暗黒の頂きの向こうへ
暗黒の頂きの向こうへ
第一章 審判の日
魂をえぐるのは、これが3度目だ。
悪魔なのか天使なのか絶望と希望を引き連れて、ときの結び目に舞い降りた。 決着をつけるために。
「かすかに聞こえる。 空から何かが」
西暦2047年2月13日、アメリカ・ニューヨーク州ハドソン郊外の孤児院でのこと。
鮮やかなコントラストが彩る緑色の丘で、あどけなさが残る少女が長い髪をなびかせ、ほんのりと赤みを帯びた桜の木に寄りかかる。
さわやかな風でひらひらと花びらが舞い、りんごのような少女の頬をつたう。 柔らかい空を茜色に染めた夕日を寂しそうに見つめている。
そこに満面の笑みを浮かべた訪問者がそっと歩み寄った。
少女は気付き一瞬の笑顔の後、少し頬をふくらませてみせた。
久しぶりの訪問者の袖をつかみ視線を逸らして不満そうな表情で問いかける。
「いままでどこに行っていたの……?」
「ごめんね、なかなか会いに来られなくて。 元気だった……?」
訪問者はゆっくりとしゃがみ申し訳なさそうに謝った。
「私、ともだちがいないから寂しかった。 今日怖いことが起こると言っていたけど何が起こるの。 私どうしたらいいの?」
「どうしたらいいのかは教えてあげられないけど、どう生きるかは教えてあげる。 人は皆幸せになる権利がある。 絶対に諦めてはいけない」
少女の体を力強く抱きしめて暮れる夕日を睨みつけた。 その目には涙に沈む真っ赤な夕日が映っていた。
「もっと力があれば助けられるのに本当にごめんね。 でも絶対に変えてみせる。 何度繰り返すことになろうと」
少女の細い髪をゆっくりとなで何度も何度も謝るその仕草に少女は癒され目を閉じた。
訪問者は歯をくいしばり少女の体を優しく離し胸元から鋭利なナイフを取り出した。
思い詰めるように見つめ荒々しく突き立てる。 魂を切り裂く運命に悔しさ込めてガリガリと刻み込んだ。 桜の幹には何かをカウントするかのように、いくつものX印が記されている。
「今度こそ絶対に変える。 全ての人を敵にまわしても……」
「何をしているの?」
突然の行動に少女は小さい体を震わせた。
その瞬間、太陽が墜ちる激しい閃光が走った。 地鳴りのような轟音が響く。
「怖い……」 少女は訪問者に抱きつき顔をうずめた。
「怖がらせてごめんね。 安心して大丈夫だから。 必ず明るい世界にしてみせる。 新しい世界を信じている、希望の未来を信じている、絶対に変えてみせる」
辺りは一変する。 グツグツと煮えたぎるマグマのような熱風が渦を巻くようにうねり、全ての生命を呑み込みながら美しい丘を駆け上がる。 満開の桜の花びらは儚く一瞬にして二人の頭上を舞い上がり真っ赤に光る天空へと消えていった。
人類が手にした悪魔の最終兵器は世界中の大地に降り注ぎ、人類は滅亡の危機を迎えた。
第二章 時空警察
「緊急警報、緊急警報」
西暦2085年。 人類最後の地下都市テラ、時空警察本部。
早朝の静けさの中けたたましくサイレンが鳴り響き管制官の緊急入電が流れた。
「こちら管制塔。 西暦2017年5月18日メキシコ・バハ・カリフォルニア・スル州・ラパス付近、緯度24度04分、経度110度22分の地点に複数のダイブアウトによる磁気反応、不法タイムトラベルを確認。
ドームゲートオープン、発射カタパルト準備OK。 第四チーム緊急出動、調査追跡せよ」
「こちら第四チーム、了解。 エネルギー充電80パーセント。 時空移動船ノア出動します」
耳をつんざくような轟音とともに半重力エンジンがうなりをあげる。
「こちらノア時速50万㎞の超高速で成層圏を飛行中。 時空に侵入します」
「マリア様、出力オーバーです。 進入速度が速すぎます」
「ハル、うるさいわよ。 コンピューターはターゲットを監視していればいいの」
「了解しました」
西暦2079年、時空の入口、タイムゲートが発見される。 過去と未来の双方向のときの流れが存在し激しい渦を巻いていた。
翌年、科学者ロイ・ミラーによりタイムマシーンが発明される。
大衆は科学技術の進歩に沸いたが歴史変更を企てる犯罪が急増。テラ政府はタイムトラベルによる時空侵入の禁止条例を制定し不法侵入者を検挙した。 その名は時空警察blitzである。
「こちら時空移動船ノアパイロット、マリア・ヘンデル中尉。
西暦2017年5月18日にダイブアウト。 大西洋上空を飛行中、時空レーダーに侵入者のダイブアウトポイントを数ヶ所確認、時空に再突入します。 現在飛行速度20万㎞、守、隆一、10秒後に時空に侵入する。 ダイブ準備」
「了解、侵入者のダイブポイントを確認次第ダイブする」
神村クルーズ守と古代隆一は、いつものようにアイコンタクトする。
ゴーグル内に写し出される進入ポイントを確認した。
「ノア時空に侵入します」
マリアの声が大きく船内に響きノアは時空の歪みえと消えていった。
「こちら守。 ダイブポイントを確認、追跡ダイブする。 侵入角度50、ダイブ」
二人はタイムトラベル装置ダイブスーツに身を包み、渦の中へとダイブして行った。
「ヒャッホー……。 毎回ダイブの瞬間は最高だなー、まるで奈落の底に落ちて行くようだ。 ぞくぞくするよ……」
「隆一、お前は何度言っても変わらないな。 侵入角度を間違えてブラックホールにはまっても俺は知らないからな……」
「大丈夫だ、俺はお前よりダイブはうまい。 へマはしないさ」
守と隆一は凄腕の時空ダイバーである。 少年時代そして時空警察学校から切磋琢磨するライバルであり親友であった。
「俺は時空レーダーを注意深く確認しながら追いかける。 隆一は、このまま追跡を頼む。 ターゲットの目的地で落ち合おう」
「了解。 いつものように、さっさと片付けよう」
隆一は気づかれないように距離を一定に保ち蛇行するタイムトンネルを飛行する。
「こちら隆一、武装したターゲットは時空空間を抜けダイブアウト。 西暦2020年8月4日のメキシコ・チワワ州フアレスに進入。
ここは異様な世界だ……。 外灯に照らされた橋には何かがぶら下がっている。 あ、あれは人間だ。 首を吊っている。 橋の手すりにはオブジェのように生首が並べられ、さらし者だ」
「フアレス……! 麻薬捜査で聞いたことがある。 核戦争前の世界で一番危険な街だと! ハル、フアレスを検索、説明しろ」
「了解しました。 メキシコ・フアレスは麻薬、拉致レイプ、人身売買、臓器売買、殺し何でもありの危険地帯です! 犯罪組織は麻薬をアメリカで売り武器を輸入し軍隊並みに武装しています。 組織員は元軍の特殊部隊出身者が多く強力な戦力を保持しています。 年間千人以上の女性を拉致監禁しレイプした後、体を切り刻み臓器を売りさばいています。 この町は無政府常態です。 追跡中のターゲットは指名手配中のマフィアです」
「いつの時代も犯罪組織は薬と武器と権力を欲しがるものだ」
「なるほど、マフィアの欲しい物が一度に手に入る計算か! やれやれ今回の検挙も激しいものになりそうだ! 守、俺はステルス光学迷彩で姿を消して監視を続ける」
「真面目にやれよ」
「俺はいつでもマジだぜ」
しばらくすると隆一の元へ守が合流した。
雲の隙間から差し込む月あかりがコンクリートで覆われた、まるで要塞を思わす建物を照らし危険な香りを漂わせている。
「ターゲットは河川敷にある建物に侵入した。 恐らく麻薬組織の拠点だ」
「警備員が武装しているところを見ると、ただではすまないな」
「ドガガガガガガガガガァァァァァァァーン……」
とつぜん会話を断ち切る爆発音が響き渡った。
「こちら守、突入する」
「こちらマリア、急行する」
「こちら隆一、ただいま試合開始のゴングが鳴りました。 カーン……」
「お前は何を言っている」
守は鼻で笑いダイブスーツのパワーを上げ建物内に飛び込んで行った。 おどけた隆一は、ゆうちょうにクラッシック音楽をかける。 激しい修羅場の世界とスローな音楽とのミスマッチを楽しむために。 そして守の後を追い爆発音の元へ向かった。
「ダダダダダァァァァァァァーン……」 「ドドドドドドドォォォォォーン」
けたたましい銃声音が次第に大きくなっていく。 手榴弾の炸裂で鉄筋コンクリートの壁が小刻みに揺れ鉄骨の柱に亀裂が走る。 頭蓋骨をグリグリと削る凄まじい音がする。 しかし二人は無数の銃弾が飛び交う混乱の中を当たり前のようにすり抜ける。 まるで音楽に合わせて踊っているように。
「まずい時空警察だ。 動きがまるで見えない。 こんなに速いのか! ぜんぜん当たらないぞ。 こいつはヤバイ……。 どこでもいいから撃ちまくれ」
マフィア全員が狂ったように弾丸の雨を降らせ手榴弾を投げつける。 爆風で舞い上がったがれきが渦を巻き息もできない。
「勘弁してくれよ。 建物が崩れるだろ! やみくもに撃っても当たらないぜ。 守、早くかたづけて冷えたビールを飲もう」
「この場面で飲む話をするかよ。 あきれるぜ……」
ダイブスーツの性能もあるが二人は幾度となく背筋の凍る死線をくぐり抜け今ではリセットできないゲームを楽しむように電子手錠で動きを封じて行く。
最後の一人となったマフィアが狂ったようにショットガンを乱射するが、まるで歯が立たない。 赤子の手をひねるように二人は汗もかかず短時間で全てのマフィアと麻薬組織を拘束し事態を沈静化する。 守と隆一のコンビは時空警察きっての検挙率を誇っていた。
建物内を調査するとコカインが所狭しと置かれている。 大量に並べられたマシンガンの銃口が不気味に光り地下通路の入口を指さしている。 奥からは甲高い金属音が聞こえ澱んだ空気が立ちこめている。 階段を降りて行くと鼻を突く異臭がする。 ジメジメとした換気の悪い通路に夥しい血痕。 靴底が張付くような気色悪い感覚が伝わる中を進むと、目を覆いたくなる光景が広がっていた。 金属製の鋭いフックに吊るされた女性からは大量の血液がボタボタと流れ落ち床一面が血の海である。 まだ生きながら吊るされている人間。 両手をもがれ、うめき声を上げる体。 水溶液に沈められた臓器。
「クウィィィィィィィィィィィィィーン……」
手術台に横たわる体にはチェーンソーが残され不快な金属音を上げながら切り刻んでいる。 入口で聞こえた音の主はこれであった。
「地球の反対側では東京オリンピックが行われていると言うのに、ここでは人肉祭りか」
守が皮肉を込めて言い放った。
「こちら隆一、ターゲットを拘束。 被疑者のデーターと麻薬、武器、現場の画像データーを送る」
「こちらマリア。 時空警察本部にデーター転送してターゲットが時空侵入する前に拘束、そして犯罪の歴史を削除してもらうわ。 本部と麻薬取締局に現場引継ぎの要請を行なう」
しばらくすると麻薬取締局が現れた。 警察学校で同期のロイ・ヘンドリックが、押収品のヘロインを握りしめ見下すように話しかけた。 「久しぶりだな、守。 噂は聞いているよ。 時空警察には優秀な日本人がいると。 俺たち麻薬取締局にも回してほしいね。 だが長居は無用だ。 遠慮なく帰ってくれ」
「マフィアが時空へ不法侵入した。 捜査権は時空警察にもある」
「ふふふ……。 時空警察さんは、いま忙しいのだろう。 歴史変更を企てるテログループの捜査で、いっぱい、いっぱいって噂だ。 なんなら出来の悪い日本人でも貸そうか?」
「ふざけるな。 俺と守ならマフィアなど数日で全員検挙してやる。 麻薬取締局など必要ない。 おれたちの下で使ってやるから首を洗って待っていろ。 時空空間を引きずり回してやる」
時空警察と麻薬取締局は、表向きは協力していても本質では
いがみ合い捜査協力も稀薄であった。
マリアは任務を終えた守と隆一を乗せ、時空の渦へと帰投していった。
「こちらノア、侵入許可を願います」
「こちらテラ管制塔。 ドームゲートオープン、そのままの速度で侵入し第四ドックに着陸せよ」
「了解。 ハル、後は任せたわ。 報告書作成とバックアップを私の個人ファイルに転送しておいて」
「了解しました。 マリア様は最近、人使いが荒いですね」
「あなた最近言語能力が上がったわね。 どうせ隆一に入れ知恵されたのね。 褒美に強制終了してあげるわ」
時空警察本部に戻った三人は検挙の成功と、過去と未来に区切りをつけるために本部内にあるスタンドバーで一時の安らぎを味わった。 大型モニターには誰も関心がないテラ大統領と時空警察長官の毎度お決まりの記者会見がながれている。
酔いが回ったマリアが金色の長い髪を掻き分け、後味の悪い現場を忘れるように、ふざけながら隆一に噛み付いた。
「隆一、毎回ダイブの時にふざけ過ぎじゃない。 建物に踏み込む時の合図、カーンって何? まるで緊張感がないわ」
「あの一言で体がほぐれる。 踏み込む時の選曲も最高だろ……。 俺たちにとって今回の検挙は楽勝だ。 俺一人でも充分拘束できた。 そうだろ守……。 それにしてもロイ・ヘンドリックは嫌な奴だ。 俺は大嫌いだ」
あきれるマリアをよそに隆一は作戦の成功に満足げであった。
守は二人を横目に記者会見をぼんやり眺めながら感じていた。
このチームは最高だと。
目を閉じると三人が初めて出会った三年前の場面を思い出す。
時空警察官の技能向上のために二年に一度開かれる格闘技大会。
男子決勝戦、大観衆にわく競技場。
審判が試合開始のアナウンスを告げた。
「ただ今よりミドル級、75kgから81kgの決勝戦を行います。 競技者の装備はダイブスーツと電子サーベルの放電量を一番低いレベルに設定し100メートル四方の空間で競い合います」
注目の対戦カードに客席から歓声があがる。
「神村クルーズ守、古代隆一、入場。 両者スポーツマンシップに則り正々堂々と戦い電子サーベルが体に触れるかギブアップした時点で試合終了である。 それでは試合開始」
「ファイト」
二人はバトルフィールドを時速200㎞を超える勢いで飛び上がった。 お互いが望んでいた戦いに笑みを浮かべる。
「隆一、この試合もらうぜ」
「それは俺の台詞だ」
手の内を知り尽くしている者同士、序盤は探り合い。 ゆっくりと速度を上げバックの取りあいである。 準決勝までの物足りない試合を忘れたように高揚している。
「守、なかなか速いな」
「まだまだ序の口だ、もっと速度を上げるぜ」
「望むところだ。 電子サーベルを抜いて決着をつけるぜ」
二人はバチバチと火花を散らしながら何度も何度も電子サーベルを打ち込んで行く。
空中に無数の8の字を描くように無限マークを象徴するメビウスの環を描くように縦横無尽に駆け巡る。 まるで二人が奏でる激しいラテンダンスのように。
レベルの高い試合に、だれもが固唾を呑んだ。 重力の逆転した二人だけの世界をビデオ判定用のカメラが高速で追いかける。
目が回る。 エスカレートした動きに観客は付いて行けず悲鳴をあげた。
その瞬間目が覚めるような鐘が鳴った。
「試合終了。 判定に入ります……」
あっと言う間の5分間、試合会場の視線が審判団に注がれている。 誰しもが息をのみ接戦の判定に注目している。
審判長がマイクを持った。
「勝者……。 神村クルーズ守」
場内は割れんばかりの大歓声。 賞賛と不満で興奮状態である。
二人は答えるように手を振り会場を後にした。
「隆一、悪いな。 これが実力だ」
「判定がおかしい……。 俺の方が押していたけどなー」
「その通りよ、今の判定は完全におかしいわ。 ジァッジが間違っている」
「なに、誰だ貴様……。 言いがかりを付けるのか?」
「神村クルーズ守、アメリカ人の父と日本人の母とのハーフ、年齢28歳。 身長181cm、体重80㎏。 格闘技能テスト96点、ダイブテスト98点。 差別を克服し孤児院出身の古代隆一と共に十年前に警察学校に入学。 今年少尉に昇進。 時空不法侵入者検挙率はナンバーワンの85パーセント。 温厚そうな表情とは裏腹に悪を憎み危険を顧みず立ち向かう。 並外れた運動能力を持ち今大会で優勝。 今行われているヘビー級の試合がまるでスローモーションのよう。 二人の試合、凄かった。 しかし隆一選手は完全に、あなたの動きを見切って電子サーベルを打ち込んでいた。 わざと判定負けをするように」
「なんだと、お前は何者だ」
「私はマリア・ヘンデル中尉。 数日後辞令が出て、チームを組む時空移動船のパイロットよ」
「上官ともなると辞令前に個人データーを見られるのか。 部下の能力を監察して楽しんだか。 隆一、注意したほうがいいな。 中尉様はストレートにものをいいやがる。 だが好きだぜ、ハッキリした女は」
「私は使えない部下とは組まないわ」
初めて出会ったマリアの眼光は美しい容姿とは裏腹に渇きを抑え獲物を追う獣のように鋭かった。
守はゆっくりと目を開けグラスの氷を口に含んだ。 そしてまだ続いているマリアと隆一の言い争いを笑いながら見つめた。 今も変わらない。 その眼差しを、はっきりと思い出す。
このチームには自信と信頼とユーモアがある。 何よりも深く変わることのない絆で結ばれている。
第三章 人類の罪
「こちら管制塔、西暦1991年11月3日、緯度153度59分、経度24度16分の地点に複数のダイブアウトによる磁気反応を確認。 第四チーム緊急出動。 調査、追跡せよ」
「了解。 ノア出動します」
時空移動船は放射能が渦巻く空へと消えて行った。
「こちらマリア・ヘンデル中尉。 西暦1991年11月3日にダイブアウト、太平洋上空を飛行中。 時空レーダーに複数のダイブアウトポイントと侵入ポイントを確認。 10秒後に時空に再突入します。 ダイブ準備」
守は船体後部のダイブドアのスイッチを押した。
ゆっくりと開くドアの向こうには激しい流れが渦を巻きながら磁場を発している。
守と隆一は無事を祈るように拳を合わせ暗黒の世界にダイブして行った。
「こちら守。 ダイブアウトポイント確認、急行する」
「前方に光が見える。 侵入者がダイブアウトして出来た扉が開いている」
「隆一、スピードを上げるぞ。 扉が閉まる前にすり抜ける」
二人は侵入者の後を追うように扉を抜け時空空間を飛び出した。
そこはまばゆいばかりの星空が輝く銀世界。 アジア大陸が一望できる高高度。
「こちらマリア。 西暦1972年4月28日緯度34度40分、経度135度30分地点に、新たなダイブアウトポイント確認」
「こちら守、了解」
「守、マリアが伝えたポイントとは違う別のポイントが現れた。 やつら様々な時代に連続ダイブアウトを繰り返し俺たちの追跡をかく乱している。 時代検索が難しい……」
「なるほど、そういう作戦か。 マリア、ダイブアウトポイントの痕跡を複数確認。 時空レーダーで侵入者を追跡する」
二人は強いストレスを抱え暗黒の空間を何度も行き来する。
「10キロ先にデーターに無いポイントを発見。 電子銃で時空空間をこじ開け連続ダイブを繰り返す。 ブラックホールに落ちる危険性があるが仕方がない。 タイミングを合わせてついてこい」
「了解だ。 守、やはり時代検索が間に合わない。 何か意図があるかもしれない、注意しよう」
「そんな見え見えの戦法など通用しない。 俺たちをなめるなよ。 時空レーダーなど手助けにすぎん。 本能で追いかけてやる。 磁気反応がある。 やつらの尻尾を捕まえた。 追跡できる」
「マリア、俺と守は目視でターゲットを追跡中。 しかし時代検索ができない。 ダイブアウトポイント8000メートル上空から急降下し超低空で調査開始する」
二人は一抹の不安を感じながら慎重に近づいて行く。 すると守にとって以前見たような何か懐かしい光景が広がっていた。
「あれは何だ。 厳島神社か、ここは広島か?」
「守、1km先の小学校に侵入者の磁気反応を確認。 着地して捜査開始する」
守と隆一はステルス光学迷彩のスイッチを入れ小学校の校庭に降り立った。
笑い声が聞こえる。
「子供たちが元気に遊んでいる。 皆楽しそうだ。 あれは野球って遊びか?」
「そうだ、ベースボールってやつだ」
大勢の日本人、楽しく遊ぶ子供たちの姿に守は胸が高鳴った。 隆一にとっても、これほど多くの子供たちを目の当たりにするのは初めてであった。
「こっちでは縄跳びか、ここには日本人が大勢いる。 嬉しくなる」
「当たり前だろ、ここは日本だ」
「守、見ろ。 そこの可愛い女の子、おまえの親戚かもしれないぞ?」 守の気持ちを知ってか隆一が冷やかしをいれた。
その言葉にわざと反応しない。 守にとって広島はいつかダイブしてみたい世界、神村家の故郷であるという強い思いがあったが過去に対する違和感がブレーキをかけ行くに行けないもどかしさを感じていた。
「レーダーに強い反応がある。 ダイブアウトの磁気データーと照合確認。 守、今日も早めに片づきそうだ……」
「待て、何かおかしい。 謎の男が少女を抱えて立っている。 なぜ逃げない?」
「観念したのか、間抜けな奴だ。 検挙されれば過去に遡り組織全員が拘束されるというのに。 こちら隆一、ハル俺のコンピューターでは時代検索が追い着かない。 検索を頼む」
「こちらハル、ただ今解析中です」
「早めに頼むぜ」
二人は光学迷彩を偽装モードに切り替え、謎の男を見据え電子銃をかまえた。
「時空警察だ。 おまえを逮捕する。 無駄な抵抗はやめて少女をこちらに渡せ」
謎の男は微動だにしない。 数百種類の顔を表示する光学マスクをかぶり真黒いダイブマントを身につけている。 そして時空カウンターを睨みつけ秒針の動きと流れる大気にリンクして、ときを感じ語りだした。
「渡すよ30秒後に。 歴史を感じ取れない政府の犬め」
「何だと……?どうゆう意味だ」
「ふふふ……。 馬鹿な時空警察に最高の舞台を用意した。 お勉強のお時間だ」
子供たちの笑い声と笑顔があふれる小学校の校庭で謎の男の殺気と得体の知れない不安が交錯した。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん。 我々は警察だ。 今助けてあげるからね」
守は抱えられた少女に優しく話しかけた。
「ビビビィィィィィィ……」 「ビビビィィィィィィ……」
突然ダイブスーツから、けたたましく警告音が鳴りだした。
「守、デッドサインが出ている! 理由は分からないが緊急事態のサインだ。 時代検索が終わったのか?」
謎の男は抱えていた少女を高々と担ぎ上げた。
「時間だ。 イッツ、ショータイム……。 暗黒の世界にようこそ。 可愛い少女だ。 時空警察なら助けてみろ」
謎の男は守に向かって荒々しく少女を放り投げた。
「なにをする」 守は大声を上げ飛びつくように少女を抱え上げた。
「こちらハル。 隆一様、時代検索が完了しました。 大変です、そこは……」
「危ない、罠よ。 二人とも直ぐに逃げて。 そこは戦時中の広島、580メーター上空で原爆が爆発する。 爆発まであと10秒!」
マリアは叫び、二人のいる地点にスロットルを全開にする。
少女を抱えた守は電流が流れたように硬直した。
「守、少女の救助は無理だ。 ダイブするしかない」
「少女を置いては逃げられない」
「しかし、この時代の人間を連れてダイブすることは規則違反になる。 時間がない」
「ハハハハハ……。 最高の時間を楽しむがいい」
謎の男は高笑いを見せつけるように、ゆっくりと歩きながら去って行く。 その瞬間、太陽の中にいるような閃光が走り強烈な熱風が渦を巻いた。 衝撃の轟音すら聞き取ることが出来ない狂気の世界。生身の体では有り余るパワーに苦痛すら体感できない。
瞬間爆発温度100万度。 太陽の表面温度に匹敵する4千度の炎が凄まじい勢いで吹き荒れる。
「守、時空バリアで衝撃をかわすんだ」
「女の子はどうする……」
「守、早くスイッチを押せ。 間に合わなくなる」 隆一は血相を変えて守に飛びつき緊急バリアのスイッチを押して体制を低くした。
「やめろー。 やめてくれー、女の子が! 女の子が溶けていく。 腕の中で溶けていく」
「グオワアアアアアアアアアッッ……」
あまりの衝撃に息もできない。 しかし指先からは感覚が伝わってくる。 無常にも、ときの流れを遅らせる時空バリアのせいで時間はゆっくりと流れていく。 少女は悶え苦しみ衣服は焼け落ち白く美しい柔肌は赤身に染まる。 体内の脂分が皮膚を焦がし真っ黒く爛れた体はグツグツと内臓が煮えたぎる……。 その姿形は幼い少女でも人でもなく、ただただ死臭を巻き上げる肉の固まりであった。 温もりのあった少女はチリとなって舞い上がり守の腕の中から跡形もなくすり抜けていった。
「これが核か……。 これが人間のやることか! こんな歴史があっていいのか」
目を凝らして小学校の校庭を見渡せど無邪気に遊んでいた人影も笑い声も無い。 人間とも区別がつかない躯が火炎流に巻かれ漆黒の闇へと消えてゆく。 幾万の魂が葬られ悲痛な叫びが聞こえる。
体中の血液が逆流するかのように押さえようもない怒りが全身から込み上げてくる。 黒々と立ち昇る雲を見上げ少女を抱えていた両腕を震わせながら突き上げた。
「ウオアアアアアアア……」 「ウオアアアアアアア……」
守は何度も叫び続けた。
「守、大丈夫か?」 隆一も声をかけるが原爆の衝撃で放心状態であった。
二人は子供の頃、学校で学んだ悪魔の歴史を実体験した。
昭和20年8月6日午前8時15分、B29エノラ・ゲイの原爆で14万人が死亡し70年後の時代でも遺族が分からない816名の遺骨がある。
ようやくマリアの操る時空移動船が変わり果てた世界に到着した。
「本部へ、こちらマリア・ヘンデル中尉。 侵入者は原爆の衝撃によりロスト。 放射能により経路探索は不可能。 ダイバー二人を回収し、ただちに帰投します」
守と隆一は言葉を失い原爆と少女の姿を脳裏に刻み帰投した。
時空警察本部内での状況報告会議
捜査官報告。
「現在、時空不法侵入が多発しています。 中でも日本人テログループXYZは審判の日以前の時代に進入し歴史変更を企てています。 そして進入の痕跡を消し追跡を逃れています。 追い詰められると自爆、もしくはブラックホールにダイブして命を絶ちます。 日本人は何をするか判らない民族です。 我々アメリカ人ヨーロッパ出身の人間には理解不能な人種です。 今後、日本人テログループの監視を強化し排除致します」
審判の日から生き残った人々は広島から始まる核の歴史を振り返り怒りの矛先は日本人に向けられた。 核に対する人類の分岐点問題点は日本人の核意識の低さ、非核への行動力のなさ未来予想の欠如であると。 屈折した歴史学者の核戦争論文の発表も重なり、もし別の国に原爆が落ちていたならば違う歴史があったのではないか? この考えが日本人の差別を招いて迫害されていた。
疲れ果てて帰投した3人を犬猿の仲である第一チーム、グレン・オースチンが待ち伏せて罵った。
「不法侵入者をロストしただと。 さすが第四チーム。
イエローは俺たちが捕まえてやる。 マリア、日本人なんかと組むのはやめて俺たちのチームに入れよ。 同じアメリカ人同士、仲よくやろうぜ」
「まだそんなこと言っているの。 今の地球上にアメリカも日本も無いのよ。 そんなくだらない人種差別する人とは組めないわ」
「そんなにイエローが好きなのか、アメリカ人の犬が! 3Pでもして楽しくやれ、裏切り者」
「グレン。 てめー、マリアに何てことを、ぶっ殺してやる。 日本人をなめやがって、広島の仇をとってやる」
「やめて隆一、お願い。 守も止めて、守……?」
「女の子が腕の中で消えていった……。 助けられなかった」
「守……。 守、大丈夫」
上の空の守は原爆の衝撃により過去と現実との境に整理をつけられず立ちつくしていた。
第四チーム、神村クルーズ守の適性検査が強制的に執り行われた。
「神村クルーズ守、入りなさい」
コンクリートで覆われた無機質な部屋に銀色をした野太いフレームのリクライニングチェアーがある。 そして薄暗く、気色悪い紫色の間接照明。 どれもが気に入らない。 まるで犯罪者を尋問する取調室のようだ。
体にはいくつものモニタリングセンサーを付けられ感情を刺激して深層心理を引き出す。 ときには性格を詰り罵倒してトラウマを分析する。
冷酷そうな男が淡々と問いかけた。
「今から適性検査を行う。 質問に対して感じるままに連想することをいくつか答えなさい。 まずは時空警察について」
「何を今更……」
「答えなさい」
「平和を守る。 テログループを検挙する」
「ではテラについて」
「最後の都市……」
「過去について」
「仕事場、歴史を守る」
「崖の上に立つ君が子犬の首を掴んでいる。 可愛い少女が殺さないでと頼んでいる。 しかし君は手を離してしまった。 なぜかね」
「なんだその質問は。 ノーコメントだ」
「君は泣きながら訴える少女を払いのけ仕事だと言って別の子犬を掴み谷底へと投げ入れる。 我慢の限界を超えた少女は刃物を持ち出し犬を殺すなら私を殺してと訴える。 しかし君は無視して別の子犬を再び谷底へと投げ入れる。 なぜかね」
「ノーコメントだ」
「君は少女に対して、そんなに死にたければ谷底に飛び降りればいいと言い放つ。 なぜかね」
「その質問は日本人以外にもするのか? もう終わりだ」
守は険しい表情でドアを蹴り開け部屋を飛び出した。 そして義務付けられている心理カウンセリングをキャンセルし部署へと戻って行った。
タイムトラベルの歴史は浅く時空ダイバーの精神状態のケアは構築されずにいた。 抜き打ちで強制的に適性検査をされフォローは簡単なカウンセリングですまされる。
統一国家テラは多民族国家であり時空警察はおろか政治、社会、民族で差別問題を抱えていた。
無言のまま帰ろうとする守を心配したマリアが引き止めた。
「大丈夫……。 一緒に帰る?」
「だめだ。 規則で決まっているように時空警察の隊員は一歩建物の外へ出たら赤の他人だ。 いくら清掃局に偽装していても万が一のことが有るかも知れない。 俺は大丈夫だ、なんともない……。 一人で帰れる」
守はコートの襟を立て帽子を深くかぶり雑踏の中に消えて行った。
その姿を見送るマリアは守の運命を考えると複雑な気持ちであった。
無意識の内に家とは反対方向へと歩いている。 吸い寄せられるように薄暗い階段を降りていくと暗闇に引き込まれる。 気持ちの整理がつかない。 原爆の衝撃を引きずりながら行きつけのバーに立ち寄った。 ここは守の心の拠り所である。 店に入ると誰もいないカウンターの隅に腰を下ろし、いつものようにバーボンをロックで注文する。 二杯三杯とたてつづけに流し込む。 いつもより酒の量が多い、ペースも早い。 守はうつむきながら静かにグラスを傾け目を閉じた。
頭の中から抱えていた少女のことが離れない。 少女の叫び声がこだまする。 体の焼ける臭いが自分の体に染み付き放れない。
切り替えができない。 酒の力を借りて忘れることしか思いつかない。 酔いのまわった守は思わず押さえられない気持ちを気の合うマスターにぶちまけた。
「なぜ人間は核戦争を起こした? なぜアメリカは原爆を広島に落としたんだ?」
いつもと様子の違う守にマスターはマドラーをゆっくりと止め眉間にしわを寄せながら、おもむろに口を開いた。
「人間は手に入れた力を使いたくなるもの……!
残念なのは日本に二度も原爆が落ちたこと。 そして日本にしか原爆を落とさなかったこと……。 もし同盟国のドイツに原爆が落ちていたら世界の流れが変わっていたかもしれない……。
日本人がもっと世界に訴えれば、こんな世界にはならなかったかもしれない。 残念だ、世界で唯一核の十字架に選ばれし尊き民族なのに声を上げることが出来ず悲しい歴史の体験を生かすことができなかった。 本当に残念だ……」
「そのとおりだ。 俺たちが悪いわけではない。 悪いのは戦後のうのうと生きた人間だ。 戦争を知らない日本人だ。 ならマスター ……。 日本人の俺は何ができる。 何をすればいい。 今、何をしなければならない。 教えてくれ……」
「今、何をするのかは日本人ではなく、地球人としてではないだろうか」
「地球人……。 そうか、俺は地球人だ」
心の中で何かが弾けた。 吹っ切れたように納得する。
毎日肩肘を張り日本人としてのプライドにこだわっていた自分が別の生き方が出来ると悟った瞬間であった。
マスターは守の表情を見守りながら、かつての自分と重ね合わせていた。 そして守の気持ちを誘導することに少しの罪悪感を覚えた。
守はグラスの下にお札を挟み静かに店を後にした。
その姿を遠くの方まで見送ったマスターは険しい表情でため息をつき腰をおろした。 年代物のウイスキーを傾けお気に入りの葉巻に火をつける。 深く吸い込みテーブルに置くと、ゆっくりと首筋に手を伸ばした。 グラスの中のウイスキーには苦悩するマスターの素顔が映っていた。
第四章 目的の行方
太平洋戦後の日本は復興を終え技術革新を掲げ経済大国の道を歩み始めた。
世界初の高速鉄道である新幹線が西暦1964年に開業。
同年、東京オリンピックが開催される。
人々は日本人であることに自信を深め歓喜の声をあげた。
混雑する東京駅に光学迷彩を解いた男たちが集まる。
新幹線車両内で日本人テログループXYZの幹部会合が行われるために。
XYZのリーダーが通信回線で力強く語った。
「この時代に来ると私は全身にパワーが漲る。 日本人の古き良き時代だ……。 しかし時間など人間が作り出した概念でしかない。 もはや歴史にも意味がない。 タイムマシーンにとって複数の現実が選択肢として存在しているだけだ。 ならば世界で唯一原爆の犠牲になった日本人は屈辱的な歴史の傍観者でしかない。 我々の大義名分は腐った歴史を緑豊かな世界に戻しテラ政府を消滅させる。 そして日本人の誇りを取り戻すために歴史を変更する。 それには世界で初めて原爆を使用したアメリカ人を原爆の犠牲者にしなければ時代は動かない。 アメリカが作った原爆をアメリカ人の頭上に落とさなければ始まらない。 核の加害者であり核の被害者でなければ地球に未来はない。 この考えこそが歴史を変える要になる。 これは神に与えられた日本人の宿命であり、この大儀をなせるのは日本人でなければならない」
テログループのメンバーは会合を終え、それぞれが足跡を残さないよう時空の闇へと消えて行った。 未来への希望を胸に秘めて。
その頃、暗黒の空間を姿を消して移動する船があった。 本来大型の船は光学迷彩を許されていない。時空空間は狭く不安定であるため移動船同士の衝突を避ける重要な規則であった。 その規則を破る極秘行動中の麻薬取締局の船であった。
その船は先日、守と隆一がマフィアを検挙した場所、メキシコ・フアレスへとダイブアウトする。
時空警察に悟られないように、ゆっくりと闇夜を進む。 そして一人の男が雑踏の中に消えて行った。
ネオンサインがひしめく繁華街。 薬の売人や娼婦がしつこく声をかける。 その声を撥ね付け大音量の音楽が響くクラブへと入って行った。
目を細める程のレーザー光線を避け、踊り狂う若者をかき分け薄暗い奥へと進む。 煌びやかなカーテンで仕切られた一番端の席に、お目当ての人物、麻薬組織の幹部が待っていた。
「これが未来だ」
「ふふふ……。 待ちかねたぞロイ・ヘンドリック。 貴様の欲しい物は何でも持って行け。 どう使おうが自由だ」
お互いの利害関係は明白であった。 麻薬組織の欲しい物は未来の情報。 メキシコ警察、ライバル組織それぞれ重要人物の名前と顔写真、因果関係であった。
ロイの要求はヘロイン、武器、娼婦である。 過去と未来を繋ぐ裏社会の犯罪ブローカーで麻薬捜査官の器を利用し私服を肥やすマフィアの幹部であった。
話を付けたロイは闇社会を牛耳る喜びで笑みを浮かべ急ぐようにクラブを後にした。 そして不気味な灰色の空へと消えて行った。
第五章 見上げる空
時空警察第四チームはスクランブル待機をしていた。
守は遠くを見つめ地球人としての生き方を自問自答する。
「守、元気がないわね。 任務が終わったら私と臨時パトロールで綺麗な自然が残っている広島にダイブしてみない」
「広島、俺の先祖が眠る広島か……。 ダイブしてみるか」
守は目を閉じて答えた。 日本人の自分に何が出来るか? そして地球人として何をすべきか見極めるために。
マリアと守は、これからの未来を生きるために過去の広島を目指した。
「こちらノア、離陸許可をお願いします」
「管制塔。 ノア離陸許可します」
太陽の光を閉ざした暗黒の空に時空移動船ノアは飛び立った。
「ダイブアウト。 西暦2010年4月14日、日本上空をステルス光学迷彩で飛行中。 この時代のレーダーには捕捉されていないわ。 守見て。 鯨の親子、向こうにはイルカの群れ、凄く綺麗。 ほんとうに地球って綺麗。 私はこの時代に生まれたかった。 日本も大好き。 食べ物は美味しいし四季があって山も海も大好き。 こんな綺麗な星に原爆を落とすなんて信じられないわ。 人間って愚か。
私と同じ血を引く人間が原爆を使うなんて許せない。 許されるなら今からダイブして原爆の開発者を殺しに行きたい気分よ。 守、そうは思わない?」
守はさめたように水平線を見つめ口を開いた。
「当時、日本も含め戦争国はみな原爆の研究をしていた。 アメリカの原子爆弾開発マンハッタン計画に参加していた科学者のほとんどが失敗を望んでいた。 アメリカ合衆国大統領、トルーマンの長崎原爆投下はソ連へのけん制で政治に利用された。 原爆の破壊力に驚愕した軍部は朝鮮戦争での原爆投下を反対した。 冷静に考えれば当然だ」
「戦後日本人は、なぜ原爆廃止を世界に訴えなかったのかしら。
被爆国だからできる運動、核を使わない核を持たない世界に導けば
未来は救われたかもしれない。 日本人だから出来る日本人の宿命
ではなかったのかしら……?」
「戦争に負けた日本そしてアメリカの核の傘に守られた政府は核廃止などと言えなかった。 情けない。同じ日本人として怒りをおぼえるよ。 侍魂はどこに行ったんだ」
二人は苛立つ心を抑えて広島県の穏やかな農村に降り立った。
春の暖かい日差しを受け、ゆるやかな気持ちになる。 自然に口元がほころぶ。 至福の時間である。
マリアはゆっくりと深呼吸をして両手を空にのばした。
「見て守。 どこまでも透き通る青い空、さんさんと降り注ぐ光、太陽の恵みをうけた野菜、収穫する幸せそうな家族、子供たちの笑い声。 この時代では当たり前の光景も私たちの時代には全くない。 時間に追われることなく私もここで暮らしてみたい。 今までとは違う朝を迎えたい」
「ここでの生活か……。 幸せだろうな」
マリアの遠くを見る眼差しに守は癒されていた。
自分自身マリアに特別な感情を抱いていることに気づいていない。
「時空警察を辞めて緑豊かなこの時代で私と一緒に暮らす?」
「マリア、気遣いはよしてくれ。 俺たちの家は分厚い氷河に囲まれスクリーンに偽者の空を写した空想の世界だ……」
守の心は言葉とは裏腹に現実の地下都市が偽りの世界で、緑豊かな過去の世界が真実だと思わずにはいられなかった。
「守、大丈夫。 義務づけられているダイブカウンセリングは受けたの?」
守は首を横に振った。
形だけのカウンセリングなど今の自分には無意味だとわかっていた。 二人は過去の世界に思いを残し、わだかまる未来へと帰って行った。
その頃スクリーンに映し出された青空を見上げる少年がいた。
ただ一人、ともだちと交わることを避け、くいいるように見つめている。その光景を金網越しに見つめながら日本人孤児院の入口に向かう人物がいた。
「お兄ちゃんだ。 みんな、お兄ちゃんが来た」
大勢の子供たちが群がり、次々に抱きつき大喜びしている。 訪問者は両手いっぱいのプレゼントを手渡した。
その人物は幼い頃、孤児院で育った古代隆一であった。
嬉しそうな笑顔と笑い声に広島で傷ついた心が癒されていく。
隆一は青空を見上げている少年に気付かれないようそっと近づいた。 はしゃぐともだちに視線を移すこともなく一生懸命に手を伸ばし空を掴もうとしている。 その少年は以前テロ事件の被害現場から隆一によって助け出された少年であった。
「久しぶりだね。 何か遭ったの?」
勘の鋭い少年は振り向きもせず話しかけた。
「何もないよ。 ただ子供たちの顔が見たくなったんだ」
「お兄ちゃん、顔を見せて……」
少年は隆一の顔に、たどたどしく手を伸ばし優しく触れながら話しかけた。 そして暫く沈黙した後、確信したように首を横に振った。
「嘘だ、本当は何か遭ったでしょう。 それに少し痩せた」
隆一は自分の頬に触れる少年の手を握りしめた。
「あれから半年だ。 友だちと仲良くしているか?」
「うん、仲良くしている。 みんな優しい」
その言葉に隆一は安堵した。
「優しいなら大丈夫だ。 一人くらい厳しい現実を言う人間がいてもいい。 悟……。 君は事故で両親と視力と足を失った。 それは誰のせいでもない。 しかし、それが君の人生だ。 これからは悲しみを受け止め力強く生きて行くしかない。 運命を受け入れるしかない……」
少年は光を失った瞳に涙をうかべ悔しさを堪えた。 想い出したくない過去が忘れてしまいたい現実が心臓を引き裂くように脳裏に浮かび上がってくる。
「僕は、お兄ちゃんが大好きだ。 でもお兄ちゃんは、いつも僕に厳しいことを言う。 お兄ちゃんに一番優しくしてほしい、褒めてほしい」
隆一は悟られないように目頭を押さえた。
「今は辛いが、お前は男だ。 男なら自分の人生を耐え抜いてみろ。 妬みと欲望に打ち勝ってみろ。 それが出来れば、お前が望むように全力で褒めてやる」
「分かった……。」 少年は顔に手をあてて小さく震える声で囁いた。
隆一は納得する少年の言葉に救われた。
少年は涙をぬぐい微笑みながら隆一に問いかけた。
「お兄ちゃん、大切な人はいるの?」
驚いた隆一は少年の顔を見つめた後、遠くを見るように答えた。 「いるよ……。 そいつは俺と同じ孤児院の出身だ。 小さい時からいつも一緒だった。 俺が辛いとき、いつも助けてくれる家族のような存在だ。 そいつが喜べば俺も喜ぶ。 そいつが悲しければ俺も悲しい。 そいつといると心が落ち着く、そして心強い。 そいつを守れるなら命を賭けてもいい」
「その人は幸せだね……」
嬉しそうに語る隆一の言葉に少年は見ることの出来ない相手が心の底から羨ましかった。
隆一と少年は未来を見つめるように空を見上げた。 その心はスクリーンに映し出された青空のように空想と現実の狭間に悩み、ジレンマを抱える陽炎のようであった。
「お兄ちゃん、僕がんばる。 がんばれば、いつかきっとお父さんとお母さんに会えるよね……」
第六章 望の代償
ある平穏な日曜日、混雑する渋谷のスクランブル交差点を走り抜ける男がいた。 光学迷彩のマントをまとい、いとも簡単に人混みの中をすり抜ける。 息を殺して全神経を後方の追っ手に集中させながら懸命に目的地に向かう。 その男は地下鉄の入り口に飛び込んだ。 改札を抜け出口に群がる人々の波を乗り越える。 ホームを矢のように走り線路に飛び込み電車とは逆方向へと逃げてゆく。 追っ手の追跡は厳しく、そう簡単には振り切れない。
ダイブ装置のスイッチを入れ線路上を音速を超える勢いで移動する。 それでも振り切れない。 しだいに呼吸と鼓動が荒くなる。 連続ダイブを繰り返し東京23区に張り巡らせた地下鉄を命がけで逃走する。 右へ左へと蛇行する線路を、まるで暗黒の空間のように飛ばす。 もはや追っ手より、ただただ前へ前へと無我夢中であった。
どれくらいの時間が経っただろう……。 振り返ると追っ手の気配は無くなっていた。 男は安堵して光学迷彩を解きホームに降り立った。 深呼吸をして平静を装い人ごみに紛れて目的地へとゆっくりと歩き出す。
「きゃー」 突然悲鳴が聞こえた。
若い男女数人が口論をしながらもみ合っている。 近くにいた老夫婦が間に入り仲裁をするが全く収まらない。
「うるさい、黙れ」
興奮する男性が煩わしく老夫婦を払い除けた。 すると、お婆さんをかばった反動でお爺さんが線路へと落ちてしまう。 近くにいた人達に緊張が走る。 男性が急いでお爺さんを引き上げようとするが焦ってしまい引き上げられない。 助けを求めているが時間がない。
「だれか電車を止めてくれ」
「フオァァァァァァァァン」 「グギイイイイイイイイイイイイッッ」
車輪がレールを削り、背筋が凍る金属音が警笛とともに響き渡った。
「助けて、助けて……」 「もうだめだ」
お婆さんはどうすることもできず呆然と見つめている。
目的地に急ぐ男は凝視しているが行動することはできない。
電車が押し出す風圧が迫る。
「ドッグン、ドッグン、ドグドグドグドグドグドグ」
ドラムのように叩く鼓動が感情を刺激する。 イメージが空気を切り裂き現実を追い越していく。 男は母親と同じ年代のお婆さんを見ると無視できなかった。 考えるよりも先に体が動いてしまう。 ダイブ装置のスイッチを入れ飛び出した。
「ヂィ、ヂィ、ヂィ、ヂィ、ヂィ、ヂィ」 十万分の一秒を表示するダイブカウンターが動きだす。
ひきつっている運転手の顔が見える。 じわじわと汗がにじみブレーキハンドルを握る手が、こきざみに震えている。 瞳には光の帯がコマ送りのように流れ一部始終を鏡のように映し出す。
男はお爺さんを抱きかかえた。 指先が石のように硬直した冷たい恐怖を感じ取る。
「もうだめだ」 運転手は顔を背けた。
その瞬間。
「ガダッガタン、ガダッガタン」 「ギギイイイイイイイイイイイイ……」
甲高いブレーキ音を残し電車は通り過ぎて行った。
最悪の事態を覚悟した人々は我が目を疑った。
「お爺さん、あんまり無理したらだめだよ。 命を大切にしてね」
「あ……。 ありがとう」
お爺さんは弱々しく声をだした。
その光景を見ていた人々は困惑し、その男を取り囲むように不思議そうに眺めている。
視線を感じた男は足早に消え再び光学迷彩を施し去って行った。 不可解な出来事に騒ぎは収まらない。 車両からは乗客が飛び出し緊急停車した理由を求めている。 しかし駅員も返答が出来ない。 ホームには野次馬が群がり噂話が飛び交っている。
暫くして騒ぎを嗅ぎつけた時空警察が現れた。
男の足跡を光学スコープで探る。 一人の時空警察官が僅かな痕跡を見逃さなかった。
「先頭車両にダイブマントを擦った磁気反応を確認。 時空レーダーにインプットします。 逃走経路解析中」
「本部に連絡を入れ、直ちに磁気反応を追跡する」
逃走した男は最大のミスを犯してしまった。
その頃、時空の彼方でテログループXYZの秘密会合が東京と大阪を繋ぐリニアモーターカーの車内でおこなわれていた。
テログループのリーダーZが希望の世界、新しい時代をつかむため言い放った。
「準備は整った。 我々は長崎に向かうB29を奪取し歴史を書き替える。 広島の原爆投下は人類の罪と教え、長崎の原爆をアメリカ艦隊に落とし罰と自覚させる。 傲慢な力の誇示が無意味だと気付かせ罪と罰の因果が核戦争を止める力になる。 この作戦の成功は日本人の義務であり誇りとなる。 俺たち日本人の力を見せよう」
「おー……」 テログループ一同が喚起の声あげた。
誰もが日本人のプライドを取り戻し未来を変えることに使命を感じていた。
「時空レーダーに歪みがでています。 追跡探知されたようです」 「落ち着け。 正確な座標が解らなければ時速700kmで走るこの車両に時空ダイブはできない。 トンネルの中では時空移動船も近づけない。 それより追跡探知された奴は誰だ」
「磁気反応が残っているのはWです。 数分で捕捉されます」
Wは逃走中、お爺さんを助けるために痕跡を残し探知されていた。
「しかたない。 部隊に連絡してWの先祖を始末しろ」
「わかりました。 直ちに」
ZがWの手を握り優しく話しかけた。
「同士、残念だがここまでだ。 ルールに則り外れてもらう」
Wは覚悟していた。 探知されたことが死だと、そして鉄の掟のことも。
「ご迷惑をおかけ致しました。 自分の志だけでも作戦に繋いで下さい」
Zは優しく見つめ噛み締めるように小さくうなずいた。
その瞬間、Wの座席はゆっくりと空席になっていった……。
「同士、犠牲よりも地球の未来だ。 この作戦で希望の光を与えられるかは分からない。 だが歴史変更の引き金にはなるだろう」
テログループ全員の心と体に変化が押し寄せる。
Wの記憶がゆっくりと消えていく。 後頭部にビリビリと激痛がはしり違和感を覚える。 苦痛が大きいほどWとの関わりが深く重要であったことを。 しかしなぜか、Zただ一人だけが事態を認識し記録している。 以前と同じ感覚が蘇る。 仲間の命を守るために部下を犠牲にしたことを。 殺しの命令を出したことを。 その人物が息子であったことを。
「時空警察の犬どもが、ここを嗅ぎ付けた。 30秒後に上り車両と交差する。 その車両の座標はX軸12267、Y軸88765、交差時速1400kmの車両移動だ。 一歩間違えば即死する。 各自、逃走経路設定。 車両移動後、散会。 地球に明るい未来を」
そのころ時空警察第一チームが逃走中の男の磁気反応を追跡していた。
「磁気反応ロスト、探知できません。 正確な座標や時間が分からず推測でテログループの間近にダイブするのは危険です。 奴等は一般市民を盾にできる高速移動列車での密会を度々試みています。 時空バリアで激突を避けたとしても標的になり狙い打ちされます。 本部に支持を仰ぎます」
「そんなことをしていたら取り逃がす。 守れる未来も無くなってしまうぞ」
時空警察は間近で検挙を断念した。
「くそー。 イエローが生意気にターゲットの存在を消しやがった。
本部の命令など糞食らえだ。 俺が全て削除してやる」
グレンは船内の壁を蹴りつけた。 しかしテログループの必死の逃走に驚きを隠せないでいた。
時空警察本部内での状況報告会議
「捜査官報告」
「現在もテログループの時空進入が多発しています。 歴史変更を企む前ぶれかと思われます。 先日の日本人テログループは第四チームの追跡をかく乱し原爆投下地点から逃走しました。 今の段階では推測の域をでませんが広島、長崎の原爆投下阻止を企んでいるのではないかと思われます。 今後、広島、長崎の原爆投下ポイントの警備を強化します」
時空警察はテログループの洗い出しに全力を上げ双方の争いは激化していった。
第七章 境界線
守と隆一が不法侵入者を追いかけ時空空間を飛ばす。 検挙を間逃れたマフィアを捕まえるために。 複雑に蛇行し磁場で荒れ狂う空間を二人は競うように速度を上げる。
「俺が先に行く」
隆一は何も言わず先を譲った。 広島での出来事以来、守が苛立っていることを感じて。
時空レーダーを見据え急速に距離を詰めて行くと何か違和感をおぼえた。
「隆一、今何かが見えた。 気付いたか?」
「おそらく……。 あれは時空移動船だ。 時空空間で光学迷彩を施すことは違法行為だ」
「この付近で時空警察の船は無い。 考えられるのは麻薬取締局の船しかない」
「こちら守。 マリア、狭い時空空間で光学迷彩を施した船が隠れている。 激突しないように注意してくれ。 おそらく麻薬取締局の船だ。 ポイントはX軸35667・Y軸13569・Z軸23678付近、S字状にカーブした先にいる」
「時空移動船が光学迷彩? 激突する危険を承知で、なぜ。 何か意図があるわね……。 速度を緩めず気付かれないように全開で鼻先をすり抜けるわ。 そして私なりの挨拶をしてやる。 ハル姿勢制御をよろしく」
「マリア様、無茶です。 速度を落として下さい」
「大丈夫。 時空砲の反動と衝撃波を利用して急旋回するわ。 ハル、打て」
「どうなっても知りませんよ。 S字ポイント通過5秒前、4、3、2、1、発射」
「ドドオオオオオオーン……」
「急旋回する」
「衝撃波が来ます。 防御姿勢をとって下さい」
静寂な時空空間でお互いの船体に強い衝撃音がこだまする。
「時空の壁に接触します……」
「大丈夫。 反響した衝撃波が守ってくれる」
マリアは操縦桿を右に左に切り返しフルカウンター。 わざと船体をスピンさせ時空の壁ギリギリを、きりもみしながら飛んでいく。
「ワーオ。 マリア様の操艦技術は最高です」
「ハル、スクラップにならなくて良かったわね」
「はい、お見事です。 コンピューターの私がヒヤヒヤしました。 潜んでいた船は、ただでは済まないでしょう」
「バギバギバギバギバギバギ」
きしむような金属音をたてて船がゆっくりと姿を現した。 亀裂が走り光学迷彩を施すことが出来なくなっていた。
「本部へ、こちら第四チーム、マリア・ヘンデル中尉。 時空空間ポイント、X軸35667・Y軸13569付近で光学迷彩を施した時空移動船と接触。 本艦に損傷はなし。 接触船は麻薬取締局の船と思われる。 接触原因の調査を要請する」
「こちら時空警察本部。 上層部に報告し直ちに原因を究明する」
「ハル、時空警察も麻薬取締局も上層部は腐敗した馴れ合いの関係よ。 時間がたてばうやむやになる可能性がある。 ブラックボックスのデーターをコピーして転送しておいて」
「了解しました」
マリアは気を取り直し守と隆一の後を追った。
そのころ守と隆一は逃げるマフィアに迫っていた。
追われていることに気づかないマフィアはアジトへと帰って行く。
隆一がダイブアウトポイントの検索を始めた。
「守、ターゲットがダイブアウトした先には大勢のお客さんがお待ちかねだ。 これは俺たちを誘き寄せる罠かもしれない?」
「飛んで火に入る夏の虫か……。 面白い、返り討ちにしてやる」
苛立ちを隠せない守は電子サーベルを抜いた。
そこはテラのスラム街。 警察も関与しない無法地帯。 路上には薬の売人がのさばり娼婦が屯する澱んだ空間である。
二人はマフィアを追ってダイブアウトする。 その瞬間、脇をかすめる無数の閃光が走った。 今までのマフィアの攻撃とはまるで違う。 さすがに楽しんではいられない。 隆一も勝手が違うのか冗談を言う暇が無い。 二人は薄皮一枚の感覚で避けて行く。 電子サーベルを盾に電子銃を抜き反撃する。 久しぶりに戦闘モードに入っている。
至る所に残像を残しながらマフィアを欺く。 鏡の世界にいるような無数の刃が空気を切り裂き乱舞する。 ゾーンに入った二人には誰もついては行けない。 悉くマフィアの武器を破壊していく。 その姿は奇人と化し常識を超えていた。
「お前たちは、その程度か。 俺を本気にさせてみろ……。 いらだつ心を破壊してみろ」
守は極限の戦い中で、広島での喪失感にあらがうように我を忘れ幻と対峙していた。
「なぜだ……。 なぜ地球を」
一心不乱に倒していく。 そして背後の気配を感じ取り振り向きざまに電子サーベルを振り下ろした。
「グアアギイイイイイイイイ―ン、バジバジバジバジバジ」
交差した放電エネルギーが正気を取り戻す。
受け止めた相手は隆一であった。
見回すと、立っているのは二人だけである。
深く息を吸い呼吸を整え守が呟いた。
「なぜ追跡が分かった? なぜ、待ち伏せしている? げせない、情報が洩れている」
「守見ろ、この武器を。 時空警察しか所持できない電子銃と全く同じ物だ。 有り得ない」
二人はマフィアのアジトを捜査する。 そこには大量の薬物が貯蔵されている。 隆一がその一つをコンピューターに記録すると声を荒げた。
「ここにあるヘロインは俺たちがメキシコ・フアレスで押収した物と同じ物だ。 追跡データーが完全一致している。 信じられない」
「テラも過去の世界と同じだ。 麻薬取締局がヘロインを横流ししていることは明らかだ。 そして時空警察も関与している。 俺たち警察には超えてはいけない一線があるはずだ」
隆一の視線が釘付けになった。 そこにはメキシコ・フアレスで見た同様の光景がある。 冷凍保存された臓器にはシリアル番号が打たれ整然と並んでいる。
目を見開き、その中の一つに手を伸ばした。
「これは、角膜だ」 一瞬、孤児院にいる悟のことが脳裏に浮かんだ。 握りしめた小さな光の中には悩める顔が映っている。
その姿を陳列棚で嘲笑うように無数の眼球が見つめてくる。 隆一は、その視線を避けるように手にした物をゆっくりと戻した。
二人は自分自身に問いかける。 時空警察の在り方を、この国の未来を。
守は喪失感と共に大量にあるヘロインを焼き払う。 そしてメキシコ・フアレスから拉致され拘束されていた大勢の少女を解放した。
隆一は臓器に記されたデーターのすべてをダイブコンピューターに記録する。 真実を調べるために。
合流し一部始終を目の当たりにしたマリアが本部に報告を入れた。 そして真剣な眼差しで守と隆一に話しかけた。
「私たちは今、腐りきった闇の世界にいるわ。 時空警察と麻薬取締局の上層部の腐敗した関係はテラそのものよ。
これから私たちは時空警察と麻薬取締局に命を狙われる存在になった。 私たちの戦う相手はテログループでもマフィアでもない。
この国、テラなのかもしれない……」
「俺たちは存在を把握されている。 時代を遡られて殺されたら成すすべは無い……」
「元々いつ死んでもおかしくない世界で生きている。 後悔はしないさ。 守とマリアと一緒なら」
守と隆一は呆れるように微笑んだ。
その二人を見つめるマリアは決意する。 そんなことは絶対にさせない。
暫くして応援に駆けつけた時空警察に拘束したマフィアを引き渡し複雑な気持ちを懐いて三人は現場を後にした。
世界統一国家テラに夜が訪れる。
人間の生活サイクルを守るために地下世界を偽装するために自然世界に影響を与えない月が無意味にスクリーンの夜空に輝く。
高層ビル最上階のペントハウスでは大音量のロックが流れ、ガラステーブルには吸い込まれたはずの僅かな白い粉が残っている。
美しいラインを奏でる真っ白い肌が偽りの光で影をつくり横たわっている。
「熱い、熱い……。 焼ける様に熱い。 いやぁー」
金色の長い髪を振り乱し、ぐっしょりと大量の汗をかいて飛び起きる女性がいた。 毎夜夢に魘され怯えている。 本当の時間は? 本当の時代は? 過去なのか未来なのか、心の中の境界線が迷路にはまり逃げ出せない。 欲望の中に潜む悪魔がそれを許さない。
気だるそうにシャワーの栓をひねる。 冷水が震える体を包み込み足先へと流れ落ちる。 正気を取り戻すために目の前の鏡を見つめた。
「私はここにいる。 現実に生きている……」
火傷の痕が消せない心の傷が、閉じ込めた叫びが聞こえる。
欲望と戦い流され許すことの出来ない自分を見ると涙が毀れ落ちる。
「グァシャャャャャャャャン」
良心の呵責を断ち切るように殴りつけた。
ひび割れた鏡の中の瞳と握った拳には血が滲んでいた。
癒されない心の渇きと運命に抗い真実を求めて葛藤するマリア。
運命を変えた出会いを思い出す。 それは9年前の20歳、時空警察学校での教官室。
「コンコン」
「マリア・ヘンデル入ります。 教官、お呼びでしょうか」
「まあ座りたまえ」
「はい……」
「射撃試験、96点。 格闘試験90点。 時空移動船試験96点。
ダイブ試験96点。 申し分ない成績だ……。 類い希な才能のほかに男を惑わす魅力もあるようだ。 よく見ると古いビデオに出ていたアンジェリーナに似ている……。 最上階のVIP室でローレン上院議員が御待ちかねだ。 くれぐれも失礼のないように」
男なんかに負けない。 私には実力がある。 叫びたい気持ちを抑えて部屋を後にした。
マリアはVIP室に向かうエレベータの中で疑問に思った。
上院議員が訓練生の私に何の用だ?
数人の護衛警察官が見守るドアをノックした。
「マリア・ヘンデル入ります」
「私はローレン上院議員です」 男は緊張した面持ちで握手を求め手を差し出した。
見た目はがっちりとした体格。 鋭い眼差しの割には物腰の柔らかい口調である。 マリアは握手を交わした後、ゆったりとした居心地のいいソファーに腰掛けた。
「突然の呼び出しに驚かれたでしょう。 何からお話ししたらよいか……。 我々政治家、政府高官は万一に備えてDNA検査、データー保存を義務図けられています。 危険な職務に就く警察官もDNA検査が義務図けられています。 そこで、ある事実が判明しました。 言い出しにくいことですが私たちのデーターが一致したのです……。 私とあなたは父と娘の関係にあります」
「それは本当ですか? 間違いないのですか」
「最初は信じられなかったのです。 しかし数日前に訓練中の君の横顔を見た時に確信しました。 かなり前のことですが大学生の時に出会った女性に瓜二つでした。 今更父親の真似は出来ませんが、ささやかな援助はしたいと思っています。 希望を教えて欲しいのです……」
「母親は、どんな人ですか? いま何処に住んでいますか」
「男として不誠実であることを認めます。 実は一日だけの恋だったのです。 朝起きたら彼女は消えていました……。 いま何処にいるのか何をしているのかも分かりません。 出会ったクラブの名前も場所も思い出せないのです。 申し訳ない」
驚きを隠せない。
その後、上院議員に聞いた内容も退室したときの状況も今では思い出せない。 しかし自分のルーツを知らずにはいられない。 政治家、政府高官の身辺調査、ダイブ調査は法律で禁止されているが動かずにはいられない。
この日を境に人生が変わったことを度々思い出す。
私は暗黒の世界で眠れる勇気が欲しい。
第八章 決意と戸惑い
第二次世界大戦末期。 西暦1945年8月9日10時。
原子爆弾ファットマンを搭載したB29爆撃機ボックスカーは第一目標の福岡県小倉市が厚い雲で覆われていたため目標を長崎に変え目指していた。
テログループは歴史の変更を企み最重要任務を決行しようとしていた。
「ときは来た。 今の閉ざされた世界を変えるために我々は長崎の原爆を奪いアメリカ艦隊を殲滅する。メンバー全員の魂の力で必ず成功させる。 明日は今までとは違う朝を迎えよう。 健闘を祈る」
その頃時空警察はテニアン島を飛び立ち長崎に向かうB29爆撃機ボックスカーの背後を姿を消して飛行していた。
「こちら監視船。 磁気レーダーに反応、時空進入確認。 応援を要請する」
「こちら本部、了解。 第一、第四、第六、第八チームは緊急スクランブル発進」
「こちら監視船。 攻撃をうけている。 現在応戦中」
「了解。 こちらグレン、第一チーム出動する。 絶対に第四チームに遅れをとるな」
第一、第四チームの時空移動船は重なるように時空空間へ傾れ込んだ。 マリアは瞬く間に第一チームを引き離す。
「もっと速度を上げろ。 第四チームに引き離されている。 飛ばせー……」
いらだちを抑えられないグレン。
「守、隆一。 ポイント確認。 ダイブ準備」
「了解」
二人は暗黒の空間を超高速で飛行する。
「隆一、B29の機体に直接ダイブアウトする」
「了解、援護する」
時空の扉を突破した二人は狭いB29の中でも速度を落とさない。 バチバチと電子サーベルの火花が散る。 剣さばきの達人である守と隆一は敵の攻撃を見切り流れるようにすり抜ける。 最小限の動きで電子手錠を使い拘束していく。
「待て、待てー。 イエローは俺たちアメリカ人が削除、殲滅する」
遅れをとったグレンが電子サーベルを振りかざし守と隆一の間に強引に割り込みテログループをバッサバッサと切り捨てる。
「ガガ゛アアアーン」
グレンの電子サーベルがテログループの光学マスクを吹き飛ばした。その人物は真っ直ぐにグレンを見つめている。
「素顔をさらしても微動だにしないとは、日本人にしては良い度胸だ。 だがお前らに意味はない。 地球上から全て消し去ってやる」
グレンは機体をも切り裂く勢いで電子サーベルを振り下ろす。 取り憑かれたように切り捨て、まだ息のある者、拘束された者に止めを刺す。 そして不適な笑みを浮かべ守と隆一を睨み付けた。
日本の上空で同じ血を引く民族が未来のために命を賭ける。
現実と信念の狭間で葛藤する二人。 グレンの行動に息が詰まり動くことができなかった。
緊急増員した時空警察は徐々に現場を制圧していく。 テログループは計画の失敗を悟り足跡を追われる前にメンバーの存在そのものを削除し消してゆく。 仲間の命を仲間が奪う鉄の掟。
守と隆一の心はざわついた。 敵とはいえ志半ばで消えてゆく姿に。 二人はその光景を寂しそうに見送った。
歴史の修復、犯罪調査を終えた時空警察はテラへと帰投して行った。 わだかまりを残して。
時空警察本部内での状況報告会議。 捜査官報告。
「先日の長崎ポイントでのテロ行為は第一チームの活躍により未然に防ぐことができました。 しかし第四チームの神村クルーズ守、古代隆一の二人はテログループと交戦中に精神的な問題、ヒューマンエラーが発生したと報告が入りました。 よって第四チームを日本人テログループの捜査から外すことを要請致します」
議長が重い腰を上げて話し出した。
「我々時空警察は歴史の番人である。 いかなる理由があろうと歴史の流れを変えることは防がなければならない。 引き続きテログループの監視、メンバーの洗い出しに全力を上げてほしい。 第四チームの処遇は後日回答を出す。 以上」
時空警察は度重なる日本人テログループの時空不法進入に手を焼いていた。 総力をあげて様々な時代に捜査員を配備したが監視ポイントの多さゆえ歴史とテラ政府の存在を守るためには明らかに人員不足であった。
再び神村守の適性検査が執り行われた。
「神村守、入りなさい」
守は返事をせず腰掛けた。
「適性検査を行う。 思ったことを答えなさい。 時空警察について」
「曇りなき正義は建前。 闇の権力。 歪んだ真実。 矛盾。 不正」
「では、テラについて」
「偽りの都市。 腐敗した都市」
「人類について」
「愚か。 無知」
「過去について」
「学ぶ世界。 希望の世界」
「日本人と他民族」
「同じだ。 同じ地球人だ」
「自分自身の生き方について」
「真実を求める」
「父親について」
「父親……。 俺は孤児院出だ。 質問の意図が分からない。 お前の妄想を描いた質問はこりごりだ。 報告書は勝手に書け。」
守は怒りを抑えられず体に付けられたセンサーを引きちぎり部屋を飛び出した。
悩み迷走する守。
その頃、大柄の男が深々と帽子をかぶり、地下都市最下層にあるスラム街を歩いていた。 換気が悪くジメジメとした澱んだ空気が立ちこめている。 薬でふらつく娼婦が声をかけた。
「そこの旦那、いい男だね。 私と、あそばない。 安くしとくからさ……」
「日本人のゴミと、あそぶ気は無い。 死にたくなかったら消えろ」
その男は日本人を毛嫌いする時空警察官、グレン・オースチンであった。
暗く水滴がたれる階段を下りて行く。 そこは誰も寄り付くことのない薄汚い酒場であった。 ローソクの明かりの向こうには煙草を銜えた男が座っている。
グレンは挨拶も交わさず無造作に座り口を開いた。
「何の用だ……」
男は煙草を置きウォッカをあおる。
「お前の処にいる神村クルーズ守と古代隆一を消してほしい。 奴らのお陰で俺たち麻薬捜査官は厳しい立場に立たされている。 時空警察と麻薬取締局、そしてマフィアは持ちつ持たれつだ。 しかし上層部は今回の一件でマフィアを切り捨てようとしている。 俺たちはそれをよしとしない。 時空に潜って奴等二人を事件前の時刻で処分してほしい」
「二人を消せなかったのは、お前のミスだ。 時代を遡って二人を消したとしても本部の歴史コンピューターには事件は保存され書き換えることは不可能だ。 頼まれなくても二人は俺が殺す。 お前は自分で後始末をつけろ」
切り捨てるように言い放ったグレンは席を立ち足早に姿を消した。
残された男は顔を歪めグラスを叩きつけた。 怒りに震えるロイ・ヘンドリック。
第九章 それぞれの信念
黒ずくめの謎の男が朝靄の中、太平洋戦争末期の長崎県の高台に静かに降り立った。 その男は新たな局面を思考する。
長崎の原爆投下阻止、歴史変更に失敗した事実に根本的な計画の立て直しを目論む。
未来の人間が歴史の変更を企むより、その時代の人間が歴史に挑み楔を打ち込めば新たな時代を創れるのではないか。
ゆっくりと昇る太陽を睨み万感の思いで決意する。
未来を手に入れるために手段を選んでいる暇などない。 使える者は全て利用する。
くたびれた茶色の作業服姿に擬装し、早朝の闇市に群がる雑踏に紛れ消えて行った。 ある目的のために。
青年が人を掻き分け必死に走っている。 その後を数人の日本陸軍憲兵隊が追いかける。
「どけ、どけ、邪魔だー……」
今日こそは逃がしはしないと拳銃を掲げ空に向かって発砲するが逃げる青年は少しも動じない。 闇市の人混みを手慣れたように、すり抜ける。 自信に満ちた表情で逃げることを楽しむように。
そこへ突然謎の男が現れ両手を広げ青年の走る先に立ちはだかった。 青年は意図も簡単に突破する。 流れるように脇の下をかいくぐり、笑みを浮かべた。
「え、なに……!」
一瞬何が起こったのかわからない。 すり抜けたはずの男が再び目の前に現れた。 足を滑らせ地面に手を付くが類い希な運動神経で立て直す。 しかし男は、まるで蛇行する障害物のように進路を塞いだ! 青年は訳が分からずムキになって本能的に避けるが謎の男は何度も何度も試すように邪魔をする。。 周りで見ている人は不思議な出来事にあっけにとられている。 終わらない幻想的な迷路が、かげろうのように流れている。
「いいぞ、いいぞ、その調子だ。 逃げられるものなら逃げてみろ。 さあ、さあ、まだだ、まだだ……」
執拗に何度も試した後、ようやく謎の男は動きを止め走り去る青年の姿を見送った。 憲兵隊に追われても動じないふてぶてしさと人混みを避ける俊敏さに光明を感じ取った。
「ハハハハハハ……」
謎の男は喜びにふるえ、笑いながら人混みの中へと消えて行った。
「あの男は一体何者だ……?」
青年は今までに経験したことのない不思議な出来事に戸惑いをかくせない。 不安を抱きながら自分の帰りを待つ仲間の元へと急いだ。
その頃いつものように、あどけない子供たちがお腹をすかせて傾いたバラック小屋の前で待っていた。
視線の向こうに息を切らして一生懸命に走る青年が見える。
その姿を見た子供たちは喜びの笑顔を見せた。
今日も無事に帰ってきてくれた。 これで今日を生きられる。
子供たちは身を寄せ合う孤児であった。
その中にひとり胸に手を当てて帰りを待つ少女がいる。 子供たちのために命がけで食料を盗み届ける青年の妹であった。
「おかえり……」
真っ先に兄の元へと歩み寄り、笑顔を見せて抱きついた。
胸が締め付けられる程心配で仕方がないが、みんなのヒーローである兄が誇らしかった。
周りにいる子供たちも歩み寄り重なるように抱きついた。
青年はリュックサックいっぱいのパンや野菜を手渡した。
「俺が子供たちを守る。 命に代えても……」
その光景をまじまじと見据える謎の男。
この青年を洗脳すれば時代を動かせるかもしれない。 危険と戦う強い意志と子供たちを守る責任感が謎の男の心を動かした。 そして思い出せない記憶を蘇らせる。 存在を消した息子は、どんな顔をしていたのだろう? どんな人生を送ったのだろう?
殺す命令を出した自分は苦しんだのか?
出生そのものを消し去った今となっては他人事にしか思えない。 感情など生まれるはずがない。 脳に埋め込まれた外部記録装置の断片でしかない。
謎の男は闇夜に静かに消えて行った。 存在しない名前を囁いて。
その頃、金色の髪をなびかせダイブアウトするマリア。 幾度となく足跡を探して自分に瓜二つの母を求めて時空を漂う。 降り立った先は薬と欲望が渦巻き一夜の相手を求めて集う深夜のナイトクラブ。 何度ダイブしても過去の世界で接点を見出せない。 途方にくれるマリアは大音量のロックに身を任せウォッカを流し込んだ。 又会えないのか? 父親であるローレン上院議員の言ったことは本当なのか、偽りなのか? 出生前の娘が母親に会うことで歴史が変わり娘の存在が脅かされることを恐れたのか? 上院議員の情報にはダイブコンピューターがブロックされアクセスできない。 自分の過去を遡り糸口を辿ることはしたくない。 心を閉ざし封印した過去に触れることになる。 もはや確かめる術がない。 過去と言う広大な砂漠で一匹のアリを探すようだ。 何度もため息をついてグラスをあおった。
すると見知らぬ男がマリアの美貌に導かれるようにウォッカを差し出した。
「地下1000メートルに咲くバラに一時の潤いを」
歯の浮くような言葉にマリアは鋭く睨みつけウォッカに手を伸ばした。 男などどうでもいい。 でも女は何を求める? 母は何を求めてクラブに来た? そもそも母親とは何だ?
「ナイフのような眼差し……。 その目の奥に孤独を漂わせる。 君のような金色の髪をなびかせる女性に出会った記憶がある」
前にも聞いた口説き文句に飽き飽きするマリアではあるが、男の優しそうな微笑みと僅かな糸口でも欲しい気持ちが耳を傾けた。
「心をほぐすために心理テストをしよう。 君は遠くを見つめ何かを追い求める人生の旅人。 今、心の部屋に閉じこもっている。 その部屋には四つの扉があり各部屋に通じている。 一番目の扉の部屋には、ありとあらゆる分野の著書が詰まった本棚がある。 二番目の扉の部屋には自分の姿を写す大きい鏡がある。 三番目の扉の部屋にはクローゼットがある。 四番目の扉を開けると裏庭に通じている。 空間をイメージして聞いて欲しい……。 そこで君は、どんな願いでも叶える魔法の宝石をどこかの部屋に隠し封印する。 それは誰にも知られてはいけない。 この秘密が表に出れば魔法はとけてしまい願いも叶わない。 さあ、美しい髪を掻き分ける美女はどの部屋を選ぶのか?」
「あなたは、くだらない心理テストで私の心を見たいの? それともジッパーの中身を見たいの?」
「とても魅力的だ。 あなたの心理は根が深い。 人生は二つの物を手に入れられる程甘くはない。 私はどちらも見たいが叶えられそうもないので答えを教えよう。 君は願いを叶えるために何を犠牲に出来るのか? 選ぶ部屋には人生のテーマが隠されている。 一番目の部屋は仕事。 本や本棚は学問や仕事を表し、目的のためならそれらを捨て去る心理。 二番目の部屋には鏡があり自分自身が写っている。 自分を犠牲にしてでも願いを叶える心理。 三番目の部屋は家族もしくは両親を表す。 娘の部屋のクローゼットは母親が開ける可能性があるからね。 親の忠告を無視してでも欲望を叶える心理。 四番目の部屋は唯一外の世界に通じている。 それは社会からの視線、友人や世間体を表す。 外部の意見など聞き入れない心理。 どうだったかな? 当たったのか外れたのかは私には分からない。 出来れば君の答えと魅力的なスリーサイズを伺いたかった」
マリアは厭きれた様に微笑んだ。
「あなたの口、閉じていると魅力的よ……。 くだらない部屋を選ぶとしたら鏡の部屋ね。 スリーサイズは力ずくで調べてみれば」
「なるほど、素晴しい」
二人は店の外へと消えていった。
第十章 求める答え
自動操縦の時空移動船ノアは重要ポイントの監視任務に就いていた。 硬い表情の守はコクピットに座り腕組みをしている。 目を閉じ唐突に独り言のように話しだした。
「俺はこの年になっても子供の頃の夢にうなされている。 検挙率ナンバーワンの俺がおかしな話だ。 孤児院で寝ているときも、よくうなされた。 あの夢を初めて見たのは何歳の頃だっただろう……。 顔は判らないが両親と思われる二人に挟まれ俺は歩いている。 握った手のひらから温もりと優しさが伝わってくる。 雨で出来た水溜まりを、二人に腕を抱えられ、かけ声と共に飛ぶようにまたいだ。 嬉しかった。 癒された。 三人で歌いながら歩くと少し大きめの穴がある。 両親は軽くまたぎ笑っている。 でも俺は怖くて飛び移ることができない。 今思うと馬鹿馬鹿しいくらいに僅かな穴を怖がっている。 夢の中の俺は泣きながら何度もお母さん、お母さんと叫んでいる。
なぜか二人の親は俺を置いて遠ざかって行く。 懸命に叫んでいるのに振り向きながら笑っている。 俺はいつもそこで飛び起きるんだ。 よく泣きべそをかいて笑われた。 お前にも笑われた。 でも本当に怖かった。 子供の頃から不安になると同じ夢を見るような気がする。 俺は孤児院の入口に捨てられていた。 泣きじゃくる赤ん坊に名前と生い立ちを記した手紙が添えられていたらしい……。
もう一度広島へダイブしようと思う」
「俺も一緒に行こうか?」
「いや、俺一人で行ってくる」
「注意しろよ。 俺も気になる所がある。 任務が終わったらダイブするつもりだ」
「お互い気を付けよう」
片隅で話を聞いていたマリアは触れないようにその場を離れた。
任務を終えた守は心の整理をつけるために再び広島にダイブする。 混乱の日本。 終戦前の広島。 戦時中ではあるが広島の人々の生活は活気にあふれている。 皆、日本の勝利を信じて疑わない。 闇市に群がる人々、元気よく走り回る子供、少しでも生活の足しになればと着物を質に持ち込み僅かな米と交換する母親。 必死に生きようとする姿に力強さを感じる。 しかし数日後の現実を思うと笑顔や眼差しがかえって空しさを強くする。 目を閉じると脳裏に刻まれた光景が忍び寄る。 笑顔や笑い声があふれる小学校の校庭で目の前にいた子供たちは一瞬で無くなり、温もりを感じた少女は自分の腕の中でチリとなって消えて行った。 トラウマと怒りに震える体が悲鳴をあげて胸を締め付ける。 深く深く暗闇に落ちていく。 小さな叫び声がこだまする。 グワン、グワンと頭の中に響いてくる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
立ち直れない。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
這い上がれない。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
脳みそが泥水のように流れ出す。
「グオワアアアアアアアアアッッ……」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。 そこの寝ているお兄ちゃん。 足下のボールを取ってよ……」
驚いた守は反射的に辺りを見渡し我に返った。 そして、おどけてボールを投げ返した。 楽しそうに遊ぶ子供たちの笑い声が深く沈んだ心を、ゆっくりと引き上げる。 傷ついた魂をやさしく包んでくれる。
救われた守は子供たちの姿を追いかけた。 何気ない光景が暖かい。 そんな束の間の休息を強烈な殺気が断ち切った。
「ドッグン」 鼓動が高なり、体が反応する。
忘れもしないあの日、少女を抱え相まみえた謎の男が視線の先に立っている。
男は一点を見つめ歩き出した。 守は慎重に電子銃のフックを外し気づかれないよう身構えた。
謎の男は脇目もふらず、一直線にどんどん近づいてくる。 そして歩みを止め目の前で不適に笑った。
「守君、過去の世界で癒されたかい?」
守は電流が流れたように硬直した。
「なぜ俺が時空警察と判った? なぜここにいる? 過去に遡りいつでも俺を殺せるはずだ! 」
「お前を生かすも殺すも俺の考え次第だ。 今すぐにでも殺せるが時間をやろう。 俺の後をついてこい」
謎の男は不気味な言葉を残し時空の歪みへと姿を消した。
守は謎の男の言葉と過去と未来の運命に戸惑いながら時空の流れに身を任せた。 行く末を案じながら……。
ダイブアウトした二人は海岸沿いのコンクリートで覆われた大きな建物の屋上に降り立った。
海岸から流れる塩風が早朝の濃い霧を押しやり次第に視界が開け始める。
守は直ぐさま時代検索を開始し周囲を見回した。
視線が釘付けになる。 それは鉄骨がぼろぼろのコンクリートから突き出し無残にも飴ように折れ曲がっている。 建物を支える柱は砕け壁は剥がれ落ちている。 そこは全く原型を留めない崩壊した建物であった。
「お勉強のお時間だ。 守君、ここは日本民族が三回目の十字架を背負う、福島第一原発の事故現場だ。
西暦2011年3月12日、三度の連続した爆発により広島型原爆168個分の放射能を世界中に放出した。 なぜ日本民族がこれほどまでに放射能に関わるのか? 不思議だとは思わないか……? 神の悪戯なのか! 警告なのか?」
「どういう意味だ。 なぜここに連れてきた? どうして俺に関わる? お前は俺に何をさせたいんだ……?」
「その疑問と答えは全てお前の心の中にある。 そしてお前は決断をせまられる。 運命を楽しむがいい、ハハハハハハハ」
不可解な言葉を残し謎の男は笑いながら闇に消えていった。
謎の男の言葉が頭から離れない。
天を仰ぎ自問自答する。
「決断……! 俺は何を決断するんだ?」
日本人の運命を日本人の使命を、思い悩む守は崩壊した建物を見つめ思った。 自分の未来にはきっと答えがあると信じて……。
現実の世界、テラへと帰って行った。
その頃、深夜気配を消して悟られないように目的地に向かう男がいた。 警察本部内で禁止されている光学迷彩を施し押収品管理室に進入する。 そこにはマフィアのアジトで押収した薬物が大量に並んでいた。 しかし隆一の目的はそれではない。 ハッキングした解除コードから冷蔵安置室のドアを空け無数に置かれた物の中から小さな臓器を握り締めた。 目を閉じると、孤児院の悟が視力を失った目で空を見上げている。 時空警察官としての誇りが揺らぎ、禁じられた衝動にかられる。 しかし、ざわつく心がもっと別のことに感心を示した。 それは押収した臓器が少ないことである。 角膜、心臓、肝臓、腎臓、肺、手足、どれもが足りない。 なぜかは分からない? コンピューターに侵入し管理コードを打ち込み所在を検索する。 するとそこには信じがたい事実が映し出されていた。 臓器それぞれの運搬先が克明に記されている。 隆一は顔を歪め握り締めていた物を元に戻し決意した。
「フォアアン・フォアアン・フォアアン」
突然けたたましく侵入警報が鳴り響いた。 コンピューターの不法アクセスで侵入に気付かれた。 すぐに管理室を後にする。 ダイブスーツのパワーを上げ凄まじい勢いで狭い通路を飛んでいく。
100メートル、50メートル、20メートル、どんどん壁が迫ってくる。 壁にめり込む、激突する!その瞬間、一筋の光と衝撃音が響き、隆一は歪みの中へと消えて行った。 追っ手を振り切るために限界ぎりぎりで時空空間を飛ばす。 時空警察に追われるが、みるみるうちに引き離す。 最早、隆一の速度に着いて行けるのは守しかいなかった。
統一国家テラ政府行政区にダイブアウトする。
権力を象徴する巨大な建物が聳え立つ。 偽物の雨がコンクリートを叩き怒りに震えた心と、やりきれない気持ちを紛らわすように足元へと流れ落ちる。 この存在が全てを揺るがす。 時空警察の闇に、テラの闇に迷わず侵入する。 そこは医療機関の中心であり特権階級専用の病院であった。
厳重に警備された中央制御室が見える。 謎はその先にある。
見つめる先から冷たい空気が流れ込み突然歪みが現れた。
磁場が発した光の中には謎の男が立っていた。 そして両手を広げゆっくりと近づいて来る。
「隆一君、テラの闇にようこそ……。 真実を知りたいなら手伝おう。 タイムマシーンがなぜ作り出されたのか、なぜ必要なのか分かるかい。 テラにとって麻薬や武器や娼婦など飾りに過ぎない。 放射能は大地を50万年汚染する。 地下1000メートルの都市も例外ではない。 徐々に大気や地下水は汚染され人間の体も希望も蝕む。 地球が再生するには取るに足らない時間だが人類が生き抜くためには途方も無い時間だ。 テラを牛耳る奴等は考えた。 汚染されていない体を求める先を。 メキシコ・フアレスをなぞるように臓器を交換するために過去の世界があると……。 その目でテラの闇と現実を見定めてこい。 警備室の馬鹿どもは俺に任せろ」
隆一は謎の男の言葉に驚きを隠せない。
謎の男は光学迷彩を解き制御室に近づいて行く。
「フォアアン・フォアアン・フォアアン」
病院内に警報が鳴り響いた。
「馬鹿ども、俺に付いてこい」
警備員を引き連れ高速移動しながら電子銃を乱射する。
謎の男はダイブマントをひるがえし疾風のごとく走り去った。
隆一は歩き始めテラの謎へと加速する。 時空空間を経由して頑丈な金属扉を抜け、温度湿度を一定に保たれた無菌室に入って行った。 そこには大量の臓器が冷蔵装置の中で生きている。
歩く姿を何千もの眼球が見つめてくる。 動揺する心を嘲うように心臓の鼓動と陳列された心臓が連動するように脈を打つ。
数え切れない程の首のない人体が寂しく睡眠装置の中でDNAが適合する主人を待っている。
背筋が凍る。 その中には首のある人体もある。 近づき凝視してみると、それはテラを統治する大統領本人のレプリカであった。 レプリカはそれだけではない。 政府官僚、時空警察長官、麻薬取締局長官、そうそうたるメンバーの人体が複数存在する。 信じられない。
さらに息が止まる衝撃を受けた。 呆然と見上げ隆一は立ち尽くす。
「まさか、なぜだ……。 なぜお前がここにいる? 有り得ない」
そのレプリカは保存水溶液の中で金色の髪を靡かせ男性の欲望を掻き立てる程の裸体を輝かせていた。
「テラの本質をテラの闇を理解したかい」
ゆっくりと振り返ると、謎の男が立っていた。
「テラが腐り切っていることは認めよう。 だが貴様の目指す物が正しいわけではない。 人間は元々不完全な生き物だ。 幾度も尊い命を犠牲にして愚かしい日々を積み重ねて来た。 旧世界の人間のように人の命で己の命を繋ぎ生き長らえる。 馬鹿馬鹿しい位、何度も何度も同じ道を歩む。 だからといって貴様に歴史を変える資格があるのか。 人間が愚かということで世界の運命を変えられるのか。 テラにも尊い命がある。 明日の世界を信じ生きる子供たちがいる。 その光は無限の可能性を秘めている。気に入らないのは俺と守の前に現れ意図的に誘導することだ。 貴様は何を考えている」
「ふふふ……。 俺は心の糸を繋ぎ開放しているだけだ。 隆一君、歴史を変えて明るい未来を手に入れることが悪か? 腐敗したテラを守り歴史を守ることが善か? 何が真実で何が正義なのか、よくよく考えることだ……。 忌まわしい過去と没落した現実、そして絶望の未来に耐えられぬならば時空警察など辞めてしまえ」
謎の男はダイブマントをひるがえし歪へと姿を消した。
もはやテラの闇は解決できない所まで来ている。 信念が揺らぐ。しかし歴史を変えることは……。 分からない。 新たな謎に戸惑いを隠せない。
落胆した隆一は空しさに包まれ、その場を静かに立ち去った。
第十一章 不安と幸せ
子供たちのヒーローである青年が今日の獲物を物色している。 誰も助けてはくれない孤独な環境に自然と順応していく。 研ぎ澄まされた感覚や読みは抜群である。 その眼差しはまるで獲物に食らいつくハイエナだ。 青年は感じ取った。 今日はあの店から食料を調達すると。
人混みの中をゆっくりと走り出すと、ひんやりとした空気が漂った。 いきなり目の前が真っ暗だ! 何も見えない。 何度も目をこすり辺りを見回すが、やはり見えない。 耳もふさがれ目眩がする。
「何が起こった? 何が起こったのだ!」
青年は呆然と立ち尽くした。 しばらくすると風景が断片的にちらつき、ぼんやりと見える。 少しずつだが感覚が戻ってくる。 今、よく知る公園にいる。 周りには孤児である守るべき子供たちがいる。 その中に愛する妹の姿も見える。 動揺するが、ホッと胸をなで下ろした。
すると空襲警報が鳴り響いた。 強烈な光が差す。 続けて耳がちぎれる程の爆音が襲ってきた。 地面が音を立てて揺れる。 子供たちと手をつなぎ身を低くするが胸騒ぎが治まらない。 今までの空襲とは何かが違う。 地震か? いや違う。 辺りは既に燃え盛る炎と真っ黒い煙に包まれていた!
熱い、体が焼ける。 つないだ手の感覚がまるで無い。 妹の姿を探すが熱風で目を開けることができない。 意識が遠のいていく。
「幸子……」 最後の力を振り絞り妹の名前を叫んだ。
なんだ……。 今度は何が起こった? 今まで見えないでいた風景が見える? 痛みもない。 訳がわからない。 悪夢のような世界だ。 時間が加速して流れていたかと思うと、ゴーゴーと音を立てて燃え盛る炎も熱風も止み逃げまどう子供たちも魔法のように静止している? まるで時間が止まっている。 眼が回る。 しかし視線の先に何か動くものが見える。 どす黒いなにかが?
「奴だ」 闇市で出くわした謎の男がゆっくりと近づいて来る。
あの男だけ、ただ一人だけが静止したときの中を我が物顔で闊歩している。
「優一君、この世界が分かるかい? 目の前に見えるのは人生最後の光景だ。 君の愛する全てが灰になる。 当然、君の妹も死ぬ。 これは日本を地獄に叩き落とす二度目の原子爆弾だ。 この爆弾で日本は敗北する!」
広島の原爆を知る青年は胸が締め付けられた。
謎の男は青年を仮想空間に拉致し長崎の原爆を体験させ洗脳術に利用した。
「この原爆を阻止して妹を助けたいなら私を思い出せ。 君が思えば未来の扉を用意しょう。 扉を開けるのは君だ……」
頭が割れるように痛い! 「うわぁぁぁぁぁぁー……」
青年は大声を出して正気に戻った。 「今のは、なんだ」
一瞬の出来事だ。 夢か幻か? あまりにもリアルな光景に訳が分からない。
我に返った青年は盗もうとしていたお店の前に立ちつくしていた。 ふと妹の顔が浮かぶ。 鼓動が異常に早い。 妹に逢いたい、心配だ。 妹の元へ走らずにはいられない。 しかし思うように足が動かない。 前に進まない。 毎日通る道なのに、こんなにも遠かったのか? 俺はこんなにもヤワだったのか……。
ようやくバラック小屋が見えて来た。 遊んでいる子供たちが見える。 その輪の中に楽しそうに笑いながら縄跳びをする妹がいる。
「あー、良かった」 足を止め深くため息をついた後、妙な胸騒ぎは気のせいだと胸をなでおろした。 妹の所へ駆け寄り思い切り抱きしめた。
「お兄ちゃん。 どうしたの? 汗びっしょり……! 何かあったの?」
「何でもない。 お兄ちゃんは幸子がいれば幸せだ」
妹は照れるのを隠しながら優しく微笑んだ。
「お兄ちゃんは必ず、みんなのために帰ってきてくれる。 信じている」
青年は実感した。 妹の幸せは自分の幸せだと。 しかし謎の男の存在と現実のような夢の体験を思うと心配で仕方がなかった。
第十二章 偽者の月と本物の月
光学迷彩を施しながら進む船がある。
時空警察のコンピューターに刻まれた歴史を変更することは出来ないが決着をつけるために過去へと遡る。
暗黒の空間を抜けテラ最上階に位置するドームへと舞い降りた。
偽物の夕焼けが影を作り町と人々の心に暗闇を忍ばせる。
ロイ・ヘンドリックにとって麻薬取締局捜査官の地位もマフィア幹部の地位も最早関係ない。 ただただ目的を果たすことだけを考えていた。 小学校の門をくぐり校庭を見渡し足をとめた。
無邪気で元気いっぱいの男の子が走り回り、頬を赤くした少女が縄跳びをしている。 そんな微笑ましい光景を気にも留めず光学迷彩を施したロイは足早に教室へと向かった。 目的の者は見当たらない。 校舎を注意深く捜しまわる。 すると裏庭で怒鳴り合う子供たちの声が聞こえた。
「日本人のくせに生意気に靴を履いてやがる。 百年早いんだよ。百年、脱がせ」
「やめろー……。 放せ。 やめろー」
大勢の少年が二人組の少年に飛びかかり羽交い締めにしている。
二人は口を切り鼻血をだしながら懸命に抵抗している。
ロイは笑いながら煙草に火をつけた。 毎日のように繰り返される虐めの現場を楽しそうに見つめている。
「日本人が無能だから世界は滅んだ。 テラに日本人はいらない……」
「核戦争は日本人のせいではない。 人のせいにするのはやめろ」
「何もできない日本人など必要ない」
懸命に耐えていた二人だが限界を超え力尽き倒れこんだ。 靴を奪われ服は破れドロドロである。 情けない。 這いつくばる自分の姿に腹が立つ。
「悔しかったら取り返してみろ」
虐めていた子供たちは満足したように靴を投げ合い罵りながら帰って行く。
その光景を一部始終楽しんだロイ・ヘンドリックが光学迷彩を解き姿を現した。
「守君と隆一君だね。 今の君たちに恨みは無いが消えてもらうよ」
その瞬間、大気が弧を描くように歪み殺気をはらんだ冷たい空気が流れ込んだ。 そこには謎の男と、ダイブマントに身を包んだ完全武装の集団が立っていた。
「貴様らは何者だ?」
驚いたロイ・ヘンドリックは、くわえていた煙草を落とした。
「ふふふ、我々は明るい未来を取り戻す集団、XYZだ」
「テログループが俺に何の用だ……?」
謎の男は呆れたように言い放つ。
「自分の保身を守るために私腹を肥やすために、わざわざ過去に舞い降りて少年を殺しに来たのか。 麻薬捜査局も腐り切っている。 我々の崇高な志を説明する義務は無い。 いまここで死んでもらうだけだ。 お前が計画したことと同じように、我々の仲間がお前の少年時代にダイブしている。 これでお前の行った数々の犯罪はクリアになるだろう。 これは必然だ」
「なぜ俺のことを知っている。 なぜ守と隆一を助ける……? なぜだ」
最後の言葉を残し、麻薬捜査官ロイ・ヘンドリックは跡形もなく消えて行った。
謎の男が、うつろな表情の少年、守と隆一に歩み寄り手を差し伸べた。
「今見ていることは、ゆっくりと記憶から消え失せる。 しかし、これだけは心に刻んでほしい。 君たち日本人は無限の可能性を秘めている。 希望の未来を見失わないように明るい未来を歩んでほしい」
集団は何事もなかったように一瞬にして姿を消した。
もうろうとした守は隆一と肩を貸し無言のまま歩きだす。
その足取りは重く進まない。 なぜ日本人だけが責められる? 孤児院への帰り道、悔しさで叫びたくなる。
気にかけた隆一が話しかけた。
「今日は靴は取られるし訳が分からないことが起こるし最悪だ。 それでも綺麗な月が見えるぞ……」
「こんなスクリーンに映し出された偽者の月など大嫌いだ。 隆一、俺は大人になって本物の月を見てやる。 本物の月のように強くなって、地球を守れる男になってやる……」
「それは凄いな。 地球は月に守られているからな。 月なしには微生物さえも生きられない……。 なら俺は、お前を守ってやる。 それなら俺の方が偉いぞ」
「ばかやろう」
二人の目には笑いと、涙が溢れていた。
その頃時空を超えて別の時代では……
蛍が川面を彩り、ゆっくりと飛んでいる。 その向こうには帰路を照らす月が、ぬくもりを放っている。
その光景は人を和ませ幸せに誘う。 眺めている二人も、やさしい気持ちになる。
長崎で孤児の世話をする青年と、その妹であった。
兄と妹は楽しそうに語らい仲間が待つ家へと帰って行く。
兄は感じていた。 あと何度、妹と綺麗な月を見ることが出来るだろう。 そして一緒に歩いて帰れるだろう。 謎の男のことを考えると胸が締め付けられ息が詰まりそうになる。 でも今は、はっきりと分かっている。 今生きていることを心の底から喜べる。 一番大切な妹が隣にいる。 そう考えると兄は幸せであった……。
その光景を謎の男は見据えていた。
第十三章 希望と絶望
守は自分自身の成すべきこと、運命を求めて西暦2047年2月13日、審判の日にダイブコンパスを合わせる。
時空空間を抜けた守はアメリカ・ニューヨーク・マンハッタンに舞い降りた。 上空から眺める大都会は世界の中心を思わせる熱いエネルギーを放っている。 真っ赤な夕日はそびえ立つ高層ビルを照らし、人々は胃袋のように吸い込まれる。 車は動脈のように流れている。 何も変わらない日常の光景。過去の世界だが、なぜだか思い出深い。 今から起こる惨劇を知る由も無い。
激しい閃光が走る! 一瞬の静寂の中、耳を劈く轟音がダイブスーツに響く。 凄まじい衝撃波と5000度を超える灼熱地獄の中、目の前をいくつもの高層ビルの固まりが砕け散る。 もはやそこに有機体の存在はない。 ゴーグル越しに見える光景は絶望と落胆で、ただただ映像を流すように静観するしかない。 逃避するしかなかった。
嫌な気配を感じる。 またしても謎の男が不気味に笑いながら現れた。
「人間は悲しい生き物だ。 美しい文明と尊い命を犠牲にして取るに足らない自尊心と独占欲に執着し世界を滅ぼした。 守君、自分の運命と向き合う覚悟はできたかい……? まだ君の運命を見定められないなら長崎に会いに来い。 導いてやる」
謎の男は一方的に言葉を残し姿を消した。
守は気付いている。 自分を洗脳しようと企んでいることを。 しかし、そんなことはどうでもいい。
今自分は感じるままに生きたい。 正直に生きたい。
人類の愚かさを心に刻み込むために、眼に焼き付けるために、風化させないためにダイブコンパスを合わせる。
審判の日、フランス・パリ。
守は金色にライトアップされたエッフェル塔の先端に降り立った。 凱旋門から放射状に延びた街灯が星のように輝く。 セーヌ川の観光船が幸せを乗せて進む。
この美しく光る夜景の下に人々の夢と希望と暖かい家庭がある。 自分にとって憧れである世界が、そして住んでいたように思える世界が目の前で消える!
絵葉書のように綺麗な風景が真っ白になる。 邪悪なエネルギーが全てを呑み込み振動がビリビリと伝わる。 悲鳴を上げる心に容赦なく絶望のくさびがグサグサと刺さる。 目に焼き付けると決めていたが直視出来ない。 何かが音を立てて崩れていく。 抑えようもなく涙があふれだす。 ぬぐっても、ぬぐっても、こぼれ落ちる。
人間にはなぜ心があるのか? なぜ魂があるのか?
分からない、分かりたくない……。 人間の愚かさを受け止めたくなかった。
守は謎の男の言葉に導かれるように長崎にダイブする。 悲しみと痛みを引き連れて。 そして謎の男の真意を求めて。
その頃時空の彼方で……。
青年が懸命に走る。 闇市での収穫を喜びながらリュックサックいっぱいの食べ物をお昼前に子供たちの所へ持っていけるのは久しぶりだ。 早く妹の顔が見たい、会いたい。 喜ぶ顔を想像するだけで心から幸せだ。 息を切らして走る向こうに子供たちが見える。
一歩一歩伸ばす足先に喜びが込み上げてくる。
辺りが急に暗くなった。 空襲警報が鳴り響き地響きがする。
「何だ? まさか又……? 駄目だ、まだ妹を抱き締めてない。 やめてくれー……」
急いで妹の所へ駆け寄ろうとするが足が動かない。 以前見た夢のような光景が再び現れる。 ときの止まった世界を平然と歩く男がいる。 謎の男だ!
「なぜだ、やはりあの夢は現実なのか? 俺たちは死ぬのか?」
止まっていた炎がゆっくりとコマ送りのように近づいて来る。
青年は絶望に包まれた。
「優一君、決心が付いたかい……。 君は数分後の運命の世界を実体験している。 子供たちを救うも仲良く一緒に死ぬも、君の自由だ。 暗闇に光を求めるなら望みを叶えよう。 扉を開くのは君自身だ」
「くそー……。 やるしかないだろー」
謎の男は時空の扉を指差した。
「ビビィィィィィィー・ビビィィィィィィー」
突然テログループ監視員の緊急アラームが鳴り響いた!
「我々の仮想空間に侵入者が現れました。 排除しますか……?」
謎の男は予想していたように口元を緩ませた。
「その必要はない……。 時空警察の神村だ。 奴は私の手の中にある」
空間は捻じ曲がり時空の歪みから険しい表情の守が現れた。
そして、ゆっくりと周りを探るように見回した。
「こんなにも若い過去の世界の住人を洗脳するのか? なぜそんなにも長崎の原爆に拘る。 貴様は目的のためなら手段を選ばないのか、良心は無いのか」
「ハハハハハハ……。 良心、手段。 そんなくだらない物に興味はない。 人間は尊き者を無くし取り返しの付かない歴史を歩んでしまった。 広島長崎に原子爆弾を投下し多くの命を奪い核の悲惨さと愚かさを学んだ。 しかし、その体験を生かすことができず人類は再び核を使い世界は滅んでしまった。 我々と同じ血を引く日本人がもっと世界に発信し心に訴えれば人類は滅ばずに済んだのかもしれない。 神の悪戯か? 人類の愚考か? 愚かな人類は時代を行き来できるタイムマシーンを手にしてしまった。 今となっては歴史は生き物だ! 我々はそれを最大限利用する。 日本人の差別を無くしプライドを取り戻すために成すべきことをする。 愚かな人間に歴史上世界を牛耳っているアメリカ人に広島の原爆投下は核の加害者と思わせ、長崎の原爆をアメリカ人の頭上に落とし核の被害者と後悔させる。 そうでなければ時代は動かない。 我々は世界を守るために歴史に戦いを挑んでいる! この野望を踏みにじる者は全身全霊で排除する。それがたとえ未来の私だとしても」
守は反論することができなかった。
「この青年を、どうするつもりだ」
「妹を助けるために、子供たちを守るために歴史を変える運命を選択した」
「それは本当か……? 命を賭ける覚悟はあるのか」
青年は首を小さく縦に振った。
守は重苦しく沈黙した後、少年の運命を悟るように、やさしくそして力強く語った。
「君の運命は歴史上すでに決まっている。 原爆の歴史を変えることは不可能に近いほど難しい。 だが人間には諦めることができないときもある。 試された命で愛する者を守ってみろ。 運命を変えてみろ。 もしもの時は子供たちの所へ連れて行ってやる。 俺は未来の警察官だ」
「ありがとうございます……。 そのときはお願いします」
「優一君、時間だ。 猶予はない、核の歴史に案内しよう」
青年は洗脳に屈し、謎の男と時空の歪みへと姿を消した。
その姿を見送る守は胸が締め付けられた。 まだ十六歳にも満たない青年が妹や子供たちを守るために命を賭ける。 全く経験をしたことのない時空に侵入しテログループですら成し得ない歴史の変更に挑む。
青年の過酷な人生に自分の人生を重ね合わせ、ときの止まった仮想空間にいる子供たちを見つめた。 そして重苦しく時空の扉を開いた。
テログループと青年は二度目の原爆投下を準備しているアメリカ軍のマリアナ基地に侵入していた。
テログループのリーダーは思考する。 我々が直接B29に時空侵入するよりも同じ時代の青年が乗組員に成りすまし計画を実行する方が成功するのではないか? そして青年に重要装置を持たせ乗組員の自由を奪うことを。
運命の日、太陽が眩しくマリアナ基地の滑走路脇を昇る。
刻々とB29爆撃機ボックスカーの離陸時刻が迫っている。
機上準備を終えた最後の乗組員の背後にテログループの数人が音を立てず忍び寄った。 羽交い締めされた乗組員は静かに床に倒れ込む。 手際よく死体を隠し青年を変装させるために顔のDNA情報を採取する。
「奇跡を起こさなければ妹を助けることはできない。 優一君、見事妹を助けてみろ」
青年は目を閉じ何も答えない。
その青年の顔に出来上がった偽装マスクを被せ胸元に重要装置を取り付けた。
「B29が離陸し暫くすると沖縄に駐留するアメリカ艦隊の近くを飛行する。 そのときに今から君に渡す指示書を出せ。 その指示に従い行動すれば必ず明るい未来は開かれる……」
青年は静かにうなずいた。 そして滑走路へと続く静かな通路を歩いた。 今までの人生が蘇り妹との会話が心に響きこだまする。 薄明かりの向こうに鋼鉄の扉、運命の扉が見える。
謎の男が指差した。
「新しい未来への扉は用意した。 開けるのは君だ」
妹のために重たい鉄の扉に手を掛ける。 目を閉じて静かに祈った。
「神様、力を貸して下さい。 幸子、絶対に帰る」
ゆっくりと開けた扉の隙間からは刺すような光と、けたたましいエンジン音が迫ってきた。
決意した先へB29に乗り込むために滑走路を歩く。
「ドッグン、ドッグン、ドッグン」 鼓動がガンガンと耳元で叩く! 歩く姿を見つめる作業員の視線が怖い。 呼吸が次第に荒くなる。 一歩一歩繰り出す足が重く進まない。 体が震える。 B29爆撃機の真下に辿り着いた青年は壁のように立ちはだかる機体を恐る恐る見上げた。 それは太陽の日差しをさえぎり、希望の光を閉ざす。 子供たちの命を食らう悪魔は不気味にあざ笑っていた!
すると、さっきまでの体の震えは止まり心の奥底から猛烈に激しい怒りが込み上げてきた。
「おまえか。 おれたちを殺すのは」 大声で叫びたい。 衝動を抑えるために拳を力強く握り食いしばった。 倒すべき物より守るべき者のために。
機体に掛かるタラップを運命を噛み締めるように一歩ずつ上り決意する。 絶対にB29を墜落する。
B29爆撃機は原爆と青年の熱い魂の叫びを載せて運命の場所へと飛び立った。
その頃監視を強めていた時空警察の船はB29爆撃機ボックスカーを守るように姿を消しながら飛行をしていた。
「こちら監視船、テログループの磁気反応はありません。 監視を続けます」
テログループの計画は発見されること無く順調に進み、B29爆撃機は沖縄上空に差しかかった。
「ドグドグドクドグドグ」 青年の鼓動が緊張した体に激しく響いた瞬間、テログループの計画が実行された。
「時間だ……。 指示書どおりに行動すれば必ず成功する」
青年は震える手で指示書を開いた。 そこには驚愕の事実が記されていた。
「君の使命はB29爆撃機をアメリカ軍沖縄駐留艦隊に墜落、もしくは原爆を投下し殲滅することだ。 胸に付けた重要装置は爆弾である。 この作戦は尊い君の命を犠牲にして妹さんと子供たちを守る作戦である。 機体がアメリカ艦隊上空に差し掛かったときに立ち上がり胸のボタンを押すのだ。 我々の計画の説明が英語で流れる。 君が決意し実行すれば子供たちに明るい未来が訪れる」
青年は青ざめ言葉を失った。
予測していたとはいえ死を目の前にすると堅く決意した心が揺らぐ。 しかし目を閉じると妹の笑顔や交わした言葉が蘇る。 願いと恐怖のジレンマに押し潰されそうだ。 震えが止まらない。 でも妹を守りたい。 青年は大きく深呼吸をして覚悟を決めた。
「俺は日本人だー……」 大声で叫び、胸のスイッチを力強く押した。
録音された計画が機内に響き渡った。 B29乗組員は状況を把握できない。 爆弾の事実に為す術がなく硬直し身構えた。 B29の機長は逆らわず機体の進路を沖縄駐留艦隊に向けた。
そのとき時空監視船は、わずかな無線連絡を傍受した。
「緊急連絡、B29爆撃機ボックスカーが進路変更しアメリカ艦隊上空に移動。 発信元不明の無線傍受。 応援を要請する」
こちらグレン。 了解、直ちにB29の機体にダイブアウトする」
B29の機内が重苦しく感じた瞬間、青年を挟むように時空警察と謎の男率いるテログループが現れた。お互いが身構え緊張が走る!
グレンがテログループを睨み付け電子サーベルを抜いた。
「貴様らに原爆投下を阻止することはできない……」
「この青年は、この時代の人間だ。 歴史を変えるために妹を守るために死を覚悟している。 我々の計画が実行出来ないときは直ちにB29爆撃機を破壊し長崎原爆投下の歴史を封印する」
「ハハハ……。 お前らの計画は失敗する。 長崎の原爆投下の歴史は変わらない。 このB29爆撃機ボックスカーの機体が破壊されても別行動の天候観測機を務めているB29エノラ・ゲイが原爆投下の歴史を引き継ぐ。 投下の事実さえあれば世界統一国家テラの歴史は存続できる。 既にこの会話中に監視船の空間移動装置がボックスカーの機体からエノラ・ゲイの機体に原爆を移動した。 我々が長崎原爆投下を実行する……」
テログループのリーダーは押さえようもない怒りに爆弾のスイッチに手を掛けた。
「必ず歴史を変えてみせる……」
グレンは馬鹿にしたように口元を緩め電子サーベルを振りかざし青年に襲いかかった。 「死ね」
「ガギィィィィィィーン……」 「バヂィバヂィ・バヂィバヂィ」
頭を打ち抜く衝撃音が機内に響き渡った!
「貴様それでも時空警察か。 お前も一緒に片付けてやる」
グレンの一打を遮るように守の電子サーベルが立ちはだかった。
「お前との勝負は今度つけてやる……。 この青年の死に場所はここではない。 俺が元の世界に帰す」
守は約束を守るために書き替えることの出来なかった長崎の歴史に青年を連れ時空の闇にダイブした。
謎の男は守とグレンの睨み合いの間に姿を消していた。
グレンは思いもよらない行動に打って出る。本部への報告義務、許可を得ないまま独断の判断で事故処理を進める! B29ボックスカーの乗組員全員の頭に記憶誘導装置を取り付け記憶を書き替える。 時空警察の本質である歴史を守る正義は輪郭を失い暴走して行く。
「グレン……。 本当にB29エノラ・ゲイが長崎に原爆を落として大丈夫なのか? 歴史が変わってしまわないか?」
「原爆の歴史と統一国家テラの歴史は共存関係にある。 広島だろうが長崎だろうが日本人を地獄に叩き落とす事実があれば歴史の流れは変わらない。 残念なのは俺が落とす原爆の事実を歴史に刻めないことだ……。 守のことは本部に報告するな。 俺がかたづける」
グレンは不気味な笑みを浮かべ原爆投下を実行するためにB29エノラ・ゲイに向かった。
一方守は青年を連れてバラック小屋の見える土手に降り立った。 青年は偽装したマスクと胸に付けた爆弾を脱ぎ捨て懸命に走る。 すると何か忘れたように急に足を止め振り返った。
「警察のお兄さん、有り難う。 元の世界に戻してくれて本当に有り難う」 青年は深々と頭を下げ再び走り出した。
守は小さくうなずき目を細めた。 懸命に走る青年の後ろ姿は力強く美しい。 情景はスローモーションのように流れ、ただただ見送るしかなかった。 結末を知る守には現実が重くのしかかる。
青年は愛する妹の元へと辿り着き、しっかりと抱きしめた。
「幸子、ごめん。 お兄ちゃん、みんなを守れなかった」
「何で謝るの……。 今日も帰ってきてくれた。 私は、お兄ちゃんと一緒なら何も怖くない。 みんなもそう。 私たちのヒーローだから」
冷酷な運命は、一時も待ってはくれない。 強烈な閃光は4000度を超える炎と共に渦を巻き襲いかかる。 子供たちは余りの熱さに救いを求めて青年の元へと重なり合った
「お兄ちゃん、たすけて……」
青年は悔しさで胸が張り裂けそうだ。 未来への希望は無情にも砕け散った。 妹は兄の腕の中で癒され子供たちと共に暗黒の闇へと消えて行った。
目の当たりにした守はガラガラと崩れていく。 息ができない。 動くことができない。 無力さに耐えられず膝をつき震えながら巨大なキノコ雲を見上げた。 心は限界を超え砕け散る。絶望に支配され、うずくまったまま立ち上がれない。 長崎と広島の光景が重なり死者の魂の叫びが押し寄せて来る。 気が狂いそうだ。
無情にもその光景を謎の男が見据えていた。 鋼の心を鋼鉄に変え新たな計画を決意する。 見すえる先は遥か彼方。 自分の行為が正しいとは思わない。 理解してくれとは言わない。 ただ世界を救えば自分の犯した罪は報われる。 もはや明るい未来を手に入れるには時空警察を葬るしかない。
第十四章 記憶
ツンと鼻につく異臭漂う部屋にはホルマリン漬けの標本が無数に置かれている。
「記憶とは真に不思議な生き物だ。 意図して心の中に留めて置く物や、歴史の変更により無意識のうちに消されてしまう物もある。 そして強制的に植え付けられる物。 日常的な出来事や記憶した物は大脳の海馬と言う部分に一旦保存され、その後整理整頓され大脳皮質に蓄積される。 海馬は繊細で強いストレスを受けると記憶は壊れ歪曲される。 記憶が全て真実で正しいものとは限らない。 大脳だけが記憶を管理するわけでもない。 人は臓器移植をうけると食べ物の好みが変わる場合もあり、ごく稀に移植された心臓に記憶が宿っていることもある。 クローン人間も遺伝子コピーの過程でオリジナルの記憶を受け継ぎ、あたかも自分が体験したように記憶される場合もある。 遺伝子や血液そのものが記憶の源であり、太古からの歴史を受け継いでいる」
「これはY様、それともローレン上院議員かな。 いやいや神と呼ぶのがふさわしいか? そのお堅い持論を俺に植え付けるつもりかな」
「ああそうだよ……。 久しぶりだな、Z。 保存液の中で漂うクローンを眺めていると、神と同じジレンマを抱えるように思える。 宇宙空間のように広い心と言う聖域に何を植えつけるのか? 記憶や人生の目的を与えられないクローンは心が暴走し自己破壊する。 赤ん坊のような心を持つ大人に思い出や体験を植え付け、人生を経験させることで制御する。 神と私しか出来ない偉業だ」
「そのとおりだよ。 神以外、君にしかできない……。 今日私が来たのは他でもない。 時空警察を葬るために100人のクローン兵隊が必要だ。 早急に準備して欲しい」
「分かった。 用意しよう。 俺も聞きたいことがある。 右脳に埋め込んだ外部記録装置の調子はどうだ」
「俺を実験台にしているのか、モルモットだと思っているのか? サディストの君が考えることには毎度驚かされる。 本来なら歴史を変更して失われる記憶が、この忌々しい装置のおかげで認識できる。
最初は記憶なのか記録なのか分からず戸惑ったが恩恵もある。 歴史変更前後の相対評価を下せることだ。 我々には時空警察が持つ歴史コンピューターのような波紋を予測して過去と未来の因果関係を解読できる装置はないからな。 この外部記録装置を使って記憶の矛盾と共に現実を受け入れるしかないのは分かっている」
「私にも君の体験がいかに過酷なのかは想像がつく。 外部記録装置は恒に記憶野をスキャンし保存を繰り返す。 歴史変更により消え失せた記憶は記録として保存される。 君が救われているのは記録には感情が伴わないことだ。 我が子を手に掛けた親も子供の存在を認識出来なければ悲しみなど生まれる訳もないない。 なんとも皮肉な話だ……。
時空警察官の洗脳は上手く進んでいるのか?」
「やはり隆一の洗脳は無理かもしれない……」
「君が弱音を吐くとは意外だな。 30歳の体に77歳の心が副作用を起こしたのか? まあいい時間はある。
クローン作製に必要な君のDNAサンプル採取のついでに大脳皮質にダイブして記憶の劣化と新しい体のメンテナンスをしておこう。
君の目や耳で得た情報を画像解析してスクリーンに写し出す。 心を丸裸にしてやる」
「お手柔らかに頼むぞ」
「楽しみだ。 再び君の人生を体感できる。 このベッドに寝て楽にしろ。 麻酔が効いて10秒で意識がなくなる。 君の洗脳術も評価してやろう。 辛口に……3、2、1、ダイブ……」
大型スクリーンにバチバチとノイズが入り、ぼんやりと画像が浮かび上がって来る。 記憶カウンターには西暦2044年8月13日と表示され唐突に音声が入りビデオのように映像が流れ始めた。
「ハッピーバースデートゥーユー誕生日おめでとう、お父さん」
「ありがとう、31歳になりました。 この田舎町に暮らし始めて3年が経ちました。 庭に植えたツツジも大きくなったように子供たちも健康に育ち、お父さんは何の不満もありません」
「あなた、ローソクを消さないと」
「ああ、そうだった。 ふー……」
「お誕生日おめでとう」
幸せの炎で照らされた部屋にはぬくもりが満ちあふれている。
「私は幸せだ」
突然赤色灯の光が飛び込んできた。 話を遮るけたたましいサイレンが響き室内を照らしたかと思うと過ぎ去って行く。 家族は不安に包まれた。
「何だ。 何のサイレンだ。 私は外を見て来る。 お前は子供たちといろ」
玄関のドアを開け低い雲を赤く染める方角に驚愕した。
「信じられない。 まさか……。 真っ赤に燃えている。 パリが燃えている」
「ドガァァァァーン……」 「ドガァァァァーン……」
「戦争だ、戦争が始まった。 子供たちを地下室に、早く」
「お父さん、お父さん」
「前が見えない。 みんな大丈夫か? 大丈夫か……」
頭が痛い。 意識が遠のいていく……
西暦2047年2月13日審判の日。
無数の核ミサイルが地上に降り注ぎ、放たれた放射能は人々を焦がし追い打ちをかけるように大地を汚染して行く。 崩れかけたコンクリートの天井で雨を凌いではいるものの、最早逃げ場はない。
「熱い、焼けるように体が熱い。 喉が渇いた。 子供たちは大丈夫か?」
「今、二人は息をひき取りました……。 私も生きてはいけない」
「頑張ってくれ、お前だけは死なないでくれ……。 俺を一人にしないでくれ。 神様お願いです。 見捨てないで下さい」
Zはうなされ、ベッドの上で悶えている。 記憶カウンターがときを刻みスクリーンにはノイズが入り場面が移り変わってゆく。
記憶カウンターには西暦2081年11月20日の表示。
「地下都市テラ全域に非常線が張られアジトも包囲されたわ。 このままでは全滅する。 私のミスが招いた状況よ。 私が犠牲になる」
「それはだめだ。 時空警察は俺が引き付ける」
「何を馬鹿なことを。 貴方はリーダーよ。 貴方が死んだら明るい未来はやって来ない。 私は明るい未来を信じている。 貴方の目指す希望の未来を信じている。 貴方は一人でも目的を達成する。 私たちの屍を超えてでも。 さあ皆を連れて逃げて、早く」
「分かった。 Y、MのDNAデーターを保存してくれ。 必ず君を再生する」
「大丈夫。 明るい未来が来れば私は死なないわ。 歴史を変えて私を甦らせて」
「必ず助ける。 すまない、許してくれ」
君は弾丸の飛び交う時空空間を進んでいく。 俺たちを助けるために金色の髪をなびかせ、時空警察を引き連れブラックホールへと消えていく。
「許してくれ……。 必ず約束は守る。 魂を悪魔に売り渡してでも」
西暦1961年1月23日
「ターゲットはアメリカ・ノースカロライナ州ゴールズボロの空軍基地を飛び立ったB52爆撃機だ。 悪天候により積んでいた水素爆弾2個を誤って落下させてた。 だが安全装置が運よく働き爆発は免れる。 もし起動していれば広島型原爆の260個分の破壊力があり、数百万のアメリカ人の命が失われていただろう。
(※西暦2013年にアメリカ政府により開示された事実である)
仮に歴史の変更で核爆発を起こしアメリカ人の命が犠牲になっていたとしたら未来の核戦争は回避できたのではないか。 我々は尊い数百万の命を犠牲にして世界人類の命を救う。 落下中の水素爆弾を起動させアメリカ人を核の犠牲者にする。 ならばアメリカ政府も核の悲惨さを学び歴史は修正されるだろう。 チャンスは一度きりだ。 高度3000メートル地点でダイブアウトする。 我々のダイブマントは時空警察のダイブスーツより劣っているが起動させればチャンスはある。 時空警察の時空バリアも水素爆弾には耐えられない。 犠牲を恐れず命を賭けて歴史を変更する」
「Z、30秒後にダイブアウトします」
「一同健闘を祈る」
「待って下さい。 時空レーダーに反応。 足跡を嗅ぎ付けられました。 このままでは皆捕まります」「私が行きます。 時空警察を引き付け起動させます」
「S、無理だ。 起動前に拘束される。 今回は撤退する」
「大丈夫です。 今行けば間に合います。 私に行かせてください」
「だめだ。 今行っても手遅れだ。 部隊を犠牲に出来ない。 お前が捕まれば足跡を追われ部隊は全滅する」
「捕まる前に起動させ自爆します」
「やめろー」
「行きます。 成功させます」
制止を聞き入れないSは数人の部下を引き連れ衝撃音を残しダイブアウトした。
半重力装置全開で落下する水素爆弾を追いかける。
2000メートル・1000メートル。 高度カウンターが高速で回転する。
「もうすぐ届く。 未来を変える」 力いっぱい腕を伸ばした。
「ズヴァァァー……」 衝撃と激痛が走った。 歪みの闇から鋭い光が弧を描いた。 ドクドクと大量に流れ出た血液が血しぶきとなって赤い雲を引く。
「切り落とされた右腕などどうでもいい。 俺は諦めない」
群がる時空警察を交わし、鬼気迫る形相で左手をいっぱいに伸ばした。
「絶対に起動させる」
水素爆弾の上では電子サーベルを抜いた男が不適に笑い待ち構えていた。
「無理だ、起動できない。 このままでは足跡を追跡される。 やむを得ない。 あいつの存在を消す。 今すぐ過去に行って母親を殺してこい」
「本気ですか? 貴方の息子と奥さんを殺すのですか……」
「部隊を犠牲にできない」
「分かりました……私が殺してきます」
数秒後Z率いる部隊に変化が訪れる。
「頭が割れるように痛い。 今私は何をした? 俺たちはここで何を? 分からないが何かが変化した。 まさか俺が仲間の命を奪ったのか? なぜだ……」
大型スクリーンが砂嵐のようにザザー・ザザーと音を立てながら流れている。 Zは記憶と言う荒野をさ迷い、どこにいるのかが分からない。 軽い記憶障害を起こし体を震わせながら一点を見つめている。
運命の因果が右脳に仕込んだ外部記憶装置の記録を深層心理の奥底に目覚めさせ罪悪感と言うスイッチが無意識のうちにその在りかを突き止める。
胸が締め付けられるように苦しい。 過去と未来が錯綜し目が回る。 胃袋が収縮して何かが込み上げてくる。
「ウォェェェー……」
「Z、大丈夫か? すまない。 歴史の変更により存在を無くした記憶を時空を越えて植付けようとした。 しかし拒否反応が表れた。
外部記録装置の記録に感情をそえることは難しい……。 トラウマがなかなか拭い去れないように、その逆もしかり。 受け入れがたい記憶は拒絶される。 クローンに植え付ける思い出や目標などとは比べ物にならない。 休養が必要だ。 ゆっくり休め。」
動揺するZは心の闇に手を伸ばし思い出せない記憶に目を細めた。
第十五章 引かれ合う二人の過去
パトロール任務を終えた第四チームが帰投するために時空空間を進んでいた。
「守、本部に戻った後また私と一緒にダイブしてもらえる?」
「俺にも行きたい所がある」
守は硬い表情でうなずいた。
二人は心の隙間を埋めるように再び過去へとダイブする。 お互いの未来を生きるために。
「私は心の奥底に沈め封印した扉を壊したいの。 そうでなければ私が壊れてしまう。 一緒に運命を見届けてくれる。 目を背けず私の過去を見つめてくれる?」
「大丈夫だ。 逃げはしない」
マリアと守は決意する扉を目指してダイブアウトした。
「私の求める先は13年前の16歳の夏休み……」
光学迷彩を施した二人の目の前を金色の髪をなびかせ走り抜けていく少女がいる。 額から流れ出た汗が首筋を伝い、ぬぐった手の平から体育館のフロアーへと滴り落ちる。 はち切れそうな若さみなぎる体が躍動しバレーコート上を駆け巡る。 その容姿は光輝き観衆を魅了するには十分であった。
「マリア、バックアタック……」
「任せて」
「タタァーン」 軽快な音を立ててボールがコートを走り抜けた。
「ピピィィィー」 「試合終了」
勝利を喜び抱き合うマリアの姿を誰もが追いかけた。
守の目にも心引かれる輝きが飛び込んでくる。 隣で腕組みをして見守るマリアも、その当時の記憶を呼び覚ますように表情を軟らかくした。
キャプテンであるマリアは責任を果たした安堵感と今までの苦労が報われた思いで幸せであった。 試合後のミーティングを済ませ、一人クラブハウスで1日の疲れを癒していた。 頭の中で試合をイメージしている
勢いよく吹き出すシャワーが雑音を消し、うなじからウエストに流れる水が火照った体と心をリセットしてくれる。 次は決勝戦。 負けられない試合が控えている。
あまり気に掛けないが隣のシャワールームに誰かが入る音がした。 チームメイトは早めにシャワーを済ませ帰っている。 残っているのは私と最後までフォーメーションのミーティングをしていたコーチ。 おそらく彼であろう。 信頼しているコーチなら夜遅いクラブハウスでも安心だ。
何気なく隣の気配を感じながら考え事をしていると蛇口とドアを閉める音がした。
「お疲れ様でした。 有り難うございます」
コーチであろう気配に声を掛けた。
再びドアが閉まる音が間近で聞こえた。 突然、ビリビリと刺すような感覚が伝わり硬直した体から力が抜けていく。 流れ込む排水溝がスローモーションのようにゆっくりと近づいてくる。 ぼやけているが何かが覆い被さってくる。 何度も何度も衝撃が伝わってくる。 排水溝には赤く染まった水が流れ込んでいる。 意識が薄れていく。
目の当たりにした守は耐えられず背を向けた。
「守、目をそらさないで。 私を哀れと思うなら背を向けないで」
襲われたことなど今ではどうでもいい。 私は心を閉ざし過去の自分にアクセスして、ルーツを探ることを拒んできた。 しかし今この時点から遡りルーツを探ってやる」
「マリア、自分を犠牲にして何になる。 真実を知ることが全てではない。 もういい、止めよう」
守はマリアを力強く抱きしめ悲鳴をあげる心と体を受止めた。
「俺が守ってやる……。 いっしょに俺の過去へ行こう」
二人は心をすり減らしながら別の場所へとダイブする
守の求める先は孤児院小学校での思い出。 遠足に向かう自動シャトルバスの車内。 その記憶は今でもハッキリと覚えている。 しかし先日隆一と交わした会話の中で、お互いの思い出が食い違っていることに最近になって気付かされた。 昨日のことのように鮮明に覚えている衝撃の場面を忘れる訳はない。 それとも何度も過去と未来へダイブを繰り返したために記憶の断面が傷ついたのか? 確かめずにはいられない。 気になって仕方がない。
二人は気付かれないように光学迷彩を施しシャトルロバスの側面から過去の守を見つめていた。 車内では子供たちが持ち込んだお菓子を投げ合い、はしゃいでいる。 守と隆一がポップコーンを口いっぱいにほおばり、わざと吹き出し先生に怒られている。 マリアは笑いながら隣にいる守の表情を伺った。
「守って悪ガキだけど、小さい時は可愛かったのね」
守は苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
テラの最下層から10キロの地点に地下水が噴出し川が流れている。 窓から見下ろす激流に子供たちは大声を上げ興奮している。 その当時、引き込まれそうな落差に縮み上がった記憶が蘇る。
幾つもの安全装置に守られた人気のツアー。 しかし悪いことは重なるものである。 人手不足での整備不良や運行監視員の過労で安全装置の設定ミス。 実際は綱渡りの運行であった。 その後のテレビ報道で原因は分かっている。
「バギバギバギィィィィィィー。 ドォガァァァーン」
突然何かにバウンドしたように乗り上げ、バスはガードレールを突き破った。 一瞬の出来事である。 追突防止装置は機能せず百メートル毎に設けられた誘導装置も作動しない。 小学生を乗せたバスは激流の中に落ちて行った。
凄まじい衝撃音と巨大な水柱を上げ水面に衝突する。 何度も叩き付けられた車体は、ちぎれるように裂け大量の水がゴーゴーと音を立ててなだれ込んだ。 投げ出された隆一が必死に岩にしがみついた。 その姿を見守る守は鼓動が高鳴り自然と拳に力が入った。
「そうだ、今だ。 俺は激流の中から隆一の足を死に物狂い掴み、二人でよじ登る」 過去の光景はスローモーションのように流れ記憶を辿っていく。
「嘘、守……。 隆一は一人で上って行くわ」
「なぜだ。 俺の記憶と違う」
「駆けつけたレスキュー隊員が子供たちを救助している。 隆一も確認できる。 守の姿は見えないわ。 なぜ」
「そんなわけない。 何処かにいるはずだ」
「守、記憶は確かなの?」
「当たり前だ。 マリアも落ちていく俺を確認しただろ」
「ええ確かに確認した。 でも救出はされてはいない。 もう7分経過したわ。 二人とも見落としたのかしら?」
「有得ない。 時空警察の俺たちが見落とす訳がない」
「守。 何をする気」
「生体反応を確認し、俺を救助する」
「それは私が既に確認しているわ」
「なら、俺は何処にいる」
「分からない。 生体反応がない。 守、搬送された病院に行って確認する?」
「救出されていないのに、意味がない。 なぜかは分からないが、俺は消えた……。 俺はこの事故で……? だから隆一との記憶が違っていたのか。 まさか、この事故に?」
「守、大丈夫」
マリアの問いかけに反応しない守は長い間水面を見つめた後、無言でうなずいた。
二人は謎を引きずるように、時空空間へと消えて行った。
テラの空に定期的に太陽が昇る。
守はベッドから起き上がり荒っぽくカーテンを開け偽物の太陽を見つめた。 不可解な体験とマリアのトラウマを考え、一睡も出来なかった。 足が地に着かず、ふわふわとした感覚がまるで時空空間を漂っているように思えた。 重苦しく家を出て時空警察本部へと歩く。
俺はどこに消えた。 一人なら謎を探っていた。 しかしマリアを一人にして帰す訳にはいかない。 16歳の時のマリアの歪んだ表情が心に焼きつき怒りが込み上げて来る。 緊急搬送されたマリアは一命を取り留め犯人は逮捕されているが許すことはできない。 こんなにも人間とは愚かな生き物であろうか? 運命とは記憶とは何か。 真実は?
時空警察へ着くと、上官からの面談命令が出ていた。
「神村守、入ります」
「入りたまえ」
「はい」
「今日呼んだのは君から直接話を聞きたいからだ。 調査報告書によると、長崎ポイントでテログループとの接触の際、ヒューマンエラーが発生し検挙に支障をきたしたとある。 第四チームを日本人テログループの調査から外す意見が出ている。 そのことについて君の考えを聞きたい」
「私と古代はヒューマンエラーなど起こしていません。 テログループが私たちと同じ民族であろうと作戦に影響はありません。 検挙してみせます」
「話を聞けて安心した。 適性検査は不合格だが捜査から外すことを今回は見送ることにする。 最後に一つ聞きたいのだが担当検査官からの報告では父親と聞くと過激に反応して部屋を出たとある。 何か父親に対してトラウマでもあるのか?」
「父親にトラウマなどありません。 自分は孤児院出身です。 父親の顔を見たこともありません」
「そうか。 下がってよろしい」
「少佐、私も一つ質問してよろしいですか」
「かまわない」
「時空警察とは何ですか。 何のためにあるのですか?」
「今更それを聞いてどうするつもりだ? 下がれ」
第十六章 真実の自分
守は時空警察署のデスクで21年前のシャトルバス脱線事故の報告書に目を通していた。
西暦2064年8月29日10時43分頃、国道4号線、川沿いの道路で日本人孤児小学校8名の生徒と教員1名を乗せたシャトルバスが脱輪事故を起こしカードレールを突き破り20メートル下の川に転落。レスキュー隊員の救出により9名全員をテラ第三病院に搬送。 救出者は以下の9名である。
神村クルーズ守・古代隆一・佐藤忠・新谷絵里香・真下秀彦・藤井祐子・山口登・和田貴史である。
あの日、マリアと確認した救出者は8名であった。 しかし9名全員と記載されている。
凄腕の俺たち二人が見落とす訳がない。 断言できる。 しかし記載内容に不審な点は見当たらない。 守は居ても立ってもいられず、時空警察署を飛び出しダイブする。
納得のいかない時代へと遡る。 ざわついた心が時空空間での限界スピードへと誘う。
再び西暦2064年8月29日へと舞い降りた。 そこは守が搬送されたテラ第三病院。
何台もの救急車がブレーキ音を残し慌ただしく救急患者専用の入口に止まった。 待ち構えていた看護師が手分けして患者を乗せたストレッチャーを押す。 救急隊員と医師が様態を話しながらERへと駆け付ける。
患者は心肺停止の者や頭部から大量の血を流している者もいる。
医師は重い患者から軽い患者へと番号を付け危険度を判断している。
「みんな落ち着け。 危険な患者から診ていく」
「先生、こちらに来て下さい。 内臓スキャンを見ると折れた肋骨が心臓に刺さっています」
「お前も医師だろう。 開胸機を付けて胸を開いて待っていろ」
「無理です。 私はインターンです」
「つべこべ言わず出来ることをしろ……。 だめだ、医師が足りない」
一度に9名の重患者の対応で医師も看護師もパニックを起こしていた。 担当医師はドアを蹴り開け患者から患者への綱渡り。
深く考えている時間も猶予もない。 本能のままに胸を切り開き刺さった肋骨を抜き止血していく。 まるで手品でもしているように応急処置を済ませ緊急手術室へと送り出す。
「血圧60。 酸素飽和度72。」
「ピィピィピィピ・ピィピィピィピ・ピィピィピィピ」 激しく緊急アラームが鳴り響いた。
「脈が取れません」
「先生、心肺停止です」
「心肺蘇生する」
医師と看護師が手を尽くしている。 守は光学迷彩を施し片隅で見とれていた。
次の患者が運び込まれて来た。 隆一である。 見ると顔面を強打し数カ所の切り傷があるが命に別状はない。 そして事故現場で消息を無くした守が運び込まれて来た。 素人目にもこれといって外傷がない。 あれだけの転落事故でかすり傷も無いのは奇跡である。 いや、むしろおかしい。
守は病室に運ばれた自分を見つめた。
「お前は何処にいた? なぜ見失った……?」
もやもやした不可解な現実が、なぜか気になる存在を予感した。
すると病室の壁がうねるように歪み、冷気と共に静かに現れた。
「やはりお前か……」
「守君、幼い自分を見つめて疑問を持ったか? 正直に言おう。 君は今回の事故で心臓や複数の臓器に致命的なダメージを負った。 君の才能を思うと見過ごす訳にはいかない。 私は君を助けるために最善の処置をした。 事故現場から君を助け出し心臓を移植し命を救った。 私は医師ではないがハート・コードと言うものがあるらしい。 脳中のニューロンと分泌細胞により作られた神経ペプチドが神経伝達物質として心臓に不思議な影響をもたらす。 心臓にも記憶作用があるようだ。 ドナーから受け継いだ記憶が再び脳に書き加えられ新しい記憶となって蘇る」
「訳の分からない学説など聞きたくない。 子供の時から付け回し、お前は俺に何をさせたいんだ。」
「私は君の命を蘇らせただけだ。 その命、どのように使おうと君の自由だ……。 大切に使え」
謎の男はダイブマントをひるがえし捨て台詞を残し立ち去った。
あどけない表情で眠る自分には罪はない。 しかし訳のわからない過去の血塗られた臓器で生き長らえることは受け入れられない。 どうしょうもなく悔しい。 切ない。
責任は全て今の自分にある。
第十七章 戦慄の序曲
第十八章 約束
「こちら管制塔。 西暦1945年6月18日の旧日本沖縄本島付近、 緯度26度13分、経度127度41分の地点に複数のダイブアウトによる磁気反応を確認」
「了解、こちら第四チーム。 ノア出動します。
守、隆一。 ダイブ準備。 ダイブアウトポイントの状況は太平洋戦争末期、アメリカ軍沖縄上陸作戦の真っ直中よ」
「了解」
日本人の二人にとって戦時中の沖縄は直視したくない歴史の1ページであり避けたい進入ポイントであった。
守と隆一はダイブスーツに身を包み心の準備をしていた。
静まり返った暗黒の空間をダイブアウトした瞬間、轟音が響き渡った! 青く澄み切った海一面を埋め尽くす数えきれない程のアメリカ艦隊の砲撃であった。 航空母艦から発進した無数のグラマン戦闘機からの連続爆撃。 大挙して上陸したシャーマン戦車隊の集中砲撃。 この攻撃で日本軍の潜む沖縄の丘は原型をとどめないほど変形した。 日本軍は地下壕に忍び息を潜めてゲリラ戦を挑んでいる。
「こちら守。 今から不法侵入者のダイブアウトポイントに向かう。
ノアはアメリカ軍の砲撃を避け退避。 調査完了後に救出を求む」
「こちらマリア、了解。 私も安全な場所で調査監視する」
マリアは慶良間諸島の座間味島に時空移動船を停めアメリカ軍の激しい艦砲射撃を見つめていた。 沖縄本島上空の雲が赤く染まっている。 連続して鳴り響く爆音が、ざわめく心をあおるようにかき立てる。しかし過ぎ行く歴史を諦めるように傍観するしかなかった。
島内放送が流れた。 「島民は神社に集まりましょう。 アメリカ軍の上陸に備えて集まりましょう……」
何度も流れる放送に導かれるように日本人に偽装したマリアは自然と島民の後を付いていく。 不安のなか誰しもが仲間を求めるように集まっている。 しっかりと子供を抱きかかえる母親。 震えながら父親の手を握る娘。
その姿を見守るマリアは羨ましかった。 マリアは目を閉じた。 想像すると心が穏やかになる。 逢ったことのない母親を思うと胸が熱くなる。 木々の隙間から指す夕日に身も心も包まれる。
「お姉さん一人ですか? 手を繋ぎましょう」
隣に立つ少女が手を差し伸べてきた。
「ありがとう」 マリアは優しく微笑み手を差し出した。 少女の手は柔らかく温かい。 心の底から癒される。 いつまでもこうしていたい。
「ドゥガァァァーン……。 ドゥガァァァーン……」
突然耳を劈く音が襲ってきた。 何が起こったのか訳が分からない。 理解できない。 アメリカ軍の姿も日本軍の姿もない。
探るように見渡すと先ほど拡声器で叫んでいた男が信じられないことをしている。
「鬼畜米兵に捕まると強姦され殺されます。 我々日本人は軍民一体。 ならば集団自決しましょう」
男は屠殺者となり集まった島民に手榴弾を投げ付けた。
悲鳴と爆発音が響き噴水のように血しぶきが降り注ぐ。 マリアは目の前の光景に体が凍りつき身動きができなかった。 そして力強く握っていた右手に強烈な振動が伝わってきた。 恐る恐る振り向くと少女は手の平に温もりを残したまま跡形もなく消えていた。
「やめてー……」 「やめてー……」 何度も何度もマリアは叫び続け、握りしめた少女の左腕を抱きかかえ崩れ落ちた。
手榴弾を投げ付けた男は座間味島の守備隊長であり軍と島民の橋渡し役の存在であった。 理不尽な時代の中でアメリカ兵に捕まると強姦されると思い込み愛する我が子も手に懸ける。
集団心理か? 日本人の美徳か? 民間人を巻き込む戦争が我慢できない。 歴史と言う名の現実を呪った。 しかし先日、守に抱きしめられて囁かれた言葉を思いだす。
「自分を犠牲にして何になる。 真実を知ることが全てではない。 もういい、止めよう」
マリアは解決できない心を押し殺し、逃げるようにその場を立ち去った。
その頃、守と隆一はアメリカ軍の砲撃をかわしながら沖縄本島深く進入していた。 姿を消して高台の丘で監視する。
そこには重たい歴史、ひめゆり学徒隊の存在がある。
沖縄陸軍病院の看護要員として動員された16歳から20歳の女子生徒たちは医療品も食料も無いまま看護活動を続けていた。
日本軍の敗色濃厚となった6月18日、軍と行動を共にした学徒たちは銃弾やガス弾を地下壕に打ち込まれ命からがら脱出する。
アメリカ軍に捕まると暴行を受けると教育された学徒は手榴弾で集団自決する。 学徒教師240人のうち136人が死亡した。
守と隆一の目の前には到底常識では考えられない光景が広がっていた。
無数の穴の空いた丘に大量の屍。 その屍が地雨のように降り注いだ爆撃でチリとなる。 地下壕は容赦ない攻撃を受け多くの学徒が死亡する。 二人は歴史で学んだ光景に硬直した。
すると今まさに、ひめゆり学徒隊の少女が地下壕を出て伝染病を防ぐために日本兵士の屍をリアカーに乗せ穴だらけの丘を進んでいる。
二人は全身の毛穴から血が吹き出るほど拳を強く握った。
戦艦からの砲撃。 戦闘機からの銃撃。 戦車からの砲撃の三重攻撃の中、到底生きて帰れる状況ではない。
このままでは心をえぐられる。
「隆一、俺は我慢できない。 抑えることができない。 あの子を守る……」 魂の叫びが心の鎖を解放する。
「やめろー。 歴史を変えてはいけない」
制止する隆一を強引に振りきり、パワー全開で飛び出した。
少女に直撃する砲撃や爆撃弾を電子サーベルで全身全霊で叩きおとす。 張り裂けた心を癒すために人生のジレンマに終止符を打つために! 守の目には薄っすらと涙がにじんでいた。
その姿を静観する隆一は、規則を破り未来に波紋を広げる行為を真似出来なかった。 そして守の行動を止めることも。
「こちら隆一……。 捜査終了。 テログループの痕跡を発見出来ない。 救出を願う」
二人は規則違反のことを隠し、マリアに帰投の報告をした。
「こちらマリア……。 了解」
三人を乗せた時空移動船の船内は重々しい空気に包まれた。
守は帰投中の母船で隆一に熱い思いを語った。
「人は、いつの時代もどう生きればよいか判らず、迷い悩み、手探りだ。 俺はありのままの自分でいたい。 心の感じるままに生きたい。 隆一、もし俺がテログループのような時代の変更を企んだら迷わず殺してくれ……!」
守はさっきまでの迷いが吹っ切れたように清々しく果て無き想いを
語った。
「わかったよ……」
間を置いて答えた隆一は星空の向こうに視線を移し、これから起こる運命を予感した。 いちばん恐れている心の叫びを押し殺して。
時空警察報告会議の決定によりマリア率いる第四チームは日本人原爆テロ阻止対策捜査から外されることになった。
第十九章 求める未来
テログループの最後の作戦が行なわれようとしていた。
「我々は先の作戦で苦しくも多くの同士を失った。
長崎の借りを返すのは核の原点である広島しかない。
時空警察も我々が広島の歴史変更を企んでいることは当然知っているだろう。 しかし日本人のプライドを取り戻すには、この場所をもって他にない。 明るい未来を照らせるチャンスも今しかない。 歴史に最後の戦いを挑み忌まわしい過去を断ち切る」
テログループのメンバーは自らの命を投げ出す覚悟であった。
その頃アメリカ軍マリアナ基地ではB29爆撃機エノラ・ゲイが歴史上初めての原子爆弾リトルボーイを搭載し飛び立っていた。
乗組員は民間人数万人の命を一瞬で奪う原爆の運命と責任をかみしめ重圧のなか広島を目指した。
時空警察はテログループ撲滅のため最大級の戦力で迎え撃つ準備を整えている。
グレンは忌まわしい日本人テログループの検挙に興奮している。 「ターゲットのダイブアウトポイントはB29機内である。 時空空間が開く前にB29の機体を100メートル前方に移動させる。 侵入者を空中にダイブアウトさせ一斉攻撃で撃滅する。 幾度と無く侵入を試みてくるだろうが磁気反応をいち早く傍受し機内への侵入を防ぐ。 今日で日本人との戦いに決着をつける」
マリア率いる第四チームはテログループの任務を外され定期パトロールについていた。 しかし三人は広島での検挙のことが頭から離れない。
守が小さな声で独り言のように呟いた。
「歴史の成り行きを遠くから眺めに行かないか?」
その声に気が付いたマリアは険しい表情で首を縦に降り、運命の時代広島に舵をきった。
二人の行動を見ていた隆一は心臓が締め付けられる。
無言で操縦席を立ちダイブスーツの袖を通した。 守との約束が胸に刺さる。
静寂で荒々しい異空間をぬけるノアの船内は三人の心の叫びが交錯していた。
守もざわついた心を押し殺しダイブスーツに身を包む。
お互いがお互いの運命を感じ取りながら視線を合わさず沈黙している。
守がダイブドアのスイッチを押した。
「何処へ行くつもりだ。 やめておけ」
我慢できない隆一はドアの開放を制止した。
守はうつむき隆一の問いかけに応えない。
「隆一、好きなようにさせてあげて。 守は大丈夫だから」
マリアが割って入り代弁するかのように答えた。
守は遠くを見つめながら時空空間へと身を投じる。
「マリア、なぜ守を行かせた……。 お前は何を考えている。 お前の目的は何だ……」
マリアは隆一の言葉に背を向けコックピットに納まった。
隆一は恐れている未来と現実に戸惑い、守の後を追う。 約束を守るために。
B29爆撃機が原爆を乗せ日本上空にさしかかった。
テログループ、時空警察の双方に緊張が走る。
鼓動が高鳴りダイブアウトのカウントダウンと同調する。
B29爆撃機の乗組員が違和感を覚え機内後方に視線を移した。
空間が迫り息苦しさを感じた瞬間、戦いの火蓋が幕を開けた。 激突した電子サーベルがうなりをあげる。
時空警察の作戦は思惑が外れ双方の隊員がB29爆撃機と監視船へと傾れ込んだ。 バチバチと火花が散り狭い機内は血しぶきと怒号が飛び交い、お互いが重なるように倒れ死体の山を築く。
グレンが恍惚感にひたりながらテログループをバッサバッサとなぎ倒し笑い声を発している。 まるで今までの鬱憤を吐き出すように! B29爆撃機エノラ・ゲイの機内は搭乗員、テログループ、時空警察の死体から大量に流れ出た血液にひたり深紅に染まっている。
テログループの未来の炎は希望の光は消えようとしていた。
最後の望みに掛けるテログループは広島の原爆投下の歴史を封印するために時空警察を葬るために高性能電磁パルス爆弾のスイッチに手を掛けた。
ルール無用の殺し合いの中で一瞬睨み合う双方の動きが止まった。 何故か大量に流れ出た血液が引力に逆らうように機内の側面や床を伝って這うように戻って行く。 戦闘で傷ついた機内も何事も無かったように元通りに直っていく。 まるでスローモーション逆再生のように。
「指が、俺の指が無い! 腕が消える、爆弾が消える。 何故だ。 どうなっている」
「何が、何が起こっている」
次々とテログループのメンバーが消える。 大量に流れ出た血液も折り重なった死体も何事も無かったように、ゆっくりと。
それは警察本部の犯罪処理係がテログループ、B29搭乗員、時空警察の隊員それぞれの身柄を作戦前の時間に一斉に削除、拘束、保護した結果であった。 時間の流れが逆方向へとタイムリーに変化していく。
テログループは大量動員された時空警察犯罪処理係により壊滅した。
「所詮、イエローに原爆投下を止めることなど無理な話だ。 日本人は人類のゴミだ」
グレンは残されたテログループの屍を踏みつけ見せ付けるようにポーズをとった。
先程の激しい修羅場が嘘のように静まり返ったB29の機内に冷たい空気が流れ込んだ。 時空が歪み怒りに震える男が現れた。
「守、遅いぞ。 おまえと同じゴミどもは片付けた。 お前を片付けた後、本部の歴史コンピューターを書き換え、俺が変更した長崎の歴史を真実にする」
グレンが守の喉元に電子サーベルを突きつけた!
機内の空気が張り詰める。
「させるかー」
その瞬間、怒りを解放するように電子サーベルが唸りをあげた。 狭いB29爆撃機の機内を瞬間移動しながら目にも止まらぬ速さで同僚の時空警察官を手玉に取る。 次元の違う強さである。
一瞬にして隊員は倒れ込んだ。
守にとって人生で初めて人の命を奪った瞬間であった。
「志のないお前に俺は止められない。 広島の原爆は俺が阻止する」
息も絶え絶えのグレンが微かな声で答えた
「守。 お前は気付いているのか? お前を洗脳しているのは誰か。 それは……」
「洗脳……。 それは本当か? 本当なのか……」
険しい表情でグレンの体を引き起こし問いただすも、最後の一言を残して力尽きていた。
グレンが発し言葉に、守は心がかきむしられる思いがした。 しかし決意は揺るがない。 本当の自分の気持ちに運命に気付き始めていた。
追いかけるように隆一がダイブアウトして来た。
そして機内に倒れているグレンに目をやった。 誰がグレンを倒したのかは一目瞭然である。 守と隆一は、しばらく無言のまま相対する。 お互いが誰よりも認めている。 しかし受け入れがたい現実が目の前にある。
「守……。 この世界は既に終わった世界だ。 俺たちは夢の世界にいるのと同じだ。 お前は夢に囚われている。 気づいてくれ、守……」
「未来を変える力を持ちながら自分の保身を守るために腐った世界にすがり付く。 時空警察もテラ政府も最早正義ではない。 隆一、お前はそれでいいのか?」
「ちがう。 歴史は変えてはいけない。 変えた先に何がある。 人間が代わらなければ歴史を変える意味が無い。 俺たちは歴史を教訓にして生きるしかない」
「教訓……。 90億人の命を犠牲にした教訓など、必要ない」
「守、俺たちの世界に帰ろう」
「俺たちの世界? あんな暗黒の世界が俺たちの世界などと俺は認めない。 あそこには俺の居場所がない。 ここが夢の世界であろうと現実にしてみせる。 変えてみせる。 人類が滅びたら過去も未来も意味がない。 俺は時空警察官である前に日本人であり、地球人だ……」
「守、判ってくれ。 俺はお前と戦いたくない。 お前を救いたい……」
「隆一、俺はお前と勝負してでも未来を変えてみせる」
守は一辺の迷いも感じることなく未来と過去に挑んでいた。
隆一にとって悲しい運命の壁が立ちはだかる。 約束を守ために。
高度一万メートル上空。 エンジン音と日本軍の高射砲の音が響き渡る。
お互いが電子サーベルを構え殺気が交差する。 達人同士の戦いは飛び込みの一撃で勝負がつく。 どちらかが狂気の世界により深く入れるかであった。
戦いは既に始まっている。 神経を研ぎ澄まし相手の間合いにゆっくりと入る。 覚醒した戦闘モードが1000を超える攻撃パターンを組み立てる。 シミュレーションの中で無数の刃が交錯する。 心理戦だ。 十手先、二十手先、いや一手でも先を取る太刀筋を見極め勝機を見いだす。
魂の違う鼓動が電子サーベルの先端に伝わる。
「ドッグン・ドッグン・ドッグン」
「ドグドグドグドグドグドグ」
先に動いた方が負ける。 息を殺して無になる。 一切の雑念を消し去り、時空の広野と同調する。 そして脳内麻薬が究極の領域、スーパーゾーンへと導く。
静まり返った機内でタイムカウンターの音が聞こえる。
過去と未来、原因と結果、時の波が交差する極点の中で隆一は守と交わした約束が一瞬頭をよぎった。
「隆一、もし俺がテログループのように時代の変更を企んだら迷わず殺してくれ……」 「守、わかったよ……」
隆一の心に僅かなほころびが生じた。 それがどんどん大きくなる。 抑えることができない。 我慢できない。
「ウォァァァァー……」 迷いを振り払うように勝負に出る。
「守、勝負」 隆一が電子サーベルを振りかざした。
大気を切り裂く音をたてて電子サーベルが交差する。
「ズヴアァァァァー」 「すまん、隆一」
隆一が声をあげて崩れ落ちた。
守との勝負に対する戸惑いが達人の感覚を鈍らせた。
隆一は残された最後の力を振り絞り、口を開いた。
「俺は、お前との約束を守れなかった。 しかし守、分かってくれ。
お前の信念も分かる。 俺も日本人だ。 だが、どんなに悪しき歴史でも変えてはいけない。 腐敗したテラにも無限の可能性を秘めている人たちがいる。 俺たちの育った孤児院にも未来を見つめている子供たちがいる。 その可能性を信じ明日がある。 俺たちに歴史を変える資格などない。 子供たちの人生と可能性を奪うことなどできはしない。 人類が滅ぶとしたら、それも宿命だ。 滅ぶなら滅ぶなりの理由があるはずだ。 それが定めだ。 すべては歴史の判断だ」
隆一の最後の声を聞いた守は魂を掴まれたように我に返った。
信念を貫くために友を殺してでも己が行なおうとしたことを。
大儀のためなら犠牲をいとわない自分本位な考えを。 今の自分は目的のためなら手段を選ばない謎の男と同じだ。
気がついた守は心にぽっかりと大きな穴が空き、たとえ様もない寂しさに追い込まれた。 隆一との思い出が走馬灯のように蘇る。
落ちこぼれと落胤を押され歯をくいしばり、ともに刻んだ日々を。
守にとって隆一は最大のライバルであり最高の友であり、一番大切な家族であった。
「俺が馬鹿だった。 俺が悪だった。 すまない隆一。 滅ぶには滅ぶなりの理由がある。 欲望のために気づかないふりをしていた」
守は息絶えた隆一を見つめ決意した。 そして静かに目を閉じた。 広島での出来事が頭をよぎる。 大勢の人の人生が見える。 子供たちの笑い声が聞こえる。 その場に居合わせた惨劇が蘇る。 胸が締め付けられる。
「ウオァァァァァァー……」 抑えられない気持ちが爆発した。
小刻みに震えた腕をスイッチに伸ばした。
「隆一、俺が広島に原爆を落とすよ……。 歴史を元通りにするには、これしかない。 これが俺の宿命だ。 俺の甘さが招いた罰だ」
守は泣きながら原爆投下のスイッチを押し、膝から崩れ落ちた。 その瞬間小さな希望の光は消え悲劇の歴史が現実化した。
暗黒の光がエノラ・ゲイの機体を包み込む。
守は横たわる隆一を抱きかかえ、わだかまる心の内を語った。
「隆一……。 運命を正に行こう。 俺の最後の仕事だ」
守はB29の機体をテニアン島に向け抑えられない動揺を、抑えられない怒りを引き連れて時空の渦に落ちて行った。
第二十章 頂きの向こうへ
ほんのりと赤身を帯びた桜の木がある。 鮮やかな緑色の芝生が広がる丘に金色の髪をなびかせ凛とした人影が見える。 親しく寄り添う少女。 爽やかな風で二人の頭上をひらひらと花びらが舞う。 「おねえちゃん、何を見ているの?」
「夕日の向こうに希望の光を見ているの」
「どういうこと。 ひとみ、分からない?」
「ごめんね、又だめだったみたい。 でも私は何度でも挑戦する。
ひとみちゃんを助けるために、決して諦めない」
少女は彼女の言葉の意味が全くわからない。
「あ……。 空が変、誰かが来る?」
空を茜色に染め、燃えるような夕日を背中に隆一を抱えた守が、かげろうのようにダイブアウトしてくる。 隆一の亡骸を桜の木の下に担い、ゆっくりと電子銃をかまえた。
「マリア、もう十分だろう。 少女を解放してやれ。 何度もループして放射能の高熱にさらすのは可哀想だ。 ここで終わりにしよう。 人類に裁きを与えたように俺とお前の運命は歴史が下すだろう」
マリアは険しい表情から一転、安心したかのように優しく頬をゆるませた。
「守の言う通りね……。 でも明るい未来は諦めない。 ここで諦めたら今までの犠牲が全て虚しいことになる。 私はあなたと戦ってでも絶対に希望の光をつかみ取る。 守、私を止めてみて」
マリアは寄り添う少女を抱き寄せ優しく囁いた。
「ひとみちゃん、少し時間をちょうだい。 未来を掴んで来るから。 絶対に戻ってくるから、迎えに来るから」
少女は状況を理解できない。 しかしマリアの言葉を信じ、うつむき小さくうなずいた。
少女を見た守は広島の原爆で抱えながら消えていった少女にどことなく似ていると思った。
マリアはダイブスーツのリミッターを解除し守がダイブアウトした出口に全開で飛び込んだ。
「マリア手遅れだ。 今からでは俺がいた時代には戻れない。 別の過去にダイブアウトするようになる」
マリアも解っている。 戻ることが容易でないことを。 守が原爆を落としダイブした入口が閉ざされてしまえば二度と同じ時代には戻れない。
「お兄さんまって」 少女は弱々しく囁いた。
「マリア姉さんはとてもやさしい人。 だから助けてあげて、お願い」
「大丈夫だ。 必ず戻ってくる」
マリアは暗黒の空間を限界ギリギリまで飛ばし希望の光を目指した。 時空カウンターが高速で回る。 鼓動が全身に響き体が震える。 かすかに見つめる視線の向こうに一筋の光が現れた。
その光は弱々しく今まさに閉じようとしている。
「とどけ、とどけ、とどけー……」 「ドドォォォーン、ドドォォォーン……」
マリアは叫びながら弾丸に思いを乗せ、こじ開けようと何度も何度も放った。 光はよどみ激しく変形する。
「今だ、突破する」
「バァリィィィィィィー……」 寸前で追いついた守はマリアに覆い被さり、ねじ込むように時空の扉をこじ開けた。 二人は呼吸をするのも忘れ落下中の原爆を探す。 矢のような勢いで原爆炸裂高度580メートル目がけて落ちて行く。
「原爆はどこ……? 急がないと間に合わない」
「あった! 限界で飛ばす」
900メートル200メートル、凄まじい勢いで原爆に迫る。
二人に残された時間はわずか。
「あともう少しで届く、時代を掴む」
「ビビィィィィィィ―……。 ビビィィィィィィ―……」
けたたましくダイブスーツの警報が鳴った。
「間に合う。 捕まえる」 マリアは祈るように原爆に手を伸ばした。
「ドグドグドグドグドグ」 破れたドラムのように鼓動が限界を超える。
「マリアだめだ、間に合わない、爆発する!」
「ピカァァァー……」 「ドドォォォォォォーン……」
強烈な閃光が走る。 瞬間的に大気が膨張し強烈な爆風と衝撃波が音速を超える。 爆発の衝撃が光の後からやって来る。
守はマリアの強制ダイブボタンに手を掛け間一髪揉み合うように時空空間に飛び込んだ。
マリアはあと一歩のところで掴みかけていた時代を希望の光を逃した。 孤独なプライドは幻に変わり絶望の中で落胆する。
もう二人のダイブスーツのエネルギーは僅かしかない。
かろうじて少女のいる時代に戻れる程度であった。 二人は力なく少女の待つ時代を目指した。
「なぜ、あの少女にこだわる」
マリアは諦めきれない気持ちを話した。
「私は守と隆一と同じように孤児院育ち。 私は母の記憶が全くない。 人混みを見ると見たことの無い母の面影を探してしまう。 会いたい一心で色々な時代や場所にダイブして手がかりを探した。 やっとの思いで孤児である母の足跡を見つけた。 それが、ひとみちゃんがいる孤児院。 しかし母はいなかった。 なぜかは解らない。 核戦争で僅かな糸口も無くなった。 当時、母と同じ苦しみを味わった少女を見ると他人事には思えない。 生きていれば同じ年代の女性に優しくせずにはいられない。 私は歴史を変えてでも母に会いたい。 ひとみちゃんを助けたい。 ひとみちゃんは希望の光なの」
「なぜテログループに手を貸した」
「それは世界の終わりを見つめた日、私は核の悲惨さに心がボロボロになった。 悔しくて、悔しくて泣きながら暗黒の空を見上げた。 その時テログループのリーダーが現れた。 そいつはこう言った。 あらがう者よ、少女を助けたければ閉ざされた歴史を変えることだ。 母に会いたければテラの真実を知り我々に協力することだ……。
今は、あいつの言葉に踊らされたことを後悔している。 守がひとみちゃんのクローンを抱え溶ける姿を見送ったことを知って心が痛んだ。 隆一を犠牲にして歴史を変えようとしたことも。 全て私の我が儘。 その我が儘が、ひとみちゃんを何度も何度も苦しめることになった。 こんなはずではなかった。こんな地獄を見るとは思わなかった。 耐えられなかった……。 そして何度も過去を繰り返すことで知りたくもない事実も知った。 今思えば、こっけいな話よ。 私は本物ではなかった。 守と一緒に見届けたマリアは、本当は死んでいた。 私は13年前のクローン。 そう、私はクローンなの。 作り物の私には母親はいなかった。 それでも母に会いたい。 どうしても会いたい」
その頃、桜の木の下で待つ少女は真っ赤な太陽を見つめマリアの無事を祈った。 胸に手をあてて。
少しの時間だと言っていたけれど心配で仕方がない。 孤独の時間が永遠に続くように思えた。
すると突然、時空の扉からマリアと守が崩れるようにダイブアウトして来た。 マリアは涙を流し膝をつき這うように少女に近づいた。
震える声を出して力強く少女を抱きしめた。
「ひとみちゃん、ごめんなさい。 私の我が儘で何度も痛い思いをさせて……。 もう1人にはさせない。 私も最後まで一緒にいる」
辺りは一変する。 暖かい太陽の光を消すように激しい光が三人を包んだ。 マリアと守には事態を好転させるエネルギーは残されていない。 二人は覚悟した。 しかし気丈なマリアが人生で初めて弱音を吐く。
「守、私怖い……」
「大丈夫だ。 俺も一緒だ……」
守は自分のダイブスーツのジャケットを優しく少女の肩にかけ、マリアを抱き寄せ隆一の体を引き寄せた。
「止めてくれてありがとう。 もう怯えなくていい。 あなたといる時だけ孤独を忘れられた。 私は、あなたを……」
その瞬間5000度を超える熱風は罪の意識を解放するように天空へと誘った。
マリアの望んだ希望の光は輝きを失い歩んだ道はむなしい風となった。 魂はさまよい時空を漂い時の河は流れた。 犯した罪を浄化するように、そして繰り返しループする絶望の時は閉ざされると思われた……?
春の暖かい風が吹く。 夕日が眩しく降り注ぐ。
小鳥がさえずり満開の桜の花びらがゆらゆらと舞う。
桜の木の下にはダイブスーツを身にまとい少女が倒れている。 心と体を癒すように花びらが少女の頬をつたう。
そこに葉巻をくわえた黒ずくめの謎の男が近づき少女を優しく抱きかかえた。
「大事な光を希望の未来を受け取った。 君たちの歩んだ道を、この少女は必ず照らしてくれるだろう。 私は思い出を無くした息子と出会うために再び歴史に挑戦する……」
「Z、マリアと守は永遠だ。 二人は諦めることなくオリジナルの記憶を追い求め魂の叫びを受け継ぐ。 俺たちと同じ遺伝子を持つクローンなのだから」
サイコロの目のように流動的な未来は予測のつかない方向へとランダムに流れていく。 受け継ぐ未来は一人の男に託されようとしていた。
時空を超えて移動船ノアは成層圏を飛ばしていた。
時は西暦2047年2月13日、審判の日。
「ハル、俺は人間の歴史をリセットする」
「何をなさるのですか?」
「空間移動装置を準備しろ。 目標は成層圏を移動中の全核ミサイルだ」
「核ミサイルを何に使うのですか? どこに移動させるのですか」
「それはこれからのお楽しみだ」
「正気ですか」
その男は5000度の熱風が吹き荒れる瞬間にマリアと少女が気絶する中、隆一のダイブスーツのジャケットを借りて丘の上にあった時空移動船ノアに乗り込んだ守であった。
守は操縦桿を握りしめビームを掃射する。 地球を200回は滅ぼせる何千発の核ミサイルを空間移動装置で集める。
「ハル、目的を達成するには核ミサイル2000発は必要かな? さすがに優秀な人工知能のお前でもそれはわかるまい? 目標は目の前にある。 もはや二人で祈るしかない」
「まさか本気ですか。 そんなことをしたら、どうなるか予測できません」
「どうやら俺のすることがわかったみたいだな。 運命の願いを叶える先は他でもない。 唯一無二の存在、偉大な月だ」
「有機体の考えは理解できません」
「集めた核ミサイルを月にぶつけ地球と引かれ合う引力を一時的に弱め地球に自然災害を与える」
「地球は月に多大な恩恵を受けています。 月の強力な引力により地球の傾きは23度に保たれ自転しています。 月が無ければ地球は安定した自転を繰り返すことすらできません。 仮に月が存在しないとしたら地球の自転軸である北極点はアメリカ・ラスベガスとの間で移動を繰り返し複雑な楕円運動をします。 地球上の氷は全て溶け海水面は60メートル上昇するでしょう。 海は毎日のように荒れ狂い1000メートルを超える津波を発生させます。 もはや細菌さえも生き残れない。 地球上の生命は月無しには生きては行けないのです」
「俺は歴史の修復機能で再生できない程の大災害を起こし、人類滅亡の歴史を核から自然災害へとすり替える。 この瀬戸際の賭けで歴史に折り合いを付けてやる。 しかしこの方法で人類が生き永らえるかは分からない。 最良の選択ではないかもしれない。 タイムパラドックスが引き起こす行為が因果律の修正作用により核戦争と同じように人類を滅ぼしてしまうかもしれない。 だが地球を放射能の汚染からは救うことはできる。 もし人類が存在するなら間違った社会を少しだけ正すことが出来る。 滅ぶとしたら滅ぶだけの価値しかない。 それしか道はない。 これが俺の決断だ。 今から歴史に最後の大勝負を挑む」
「一時的に月からの引力が弱まった地球は300メートル程の大津波が発生し人類を襲います。 甚大な被害がでるでしょう」
「それでも人類は生き残ってくれる。 そう信じている。 成功すれば君ともお別れだ。 核戦争がなければ俺も謎の男との因果は絶たれ存在が消えるだろう……。 マリアと出会うことも無い」
「残念ですが、そうなります」
「俺がいなくなれば地球を救う作業は君に受け継がれる。 君は人類の希望だ」
「守様、最後にこれだけは言わせて下さい。 最後のミッションをあなたと行えたことを誇りに思います」
「ありがとうハル。 これでいい、地球を救えるなら。マリアと隆一を守れるなら」
光り輝く月に無数の核ミサイルを引き連れたノアが向かって行く。
「ドガァァァーン・ドガァァァーン・ドガァァァーン……」
連続する爆発音が耳をつんざきビリビリと体全体に伝わってくる。
火の粉が散ったように空一面が光っている。
地上で見上げた者は世界の滅亡を予感しただろう。
劇的な変化が訪れた。
地球と月の引かれ合う引力が弱まり、一瞬地球は大きくウェーブした。 そして不規則な自転を繰り返す。 その影響で高さ300メートル以上の津波が世界中の海岸を襲う。
守が望んだように人類を滅ぼす因果が核から津波へとすり替わる。
母なる海が大地を飲み込んでいく。
操縦席からは核に汚染されていない地球が見える。
見守っていた守は穏やかな顔で薄れ行く記憶を辿りながら、まぶたを閉じた。 限られたときの中で出会えた仲間に感謝した。 操縦桿を離し胸に手をあてて最後の言葉を残し静かに消えていった。
「マリア……」
「ザザァァァー……。 ザザァァァー……」
地球の劇的な変化も嵐のような衝撃も何事もなかったように、なでるように、かき消すように打ち寄せる。 春の暖かい風が海岸を吹き抜け水平線から反射した夕日が空を茜色に染める。 海鳥がさえずり桜の花びらが光の中をキラキラと舞い空を彩る。 岸壁にある桜の木の下にあどけない二人の少女と金色の長い髪をなびかせる女性が凛として立っている。 その女性は真っ赤に輝く夕日を幸せそうに見詰めながら頬を濡らした。
「夕日って綺麗、本当に綺麗。 この場所から見る夕日が心を癒してくれる」
「お姉ちゃん何かあったの? 泣いているの?」
「そう……。 思い出せないけど夕日を見ていると、とても愛おしく感じるの。 でも願いが叶った。 人生は素晴らしい。 ひとみちゃんとカレンちゃんと、一緒に見る夕日を夢見てた」
「お姉ちゃん、桜の木に何か×印がいっぱい書かれている? 何だろう」
「何か解らないけど回数を記したのかしら? だとしたら最後に丸印を書いてあげたいね」
「そうだね……」
「さあ休憩はおしまい。 津波で避難して来た人のお世話をしないと。 三人で孤児院まで競争よ。 はい、スタート」
「あ……。 マリアお姉さん、ずるいー……」
歴史という魔物が因果作用を修正するように桜の幹に刻まれた×印と人間の記憶を消していく。 核戦争などなかったように。
END
作 山中隆広