第三章・1
第三章
―1―
午後の授業は、昼ご飯を食べたことによる満腹感で、必然的に眠くなる……らしい。
しかし灯には満腹感と眠気が、どう関係するのか、まったく理解不能だった。
灯の席は窓際の後ろから二列目。
夏場はカーテンを閉めていても感じる紫外線が、不快でしかないこの席も、秋の深まってきたこの頃は、細く開けた窓から爽やかな風が時折頬を撫で、差し込む日差しも心地良く、最高の居眠り助長席となる。
加えて今は、退屈で有名な山田という女教師による数学の授業。
「日暮さん」
それなのに、どうして自分は眠れないのか。
「日暮さん」
灯は少し険しくなった、自分の名前を呼ぶ山田の二度目の声に、閉じていた目を開いた。
「前に来て、この問題を解いてもらえるかしら」
若作りのうまいその女教師の目が、シルバーフレームの眼鏡の奥で黒く微笑む。
山田は以前から、どこか灯を気に入っていないようだった。
いつも解かされる問題は、他の子が当てられるものよりも難しい応用問題。それを灯が解いてしまうことも、気に入らないらしい。それなら自分の名前を呼ばなければいいのにと思う。
いつか灯が失敗することを、期待しているのか。
心配そうに自分を見ている隣の席の友人に、小さく舌を出して見せると、灯は黒板の前に向かい、山田の差し出したチョークを受け取った。
「ちょっと難しいかもしれないけど、さっきの説明を聞いていれば、ちゃんとできるはずよ」
灯が眠っていたと思っているのだろう。山田は気持ちの悪い、優しい声でそんな事を言った。
それなら、あんたの説明を聞いていてもできない子は、いったいなんなんだと思う。
まあ、寝ていようと、起きていようと、灯が山田の授業を聞いていなかったのは事実なのだが。
「どうしたの」
黒板の前で問題文を見つめ立ったままの灯に、勝ち誇ったような口調で山田は訊く。
「いえ。別に」
灯は素っ気無く言うと、綺麗な字で黒板に問題の答えを書いていった。
書かれた正しい答えに、面白くなさそうな顔になる山田を尻目に、答えを書き終わった灯は白いチョークを置くと、黒板下のレールに置かれていた赤いチョークを手にする。
そして山田の書いた問題文にレ点をつけると、記号のyの上からxを書いた。
山田が顔色を変えて、手にしている指導書を見る。
単純な書き間違えなのだろうが、プライドの高そうなこの女教師には、そうとうな屈辱だろう。
「確かに、少し難しかったです」
灯は山田ににっこりと笑いかけると、自分の席に戻った。
この前、居眠りを指摘されたのに、また気持ち良さそうに眠っている美幸の頭を小突いてから。