31.闘神と巨人
「旅客機の乗り入れは中断されてるんじゃなかったんですか?」
ここはゼクトール国際空港。桃矢は今まさに着陸せんとするグレーの大型機を見ていた。
「チャーター機はその限りではありません」
隣に立つミウラが教えてくれた。今日のミウラは軍帽を被っていた。上半身の制服も白の儀礼用だった。
「桃矢と違って、頼りがいのあるおじさま方達ね」
これは双眼鏡を覗き込む桃果の言葉。
羽を休めた大型機のタラップから続々と人が降りてくる。手に手に大きな荷物を持った男達。皆、一様に大柄だ。
「なんにも無いゼクトールだけど、空港だけは立派だな」
これには桃果も首肯のうえ、同意した。
「旧日本軍が開いた空港だって話だけど、桃矢の曾爺さんの部隊だっけ? こんなところで何してたのかしらね?」
桃矢は、さあ? と上の空で言いながら、会見場所へ移動を開始した。
一団は、ターミナルビルとは名ばかりの、平屋建ての施設へと入っていった。桃矢はそこで待機しているのだ。
男達の代表者が、桃矢に面会を求めてきたという。
「うむ、苦しゅうない!」
桃矢は二つ返事で許可した。
「国王陛下直々のお出迎えのみならず、我ら下賤な者の前におこしあそばすとは、幸せの極み。このアルト・ヴァイツ恐悦至極にございます」
深々と頭を下げるゴツイ男。筋肉質だ。
肉が付き二つに割れて張り出した顎が、力強い印象を与える。艶やかな黒髪は後ろへ丁寧に撫でつけてある。
「えーと、名字からいって、ミウラさんのお父さんですか?」
「はっ! 娘がいつもお世話になっております」
線の細い娘とは似ても似つかぬ父。上げた顔に収まった目が猛禽類のように鋭い。
ミウラの父アルトは、サバイバルブーツを履いていた。ジャングル迷彩のズボンに、同じ柄のシャツ。
全てが使い込まれ、身体に馴染んだ代物だ。今回の危機に対して、慌てて買い込んだ古着には見えない。
「えーと、アルトさんのご職業は?」
「アフリカの某所にて傭兵を……こ、これはとんだ失礼を!」
アルトは、脇につるした大型拳銃用が入ったホルスターを慌てて外し、桃矢に向けて床を滑らせた。
奥歯をガチガチいわせている桃矢の股をくぐっていく大型拳銃。
物怖じしない桃果が拾い上げた。桃矢は怖くて拾い上げられなかったのだ。
「ところで陛下、我が娘ミウラはうまくやっておりますでしょうか? 困ったことをしでかしておりませんか?」
アルトの口から、煙り状の闘気が湧き上がる幻を見た。
桃矢は目の前まで詰め寄られた錯覚を覚える。アルトはその場を一歩も動いていないというのに。
娘を持った父親は、どこの国のどんな職業に就いていても、考えることは一緒だ。
「い、いやー、とても真面目ですよ。なんです、目のやり場に困るぐらいで、へぇ」
「目のやり場?」
その時、アルトの目が鋭く光った。
いや、とんでもない気迫が眼にこもったのだ。
「ひょっとして、うちの娘をいかがわしい目で見ておられた……とか?」
ミウラの父、アルトの巨体が桃矢に迫る。今度は実体だ。無茶苦茶怖い。
光る目を剥きだすアルト。生の殺意を前面に押し出した、得物を襲う虎のようだ。
「いや、そんな、まっ、まっさかぁー! ヤらしい考えなんかこれっぽちも!」
桃矢は笑おうとしたが、ひきつけを起こしたカエルのような顔しか浮かべられなかった。
「なぜ? なぜ、いかがわしい目でうちの娘を見てくれないのですかっ?」
「へ?」
「ち、父上!」
真っ赤な顔で抗議するミウラを押しのけ、アルトがもう一歩前へ出た。
「うちの娘は、そんなに魅力がないのですかーっ!」
「へ?」
間抜けな顔をする桃矢。
理解するだけの情報と、思考するための脳内空きスペースが足りなかった。
「いまは幼いかもしれませんが、あと二年もすれば見違えるほどのボンキュバァーンなカラダになりますから! な? ミウラ!」
「父上! 陛下に対し失礼です!」
無茶振りされて、困ってしまうミウラ。必死に父の暴走を止めようとする。
「何を言ってる! お前もちゃんと陛下に可愛がってもらわないと!」
「陛下は、……その、……あの!」
ミウラは、ちらりちらりと桃矢を見ながら、ますます赤くなり、アルトの暴走を止めようとがむしゃらに腕を引っ張る。
こんなモジモジしたミウラを桃矢は初めて見た。非常に新鮮でナニだった。
「ミウラ、お前はいったい何を……あ!」
アルトは、そこで何かに勝手に気付いた。じっと桃果を見ている。
「なるほど、これは迂闊、本妻様の御前でございましたか! いや、これは一生の不覚!」
ポリポリと頭をかくアルト。
「いや、そういうんじゃなくて」
「勘違いもはなはだしいわね!」
桃矢と桃果、二人が赤くなる番だった。
「そんな軟弱なことでぇっ! どうするのですかーっ!」
いきなりアルトが吼えた。顔中の筋肉が盛り上がる。虎の咆吼であった。
「いいですか? 一から説明します!」
アルトは、グローブのように大きな手で、桃矢の両肩をつかんだ。
「男女の交わりを避けるようなっ! そんなことだからケティムなんぞに甘く見られるのです! 陛下は戦う気がおありですか? いや、戦いに向いていないのかもしれません!」
けして悪気があるわけではない。国を心配して吼えているのだ。
桃矢にもそれくらいはわかる。アルトの目を見れば、彼の言ってる真意がわかる。
しかし、男女のナニと戦争を結びつけられて説教されてはたまらない。
「アルト。それくらいにしておけ!」
開け放たれたドアの向こうから、静かな、それでいて力強い声が聞こえた。何かがいる。
猛虎アルトが身構えるほどの威圧感。
その存在が、身をかがめてドアをくぐった。
恐るべき長身。部屋に入ったら入ったで、首をかしげている。斜めにしてないと頭が天井に当たるのだ。
「巨人ジバ!」
鼻の頭に皺を寄せて身構えるアルト。
「闘神アルトとはよく言ったものだ」
砂漠用迷彩服を着た巨人が、口だけで笑った。
暗い顔をするミウラ。
「あの二人。ジバおじさまが一つ年上の幼馴染み同士なんですけど、仲が悪いんです。いつも顔を合わすと悪口の応酬で。……二人とも傭兵団のまとめ役なのに」
これから外敵と戦おうというのに、内紛発生の可能性が?
「あれ、ちょっと?」
桃矢が何かにひっかかった。
「ミウラさん。傭兵団ってサラリと言ったけど、男の人たちの出稼ぎって?」
「ゼクトールの男達は屈強で真面目。戦えば一人で一個中隊に匹敵すると言われ、あちらこちらの戦場から引っ張りだこなんです」
二人の戦いを予想してか、桃矢を背にしてかばうミウラ。
「じゃあ、お父さん方の出稼ぎって……」
「ええ、八割方が傭兵です。ちなみに、ジバおじさまは砂の巨人と呼ばれ、主に中東方面で働いておられます」
口を開けて固まる桃矢。
一方、器用に目を発光させる桃果。
「なるほど。ではケティムは、歴戦の傭兵団を相手に戦うことになるのね」
それは頼もしい。
しかし、頼もしいはずである眼前の二人は、一触即発状態の内紛状態。
いち早く戦闘態勢に入ったアルト。ジバを歯がゆい思いで睨み付けている。
「なあ、アルト――」
ジバはゆっくりと煙草をくわえ、戦意を反らす。
「その分だと、お前、陛下の宣戦布告文を読んでおらぬと見たが?」
「読んでないさ、宣戦布告に何の意味がある! 悪いが戦闘指揮は俺がとらせてもらう!」
太い犬歯をむき出すアルト。
対してジバは、いつまでも緩慢な動作。くわえ煙草にジッポで火をつけ、うまそうに煙を呑んだ。ライターを懐に収め、代わりに紙切れを取り出す。
「まあ読め」
ジバは指ではさんだ紙切れをアルトへ渡す。気勢をそがれた感のアルト。嫌な顔をするが、用心深く受け取った。
アルトはジバと距離をとり、紙面に視線を落とす。
「なんと!」
鋭く尖っていたアルトの目が丸くなった。
「なるほど、ほうほう」
コピー用紙を食い入るように見つめるアルト。口の端が段々とつり上がり、目の光が徐々に狂気を帯びていく。
「ジバさん! 面白いじゃないですか!」
「だろ? アルト好みだと思ってな」
目をギラギラさせながら、にっこりと微笑み合う両巨頭。凄まじい光景だ。
「見直しましたよ、トーヤ陛下!」
ぞろりと歯をむき出して笑うアルト。全部犬歯ではないだろうか? 見つめられて桃矢は、おしっこをチビリそうになった。
桃矢の怯えに気付かず、アルトはジバに顔を向けた。
「ジバさん、あんた、ミョーイ島防衛に回ってくれないか? 陸戦部隊の総指揮は、やっぱジバさんが取るべきだ。俺はジバさんの下で本島上陸部隊を叩きたい。だめかな?」
子供がおもちゃをねだるような、キラキラとした純粋な目をするアルト。
「生きて帰れないのはアルト、お前の方だぞ」
「俺は面白いのが好きなんだよ!」
見つめ合う熱い瞳と瞳。それ以後は、幼馴染み同士の言葉に頼らない会話である。二人の打ち合わせはそれだけで済んだ。
もともとは、そんな関係だったのだ。
「ところでジバさん。トーヤ陛下が、未だ委員長達に手を出してないのを知ってるか?」
「なんだと?」
くわえ煙草を唇に張り付かせ、巨人ジバが桃矢を恐ろしい形相で見下ろした。
「いいですか? トーヤ陛下。一から説明いたします」
その後、二時間にわたり、男女のナニについて、巨人ジバがくどくどと講釈を垂れ続けたのであった。
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