2.ゼクトール
「な、なんで桃果ちゃんが?」
桃矢は自分の身の上話より、桃果が、今ここにいる事に強く疑問を感じている。
「るっさいわね! そんなことよりあなた、ミウラ! 続きを早く話しなさいよ!」
目を大きく見開いたまま、しばし動揺を隠せないミウラ。その間のミウラは年相応の顔をしていた。ついでに言うと、周囲の一般人らしき人々も中腰になっていた。
ミウラは、桃果の気迫に押されるようにして話を続ける。
「ゼクトールの前国王には、お子様がございませんでした。つまり、息を引き取られた時点で、王家の直系が絶えてしまったのです。傍流のお血筋で、王位継承にもっともふさわしい条件をそろえておいでなのがトーヤ様なのです」
桃矢の感覚は麻痺していた。理不尽な出来事に続いて、極度の緊張を持続させたためか、情報の入り口が狭くなっていたのだ。
桃果の手が伸びたのに気付かない。そっと伸びた桃果の小さい手が桃矢の額をさわる。そして、桃矢の伸びた前髪をかき上げた。
「これね? この星形のウルトラビームね?」
「いや、あのね桃果ちゃん――」
こういう我に返りかたは嫌いだった。
「それです。ゼクトール王家の血を濃くひく方々に、たまに現れる遺伝上の特徴です。星形のお印を持つ方が、最も初代に近いと言われています」
桃矢のデリカシーなど問題外の事らしい。
「でもさ、僕は日本人顔だよ。両親も日本人だし、両方のお爺さんお婆さんも日本人だよ」
桃果の手を乱暴に払い、前髪を元に戻す桃矢。
「第二次世界大戦末期、我が祖国ゼクトールへ侵攻した日本軍が、両国親善のためと称し、王家の姫君、キリア・ウハウハ・ゼクトーラ様を日本へ連れ去られた。その姫様がトーヤ様の曾お婆さまでございます」
「さすがに三代前は聞いてないな。……つーか、そんな話が本当にあったらマスコミが喜んで大騒ぎしてるよ!」
笑顔を浮かべようとしたが、頬が引きつっただけだった。
「その部隊が目的不明の秘匿部隊であったこと。部隊が撤退中に、連合国軍の攻撃で壊滅的打撃を受けたこと。生き残りが姫様を託した輸送部隊に、トーヤ様の曾お爺さまがおられたこと。そのあと、生き残りの方々が、姫君を落ち延びさせるため特攻攻撃を掛け、全滅したこと。等々、いろんな事が重なり、表に出ない史実として闇に埋もれていたのです」
一般人を装う乗客達は、普通の乗客に戻っていた。ただ皆、一様に沈痛な面持ちであった。
その事が、マシーンになりきれない彼らの国民性を物語っているのかもしれない。
「隔世遺伝ってヤツ?」
桃果の問いに、うなずくミウラ。
ミウラの瞳は力強い光に満ちていた。しかし、今までとは違った光。強い忠誠心に満ちあふれた従順な家臣のもの。
「ふっ! 仕方ないわね」
まったく、桃果は空気を読まない子だ。桃矢はいらだちを覚える。
恐れ以外の感情が桃矢に現れた。それは周りを見つめる余裕ができた証拠なのだが、彼は気付かない。
「わたしが桃矢王朝の為に一肌脱いでやろうじゃないの。で、どこよ? ゼクトールとかいう国の場所は?」
腕を組んで鼻から荒い息を吐く桃果。口をあんぐりと開ける桃矢。
桃果はこの状況を受け入れている? なにゆえ?
「えーと、桃果様でしたわね?」
元の冷たいアイスブルーに戻ったミウラ。警戒心を露わにした言葉は冷気を帯びている。
「桃果様は、早々にお帰り願います。ご近所の幼馴染みというだけでは、おつきあい願えません。第一、ご両親が心配なされているでしょう。お電話でもなさいますか?」
ニコリともしないミウラ。ごつい携帯を桃果に渡す。恐らく軍用と思われる。
「大丈夫! そんな必要ないわ!」
腕を組み、傲然と笑っている桃果。頭が天井へ付きそうになってるところを見ると、座席の上に立っているのだろう。
「だ、だめです、それでは理由になりません! ご両親と、よく話し合ってください!」
眉間に皺を寄せ、困った顔をするミウラ。何にこだわっているのか。
「いいのよ、あんな連中!」
「家族は大事にしなければなりません!」
桃果の言葉にミウラが即反応した。反応の早さに桃矢が驚いた。
ミウラの絡みようは、道徳心だけから来るものとは思えない。酷く真剣な眼差しだ。
「あたしに家族はないの! あたしの両親は離婚したの!」
ミウラの動きが止まった。
新聞を読んでる人も、コーヒーをすすってる人も、動作を止めている。
機内の空気が堅くなった。
「夕べ離婚届に判子を押したわ。あたしが立会人よ!」
「やっぱりだめだったの?」
家は隣同士、高校は一緒。桃矢は、ある程度の成り行きを知っている。
お人好しの桃矢は、自分の身に降りかかる不幸を脇に置き、桃果の今後を心配している。
「お父さんもお母さんも、家や家族を守るつもりなんて、最初からこれっぽちも無かったって事よね。やっと家族が終わったって。そんなこと言ってた」
いつものような、明るい笑顔を見せている桃果。
桃矢の目には無理をしている様に映る。こんな場合、どう声をかけてやればいいのか?
「親御さんは子供のことを、あなたを必ず愛しているはずです! だから、諦めずにもう一度お話しすべきです!」
言葉を紡いだのはミウラだった。
クールビューティは眉を寄せていた。なにゆえか、ミウラは桃果の家庭を心配していた。
「親を好きにさせてやるのも子供の愛情よ!」
指を一本立て、チチチと左右に振る桃果。
「しかし――」
家族にこだわるミウラを桃果が遮る。
「あたしは、絶対に家族を守りきる大人になるわ! 死ぬまで家族を終わりにしない!」
太平洋高気圧のような凄みのある笑み。桃矢の目には、それが痛々しく映った。
「ところでミウラさん?」
桃果は座席から、いきおいよく飛び降りた。
「あたしは騎旗桃果。彼は芦原桃矢。二人とも名前に桃が付いている。なぜだかわかる?」
桃果は話の方向を意図的に反らしている。ミウラのアイスブルーに興味の色が浮かんだ。
なぜだか? と言われても説明に困る。大それた理由などないからだ。
じつは、先に生まれた桃果の「桃」の字を気に入った桃矢の母が、こじつけで付けた名前だったのだ。
「我が騎旗家は明治の御維新からこっち、ずっと芦原家嫡男の護衛を務める家柄なの!」
いや、いやいやいや。芦原家が先祖伝来住まいしていた土地に二十年前、騎旗家が越してきたのだし、次男の桃矢は嫡男じゃない。兄が一人いるし。
そんな関係は成立しない。
「十七年前に星形のホクロを額にもって生まれた男の子。偶然同い年に生まれたあたしと桃矢は等しく育ち、等しく教育を受けてきた。それはね、桃矢の考え方を理解し、力添えをする為よ。いわば、あなた達とあたしは同志なのよ!」
二人は同い年だし、同じ高校に通って同じ教科書を持っている。桃果の言葉に嘘はない。嘘は言ってないけど、本当のことも言ってないパターン。
さすがに桃果を見てられなくなった桃矢。ミウラの顔色をうかがった。
彼女は目を見開き聞き入っていた。意外と素直な少女である。
いやいやいや、腐っても軍人……腐るほども年取ってなさそうだが……、そんなフェイク、ミウラが信じるわけないだろう?
「どうかご協力お願いします」
頭を下げるミウラ。白く固まる桃矢。
「任せなさい!」
ますます鼻息が荒くなる桃果。そこそこに豊かな胸を反らしているのだった。