反撃の烽火
1942年2月14日・イタリア、ローマ 1330
ヴァチカンのサンピエトロ寺院が遠くに見える、ティベレ川のほとりの二階建ての一軒屋が、志摩夫婦とメイドのミスミに、間接交渉の窓口の対価としてアメーの用意してくれた家屋だった。そこに今日はアメーのほかにもう一人、ゲストを迎えていた
『いやはや、結構な御手前で。シェフの方もこちらでご用意致しましたものを』
『ここにいらっしゃる方にはどれも田舎料理でしたでしょうけどね』
と、アメーの言葉に桂が笑う。異世界に転移していた頃に培った種類の料理である。食文化は欧州に近かったため、和食のテイストだけでなく欧州の田舎料理的なものは多少は身につけていた
『どうしてもゲストの方々である皆様に、妻が料理を振るまいたい、と。とはいえ、御口にあったのなら幸いです』
とはいうものの、実際は自白剤などの薬物などが万が一ないか確認するうえでも料理だけはこちらがしようとする用心の上での話であった。ゲストという言葉には、勿論、自分たちがもてなされるだけでは無いという意も含まれている。
『昼食は確かに結構』
と、テーブルをコツコツと指で弾きながら切り出したのが、アメーが連れてきたゲストのドイツ陸軍の中佐である。年かさは自分より10は上だろうか、階級は同じ中佐。とはいえ歴戦の風格がその風貌に表れている。たしか名前が
『バイエルライン中佐はどういったお話をご所望なのでしょうか』
そう、フリッツ。フリッツ・バイエルライン中佐。ドイツアフリカ軍団で参謀長をしているという話だ
『単刀直入に申しましょう。貴国は今、我が将兵を死なせている』
通訳をしてくれている桂が、いきなりの言葉に少々眉をひそめている
『現状、貴戦力の包囲に割かれている戦力は本来ならとうの昔に我が軍団に届けられているべき代物』
これは史実、新年にヒトラーからロンメルへプレゼントとして贈られた戦車55両と装甲車20両である。これをバーリに表れた日本勢の包囲に利用していた。彼らが持つ資源を考えれば当然ではあるが、それが届かない前線の将兵はその分苦労している。道理ではある
『とはいえ、参戦等は軍組織である以上勝手な事は出来ません。現状、食糧などとの交換での資源の引き渡しこそ行っていますが、このレートもイタリアとのルートで賄っており、戦力的な言い分は正直なところこちらとしても交渉材料としては難しいのではないかと』
こちらが図らずも土地を占有しているイタリア相手ならともかく、勝手にイタリアで包囲をしているドイツ軍の都合など、知ったこっちゃあない
『我々は敵対しているわけではないはずです。勿論、英米ともですが』
『そこのところは情勢次第と言ったところですが、穏便に願いたいところではありますな』
アメーがすかさず言葉を挟む。交渉の主導権はイタリアから渡さない。なるほど、そこのところも強調するためにゲストとしてVIPと言えるバイエルライン中佐をここに連れてきて、その現状を認識させようとしているわけか
『我々は先日より北アフリカ戦線での攻勢のため、マルタ島への空襲の勢いを強めております』
そのアメーの言葉に、バイエルライン中佐が嫌な顔をした。我々?実質作戦の中枢戦力はイタリアではなくドイツではないか、と
『結構なお話で』
どこがどう動こうが、今のところ関係はない。というより、どちらか旗色がはっきりと鮮明になってくるならやりようが出てくるだろう。とはいえ、ドイツ、そしてイタリア側が海を越えてブリテン島をどうこうできるとは、転移前、そして戻ってきてからの情報からも考えられない以上。連合国側が優位であることに違いはないというのが漠然とした志摩の感想だった
『それに加えて輸送船団の護衛も行っておりまして、手土産と言うわけではありませんが、正直、我々の洋上警戒力は輸送船団の経路を除いて格段に落ちております』
『それは・・・・』
文句を言う筋合いはない。彼らは彼らの都合がある、哨戒をしてもらって情報を得られるというのは身勝手な願望のレベルである
『加えて、アレキサンドリアの情報源から英艦隊が出航したことが確認されております』
『大佐、それは』
これにはバイエルラインも顔色を変える。彼の所属している軍団の戦備の増強が急務とあれば、その一番の障害は英艦隊だ
『対応しておりますよ、輸送船団のほうは。また、マルタ島空爆の為に航空隊の移動もね』
カップのコーヒーを一口飲んで、バイエルラインに笑顔でアメーはそう答える
『・・・・・』
問題はそう、こちらのほうである。こちらは外交問題になるのを極力避けるべく、ほとんど哨戒偵察は行えていない。先日のパルチザンの漁船による強行偵察をもって、周辺域をようやくといっていいほどだ
『・・・・メルセルケビル』
アメーは志摩の言葉に我が意を得たりとカップをあげる。ヴィシーフランス海軍に対しての英海軍の行った攻撃が行われた場所だ
『ま、勿論。攻撃目標がどこなのか、あるいはどこに向かっているのかまでは把握できてはいません。やもすればお国に対応するべく、東洋艦隊への編入も視野に入るでしょうしな』
実のところ、アメー本人としてはそうだと睨んでいた(イギリス諜報部は作戦の隠匿に、フォーミダブルの移動に関してインドミダブルの東洋艦隊派遣の情報を利用していた)彼と彼が属するであろう上の組織に対してのブラフだ
『現実的な問題として、大佐は攻撃された場合どうするつもりが妥当と考えるのか』
まずはそこか、とバイエルラインが確認するように聞いてくる
『・・・限定的なものであれ反撃、攻撃するべきです』
この言葉に、通訳として臨席している桂の方が驚いて少し言いよどんだ。明確な攻撃という言葉はこれまで彼から一度も聞いたことがなかったからだ
『それは防御砲火としてでなく、通常の意味での反攻としてですかな?』
『当然です。そしてそれは全力で苛烈であるべきです。どこの誰が相手であろうと』
力強くバイエルラインに頷き、見つめ返す。事あらば、誰にでも噛みついてみせると
『出来るだけ、穏便に願いたいのですがね』
流石にアメーも語気を強めて志摩を牽制する
『まあ、それは結構。では、その意は』
視線を気にすることもなく、バイエルラインは促す
『補給がない限り、今、資源を持っていたところでいずれは枯渇するということです。既に少なくない量・・・・2万2千トン余りの重油を消費しています』
艦艇は停泊しているだけでも重油を喰らう。その量はおおよそ一日搭載燃料の1%、訓練などを行えばさらにその消費量はあがる
『ほう』
アメーが嘆息した。情報としてこれはこちらの内部事情を探る手掛かりになる
『これの意味するところはおおよそ理解できるものかと』
言外に先ほどの情報の礼と、意味を含ませる。仮に、どうしても、否が応にも戦闘を実施する場合、その最初の戦闘で威を見せなければ弱敵としてむしろ攻撃を過分に受けることになろうし、その後の外交上でも不利益を得ることになるに違いない。欧州からの脱出を考える限り、攻撃を受けてしまったなら、一転攻勢すべし、それしか道は無いように見える。出来うることならその攻勢で大戦果をあげる・・・・どこまでやれるのか、どれだけ効果があるのかは、とても保障出来たものではないが。それしかない。裏付けのない交渉事など成立はしないのだ
『貴官は正直ですな』
嘆息しながらバイエルラインは席に深く座りなおす。正直、か。軍人としてはどうだろうか
『またの機会にずらすべき、でしょうな』
『かもしれませんね。そろそろ失礼させていただきましょうか』
バイエルラインの言葉にアメーが頷き、そう言って立ち上がる。またの機会。そう、そうなっていけばこちらもさらに余裕を失っていくことだろう
『玄関までお送りしましょう。桂、杖を。ミスミ!来客の方々のお帰りです』
こちらも続いて立ち上がる
『いや、それには及びません』
『と、これは嫌味でも決裂でもありませんぞ』
志摩は異世界での戦役のさなかに隻腕となった時に、血液を失い過ぎたせいか足元が覚束ない時があった。杖をつく主人に送らせるほどの事は無い
『痛み入ります』
桂から杖を受け取るだけ受け取り、外で待機していたミスミが部屋に入ってきて二人の外套を用意する
『それでは後日、また』
そういってアメーらは出ていった
『・・・・・志摩、本気なわけ?』
『最悪の場合はな』
アメー大佐には本当に良くしてもらっている。だが、最悪の場合敵対しなければいけないのも確かだったし、いざとなれば出来うる限り突っ込まねばならない。そうなったときに桂たちをどうするのか・・・
『それで?行くんでしょ』
桂が前に回って、腰に手を回して胸を張って笑ってみせる。まったく、お前というやつは
『ああ、行こう。運転頼めるな』
『ようそろ♪』
ここに住まわせてもらうことになって、もう一つアメーに頼み込んだのが移動手段である。燃料は、そこまで手配出来ませんよとは言われたが、サイドカー付きのモトグッチ社製バイクを寄越してもらった。運転するのは、ウーマンリブの活動から語学から各種免許を取っていた桂が出来るので何も問題なかった
『旦那様』
玄関にむかう途中でミスミに呼び止められる
『どうした』
『燃料をくべておきました。出られます、よね』
察して給油をしてくれたようだ。少し油臭い
『助かる』
頭にぽんと手を乗せる。代わりに桂が少しむすっとした。おいおい、これぐらいは勘弁してくれ
『行ってくる。留守は任せたよ』
『はい!いってらっしゃいませ!』
と、ミスミの見送りを受けてサイドカーへと座る
『かっ飛ばしてくわよ!』
ゴーグルまで用意して桂がバイクにまたがる。おい、まさか
『お手柔らかにお願i』
『さぁ!出発進行!』
ドルルルル!!!
『うおおおおっ!!!』
一気にアクセルを踏んだ桂は、瞬く間に速度を上げてバイクをかっ飛ばしはじめる。やっぱりこうなるのかああっ!
『うおっと』
飛んで行きかけた制帽を抑え、正面を見据える。凄く、凄く悪い予感がした
日本大使館・遣欧艦隊臨時司令部 1515
以前より使用し、かつ、転移によってその主人を失っていた大使館に、また再度の転移によって現われた日本の艦隊、派遣陸軍の指導部は臨時の司令部を置き、海軍を中心に各国へと人員を派遣して外交交渉に努めていた
『着いたわよ!』
『あ、ああ』
桂の運転で、ボルケーゼ公園を挟んで直線距離で1.6キロほどの距離を最短最速で着いたはいいが、生きた心地がしなかった。サイドカーは視線が低すぎるな、うん
『帰って待っててくれ』
『ようそろ!』
見送って気を取り直す。KAに弱いのは今までの事でどう見られても構わないが、ここが欧州における最高司令部であることに変わりはない。一種の伏魔殿に違いはなかった。気合を入れなおさねば
『志摩中佐、非番では』
敷地内に入ると、志摩より若い士官が駆け寄って敬礼する。海兵66期、兵学校では志摩が1号生徒の時に4号生徒であった間柄であるが、イタリアに来て久しぶりに再会した形になる。
『玖部君、なにやら様子が騒がしいようだが』
答礼をして聞く。なにやら人が駆け回っている
『先ほどから通信科の出入りが激しくて、こちらも様子を知りたいところなのですが・・・』
『先日の艤装漁船の件のようなことが起きたのかもしれないな』
欧州は本当にきな臭い。油断がならない、かといって通信科の連中を捕まえてホイホイその中身を知るわけにもいかない
『中へは入れるかい?』
様子は見なければならない。
『通信科に紛れれば、畑野参謀にも言伝しやすいかと』
畑野大佐、海兵57期の出で自分と同郷という事もあって窓口になってくれていた。これまでの経歴は弥生や萩風の艦長を歴任しており、水雷畑の出だ。
『助かる。そのうち半舷があえば付き合うよ』
『中佐のおごりですよ』
そういって別れる。幸い、司令部が入っている一室の前で通信科の兵が駆けて出ていった。よほど慌てているのか、扉が閉まりきっていない。いい機会だ
『・・・・・うっ』
入った途端、その雰囲気の重さに圧倒されそうになった。中には海軍のトップである司令長官の栗田中将と、参謀長の矢野(英雄)少将だけでなく、陸軍の頭である百武中将と、その幕僚までが居た。その彼らが沈痛な趣で電信綴りを見ているのだから当然だ。人員としては各国に参謀を割いて人数の乏しい海軍側が2で陸軍側が8と言ったところか。入ってきたこちら側への視線が突き刺さるようだ
『・・・志摩中佐とかいったね。イタリア側はどういってきておるのかね』
大陸派遣艦隊の代表をやっている栗田中将が直に聞いてくる、海軍はこういう場では厳しく身分を問う。いつもなら参謀の誰かを介して聞くのに、どうしたんだろう?と、背中で冷や汗をかきつつ、とにかく大事だと思うので言う
『アレキサンドリアより英艦隊が出航しつつあるとn』
『いまさらもう遅い!!!いったい何をしていたのか!?』
陸軍側からいきなりの怒声を浴びせかけられる
『はっ・・・!は?』
事態がまったくつかめなくてどうしようもない。何が起きている
『まあ、待て待て』
百武中将が場をなだめる
『・・・・・長官、彼は今日、非番を利用して接触をしていたところです。直接的な情報を得ていたわけではありません』
本来の司令部付きの折衝役とは別に今日のような会合をやっているわけで、正規のものではない事をしていることは畑野大佐には伝えてあった。その言に栗田長官は嘆息する
『つまり、我々への情報は限られたわけか。これを彼にも渡してやれ』
『はっ・・・・中佐も噂に効く間の悪い男だな。見ろ』
持ってきていただいた電信綴りを読む
『こ、これは・・・!』
ワレ、英海軍航空隊ヨリ攻撃ヲ受ク、摩耶被弾
『現在も被害は拡大中だ』
畑野大佐の言葉に脱力感を覚え、肩を落とす
『そんな・・・そんな、メルセルケビルを・・・・』
少なくとも今は交渉中だったはず・・・そこまで、そこまでするか、英国は!こちらは存在するだけで物資を消費するもの。そのまま捨て置けば、まだ何か手はあったかもしれないというのに・・・・!
『反撃は!?』
『そうだ、反撃するべきだ!よくぞ言った!』
脱力から脱して沸き上がった怒りから出た言葉に、怒声を浴びせてきた陸軍側の方から賛意が寄せられる。なんだなんだ
『貴様と言うやつは・・・・』
畑野大佐が呆れたように頭を抱える
『大鷹級は予備機除いて24機の搭載。そしてこれまで地上制圧と掃射の必要性から搭載は戦闘機が主、艦攻は3艦で18機しかないのが現状です。そして実際問題として大鷹から一次攻撃隊として即応出来るのはその半分もあれば上等と言えましょう。それだけでは無駄に死人を増やすだけになりましょうな。さらに、魚雷自体も地上支援の優先から各機数の倍、36本しか用意していないのです』
やれやれ、と矢野参謀長が陸軍側も含めて諭すようにその内情を明かす
『し、しかし・・・攻撃を受けたままであるなど。メルセルケビルでのフランス海軍も反撃を実施しております!』
退避のためでもあるが、今は亡きフッドらを要する英艦隊と砲戦を実施している。能力があるのであれば、全力で反撃すべきだ
『よろしいか』
一人の若い陸軍大佐が手を挙げる
『なんでしょうか、加藤大佐』
栗田中将がうなずいて発言を促す。はて、加藤大佐、ん?第5飛行師団の加藤健夫大佐か!?あの、隼の
『イタリア側に能力を悟られぬため、と、我々陸軍航空隊は警戒任務からすら外されていた現状にありますが、いざ一朝事あった場合に備えて即応態勢そのものは出来ております。場合によっては我々だけでも航空攻撃は実施出来ますが、どうか』
これは、陸軍単独での反撃行の進言か・・・!
『即応のついで、といってはなんですが、司偵だけは先に飛ばし、敵攻撃隊を追うように指示しております』
『それなら、陸軍さんの機材と我々の艦攻で・・・!』
十分攻撃隊としての体裁はつく
『中佐。現在に至るまで各大使館だけでなく、本土からも英国側からの宣戦布告を受け取ってはいない。防御砲火はともかくとして、攻撃隊を送る段階にはまだ至っていない・・・そう私は考えるものです』
矢野参謀長が栗田長官に向けてそう言う。たとえ一時的であっても、全面的な戦争状態へ我々の意志決定で進ませるべきではない、という意思が滲みあふれていた
『我々が出来る範囲では、今、加藤大佐が言った偵察機で英機動部隊の位置を通報するまでが限界であると私は考える』
頷きつつ栗田長官もそう答える
『・・・・・』
自分と、それから陸軍側にもうめきにも似た吐息が漏れる
『しかし、反撃を他国軍に任せきりでは・・・!』
後々の交渉と立場に大きな不利益を得る。そうだ、そもそも
『長官、今日の会合ではドイツからの恫喝のようなものも受けました。攻撃を実施しなければ収奪に来る可能性はさらに高くなります』
何もしなければ、下品な言い方だがケツの毛までむしられるだろう。そういう反応をしないのであれば、いくらでも手段は講じられる
『・・・』
『伝令!伝令・・・!』
栗田長官の沈黙を見計らったように、電信綴りを持った伝令が駆け込んでくる
『構わん、そのまま読みなさい』
矢野参謀長が栗田長官を一瞥し、頷くのを見てから促す
『冲鷹、復旧の見込みなし・・・他、給油艦襟裳、オイラー一隻も同様とのこと!』
空母が・・・!それにタンカーを狙っての攻撃という事は、間違いなく我々に向けての意志を持った行動に違いない!
『これでも何もしないおつもりか!今、炎の海に投げ出されているのは閣下の部下なのですぞ!そして、それを放置することが、どれだけ・・・!どれだけこの地にいる邦人の不安を掻き立てるか!』
人情家なのであろう、加藤大佐が言い募る。気持ちはよくわかる。そしてそう、そんな軍の保護下にある邦人ら、そして陸軍将兵の心中は如何ばかりか
『・・・・・加藤大佐、陸軍航空隊は洋上飛行に不安があると聞きます』
視線を下げ、表情を消した顔で栗田長官はボソリと言う
『地中海は多島海で目印になる灯台他も多く整備されています。いくら我々陸軍航空隊が洋上飛行が苦手であったとしても、到達は出来ます。してみせます!』
これに関しては加藤大佐に分がある
『加藤大佐のおっしゃる通り、地紋飛行は十分に可能かと。着陸に関してはこの時間ですし、薄暮ないし夜間となりえますが』
畑野大佐があまり余計な事を言うな、と、こっちを見るが、ここは、うん。するべきだと思うので、申し訳ないが言わせてもらう
『・・・・・長官』
矢野参謀長が長官に耳打ちする。何を言っているかは聞き取れないが、なんだろうか。長官が顔をあげる
『・・・わかりました。いいでしょう、攻撃を実施してください。我々も出来る限りの艦攻を送りましょう』
部屋の中がざわつく
『よろしいのだね?』
百武中将が念を押す。この発言で、中将御自身自体は攻撃には至らないと思っていたのか、言葉尻には驚きが隠せないでいる
『そこの彼が言った通り限定的な反撃です。身内を攻撃されてはらわたが煮えくり返っているのは貴方がただけではない』
こちらを栗田長官が見る。ああ、何という差し出がましいことを言ったのか
『それでは失礼します!吉報をお待ち下さい』
『我々も失礼させてもらおう。各方面を落ち着かせなければならん。後の事は専門に任せるよ』
加藤大佐ら陸軍の面々が栗田に敬礼をして部屋から出ていく。残るは海軍側のみ
『・・・・ありがとうございます!』
たかだか中佐クラスの意見を聞き入れてくれた。頭を下げるしかない
『陸用爆弾で、おそらく相手はイギリスの装甲空母。攻撃は失敗するでしょうな』
矢野参謀長が嘆息して言う。この人はそういえば駐英武官を務めたことのある知英家だ。そして、陸軍の攻撃が意味をなさない事をさらりと今になって言ってのけた。そうか、効果が低いなら反撃した事実だけで許容するつもりなのか
『・・・・艦攻6機、命中魚雷は1本あれば良い、といったところか』
『どうでしょうか。九航戦は商船改装空母の航空隊、私の知る限り雷撃訓練は2、3度行っていた記憶がありますが、あまり結果は芳しくなかったはずです。場合によっては全損も考慮に入れるべきかと。回避運動による海域での拘束、対空火器などの損耗は期待出来るやもしれませんが』
胃が重い、二人はこう言いたいのだ。お前が無駄な攻撃をさせたのだ、と
『ちょ、長官』
『おい中佐!控えろ!』
いい加減にしろ、と畑野大佐が腕を引く
『なにかね、まだあるのかな?』
栗田長官はともかく、矢野参謀長の視線が痛い
『攻撃がかくあるのであれば・・・・あれば、被撃墜機の搭乗員の救出も行うべき、では・・・』
『ああ、落された搭乗員を捕虜にされるのも、困ったものだからな。事態を理解してくれて実に結構。長官、陸軍に対しての恩の売り時でもあるかと。13戦隊と駆逐隊の一つを向かわせましょう』
落ちた搭乗員を回収をしてくれるというのは、陸軍航空隊の面々にとっては安心材料となるだろう。帰還のための目印にもなる。そして意を翻した以上ただでは転ばない、さすがと言うべきか。それでいて、どういう事をしてくれたのか、という釘も忘れないでいる
『段取りは参謀長に任せる。それから、あまりいじめてやるな。貴官ほど私も彼も頭はよくない』
栗田長官が苦笑しつつ続ける
『志摩中佐、君は海上勤務はどれほど?』
『思わず海大を目指すことになりまして、規定の分は、以前』
腕を失う前に、蓼や厳島、そして山城での乗り込みは済ませてある
『・・・そうか、艦によっては人員に欠員が出ているに違いない、海上に出てもらう事も考慮に入れておきたまえ、今日は上陸だろう。ご苦労だった、あとは任せたまえ』
海大という部分で長官の表情がこわばったが、すぐに相好を崩して退出を促す。何かまずいことを言ったかもしれない。いや、まずいことはさっきから言っているのだろう
『はっ!失礼します』
畑野大佐からも掴まれた腕を離され、肩に軽く拳をもらう。いや、本当に申し訳ない
来た時と違い、そそくさと部屋を辞す。まだ、日英両軍にとっての長い一日は終わりそうに無かった
感想・ご意見等お待ちしております
今回の変更点
バイエルラインなどとの接点
・艦隊司令部の参謀らの具体化
・陸軍代表の本間さんから百武さんの変更
・攻撃決定のプロセスの変化
・あー、心が由良由良するんじゃあ(次回予告)