第十章・2
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図書委員会の仕事を終えた灯は、忘れ物に気づいて教室へと戻った。
机の上に弁当箱の入った巾着袋を見つけてホッとする。水飲み場で洗った後、置いたまま委員会にでてしまったのだ。
灯が鞄に巾着袋を仕舞っていると、同じクラスの男子が教室に入ってきた。バレー部の男子で、部活が終わったばかりなのか、ユニフォーム姿にタオルを首に掛けている。
他に誰もいない教室で、その男子は灯を見て一瞬ギョッとしたようだったが、すぐにロッカーへと向かい、何かを探し始めた。この男子も忘れ物をしたらしい。
灯は自分の用が済んだため、教室を出ようとした。
すると
「あ、日暮!」
急に男子に呼ばれて、灯は足を止めた。そのまま男子の次の言葉を待つ。
「あ……いや、なんでもない」
何それ。
灯が再びドアへと向かうと、
「や、やっぱ、ちょっと待った!」
男子がまた灯を呼び止める。
「何よ」
つい険しい声で訊いた灯に、男子は少しひるんだようだった。
「いや、その……」
「用があるなら早く言って」
「だから…………。日暮ってさ、今、付き合ってる奴とかっていないよな」
「なんで」
「ほら、この前、体育館でさ……」
佐藤のことか。じゃあ、確かめるまでもないだろうに。
「そうね。いないけど」
「そっか。あのさ、じゃあ……俺とかどう?」
灯は目をぱちくりとさせて男子を見た。
男子の名前は笹倉といった。下の名前は分からない。クラスの男子の中では、かなり人懐っこく、ムードメーカー的な存在で、カッコイイというかは愛嬌のある顔をしていて、同姓からも異性からも好かれるタイプの人間だった。
あまり男子と話をしない灯にも、持ち前の懐っこさで話しかけてくることも多く、他の男子と比べれば接点も多いとは思う。
でも。
「なんで」
聞き返した灯に「え?」という顔をする笹倉。返されるのはYESかNOのどちらかだと思っていたのだろう。
「なんでって、俺、日暮のこといいなって思って」
その言葉に眉を顰めて自分を見る灯に、笹倉は付け加えた。
「前は別に、あんま、そんなこと思ってなかったんだけど……。むしろ、なんかちょっと近寄りがたいっていうか。でも、なんか最近ちょっと表情とか柔らかくなったっていうか……。明るくなったっていうか。ちょっと変わったなぁって思って、何かいいなって……だから……」
顔を赤らめながら言う笹倉だったが、灯は別のことを考えていた。
自分が変わった? 表情? 明るくなった? いつから?
「日暮?」
笹倉は下を向いてしまった灯の顔を、覗きこむようにして見た。
「ごめん」
灯は小さく呟くように言った。
「私、今、そういうの考えられない……」
それを聞いた笹倉は、眉尻を下げた笑顔で笑い、ガシガシと頭を掻いた。
「そっか。だよな。いきなり悪い! 佐藤先輩と別れたばっかだしな。こっちこそごめんな、なんか!」
泣き笑いみたいな表情をしながら、やけに大きな声と高いテンションで笹倉は言う。
そのとき、灯はなぜか霧藤の話を思い出した。恋愛は脳の錯覚だ。そう、きっと笹倉は何か勘違いしているのだ。きっと、あの何とかという物質が出ているときに、運悪く灯を見たのに違いない。
「ごめんなさい」
灯は別の意味も込めて、もう一度言った。