第十一章・2
―2―
灯は二階の自分の部屋へ駆け込むと、枕に顔を押し付けた。
そうすることで、涙を押さえ込もうとしたのだが、涙は少しも収まってはくれずに、枕がどんどん湿っていく。
眠りが欲しいわけじゃなかった。
眠りのことなんて、考えてもいなかった。
自分はただ、鈴が苦しそうだったから。
鈴が心配だったから。
ただ、それだけだった。
仕方が無い。
だって自分は眠りが欲しくて鈴の傍にいるのだ。
そう思われても仕方が無い。
でもそれが哀しかった。
また涙が溢れて来た。声まで漏れそうになる。いったい自分はどうしてしまったのだろう。
しばらくして、やっと涙が収まった頃、
「灯」
ノックの音と共に鈴の声がした。
「入っ……ないで!」
詰まる声で拒絶する。ここのドアに鍵は付いていない。
鈴は部屋には入って来なかったが、ドアの向こうで話しだした。
「ひどい事言った。ごめん」
声が低い所から聞こえる。ドアの向こう側に座ったようだ。
「有り難う、心配してくれて」
今度は優しいその言葉に、なぜかまた涙が滲んできた。
「……灯、知ってる?」
言葉を探すように、一度間を取った鈴がまた話し出す。
「ハリモグラは夢を見ないんだって。……前頭葉が人間よりもずっと発達していて、レム睡眠時に見られるはずのシータ波が…………これじゃ愁成みたいだ……」
自己嫌悪したように溜息をついて、鈴は話をやめた。
「そんなことが言いたいんじゃなくて……」
灯は枕に顔を埋めながら、鈴の次の言葉を待つ。
「俺だって、眠りたくないときはやっぱりあるんだよ? 一日に何度も落ちたときとか、ああやって吐いた後とか。一日に二度吐いたりすると、もう胃液しかでないし、凄くしんどい。どうしても、やらなきゃいけないことがあるときにも、この眠りを邪魔だと思う。だから……」
少し迷ってから、鈴は言った。
「だから、灯が本当に夢を見ないって言うんなら、そういうときだけで良ければあげるよ。俺の眠り」
灯は枕から顔を上げる。
「いまさら、ずいぶん勝手だと思うかもしれないけど」
呼吸を整えるように、大きく息を吸うと、灯はドアを開けた。そこに鈴が座っている。
「泣きつかれて眠るっていうのも、灯にはできないんだね」
鈴は立ち上がり、まだ濡れている灯の瞼に指先でそっと触れた。体温の低い鈴の、冷たい肌の感触が、熱を持った瞼に心地いい。
「ください。眠りたい……」
灯は言った。
「いいの? 俺は灯を利用するんだよ?」
鈴は確認する。
「それでいい。私も……鈴様を利用しているんだから」
「分かった」
鈴は少し着物の袖を上げると、灯に両の手の平を差し出した。
「喰ってよ。俺の悪夢」
◆◆◆◆◆◆
「眠りをあげたんだ」
霧藤が部屋のドアにもたれるようにして、ベッドの上に座っている鈴と、その傍らに丸くなって寝ている灯を見ていた。
「何しに来た、愁成」
「何って、鈴が吐いたって大酉さんから聞いたから、様子を見に来たんじゃないか」
小さく肩をすくめて、霧藤は言う。
「自分の方から、利用するという言葉を使ってあげれば、相手も自分を利用しやすくなるか」
「ひどい奴だな、お前は」
霧藤を責めるような目で鈴は見る。
「情が移ると困ることでもあるのかい」
「本当にひどい奴だよ、お前は」
「鈴は優しいね」
言って、霧藤は鈴が言葉を返す前に、その場を後にした。
「そんなことはない」
鈴は眠っている灯の頭を、そっと撫でる。
「俺もひどい奴だ」