18.エンスウ
「トーヤ陛下。早速ですが、一つ案件を承認していただきたいのです」
「へ?」
やはり出てきたコッテリ味のスパゲティを食べ終え、食後のココナツジュースを飲み干したときだった。
ジェベルが申し訳なさそうな顔をして、桃矢に話を持ちかけてきた。
「国の政治を司る者達が入れ替わったように、ある一定以上の要職に就く担当者も入れ替わります。そこで――」
ジェベルの合図で、外務委員長のサラがドアの向こうに手招きをした。
現れたのは、黒髪の小さな少女。二カ所で束ねた長い髪を両脇に垂らしている。
「初めまして、トーヤ陛下。エンスウ・シャオンです」
ペコリと頭を下げるエンスウ。ツインテールの長い髪がピョコンと揺れる。
黒目がちの大きい目ながら、オドオドとした瞳。顔つきといい体つきといい、まだまだ子供だ。
要職である証拠に、例の水着型制服を着ていた。
……水着が要職の証ってのもナニだが。
「エンスウはわたしと同じ十三才です」
こっちもたどたどしく喋るサラ。エンスウと良いコンビだ。
桃矢は二人を微笑ましく思った。
ちびこい二人が並んで立っていると、小学校の発表会のように見えたからだ。
サラによるエンスウの紹介が続く。
「エンスウのシャオン家は代々、わたしのプワプワ家に仕える家柄。ですが、わたしたちは親友です!」
小さい拳を握りしめ、頬を紅潮させているサラ。そのまま黙っている。
桃矢は理解した。サラが、これで解るだろうと思っているのを理解した。
「それで?」
そんなんで解るわけないので、より詳しい説明を促した。
「国連大使は、国王もしくは外務委員長が選定し、国王がそれを承認します!」
桃矢は、おそらく正解であろう嫌な予感がした。嫌な予感と言うより、不安と言った方が良いかもしれない。
「トーヤ陛下! どうか、国連大使拝命の件、承認お願いします!」
エンスウが勢いよく頭を下げた。
ぴょこんと跳びはねる髪の束に、桃矢の不安がいっそうかき立てられる。
「いや、あの……エンスウちゃん、十三才なんでしょ?」
「ゼクトールの法律では、十三才で成人とされております」
答えたのはジェベル。未成年就労防止法とかすっ飛ばす、にこやかな顔がなんか怖い。
「エンスウちゃん、経験あるの?」
「不足分は若さで補います!」
その若さはいかがなものだろうか?
エンスウちゃん、経験、ないんだ……。多分、国外に出たこともないんだろうな……。
桃矢は不安を通り越し、逆に冷静になりつつあった。
「危険……なんじゃない?」
これは、妹の一人旅を心配する兄の気分だろうなと桃矢は思った。
「エンスウは俺のたった一人の妹だ! 俺がついてるかぎり、誰にも指一本触れさせん!」
いつの間に入ってきたのか。エンスウによく似た顔立ちの少年が、泣きそうな顔をして立っていた。
「お兄ちゃん!」
「ご、ご兄妹ですか? つーか、なんで兄じゃなくて妹が国連大使を?」
思考能力が低下してしまった桃矢。体に悪い方の汗が、頬に一筋流れている。
「彼は兄のパオロン。役職は大使付きの武官です。彼は十五才。あと一年もすれば海外へ出稼ぎに出てしまいます。そのような者に、国の要職は勤まりません」
相変わらずにこやかなジェベル。しかし、心の中は……。
それくらい桃矢にも解る。
「良くも悪くも、ケティムとの問題は短期間で終わる。俺が出稼ぎに出るまでには終わっている。だから、俺は……妹を……」
言葉が出て来なくなったパオロン。あとは腕でゴシゴシと目の周りをこするだけ。
彼も、今のゼクトールを取り巻く焦臭い匂いを嗅いだ一人なのだ。
国連は第二の戦場になるであろう。いろんな力や不思議な取引が飛び交う魔界のような国連本部に、たった一人の妹が向かおうとしている。
それを承認しろと言う。一泊二日の王として。
「でもちょっと……」
桃矢の心境はこうだ。わかるけどわかりたくない。
「桃矢!」
いきなり桃果が叫ぶ。
「へっ?」
驚いた桃矢。ろくな返事もできなかった。
「『へ』じゃない! 返事は『ハイ』でしょ?」
「ハイ!」
桃矢の返事に、にんまりと笑う桃果。
「『ハイ』は肯定の返事。桃矢陛下は承認なされました」
「桃果ちゃんずるい!」
思い切りの悪い桃矢の後を小気味よく押す桃果。小さい頃からのパターンだ。
「では、ここにサインを」
信任状下部の大きな空きスペースを指さすジェベル。
手渡されたペンで、隅っこに小さく名前を書き込む桃矢。日本語で書いてしまった。
「どうかご心配なく。国連大使の重責、このエンスウ・シャオロン、命をかけて全ういたします!」
目にいっぱい涙を浮かべ、唇を振るわすエンスウ。
どう受け取っていいのか、桃矢にはわからない。まさかとは思うが、片道切符のつもりなんじゃなかろうか?
「心配するなって言われても……」
この状況。いろんな意味で、心配しない方がおかしい。
「万が一、ご期待に応えられなかった場合は、国際連合本部ビルを枕に討ち死にしてみせましょう!」
上着を開いてみせるエンスウ。膨らんだ内ポケットから、導火線が顔を出していた。
「いやいやいや、それ駄目だから!」
手振りを混ぜて止めに入る桃矢。ひいたばかりの脂汗が、また流れ出した。
「よく言ったエンスウ! その時はお前一人じゃない! お兄ちゃんも一緒だぞ!」
エンスウの小さい手を両手で握るパオロン。彼の上着からも細長い紐が飛び出している。
「いや、だからそれは自爆テロ以外の何ものでもないって!」
桃矢は、この国の教育方針が心配になってきていた。
「エンスウ、失敗は万が一にも許されません。でも万が一の時は、わたしもこの世にいないでしょう!」
エンスウとパオロンの手に、自分の手をかぶせるサラ。既に号泣している。
「まだその話題で引っ張るんですかい!」
もうどうにかしてほしかった。
どこかにいる水着の神様、どうかこの状況を改善してください。桃矢は祈った。
しかし、負け癖のついた神に祈っても仕方ないので、まともな人物に頼る事にした。
ジェベルは、いや、ここに女の子達は、窓の外を見つめているミラ以外、みんなもらい泣きしていた。ミウラも顔を伏せて肩を振るわせている。
桃果も顔を伏せて肩を振るわせていたが……こっちはたぶん笑っているはずだ。
もうどうしようもない。桃矢は力むのをやめた。みんなと同じ方向を向こうと決めた。
なにせ、幼馴染みがあの桃果なのだ。流されるのは得意だ。
「じゃあこうしよう。エンスウちゃん、全身全霊をもって任務に当たってください」
桃矢の言葉に、直立不動の姿勢を取るサラとパオロン。二人は涙を無理に止めた。
エンスウだけ泣いていない。水っぽい目をしているが、泣いてない。泣いてはいけない人だからだ。
「頑張るだけ頑張って、それでも駄目だったら、その時はお兄ちゃんと一緒に戻ってくればいいから!」
桃矢はそんな風に声をかけた。
みるみる間に、エンスウの下まぶたに涙がたまる。
「絶対に死んではいけません。生きて帰ってきてください。これは命令!」
エンスウの左目から涙がこぼれた。右目からも涙がこぼれた。堰を切って涙が流れ出す。
声は出さない。出したら泣いたことになるからだ。口をグニグニにして堪える。
上をむいて、歯を食いしばるだけ食いしばって、嗚咽を飲み込んだ。
次に顔を戻したとき、エンスウは笑っていた。マーガレットのような可憐な笑顔だった。
「トーヤ陛下、行って参ります」
桃矢は返事をしなければならない。その言葉は一つしかなかった。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
直立不動で敬礼するエンスウ。そして部屋を出て行った。
「なかなかの落とし方ね。ま、桃矢じゃこんなもんでしょ」
フォークをピコピコさせながら、優しく笑っている桃果。
たしかに、彼女の言うように、その場だけを切り取ると、大げさな一幕だった。
「ところで」
桃果は周囲を見渡した。
手に手にハンカチを持って目に当てている少女達。マープルを中心にアムル、ノア、サラが互いの肩を抱いている。眼を真っ赤にしたジムルは、必死に冷静さを装っていた。
エレカは「なんだよ! いいヤツじゃねぇか!」と盛んにブツブツ言いながら、向こうを向いて肩を振るわせている。
ジェベルは嬉し泣きなのだろうか? ハンカチを目尻に当て、笑顔で泣いている。
ミラは……ぼーっとした目で、こんどは空になった皿を見ていた。
ミウラはきつく目をつぶり、エンスウに敬礼している。口元が微妙に震えていた。
桃矢も目頭を押さえている。
「この湿っぽい空気をどうしてくれようか?」
桃果は、左手にスプーン、右手にフォークを持った両手をワナワナと震わせていたのだった。
次回「居残り組と帰宅組」