序章〜暗黒の使者
その日の放課後、晴彦の足は美術室へと向かっていた。
夏の夕暮れ、午後7時近いこの時間にはほとんどの生徒も帰宅している。
わずかに熱心なバレーボール部が体育館に残り練習していた。
晴彦は聖陵高校剣道部の2年だが、
今日はミーティングに切り換わり稽古が休みになったのだ。
県でも強豪に入る厳しい剣道部だがこういうことはめったにあるものじゃない。
実は、晴彦はこの高校に入学時に剣道と美術と部活でどちらをとるか迷ったことがあった。
「絵は1人でも描けるから・・それに男は体力だ」という実に単純な理由で剣道部に決めたのだが、今でもそれは間違いじゃなかったんだと思う。
だが、今日はなぜか美術室を覗いてみたくなったのだ。
本来は真面目だが、気分屋のところが晴彦にはある。
「おっ、誰かいるのかな・・?」晴彦はつぶやいた。
誰もいないはずの美術室にまだ照明がついているのだ。
「まさか、美術部の誰かが残って描いてるのか?・・まあ、いいや。ここまで来たんだ」
美術部には写真部というのもあって、もしかしたらマニアックなそいつらかもしれない。
「やつら、またエロい写真でも焼いてるのかもしれね〜な。よ〜し」
美術室のドアを横にそっと音を立てないようにあけると、人影はなかった。
「なんだ、誰もいね〜じゃん。つけっぱなしかよ。」
「誰・・!?」突然、女の声がした。
「え?」
「飯田くん!」飯田とは晴彦のことだ。
「あれ?・・み、宮口さん!?」
「何してるの?」と彼女は驚きを隠せないようにつぶやいた。
宮口久美子は2年3組のクラスメイトだが、あまり話したこともない。
・・と言うよりは男どもは誰1人として彼女には話しかけられないと言ったほうが正しい。
久美子は学校1の美人であり、親が大きな会社を持つ財閥令嬢でもあるのだ。
同じクラスの女性徒や担任でも彼女には一目おいている、言わば近寄りがたい存在なのだ。
「いや〜・・なんつ〜か。ははは・・まさか君がいたとは。」晴彦もなんとも言いようがない。
久美子は怪訝そうに晴彦を見ている。
「いや・・あの、たまには美術室に顔を出そうかと思ってさ」
「貴方、いつから美術部員になったの?」
「いや、俺は剣道部です。はい・・」頭をポリポリと掻くしかない晴彦だったが、
誰もいない美術室にみんなの憧れの美人と2人きりというこの状況はかなりドキドキものだ。
久美子はすらりとした長身で、長いストレートの髪が窓から入る風に揺れていた・・。
スケッチブックを胸に抱えて、涼しげな瞳をむける久美子には言い知れない神秘的な空気さえ感じられた。
「そう言えば、飯田君も絵が上手だったわね・・」
「え?そうかな?・・あはは」
「美術の時間に飯田君が描いた絵を見たけど、すごくよく描けていたわ・・」
「そ・・そうですか」
「岡田先生も言ってたわよ・・どうして飯田君は美術部に入らないで剣道なんかやってるんだろうって・・だって美術部員の誰よりも上手に描ける人なのに・・」
「う〜〜ん。へ〜〜え・・ああ、そうなんだ・・」頭の次には脇を掻いている晴彦だったが、
「・・でもこんな時間に宮口さん、何してんの?」
「え?わたし、、スケッチブック忘れたの。それだけ」なんだか取り繕って答えているようにも晴彦には見えた。
「私これから帰るところだから、電気は消していってね。」
「え?もう帰るのか?」
「じゃあね」
久美子はまるで逃げるように、晴彦を残して出て行ってしまった。
「あ〜〜あ・・せっかくのチャンスかもしれないと思ったのになあ〜。まあ、こんなもんかな〜〜。」
「しっかし俺も未だに美形には免疫がね〜な!まあ、毎日汗臭い男どもと竹刀ばっか振り回してるからこうなるんだな・・」
1人取り残されてしまって、今や美術室など見る気持ちも失せてしまった晴彦は「さぁ〜て!帰るかな〜」と、ぐるりと見渡してからそうつぶやいた。
ゴトン・・「痛っ!」
その時、晴彦のつま先に何か奇妙な丸い石がぶつかった。
拾い上げると、それは石ではなく今まで見たこともない金属だった。
軽石のように軽いが、非常になめらかな金属の表面にしては恐ろしく硬度があるようだった。
しかもその中心にはψ(サイ)のマークの透明なセラミック状のものが埋め込まれている・・・。
「なんだ?コレ?」
「デッサンに使うオブジェにしては変な代物だな・・」
すると、その時、その不思議なオブジェのψ(サイ)の部分が突然金色に光り始めたのだった・・。




