19.居残り組と帰宅組
「なんか……こう……変な感じだよね。照れくさいというか、出来レースというか」
宮殿中庭に集まって歓声を上げている国民に対し、王宮最上階に設けられたベランダより手を振り続ける桃矢である。
……王宮最上階っていっても、宮殿自体が二階建てでしかないから、二階のベランダから手を振っているといった体である。
「かりにも、王として国民の声に答えなきゃ。いわゆるロイヤルデューティーってやつ?」
ゼクトールの女性は皆美しい。そして集まった国民の九割方が女の子だった。
これだけの人数が、そろって桃矢の名を叫んでいる。内、八割方が踊っている。
「桃矢、鼻の下、鼻の下!」
後方で桃果が笑っていた。
結局、ケティムの領空侵犯もあって、パレードは中止された。代わって、王宮でのお披露目となったのだ。
桃矢の心中は穏やかでない。
新しい国王を無邪気に歓迎する国民。あんな出来事があったにもかかわらず、ゼクトールの国民が大挙して集まってきた。お祭り騒ぎだ。
しかし、桃矢は、いわば傭われ国王。新しい国政スタッフを承認するだけの役目。
あの後、国連大使のエンスウ以外も何名か、国の重要ポストに就く少女達の着任を言われるがまま承認した。全てジェベルやミウラ、その他各部の委員長が選んだ少女達。
桃矢が自分の意思で選んだわけではない。
同年代の少女達が一様に眉を吊り上げ、暗い未来が待っている戦いに進んでいく。その子達の背中を押す役目を桃矢が担う。
そして桃矢は明日、ゼクトールを離れ、日本に帰る。国民はその事を知っているのだろうか? どうにも割り切れない余りが気になってしかたなかったのだった。
お祭り騒ぎは深夜にまで及んだ。
直接、床に座るゼクトール式晩餐会だった。
ゼクトールの郷土料理が大皿に盛られてだされた。
茹でたブレッドフルーツは栗に似て、とても甘い。椰子蜜をかけて食べるのだ。 薄くスライスして油で揚げたポテチ風もなかなかいける。
熟したヤシの実をココナッツクリームで甘く煮たヤシリンゴは、桃果のお気に入りだ。怖いくらいに手を出している。
変わったところで、カツオとマグロの刺身が出ていた。刺身と言っても日本風ではない。ココナッツクリームであえてある。
これがおいしい。コナッツクリームと魚介類の相性は最高だ。
他にも、タピオカ芋のココナッツクリーム煮や、珊瑚礁で捕れた魚のフライ。ココヤシの実と焼き魚のあえもの。すべてが椰子の木絡みの料理。
南海の孤島ゼクトール。椰子の木が生えてさえいれば、一生食うに困らない国。
そして、料理のメインは豚の丸焼き。これの存在感は大きい。
ココナッツを餌に育てられた豚は柔らかくて美味しかった。小手先の技で育てた自称高級豚など、ココナッツ豚の足元にも及ばない。あんな豚とは種族が違う。
そんなこんなで、ゼクトール各地の有力者と挨拶を交わしながらの晩餐会だった。
思った通り、有力者達は女の子ばかり。
幼女からOL風お姉様まで、みな正装で集まっていた。
正装とはもちろん、水着のことである。
和やかな晩餐会であったが、どうにもまぶたが重い。拉致られてからこっち、桃矢はほとんど寝てない。
そんな桃矢の様子を見かねたジェベルが、早めに引き上げさせてくれたのだ。
勢いのないシャワーだけの風呂に入って、ベッド潜り込んだのだが、なぜか寝付けない。
ふと見ると、窓が大きく開いている。
桃矢は窓から外へ出てみた。靴は履いていない。
裸足で歩くのは久しぶりだ。足の裏がチクチクと痛痒い。それがまた新鮮な感覚だった。
たいした警護などしていない王宮。誰の目にも触れることなく易々と外へ出られた。
宮殿を抜け出した桃矢は、裏の浜辺でしゃがみ込んでいた。ゼクトールは小さな島だ。どこからでもすぐに浜辺へ出られる。
ぶらぶらと、波打ち際を歩いてみた。濡れた砂は引き締まっていて、結構歩きやすい。
昔はもっと遠くまで浜が続いていたとジェベルさんは言っていた。
海面上昇で、海が迫っているのだ。
そんなこと関係無しに、寄せては返す波の音が心地よい。
寄せては返し、返しては寄せる。
海が生まれた遠い過去から、永劫に続いてきた単純作業。
月は出ていなかったが、足元は仄かに明るかった。日本では、田舎ですら見られない、ものすごい星の量が照明になっていたのだ。
今にも音が聞こえてきそうな星空が、桃矢を異世界へ誘っ(いざな)ている。
遠くで鳴る爆竹の音が、桃矢を浮き世へと引き戻す。なんとなく銃声っぽく聞こえたが、たぶん気のせいだろう。
町の中心部から聞こえてくる音楽と歌声。お祭りの定番はどこの国も一緒だ。
戦争になるかもしれないというのに、この明るさはなんだ?
明日はこの国を離れる。離れないとヤバイことになる。ここに来たのは自分の意思じゃない。むしろこちらが被害者だ。
だのに、なんなのだろう、この罪悪感は?
自分がここにいたって、なんの役にも立たないというのに。
人が一人、砂浜に立っていた。
夏の制服を着た少女。桃果だ。
背中まで伸びた長い髪。その湿度からみて、桃果もシャワーを使ったのだろう。
桃矢に気付いた桃果が振り向く。
「夜になると、ちょっとは風が吹くみたいね。窓を開け放てば涼しく寝れそう」
寝られないから外に出てきたのだろうに。
桃果は、桃矢から視線を外し、遠く夜空を見つめた。南国の星空を楽しんでいる。
「ほら、あれ南十字星じゃない? あれ? 大きいのと小さいのが二つあるけど、どっちが本物かしら?」
違和を感じる桃果の笑顔。唇の表情が嘘っぽかった。
おしゃべりな彼女が、それっきり口をつぐんだままなのがその証拠。
腹に何か持っている。だけど、決して自分から切り出さない。桃矢から話を始めなければならない、ということだ。
だけど、桃矢にだっておしゃべりに興じたくない時もある。今夜のような、沈んだ気分の時がそうだ。口を真一文字に結んで、意地を張った。
あまりに長い間、桃矢が切り出さないでいるので、桃果がチラリチラリと桃矢に視線を送る。いつものように怒っている風ではない。どこか寂しげな、それでいて可愛らしい仕種。
桃矢は、軽く息を吐かざるを得なかった。
お芝居とわかっていても、ついつい乗ってしまう桃矢だった。
「明日の今頃は家に帰れてるかな? 色々あったけどさ、結局ジェベルさん達の掌で(てのひら)踊ってただけだったよね。それにさあ、現実離れしすぎていて、なんだか夢を見ているような気がしてならないんだけど。桃果ちゃん、そこんとこどうよ?」
「夢の王国……よね」
よくできました。と桃果の顔に文字が浮き出る。
でもにっこりと笑う桃果は可愛い。ああ、ちくしょう、と思いながらも、ついつい笑みを浮かべてしまう桃矢だった。
「あたしね、ゼクトールに残ろうと思うの」
「……なんですと?」
耳を疑った。続いて言語理解力を疑った。まじまじと桃果を見つめる桃矢。
「この国に残るの。でも桃矢はこのまま帰りなさい」
口を開けたまま固まっていることに気付いた桃矢。傍から見ると相当間抜けな顔だろう。
「いや、でも、戦争が始まるよ! 明日の飛行機が最後だし、空母が近くにいるし!」
指をあちこちに向けながら支離滅裂になっていく桃矢。残っていったいどうするのか?
「桃矢は仮にも王様なんだから、ケティム軍に占領されたときに殺されるかもよ」
後ろに手を回し、腰をくねらせて足位置を調整した桃果。大人の女の人みたいだ。
「それをいうなら、桃果ちゃんだって危ないじゃないか!」
「違うのよ」
子供を優しく諭すような笑みの桃果。こんな寂しい笑顔を見たのは初めてだった。
「あたしは日本人観光客。運悪く戦争に巻き込まれただけ」
「それだったら僕も――」
桃矢はそこで次の言葉を失った。
桃果が言っていたある事を思い出した。
もうすぐ彼女の家族はバラバラになる。家庭を顧みない父。自分が大事な母。
桃果の求めとは乖離した家族像。そしてゼクトールで見た理想の家族愛。
桃果はここに自分の家を見つけていた。日本の家に無いものがここには有る。
桃果は日本へ帰りたくない。でも、桃矢は帰りたい。桃果と一緒に帰りたい。
だがそれは、桃果の気持ちを無視した桃矢のエゴ。自分の気持ちを安定させるためのアイテム、それが桃果。
桃矢は言葉に詰まった。
いまさら「帰らない」なんて言っても、本気で言ってるとは彼女も思ってくれないだろう。事実、桃矢は帰りたい。本当に帰りたい。
だから、よけい桃果と一緒に日本へ帰ろうなんて言えない。
そして、……次の答えに至ったのが悲しかった。
いつか再び桃果と再会できても、もう、今までのような関係には戻れないだろう。
生きる道筋が違った二人の男女としての再会。
そんなの嫌だ!
だが、桃果を連れて帰りたいと思う気持ちは、自分だけが幸せになろうとする醜い心。今、桃果が一番ナイーブに感じている問題。
たとえ、力ずくで連れ帰ったとしても、二人の間には修復しがたい深い溝ができる。
結局、二人各々が進む道は一つしかない。違う二つの方向なのに、道はたった一つ。
他に道はない。桃矢は飛行機に乗る。それがお互い、最も被害の少ない道。
「安心して、桃矢。あたしが死ぬはずないわ。あたしのしぶとさは、桃矢が一番わかってるはずよ。桃矢と違って、うまく立ち回れる自信もあるし能力もある」
桃果が桃矢の胸に手を置いた。桃果の目が――。
「だから、心配しないで。一段落付いたら帰るから。また一緒に学校へ行けるわよ。だから、桃矢、わたしのわがままを聞いて! お願い桃矢!」
それは間違いだ。元通りにはならない。桃果は日本へ帰ってこない。二人の関係は壊れる。
後ろずさりながら、そっと手を離し、桃矢から離れる桃果。いつもの営業スマイル。
「じゃ、お休みなさい。寝る前にオシッコ行っとくのよ!」
また違和を感じる笑顔。いつもの太陽のような笑顔じゃない。月のような美しい笑顔。
桃矢が口をはさむ間もなく桃果は走り出し、闇の中へ消えていったのだった。
次回「醜いエゴ」