第七章・2
―2―
灯は目を覚ました。
目の前は真っ暗で、一瞬、自分がちゃんと目を開けているか、分からなかった。
なんだか埃臭くて、灯は口元を覆う。
ここはどこだろう。狭くて窮屈だ。
灯は立ち上がった。
目が暗さに慣れてきて、自分が体育倉庫の中にいることが分かった。壁の上の方にある、小さな窓から弱い明かりが倉庫の中を照らしている。
灯は倉庫の奥、跳び箱の置かれている壁際の、跳び箱と壁との隙間にいたのだった。
窓を見る限り、どうやら日はとっくに落ちてしまっているようだ。
つまり、佐藤からも眠りを取ることができたらしい。
跳び箱と壁の隙間から出て、スカートの埃を払う。胸元に涼しさを感じて見ると、ネクタイが解かれ、シャツの胸がはだけていた。ボタンを留めようとしたが、シャツのボタンはどこかに飛んでしまってなくなっている。
佐藤はどこに行ったのだろうか。
そして、自分のこの状況はなんなのか。
どうやら佐藤は、眠っている灯に悪戯をしようとしただけでなく、起きない灯に怖くなったのか、灯を跳び箱と壁の隙間に押し込んで、一人で倉庫を出て行ったようだ。
なんて奴だ。
灯はシャツの胸を片手でかき合わせると、鞄をもう片方の手に倉庫を出ようとした。
ガチャリ。
嫌な手ごたえ。
「ちょっと……嘘でしょ」
鞄を置いて、もう一度倉庫の扉を開けようと力を込めるが、びくともしない。外から鍵が掛けられてしまっているらしい。
「誰か! 開けて!」
扉を叩きながら声を出す。
しかし、人がいる気配がない。
いったい今は何時なのだろうか。灯は鞄を探り、携帯電話を取り出す。
しかし、その画面は真っ暗。最悪なタイミングでの電池切れだ。
「もう、冗談じゃないわ!」
ガン! と扉を蹴っ飛ばす。
すると、
「誰か、中にいるの?」
外から声がした。 続けて、コンコンと扉を叩く音。
見回りの教師が来たらしい。
「すみません! 開けてください!」
灯は慌てて外の人物に向かって言った。
「中にいる間に、鍵を閉められてしまって」
しかし、灯が声を出したとたん、扉の外の人物の反応がなくなってしまった。
「あの、お願いです、鍵を開けてくれませんか?」
そこに居る気配があるのに、返事はない。
胸がもやもやとするような、不安が広がってくる。
「……あの……」
灯がもう一度、呼びかけようとしたときだ。
「おかしいわね。確かに声がした気がしたんだけど」
扉の外の人物が言った。いったい何を言っているのだろう。
「ちょっと! います! 中にいるわ!」
扉をガンガンと叩いて、叫ぶ。
「気のせいだったみたいね」
声に灯を馬鹿にするような、面白がっているような雰囲気が感じられる。
灯は気づいた。
この声は、数学の女教師山田の声だ。
「ちょっとあんた、聞えてるんでしょ?! 開けなさいよ!」
「さてと、早く他の見回りも済ませなくちゃ」
そう言った山田のパンプスの足音が遠ざかっていく。
信じられない。
灯はマットの上に、ヘタリと座り込んだ。
やがて、倉庫の中はどんどん暗くなり、怖いくらいの静寂が灯を包みこむ。時折、気まぐれに吹く強い風が、灯を脅すようにプレハブの倉庫をガタガタと揺すった。
佐藤と山田への怒りで立っていた気が落ち着いてくると、心細さが灯を襲い始める。腕にうっすらと立つ鳥肌は、冷えてきた倉庫の空気のせいなのか、恐怖のせいなのか。
『眠りの恐さを知らないから、そんなことが言えるんだ』
鈴の言葉を思い出す。
こんなはずではなかった。こんなことになるなんて、思ってもみなかった。
とにかく、こんなところで座っていても仕方がない。朝になるまで、こんな埃臭いところにいるつもりはないのだ。
灯は沈んでいた気持ちを奮い立たせるように立ち上がった。
跳び箱を数段、壁の上の方にある小さな窓の下に積み上げると、窓を開けようとした。もう長いこと開けていないのか、鍵は錆付いて、なかなか開いてくれない。
指先が痛くなるほど、力を込めると、ようやく鍵が開いた。窓を開けると、冷たい外の風が吹き込む。
灯はまず、鞄を外に放り投げると、小さな窓から顔を出した。
外には誰もいない。
そのまま外に出ようとするが、さほど大きくもない灯の尻が、窓につっかえた。
いい加減にしてよ。
ぐっと窓枠を手で押すようにして、体を前に押し出すと、つかえていた尻が抜けて灯は下に落ちる。
とっさに手を前に出したため、顔から落ちることはなかったが、その後についた右膝は、丁度石がある場所についたらしく、痛みの後に血が滲んでくるのを感じた。
顔を顰めながら立ち上がると、灯は足を引きずりながら学校を出た。