第七章・3
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灯は引きずりながら歩いていた足を止めた。
紺のハイソックスの口が、膝から流れる血に染みて冷たい。
そこは蜃気楼へと続く道の前だった。
またここへ来てしまった。
しかし、蜃気楼へ行くわけにはいかないだろう。昨日あれだけ拒否されたのだ。
それなら、どこへ行けばいいのだろう。まだあの家には帰りたくなかった。
重たいエンジン音がして、灯の後方からバスがやってくる。ライトの点いた車内に、あまり客の姿はない。バスは少し先の停留所で止まった。
そして、一人の客が新聞を片手にバスから降りてきた。
灯はその客を見て唖然とする。
よほど気になる記事でもあるのか、新聞に視線を落としたまま、こちらに向かってくる客は、自分の前方に立ち尽くす灯の気配に気づいて、顔をあげた。
「あれ……」
リアクションは小さいが、やはり思いがけない遭遇に、ポカンとした様子のその客は、霧藤だったのだ。
「なんでここに……」
言いかけた霧藤は、視線を灯の胸元、そして膝へと移し、眉間に深く皺を寄せた。
無理もないだろう。片手でかき合わせているボタンの飛んだシャツの胸元。まだ乾くことなく血の流れた膝、ところどころ埃と土とで汚れた体。
「言っとくけど、勝手な想像しないでよ。自分で転んだだけなんだから」
霧藤が次に何かを言おうとするその前に、灯は言った。
霧藤は寄せていた眉を、気抜けしたように上げる。
「へえ……そう」
「そうよ」
「一つ教えてもらえるかな」
「何よ」
「いったいどんなアクロバティックな転び方をしたら、シャツのボタンがそんなに弾け飛ぶんだい」
灯の胸元を指で示しながら言う霧藤に、灯はぷいとそっぽを向く。
「あんたの足りない想像力を補ってやってるほど、私は暇じゃないの」
「それは残念」
灯の態度に霧藤は苦笑いする。
「それより灯君はどうしてこんなところに?」
「それを言うなら、あんたこそ、どうしてこんなところにいるのよ」
「僕は……」
霧藤は言いかけて、また口を閉ざすと、口元に手をやり何かを考える。
「まあ、いい。とりあえず行こうか」
「何よ、どこに行くのよ」
先に立って歩き出した霧藤の背に言う。
「その膝、どこで転んだのか知らないけど、ちゃんと診ておいた方がいい。雑菌が入ると良くない。結構傷も深そうだ」
霧藤は首だけで、ちょっと灯を振り返り言うと、着いて来いと言うように、手をひらひらと振って灯を手招いた。