第九章・3
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「失礼します」
職員室に入った灯に、職員の視線が集まる。
教頭まで居て、にこにこと機嫌の良さそうな顔で、禿げ上がった頭を撫でている。
「何か御用ですか」
放課後に職員室に来るように言われたのだが。
「日暮、やったな」
担任の男性教師が灯に一枚の紙を手渡す。
以前受けた、全国模試の結果が返ってきたのだ。灯はそれに軽く目を通す。高校一年の全国模試なんて、受ける人数も少ないから、さほど数値はあてにならないと思うのだが。
「特に数学は偏差値七十。すごいじゃないか校内でもトップだぞ」
「有難うございます」
そこに数学教師の山田が入って来るのが見えて、灯は言った。
「きっと、山田先生のご指導がいいからです」
職員の視線が、今度は山田へと移る。山田が戸惑ったように皆の顔を見回した。
他の職員が疑問を持った表情で互いの顔を見合わせる。山田の評判は職員の間でも大したことがないことが分かる。事実、他の数学教師が受け持つクラスの方が、数学の平均点は高く、生徒の間でも山田が担当になったことを、ついていないなどと言う者も多いのだ。
「ほお、そうなんですか」
教頭が感心したように言って、山田が更に戸惑いの表情を浮かべる。
「ええ。いつも熱心に私には教えてくださいますから。ねえ、先生」
灯はにっこりと山田に笑いかけた。
「いえ、私は……」
「そうですか。それは素晴らしい! 山田先生、これからも宜しくお願いしますよ」
はっはっはと、豪快に笑う教頭に肩を叩かれ、山田は引きつったような笑みを浮かべる。
他の職員達の冷ややかな視線を受ける山田を尻目に、灯は一礼すると職員室を出た。
◆◆◆◆◆◆
すっかり季節は涼しくなったというのに、体育館は熱気に溢れていた。
半分ずつをバスケ部とバレー部男子で使用している今、ジャージ姿で部活動に取り組む生徒達は、突然、制服姿で入ってきた灯にチラチラと視線をやる。
「すみません、佐藤先輩呼んでいただけますか」
灯は魅力的で控えめな笑顔で、近くに居た一学年上のバスケ部の男子に声を掛けた。その男子は、少し驚いたように灯を見たが、すぐに笑顔を返す。
「ああ、ちょっと待ってて。おい! 佐藤!!」
呼ばれたコート内の佐藤が灯を見て、顔を強張らせた。そのまま、気乗りしないように、プレーしていたときの俊敏な動きとは逆に、のろのろとこちらへ歩いて来る。
「悪い。代わり入って」
自分を呼んだその男子に言って、佐藤は灯を見た。男子は二人を興味深々と言った様子で見ていたが、佐藤の代わりにコートへと入っていった。
「やあ……」
佐藤は強張ったままの顔で笑いながら言った。
「この前はその……ほら、悪かったよ。でも、そっちから誘ってきたんだろ? それにさ、急に気を失うなんてさ。全然、目覚まさないし、こっちだって焦るし」
灯と目も合わせずに頭を掻く。
「おあいこだろ? お前だって、前に俺が寝てる間に出て行ったじゃんか」
言った佐藤に灯はにっこりと微笑んだ。それを見て、ホッとしたような顔をする佐藤。
次の瞬間、パシーン!! という強烈な音が体育館内に響き、そこに居た生徒達が一斉に動きを止め、音のした方を見る。
佐藤が頬を抑えてよろめいた。
静まり返った体育館内で、カッコイイと評判の顔を驚きに呆けさせながら自分を見る佐藤に、灯は言った。
「二度と私にかまわないで」
そしてなぜか周りから小さな拍手と、口笛が起こる中、灯は体育館を出て行った。