11.アンダー・ザ・グラウンド
「即位の儀には陽と陰、二つの儀式があるのだ。そこ! よそ見して遅れるでない。神殿地下はラビリンス。迷子になると生きては出られないのだ」
暗闇の中、イルマの持つランタンの光だけが頼りだった。
外からは想像もできない長くて複雑な回廊を、下へ下へと降りていく。石造りであろう、すり切れた階段を下りた先。桃果の愚痴を聞き飽きた頃、材質不明の巨大な扉の前に出た。
馴染みのない幾何学紋様が、シンメトリカルに描かれた重量感溢れる観音開きの扉だ。
片面だけでも十トンは超えているだろう。
開く仕掛けがどこかにあるはず……。
「ここなのだ」
そういってイルマは、軽く扉に手をかけた。
「え?」
扉は、音もなく軽やかに内側へ開いた。桃矢を迎え入れるかのように闇が口を開ける。
どうやってあの重さを打ち消したんだろう? 桃矢は不思議に思った。
桃矢の疑問を置いてきぼりに、無警戒で入っていくイルマ。
「さあ、入るのだ」
「おじゃまします」
つられて足を踏み入れる桃矢。入ったは良いが、見えるのは桃矢の四方、数メートルの床だけ。
細くて長い通路を歩いていく。皮膚感覚や音の反響具合で、そこそこ広い空間らしい事だけは解る。
やがて前方に柱が現れ、通路は行き止まりとなる。
「ちょっと乱暴であるが、……これを見るがよい」
イルマが懐から取り出したのは、不格好な拳銃。
彼女は特に目標も決めず、仰角四十五度で弾を打ち出した。
上空で白色光が爆発する。
照明弾だった。
ここは、巨大な空間。ドーム球場を何個も立体的に積み重ねた広さだ。
「な、なんだ?」
目前の柱は、空間の中央で天と地を繋ぐ巨大な円柱だった。
正面左に浮かび上がったのは、赤い女神の巨大な座像。
正面右に写ったのは、鎧に覆われた黒い鯨の巨像。
「なによ、これ?」
左後ろに影を落としているのは、鱗に覆われた青い巨木。
右後ろの小さな白い影は、長毛に覆われた四つ足の獣。
桃矢と桃果は、ドーム中央の柱まで伸びた、細長い渡り廊下状の通路に立っていたのだ。
「クシオ様配下に五神あり。
炎の女神にして戦の神、全てを否定する赤のファム・ブレイドゥ様。
水の神にして癒しの神、全てを肯定する黒のブレハート・ドノビ様。
木の女神にして生けるものを育てる神、全てに力を与える青のヴィム・マクス様。
鉄の神にして実りと収穫を約束する神、全てに変化をもたらす白のファール・ブレイドゥ様。
そして、大地の神にして巨大な船、物言わぬ黄色のタミアーラ様。
この五柱がタミアーラと共にゼクトール島へ降臨なされ、いまもどこかで確実に眠っておられるのだ」
胸に手を当て目を閉じて祈るイルマ。神と神にまつわるコトバを口にした神職者は、神聖な何かに祈るもの。
大事な話なのだろう。……聞いてる桃矢にとっては、ただの長ゼリフに過ぎないが。
やがて、照明弾は地に落ち、消えてしまった。周囲は前にも増して闇に包まれる。
目で判別できるのは、小さなランタンの光が届く範囲。
テラスの先端。小さな構造物から、ジョイステックのような突起が一つ出ていた。
周囲の巨像から考えて、……無理やり考えて、蛇を模したと思われる。
桃矢の腰あたりの高さから生えている蛇は、四十五度に伸びて、桃矢の喉元あたりの高さで大きく口を開けている。
明かりに不自由する中、目をこらしてみると、蛇像の口に埋め込まれた、水晶らしき透明な半球体が見て取れた。
イルマの説明が続く。
「陰の儀式は、王位を認めるもの。そして陽の儀式は国民に報告するもの。つまり、陰の儀式こそ、即位式の本分であると言えるのだ」
手にしたランタンを蛇型構造物の脇に置き、振り向くイルマ。逆光になったので、イルマの顔がよく見えない。二人いた女官も、いつの間にかいなくなっていた。
桃矢は、誰かが唾をのむ音を近くで聞いた。いや、自分の喉から聞こえた音だった。
桃矢だけではない。桃果やミウラまでが緊張していた。
「これから行う儀式こそが陰の儀式。要は、これさえ無事に済ませば、事実上、トーヤ殿は王の地位を得たことになる。晴れて陛下なのだ」
くだけた口調のイルマ。軽い空気に、ちょっとだけ気が楽になる桃矢。
イルマが笑った。
イルマは、桃矢達の緊張を考えて、わざと言っているのか? だとすれば……桃矢はイルマを子供扱いしない方がいいのかもしれないと思った。
「これより、ヌル教に伝わる王位承認の秘術を執り行うのだ」
イルマは両手の指を広げ天に伸ばし、高らかに宣言した。
「あ、あの、イルマ様。わたしはここにいない方がよろしいのでは?」
ミウラが、おずおずと申し出た。秘術という言葉がミウラに遠慮させたのだ。……興味津々の桃果は、全く遠慮してないが。
「よい。たまには政府関係者が立会っても神罰は下るまい。……それにジェベルはどうも苦手なのだ」
最後はゴニョゴニョと小さく誤魔化してしまいながらも、何やら袖の下で印を組んでいるイルマ。もう即位の式は始まっている。
「このご時世。国防委員長のミウラが立ち会うのは、相応しいかもしれないのだ」
イルマは意味ありげにニヤリと笑って祈りの言葉を詠唱しだした。桃矢が聞いたことのない言葉だ。やたら短いセクションで区切る、珍しい言語だった。
「あれがゼクトール語ですか?」
隣で頭を下げているミウラに、桃矢が小声で聞いた。
「あれは古代ゼクトール語と言うべき真ゼクトール語です。大昔、この半島に王宮があったのです。王がここに住んでいたときはこの言葉で会話していたそうです。何代目かの王が、ここを離れたとき、同時にこの言葉も失ったと聞き及んでいます。今、真ゼクトール語を話せるのはイルマ様方、ゼクトーラ一族だけなのです」
「そこ、うるさいぞ!」
イルマが指さして桃矢達を注意する。
「申し訳ありません! 甘んじて処罰を受け取ります!」
ホルスターから抜いた拳銃を自分のこめかみに当てるミウラ。
桃矢は、慌てて取り押さえた。組み付いた身体の下で、プニュンっと柔らかい感触が……。
さらに慌てて飛び退く桃矢であった。
次回、「光に向かって!」