第二章・2
―2―
お香だろうか。畳の独特の香りに混じって、ふわりと甘いような香ばしいような匂いが、鼻を通り抜ける。
四畳半ほどの小さな座敷部屋。
部屋の中央にはテーブルがあり、その上に天井から御簾が下りていた。
そして、その向こうに占い師と思われる人物が座っている。
着物姿であることは分かったが、見えるのはテーブルと御簾の間、ほんの少しの隙間から覗く、胸元と手だけだった。
灯がローファーを脱いで部屋に一歩入ると、店主が静かに戸を閉めた。
「あの……」
灯がどうしたらいいのか迷っていると、
「どうぞ」
声がして、手が前にある座布団に座るように促す。
男……のようだが、ずいぶんと若い声だ。
「どんな夢をご覧になったんですか」
占い師は訊いた。
「夢で何が分かるの」
灯はその質問には答えず、逆に質問を返した。占い師は少し黙っていたが、
「夢はその人の無意識の意識の現れ。自分でも気づかなかった願望、心の中に隠した思い、そういったものがにじみ出てくる。そこから、その人が潜在的に抱えている悩みや、これからすべき行動を占うことができる」
静かに淡々とそう答えた。
ふうん。
胡散臭い。
自分でも気づかない願望……ね。
「それで、どんな夢をご覧になったんですか」
占い師は再び訊いた。
「私が見た夢は……」
灯は少し考えてから話しだした。
友人が話していた、夢の話をそっくりそのまま、あたかも自分が見た夢のように。
占い師はそれを聞きながら、手に持ったトランプのような札を切っている。
「……で、そこで目が覚めたの」
話し終わると、灯はテーブルに肘をついた。首を捻り、御簾の向こうを覗こうとしてみたが、見えない。
「何か分かった?」
分かるわけがない。
こんな話で、いったい何が分かるというのか。
灯の口元に、目の前の占い師を馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。
「……」
占い師は無言で札を並べる。
「ちょっと、聞こえた?」
「好きな物を一枚選んでください」
灯は不信な顔をする。
「夢の話は?」
「一枚、選んでください」
占い師は繰り返した。
なんだ。
結局、タロット占いなのか。
灯は仕方なく札を一枚選んで捲った。
タロットとはまた違う和風な絵柄で、そのカードには奇妙な絵が描いてある。
「ああ。やっぱり」
占い師は灯が選んだ札を手に取り言った。
やっぱり?
「何? なんなのよ」
灯が尋ねると、占い師は札を灯に見せながら言った。
「“嘘吐き”」
ピシャン!!
襖が乱暴に開かれた音に、カウンターを拭いていた店主は驚いたように、座敷部屋から出て来た灯を見た。
「どうも、お疲れ様」
言った店主を、灯はキッと睨んだ。
「あんなののどこが夢占いなのよ! お金なんか払わないからね」
ズカズカと店を出て行った灯をポカンと見送ってから、店主はそっと座敷部屋を覗いた。
「鈴さん。何を言ったんですか」
「他人の夢を語るなんて、意味の無いことだと教えただけだ」
だるそうな声で言った占い師、鈴は、御簾を上げると腕を枕に机に伏せた。
「大酉」
鈴が言ったのは店主の名前だけだったが、
「はい、かしこまりました」
大酉はそう言って、店のドアに下げられた『起床中』の札を『就寝中』へと裏返す。
大酉が座敷に戻ると、鈴はすでにあちら側へと行ってしまっていた。
◆◆◆◆◆◆
なんなの、あれ。
灯は苛立つ足取りで、家へと帰る道を歩いた。
確かに灯は嘘をついた。
あの話は灯が見た夢ではない。
『ああ。やっぱり』
見透かされた。
そのことがやけに腹立たしい。
他人の見た夢を語ったから、なんだというのだ。
たかが夢だ。
たかが夢じゃないか。
たかが夢なのに。