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第八章・1

第八章


―1―


 蜃気楼の座敷部屋で、鈴は組んだ両腕の上に顔を伏せて、机につっぷしていた。眠っているわけではない。小刻みに机を叩く指が、苛立ちを表している。

 そんな鈴に、霧藤が声をかける。


「鈴、これはもう、偶然というより運命というべきだと思わないか」

「……そのくだらない言葉しか出てこない口を閉じて、二度と開くな愁成」


 伏せたまま、霧藤に悪態をつく鈴。


「まさか、灯君がすでに蜃気楼に来たことがあるとは思わなかったよ。そして二人はまた出会った」


 鈴に言われた言葉など、気にすることなく霧藤は話を続ける。

 その前には畳の上、灯が右足を投げ出すように座っていて、霧藤は手馴れたように灯の膝に包帯を巻いていた。

 ボタンの取れたYシャツも、大酉が有り合わせのボタンを点けてくれて、今はしっかりと胸元を隠している。


「大した偶然じゃない。ここでは夢占をしている。夢や眠りに感心があれば来る確率は高い。ついでに人に知られたくないと思っていたら、蜃気楼は目立たないからもってこいだ」


 怒鳴りたいのを必死に抑えているような低い声で鈴は返す。


「まったく。鈴には浪漫ってものがないなぁ。……はい、終わり。少し歩きづらいかもしれないけど、打ち身の方も結構ひどいから、我慢して」

「……有難う」


 大酉から渡された、温かいお絞りで腕の汚れを拭きながら、巻き終わった包帯に灯は一応礼を言う。


「治療が終わったなら、帰ってくれ」


 鈴が顔を上げた。その顔はたいそうな仏頂面。


「ケチだね鈴は。いいじゃないか、少しくらい話をしたって」


 霧藤は小さく肩をすくめた。

 その霧藤に大酉が茶を運んできて、鈴の顔が益々渋る。大酉は困ったように、茶を載せた盆を手に畳に膝を着く。その盆から直接、湯呑みを取ると、霧藤はその香りを楽しむように一度息を吸い込んでから、口をつけた。


 なぜ霧藤は灯を蜃気楼ここへ連れてきたのだろう。怪我を見るため、仕方なくということもあるかもしれないが。鈴の会いたくないという意見を尊重するのではなかったのか。

 訊けば霧藤は、この三階を事務所兼、仮住まいとして借りているらしい。

 ますます、霧藤と鈴との関係が分からない。


「ところで灯君は眠りを取れるって言ってたけど、その能力は鈴にしか効かないのかな。例えば、僕からは取れないのかい」

「他の人でも試したけど、ダメだった」


 灯は答えた。


 嘘だった。


 おそらく『眠り』だけなら誰からでも取れるだろう。あの佐藤から取れたように。でも、灯が求める『眠り』は、ここでしか得られない気がした。

 他の誰からでもいいと分かれば、鈴は更に灯を拒絶するだろう。鈴には灯に、眠りを与えなければいけない義務などないのだから。

 なぜ鈴の眠りが心地いいのか分からない。それを確かめるには、もっと他の眠りも試すべきなのかもしれないが、灯はそんなものは欲しくなかった。

 すでに目の前にある眠りが、心地いいと知っているのに、他のものなんていらない。 


「それは……ずいぶんと限定的な能力だね」


 信じたのか、信じていないのか、霧藤の表情は読めない。


「まったく正反対の二人の間にしか生まれない力か」


 またどこか感傷的な言葉を言いながら、霧藤は空になった湯呑みを大酉の持つ盆の上に戻す。


「じゃあ、灯君にとって鈴は、灯君が唯一眠りを得られる貴重な存在ということだ。取り方は相手に触れるだけでいいのかい。今でもすぐにできるのかな」


 灯を見ながら鈴を指差す霧藤に、たまりかねたように鈴が立ち上がった。


「いい加減にしろ愁成! お前の好奇心を満たしてやるつもりはない。俺も、この子も、お前のモルモットじゃないんだ」

「ひどいな鈴は。僕はそんなことは思っていない」

「とっとと出て行けと言ってるんだ。とりあえずお前だけでもいい。出て行けよ!」


 感情に任せ、言葉を雑にしながら、鈴は霧藤のネクタイを掴んだ。


「ずいぶんと偉そうじゃないか」


 霧藤はネクタイを掴んだ鈴の細い手首を握ると、立ち上がる。先ほどまで霧藤を見下ろしていた鈴は、今度は逆に霧藤に見下ろされることになる。


「一人じゃ何もできやしないくせに」


 その目は呆れたような、蔑むような冷たいものだった。


「俺はっ……!」


 鈴は言いかけた言葉を、息を詰まらせたように突然切った。

 霧藤を睨み、そして体を少し震わせたかと思うと、糸が切れたようにふいにガクンと膝を折る。その膝が畳につく前に、霧藤は握っていた手首を上に上げた。

 まるで、狩りで仕留めた獲物を掲げるように。


「鈴さんっ」


 大酉が盆を置くと、すっかり力の抜けた鈴の体を支えて、少し霧藤を責めるように睨んだ。霧藤の手から鈴を受け取ると、壊れ物でも扱うように、そっと畳の上に横たえる。


 灯は一部始終をただ見ている事しかできなかった。



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