1ー11:Danke
帝国一美しいと称される、ブリューベル侯のバラ園。
そこは今物々しい雰囲気に包まれていた。多くの兵士がバラ園とその周辺の雑木林を捜索している。
「それで? なにか出たか」
「はい……庭園北側の雑木林に賊の物と思われる足跡が見つかりました。城下や領内の宿場も捜索しておりますが、賊の足取りは未だ掴めておりません」
「まあ、証拠を残すようならブリューベル侯爵の城に忍び込めはしないさ」
エリザベート襲撃については箝口令が敷かれており、人数を動員しての捜索ができない。おまけに賊の顔が不明となれば見失うのも無理のない事だ。
ラファエルは肩を竦めると、報告に来た兵士を下がらせる。
既に日は傾き、庭園は幾つもの松明に照らされていた。
「初動にミスは無かった筈だが……中央本庁が抜かれるとは」
「今さら言ってもしょうがないさ。君の責任ではない。それより、アロイス団長から逃げおおせるとは……賊も只者ではないな」
エリザベート襲撃の直後。賊を追撃した近衛騎士団だが、捕らえきれずその行方を見失っていた。
中央本庁の検問はシュテルハイム城壁内で賊を発見できず、ロベルトは城外の捜索を部下に命じて状況報告のため登城。急報を受けて登城したラファエルと合流して今に至る。
バラ園の入り口、庭師が農具などを収める小屋の前を4人の兵士が監視していた。
兵士はラファエル達に気付いて敬礼する。ラファエルは兵士に軽く返礼すると、近くの兵士に問うた。
「これがそうか」
「はっ!」
兵士達の中央に一本の矢が刺さっている。ラファエルは芝生に跪いて目を細めた。
真っ黒に塗られた矢。
「長さからして弩か……侍女の証言では、矢が2発放たれたらしいが、もう一本は見つかっているのか」
「それが……よくわからないのです。猫を一匹射殺したそうですが、矢はおろか猫の死骸すら現場に有りませんでした」
「猫?」
兵士の言葉にラファエルは眉を顰める。
「その猫はエリザベート様を庇って撃たれた、と」
「……それは勇敢なことだな」
ラファエルは興味がないと言わんばかりに兵士の話を聞き流した。
猫が死に場所を求めてその場を離れる事は珍しくない。
ロベルトは拳を握りしめて歯噛みした。
「畜生……こいつはアドハルト派の仕業に違いない! 連中め、白昼堂々姫様を狙うとは許せん」
「……状況だけ見ればそうなるだろうがな」
「どう言うことだ?」
「色々と腑に落ちないってことさ。警告、そう言ったのだろう? その賊は」
ロベルトの問いに、ラファエルは苦々しい表情で髪を書き上げ、懐から取り出したハンカチで矢を掴み、引き抜いた。
「ご苦労。君達も賊の捜索に当たってくれ」
矢を監視していた兵士達が敬礼してバラ園を離れていく。
その姿を見ながらラファエルは呟いた。
「どうも、戦争を起こしたい連中が居るらしい」
「なに? 」
「もし、ラインブルム派の力を削ぎたいなら、お嬢様ではなく侯爵本人を狙う。わざわざ『警告』なんてまどろこしい事はしないさ」
ラファエルは自分の前髪を弄りながら続ける。
「しかも、自分の姿を近衛騎士やシャルロットに晒している……まるで見せつけるようにな。それ以外は全く手がかりを残していないのに、だ」
「ううむ……」
ラファエルは、難しい顔で唸るロベルトに苦笑すると踵を返した。
「現場は君に任せるよ、ロベルト。俺は閣下に報告に上がる」
「おう。任された」
(しかし……)
ラファエルは庭園から見える城を見上げた。
黄昏に沈みつつある城の姿はどこか威圧的で恐ろしくすらある。
(侯爵閣下はどう判断されるかな?)
いつの間にか笑みを浮かべていることに気付いたラファエルは、表情を引き締めて侯爵の書斎へ急いだ。
※ ※ ※ ※ ※
ここは……
俺はぼんやりと天井を見詰めた。木の天井。でも、知らない天井だ。
俺はベッドに寝かされていた。
夕方だろうか。窓から差し込む光が茜色に染まっている。
あれから一体どうなったんだろうか。
髑髏仮面の男が退き、力が抜けて動けなくなった俺の手を、エリザベートが握ったところまでは覚えているが……
エリザベートの心配そうな表情を思い出す……彼女、大丈夫だろうか。
「あっ! 気が付いた?」
元気な女の子の声。顔を向けると、エリザベートの侍女……シャルが木桶を持って部屋に入って来たところだった。
「全く、仮面の賊を追っ払ったと思ったら急に気絶しちゃうんだもの……吃驚したじゃない」
「……気絶したのか、俺」
ベッド近くのテーブルに桶を置くと、シャルは椅子をベッド脇に椅子を置いて座る。
「エリザベート様があんたの事を心配されるから、兵を使ってここに運んだのよ? 感謝してよね。大変だったんだから」
大変だったのは俺をここまで運んだ兵隊さんだろうに。俺は内心突っ込みを入れた。
「そりゃ、迷惑かけたな……えっと」
そう言えば彼女の名前を知らない。『シャル』って言うのは愛称だろうから、いきなり呼んだら怒られそうだ。
「ん……? ああ、そうね」
彼女も自分がまだ名乗っていない事に気付いたのか、居住まいを正して名前を告げる。
「私はシャルロット。シャルロット=リッツエル。あんた、名前は?」
「カズマ……安心院 一馬」
「へぇ……変わった名前ね」
「覚えやすいだろ」
「バカじゃない? あんたの名前なんて覚えなくてもいいわよ」
俺の冗談にシャルロットは苦笑する。彼女とは何かと縁があるが、こうやって向き合って話したのは初めてだ……初対面があれだったからなぁ
「そう言えば……君はお嬢様の侍女なんだろ? 仕事はいいのか」
「エリザベート様はもうお休みになったわ。だから大丈夫よ」
「そうか……」
休むにしては少し早いが、あんな事があった後だ。心労が溜まったのだろうか? まあ、俺が心配してもしょうがないけど。
ということは……
「で、シャルロットはわざわざ仕事終わりに俺を見舞いに来たのか?」
からかい気味に言ってやると、シャルロットは頬をさっと染めた。
「……か、勘違いしないでよね!? 私がここに来たのは、エリザベート様に頼まれたからなんだからっ! あんたの心配なんてしてないんだからねっ? 」
ムキになって言い返すシャルロット。なんだ、可愛いとこあるじゃないか。
「わかったよ……すまないな。シャルロット」
「ふ、ふんっ!」
彼女はしかめっ面で顔を背けた。
「あんたの意識も戻ったし、私はもう行くわね」
わざとらしくそう言うと、シャルロットは席を立ってテーブルの桶を抱える。
部屋を出ようとして、彼女は立ち止まり、俺の方を振り向いた。
「カズマ……」
「ん?」
「ありがとう……エリザベート様と、私を助けてくれて」
小さくそう言うと、シャルロットは部屋を出ていく。
……部屋が急に静かになったな。
「……ありがとう、か」
俺はベッドに身を沈めて呟いた。
多分、あのときの俺は俺じゃない。
「なあ、フェレス」
……
……
……
「フェレス?」
いつもならどこからともなく表れる黒猫。しかし、待っても彼は出てこない。
まさか……?
『あれは死なないよ。命あるものではないからね』
突然聞こえた声。
俺は声の主を探そうと体を起こして……全身に走る激痛に悲鳴をあげた。