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戦火の足音

1942年2月2日、東京・首相官邸



永田町二丁目1番地に存在する首相官邸に来客が訪れたのは、ちょうど夕食が済んだ夜分であった。純白の制服を来たその人物は、首相でもあり、親友でもある先輩の姿に驚いた。話題を切り出す以前に心配の言葉が先に出てしまう

『米内さん、大丈夫なのですか?』

米内光政。二度目の首相大命を受け、官邸の主である彼は、元来ふくよかな美男子として知られた存在であるが、現在のように頬までこけてしまっていてはその面影もない。ただ、目だけが精力的に光っている

『帯状疱疹がなかなか、ネ。どうにも疲れているよ。そして、陣中見舞いすまないネ山本君』

と、盟友である制服の男。山本五十六海相に苦笑しながら答えた。山本が持ってきた地元岩手の酒を手に取って今度は本当に好々爺といった顔をしてみせる

『いえ、議会の連中もうるさい中、こちらも助け舟を出せず、申し訳ない』

大隅海峡事件と命名された英東洋艦隊が起こした漁船相手の衝突事故は、国際的には日本の海軍戦力に疑いの目を向けられることになった大きな事件であったが、国内的にも、米内が最初の首相就任時に発生した浅間丸事件と同じように遺憾の意で済ませようとしたそれを議会と新聞マスコミはセンセーショナルに取り扱っていた。曰く、米内内閣は要無い内閣、あるいは良う無い内閣。曰く、米内内閣は弱腰、外交奴隷内閣、乞食内閣。そういった文言が飛び交っていた。針のむしろに座っているようなものだ

『いや、岡田さんや鬼貫、あまつさえ陛下にも気を使ってもらっているからネ。なんとかやっていけているよ』

岡田啓介および鈴木貫太郎。両人とも海軍の大先輩である。それに陛下の信任が篤いとなれば、退いてはおれぬ。そう目が語っていた

『で、陣中見舞いだけに来たのではなかろう?』

酒の肴として出された湯豆腐に葱と醤油をかけつつ、先に米内が切り出す

『上海初の外電になります』

その言葉に、険しい顔で山本は紙を手渡す。

『もの自体は黒潮会からのもので、外電を傍受しての物とのことです』

黒潮会こくちょうかいとは、各報道機関の海軍省における記者クラブの事であるが、山本が次官として現職の頃から人気があり、一種のファンクラブと化していた。

『これでは交渉の仕様がない。それと、外電として発信している都合上、他の新聞社も明日の朝刊、遅くとも夕刊には全文掲載されるでしょう』

英字のままの紙面を読み終えた米内がこめかみを押さえる

『海軍戦力の調査団受け入れと既存、あるいは新造の全戦艦の解体とは・・・ロンドン第二次海軍軍縮会議の意趣返しのつもりだろうね』

初期案としてロンドン第二次海軍軍縮条約会議に於いて日本は、戦艦の全廃を視野にいれた提示をした。これを叩き台にするとしても、それこそ大規模な軍縮を求めて来よう。実際戦力は増えている

『問題は・・・』

『わかっておるよ』

山本の言葉を米内が遮る

『これが片務的なものであるということだ』

参戦していないうえで、軍縮を唱えるのであれば、それこそヴィンソン案などを進めている米国自身もそれを行い、相務的に行うのが筋だが、それに一切の言及はない

『仮に受け入れたなら戦争は避けられそうですがネ』

『それが出来るとは山本君も思っておらんだろう?わかった。貧乏クジは全部私が引き受けよう。行くも戻るも海軍にとっては大きな試練となる』

山本は居住まいを正した。米内は決を断じたのだ

『省益のために戦争を起こしたと言われるかもしれんがね。海軍艦艇とて、陛下の、ひいては国民の財産だ。これをいいようにされるままでは国家が成り立たぬ・・・山本君。のるかそるか、だ。政府はなんとしても抑えて和平が出来る状態に持っていこう。もしもの場合は、あとを頼む』

もしもの場合・・・米内の今の痩せ細った姿を見ればそれもさもなんだろう。山本は米内の目を見て頷いた

『しかし、この戦争は極力受け身でなければならない』

『承知しております』

まずは一撃を受ける。ならば、それを誘発する手段はあれしかない

『栗田君に物資の切り売りを許可します』

『そうだな。こちらはお上に参内せねばなるまい。急ごう』

米内は注がれていた杯をあける。その酒は思いの外苦かった



1942年2月9日、マニラ・キャビテ軍港



天然の良港であるマニラ湾を背に、その男は語りかけた

『このハートの呼び出しに各国の提督の方々、集まっていただき、誠、恐縮です』

東アジア艦隊の主、トーマス・C・ハート中将が挨拶をする。集まったのは彼を含めて四人。その人物らを連れてきたカタリナが司令部からの窓の外に憩っている

『英海軍東洋艦隊、トム・フィリップスです』

『オーストラリア海軍艦艇を預かるヴィクター・クラッチレーです、よろしく』

『蘭海軍、カレル・ドールマンだ、よろしく頼む』

それぞれが簡潔に自己紹介する。階級として一番上となるのはフィリップスの大将であるが、場所が場所であるので譲られたがまず上座にはハートが座った。

『ここに集まっていただいたのは他でも無い、日々強まりつつ脅威に対しての南シナ海の安全確保の為です』

ハートが指揮棒をとりだした。黒板に士官らが地図を張り、それを指す。脅威というのは他でもない。日本の事だ

『先日の我が国の声明の後、かの国では通信量が大幅に増大しつつあり、これを我々は出師出撃・・・・いわゆる戦争準備と見ています。大陸との交通量もその頻度を増しており、戦力移動のためであると確信を持って言えます』

しかし、そういうハートの顔は暗かった

『・・・残念ながら、このフィリピンには資源がさほど産出致しません。南と較べ全くと言っていい程です。工業力についても信頼のおける状態にありません。ですから、我々は常に本土から輸送を行ってきました。それをこれからはあなた方と交えて行いたい』

一人が手を上げる。ヒゲの濃い男、クラッチレーだ。彼は今でこそオーストラリア海軍で指揮を執っている形であるが、世界大戦初期のナルヴィク海戦やマタパン海戦など大きな海戦に関わっており、ここにいるだれより実戦経験という意味ではヴェテランであった。

『しかし貴国とそれを行うとして、補給の繁雑さが増し、それぞれの海軍が行うより逆に補給の能率が落ちるのではないかな?ハート中将』

頷くハート。英連邦や、それに近いところにあるオランダ海軍のそれは規格的に不具合が生じにくい。その面はクリアしていく必要があるだろう

『ごもっともです、規格や使用燃料、書類をすり合わせる必要があるでしょう。ですが』

掛けてある地図の上を指揮棒をなぞる。

『現在こそ旧日本領、内南洋は我が手中にあります。しかし、その土地に我々は必ずしも慣れている訳では無く、防衛態勢も未だ不十分と言え、思わぬ苦戦を強いられてしまう可能性があります』

地図の上で×を内南洋に描く。今の在内南洋の戦力は微々たるものだ。とても現状のままで維持できるものではない。ハワイ−フィリピン間の距離もそうだが、ハートは元々潜水艦畑の人間であり、通商路については一家言あった

『日本の反撃でこのまま無策の状態のまま、補給線を閉ざされたならばこのフィリピンは容易に枯渇します』

ここには居ないが、マッカーサーの言う在フィリピン陸軍航空隊による日本本土への爆撃行を行うには多量の爆弾、燃料を必要とする。それに戦闘に伴う機材の消耗。今でこそ台湾への日本の航空隊配置は我々を刺激しない為か、行われておらず、幸いにも無視していい。しかし、そんな幸運が続くとはハートは思っていない。

『補給が続かなければ戦えない。内南洋が落ち、ここが落ちたら、次は香港、シンガポール、バンドン、ポートダーウィン・・・ドミノ倒しだ』

額の広い男。ドールマンが唸った。かの国オランダはすでに本土がドイツの手に落ち、領土といえる中でオランダ領インドシナすら失ってしまうというのは恐怖以外の何物でもなかった。

『加えてもし、各地で我々が別個に日本軍に対応しても、各個撃破のいい的です。現在の戦力では、御三方と合わせたとしても状況不利には変わりありませんが、ずっとマシです。ずっとずっとマシです。ですが、ここで日本の戦力を最大限引き付け、出来得るかぎり長く戦い続ける事ができれば』

指揮棒をハワイから内南洋へと指す

『合衆国は日本に対し、加速度的に圧力をかけていく事が可能になります。これは皆さんの負担の軽減にも繋がることです。その為にも、南シナ海を預かる我々の物資、そして指揮の共有化を進めていきたい』

これが私に出来る唯一にして最良手です。と、ハートは指揮棒を置いた

『我々は東南アジア自体を後退陣地とし、それで防御に縦深を持たせようと言うのだな?』

クラッチレーが納得したと腕を組んで顎髭を撫でながら頷いた。

『まぁ、それしかないでしょうな』

と、ドールマンも渋い顔で賛意を示す。

『ただ、仮にフィリピンが陥落したとしても抗戦してくださるのでしょうな』

と、それだけは念をおした。その意を受け、ハートはフィリップスに向き直った

『艦隊指揮は戦艦と空母をお持ちのフィリップス提督にお任せしたい。この地域で戦いぬく上で最終防衛ラインであるマレー半島を取り扱う上でも依頼したい』

それまで話を黙って聞くに留めていたフィリップスも頷いた。

『謹んでお受け致しましょう』

合意が達したことで会議が一度お開きとなり、それぞれの幕僚達が提督と話し合い、自己紹介を挟んでABDA艦隊の運営に向けての打ち合わせを始める

『フィリップス提督』

ごった返す会議室で、フィリップスにハートが近づいて声を掛けて来た。フィリップスも幕僚たちを手で抑えて席を立つ。二人さしで話したい事があるのだろうことは、おおよそ把握できた

『感謝を、提督。提督は南九州まで進出されて日本と接触なされましたが、どう思われましたか?率直にお聞かせ願いたいのですが』

フィリップスは目を閉じ、一拍おいて述べた

『良く訓練され、良い指揮官が居る、楽に、そして短期間で勝てる相手ではない。まさに強敵と言ってよいでしょう。こちらから情報を提供させていただいた二種の新戦艦、特に大型艦の方については驚異という他ありません』

確信が持てたというようにハートも頷いて同意する

『そうですか・・・私も今回仮定での話をしましたが、内南洋で我が軍は一敗地にまみれるのではないかという悪い予感がしてならないのです。近くに居るからこそ、解るのですが彼等は強い。間違いなく、強い。いえ・・・そのような認識をお持ちでしたら良いのです。太平洋艦隊には、内南洋を取ったことで、もう勝った気になっている者も多いのですよ』

その一言にハートの苦悩が滲み出ている。ハワイには九隻もの戦艦が存在するというのに、東アジア艦隊には一隻も寄越そうとはしない。太平洋艦隊にはさらにノースカロライナ級二隻の追加すらあるというのにだ

『余り自国の敗北を言うものでは無いですよ、ハート提督。現に我々はここにあり、戦い続ける覚悟を持つ事が、今我々には重要なのです』

心配も過ぎれば部下に感染していく、勇将の元に弱卒なし、戦う姿勢を見せることが重要なのだ。将であるためにはむしろ戦を楽しむぐらい必要だ、と言っても良い

『わかっては、いるのですがね・・・』

『当たり前の事ですが、我々はそれぞれの祖国が勝つために存在しています。我々は勝ちます、最終的には、ね』

確かに戦闘には何度か負けるかもしれない。戦後の世界に自分自身は居ないかもしれない。だが、祖国は必ずこの戦争に勝つ、ならば良いではないか・・・ここまで割り切るのは難しいかもしらんが

『いけませんな、私は・・・己の職分を忘れ、置かれた状況に腐していたようです。ともかく、引っ掻き回してやらねばなりませんな』

そう言ってニヤッと笑うハートを羨ましく思う。私から見れば、合衆国の人間は基本的に陽性の人間だ、そしてそれが彼等の持つ美徳でもある。

『勝ちましょう、提督!』

ハートの差し出した手をフィリップスが握り、がっちりと握手は交わされた。時に、英機動部隊によるバーリの日本艦隊空襲まであと5日の事であった。




ABDA艦隊所属艦艇


戦艦 プリンス・オブ・ウェールズ レパルス


空母 インドミタブル ハーミス


重巡 ヒューストン コーンウォール オーストラリア キャンベラ ドーセットシャー エクゼター


軽巡 ボイス フェニックス マーブルヘッド アキリーズ パース ホバート ジャワ スマトラ

    デ・ロイテル トロンプ ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク モーリシャス


駆逐艦 米クレムソン級13隻 豪駆逐艦7隻 英駆逐艦15隻 蘭駆逐艦5隻


潜水艦 米29隻 蘭8隻 

感想・ご意見等お待ちしています


変更点

・内閣と外交状況の明確化

・ABDA艦隊の戦力の増強・明確化

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