12.光に向かってダッシュだ!
「まあ、よい。所詮は儀式。意味のないつまらぬもの。これより本番。トーヤ殿!」
クイクイと手を上下させ、赤ら顔の桃矢を呼ぶイルマ。呼ばれるまま進み出た桃矢は、イルマの指示で蛇像の前に立たされた。
九十度に開かれた蛇の口から見える水晶が、黄色いランタンの光を吸収したのか、淡く底光りしていた。
「その玉は『神の目』と呼ばれているものでな。こんな事、予の立場で言ってはならぬのだろうが……」
声の音量とトーンを一つずつ落としていくイルマ。
「おそらく、なんらかの畜光物質が仕込まれておるはずなのだ。予も見たことはないのだが、伝承では赤く光るらしいのだ」
まさに種のない奇跡はない。神官長が一番解っている。
種を知るものが詐欺師というが、はたして、そんなんでいいのかと思い、桃矢は苦笑いした。
「後は、トーヤが自分の名前を言ってから覗き込むのだ。そのあと、一通りの説教を垂れてお終い。早く済ませるのだ」
自分の仕事はもう終わり、とばかりに肩を揉みほぐしながら桃矢を急がせる。厳かなムードなどありはしない。
なんだか、想像していた即位式と違うなぁと思う桃矢。
歩くのも苦労する豪奢な礼服とカーペットのようなマントを羽織って、年老いた神官から刀を肩に当てられる。そんなヨーロッパ様式から遠く離れた、ちょー簡素な儀式。
「文化圏と価値観の違いなのだ」
イルマは平然と言い放つ。
やれやれとばかりに、桃矢はのぞき込む。赤く光ればそれでオッケイ!
「えーと、芦原桃矢です。よろしくお願いします」
あとは赤く光れば……赤く――。
「あのぉ……青く光ったんだすけど?」
恐る恐る振り向く桃矢。イルマにお伺いを立てる。
「むう? 青くとな?」
背伸びして水晶玉を覗き込むイルマ。しかし、背が届かない。仕方なくイルマの脇に手を添え、抱っこしてあげる桃矢。
柔らかい手応えと暖かい体温。イルマは、見た目以上に軽かった。
「確かに青いな? うむ、予の聞き間違いであったか?」
足をプラプラさせたまま、腕を組んで首をかしげるイルマ。
「まあ誰にでも聞き間違いはあるさ」
桃矢は軽く言っただけだが、イルマのプライドを引っ掻くには充分な棘があったようだ。
「トーヤよ、いつまで予を抱っこしておるのだ? 早く下ろすのだ!」
「あ、ごめんなさい!」
慌ててイルマを下ろす桃矢。
「あらら、桃矢君、年下趣味だったのぉ?」
こんな場所でも突っ込む事を忘れない桃果。さっそくイタチ目をして桃矢をからかう。
その尻馬にイルマが乗った。
「未成年に手を出すと後がうるさ――」
遠くの方で音がした。空気が漏れる時の圧搾音に似ている。
ここは神像が眠る巨大な闇の空間。圧倒的な空域感覚に、四人は固まった。
「た、たぶん、地上でコンプレッサーを動かしたんじゃないかな?」
桃矢が、推理を披露した。紙のような薄っぺらい笑顔を貼り付けて。だって、ここは巨大な四神像しかないじゃないか。
「コンプレッサーと神殿って、なんだか関係遠くなくない?」
桃果が一刀両断で否定した。
そして、否定した本人が、一番後悔した。
蛇神像の影が、ランプの光に揺れている。陰影がはっきりしない石像は、どこか神秘的。
「ま、まあ、これで無事儀式も済んだことですし……」
ミウラがホルスターを押さえながら出口を指さす。
「早く地下神殿を出ま――」
四人とも、音になり損ねた音を聞いた。一番近い表現をすると耳鳴り。
桃矢は青い顔をしている。
桃果は、誰もいないはずの後ろを激しく何度も振り向いている。
ミウラはホルスターから拳銃を引き抜いて、安全装置に指をかけていた。
イルマは平然とした風情で腕を組んでいるが、顔面からダラダラと汗を流している。
「そうじゃな、あまり長いとジェベルに怒られるかもしれないのだ」
どこか子供っぽいイルマ。しかし、だれもそんな事、気にしていなかった。
「あれ? この部屋、こんなに明るかったっけ?」
桃矢が天井を見てボケッと呟いた。部屋全体が青白い。
照明弾でしか見えなかった四神像のシルエットが、青白く厳かに浮かび上がっていた。
ランタンの光源は黄色かったはず。青い光と言えば……。
ゆっくりと、四対八個の目が、水晶球に集まる。
そいつは、さっきより青い光を増していた。
桃果が、出口に向かって、いきなりダッシュした!
続いてイルマが逃げた。桃矢の背を押しながらミウラが走る。
みんな黙々と走っていた。
喋るためのエネルギーすら脚力に回して走っていたのだった。
次回「昔々」