない。
その薔薇園の一角。
これから咲き頃を迎えようとしている花壇で、ブリューベル侯ジムクントは夏の日課である薔薇の剪定を行っていた。
侯爵家の誇りと象徴のひとつである『ヴェストの薔薇』の管理もまた、侯爵の大事な仕事である。
ふと、ジムクントが足を止めた。
薔薇の木の下に跪く人物を認めたからだ。
跪きながらも一部の隙も見せぬ金髪の男。
「……予定は無い筈だが? 」
「申し訳ございませぬ……緊急の事にて」
ジムクントは男……ラファエルを一瞥すると、後ろに控える家令から剪定鋏を受け取った。
……この男が緊急の用とは、珍しい。
「なにか」
「中央本庁がカズマ=アジムをメアリム師殺害の犯人として捕縛いたしました。また、彼にはアドハルト派の間者の疑いが持たれております」
その事か、とジムクントは納得した。
自ら推薦し、任命した名誉騎士が殺人の疑いで捕縛されたことは聞いていた。
間者の疑いまで掛けられているのは初耳だったが。
「それで? 」
ジムクントは薔薇に剪定鋏を入れながら問うた。
その横顔はカズマの事など興味が無いように見える。が、ラファエルは単刀直入に言った。
「この捕縛、何者かの謀略ではないかと」
「……ふむ」
鋏が音を立て、薔薇の枝が落ちる。
「卿がワシに言うのだ。裏は取れておるのだろう? 」
「はい」
主の問いにラファエルは自信ありげに答えた。
「閣下、願わくば、ロベルト=フォン=ワイツゼッカーと共に、謂れ無き罪を晴らしたく存じます」
ラファエルの言葉に、ジムクントは剪定の手を止める。
ジムクントは横目でラファエルを見下ろし、問うた。
「……何故? 」
「閣下の御為に」
ジムクントの問いに、ラファエルは迷うことなく答えた。
「……それだけか? 」
ジムクントの手元で鋏が鳴った。切り落とされた枝を、ジムクントはつまらなそうに放る。
ラファエルは薄く笑みを浮かべて主を見上げた。
「……親友の友は我が友と同じ故」
ラファエルの答えに、ジムクントは鼻を鳴らした。
「……」
「……」
主従の視線が交差し、沈黙が流れた。
やがてジムクントは目を逸らし、何事もなかったように薔薇の剪定を再開する。
何本かの枝を落としたところで、彼は唐突に言った。
「薔薇を美しく咲かせるためには、余計な枝を落とさねばならん。枝を放置すれば風通しが悪くなり、形も崩れ、花も小さくなって木全体が弱る……ヴェストの薔薇は常に美しく在らねばならぬ」
「仰る通りでございます。閣下」
「……ホフマン」
名を呼ばれた家令は、音もなく主人の傍らに立つと懐から小さな紙束を取り出す。
「……3日後がメアリム様の葬儀でございます。その際に、ヘルムート子爵に捜査状況の報告を命じます。担当の監察官も同席を」
家令の言葉に、ジムクントは鷹揚に頷いた。
「……ラファエル」
「はい」
「小さかろうと枝は枝よ」
そう言うと、ジムクントは手にした剪定鋏を、柄を向けてラファエルに突き出した。
「卿に授ける。下がってよい」
「はっ! 」
ラファエルはその鋏を受け取る。
ブリューベル侯爵家の略章である薔薇の紋章が彫られた剪定鋏。
ラファエルはそれを懐に入れ、立ち去る主の背に深く頭を下げた。
「ラファエル、先ずはどうするんだ? 」
廊下を早足で歩きながら、ロベルトは先を行くラファエルに問うた。
ジムクントの謁見を終えたラファエル達は、中央本庁本部に帰ってきていた。
「カズマが査問で監察官に何を語ったのかを知る必要がある……俺もお前も事件の詳細を知らんからな」
「……成る程」
カズマは監察官に、事件当日何が起こったかを語っている筈だ。
彼の証言が真実であることを証明できれば、監察官側の主張を崩す切っ掛けになる。
「しかし、査問の調書は監察官側が持っているんだろ? 手に入れるのは難しいんじゃないか」
隣に並んだロベルトが声を落とす。
が、ラファエルは意味ありげな笑みを浮かべた。
「ロベルト、お前は明日改めてメアリム邸の捜索してくれ。何か気になるものが出たら持って帰って俺に見せろ」
「分かった……お前はどうするんだ? 」
「色々やることがある。兎に角、期限はあと3日。それまでにカズマの潔白を証明せねばならん……後は」
「後は、なんだ? 」
ラファエルの表情が僅かに曇り、ロベルトが眉を顰めた。
「カズマが拷問に耐えきれずに罪を認めてしまわないことを祈るだけだな」
翌日、メアリム邸。
いつもなら雑木林に囲まれた静かな屋敷は、物々しい雰囲気に包まれていた。
門や柵には黄色い帯で規制線が張られ、武装した衛兵が見張っている。
ロベルトが数名の部下を連れて屋敷に入ろうとすると、現場の責任者と思しき兵士に止められた。
「ロベルト卿、屋敷には監察官殿の許可なく立ち入ることができません……お引き取り下さい」
「む……俺は特命で来ている。悪いが通してくれ」
「特命……ですか? 」
訝しげな表情でロベルト一行を見る兵士に、ロベルトは一枚の書類を示した。
「『魔法使いメアリムの遺品を回収し保管すべし』との、閣下からの命令だ」
侯爵家の紋章が刷られ、侯爵の署名が入った公式な命令書……紙は本物だが、命令文と署名はラファエルによる精巧な偽造である。
それを突き付けられた兵士は、慌てて道を開け、ロベルトに敬礼をする。
「……はっ! 申し訳ございませんでしたっ! どうぞお通りください! 」
「うむ。お勤め御苦労」
ロベルトは一抹の罪悪感を感じなから笑顔を作って屋敷に入った。
「……さて、どこから探すかな」
とは言っても探す場所は限られている。自分達は『メアリムの遺品』を回収しに来たのだ。
メアリム師が殺害されたのは裏庭。
だが、初日の捜査でメアリム師は殺害前に書斎に居たことが分かっている。
書斎に入ったロベルトは、部下の一人に入り口の見張りを命じると、室内を見渡した。
「しかし、酷い有り様だな」
書斎はまるで嵐が通りすぎた跡の様だ。書籍や調度品が散乱し、足の踏み場がない。
一応初日の捜査で別の騎士が書斎も調べているが、不審なものは発見できなかったと聞いている。果たして、何かを見つけることができるか。
「メアリム様が収集した書籍には貴重なものが多く含まれる。丁寧に纏めておけ。それと、調度品のうち、魔法具には触るなよ? 下手に扱ったら爆発するかもしれん」
冗談めかして言うと、書籍を片付ける衛兵から笑いが漏れる。
だが、ロベルトは内心焦っていた。ラファエルには策があるようだが、拷問は苛烈だ。
拷問に耐える訓練を受けていないカズマが何日も耐えられるとは思えない。
苦痛から逃れたい一心で偽りの告白をしてしまったら、自分達では救い出せない。
そして、カズマはロベルト達が彼を救うために動いていることを知らない。
と、ロベルトの足元を何かがすり抜けていく。
慌てて目で追うと、一匹の黒猫が書斎に入り込んでいた。
野良猫にしては整った毛並みを持つ、金と緑の異色瞳の黒猫。
(なんだ……猫か)
ロベルトが胸を撫で下ろして猫から目を逸らそうとしたとき、黒猫が鳴いた。
何気なく見ると、黒猫がテーブルの下に手を突っ込んで何かを取ろうとしている。
(……ネズミでも居るのか)
と、黒猫がロベルトの方を見て、もう一回鳴いた。
『こいつを取りたい。テーブルを退けろ』そう言わんばかりだ。
「……」
ロベルトが肩を竦めて無視しようとすると、黒猫は少し鳴き声を荒げてテーブルを引っ掻き始めた。
「ああ! わかった、わかったからっ! 」
素朴だが重量感のある木のテーブル。高級な品では無さそうだが猫に癇癪起こされて傷物にするわけにはいかない。
ロベルトは慌てて駆け寄ると、テーブルを持ち上げてずらした。
「……ん? 」
テーブルの下に転がっていた物。
それを見てロベルトは眉を顰める。一瞬骨かと思ったが白い磁器の破片のようだ。
「……妙な。なんだこりゃ」
ロベルトは訝しみながら、その破片を布に包んで懐に入れた。
ふと見渡すと、いつの間にか黒猫はその姿を消していた……