第四章・3
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目を開くと、目の前は正方形のパネルが、規則正しく並べられた天井だった。
点いている蛍光灯の光が、なんだかやたらと眩しく感じて、顔をしかめる。
何かがおかしい。
灯は自分が、ベッドの上に仰向けに体を横たえているのに気がついた。
そういえば、いつ明かりを点けたのか。
「目が覚めたかい」
突然聞こえてきたのは霧藤の声で、灯は驚いて体を起こした。
部屋の大きな機械の前に、いなかったはずの霧藤が座っている。
「あんた、いつ戻って来たのよ」
言った灯を興味深そうな目で霧藤は見た。
「なるほど。時間が飛んだような感覚なわけか」
何を言っているのだろう。
「あの子は……」
少年の姿を探すと、ベッドの枕元で少年はパイス椅子に座り、うな垂れていた。
「ねえ」
呼びかけてみるが反応はない。
すると霧藤が立ち上がり、少年へと近づくと、うな垂れている少年の顎に手をやり、上を向かせた。
触られるのが嫌いと言っていた少年の言葉を思い出すが、少年はやはり無反応で、両手はだらりと体の脇に落ちた。
「なんだ。さっきまで起きていたのに」
霧藤が言った。
見てみると、確かに少年は眠ってしまっていた。
どうやら『眠り病』がでたらしい。
「気分は?」
霧藤が少年から手を放し、灯を見る。
質問の意図が分からない。
しかし、灯はなんだか気分が良かった。先ほどまでは、少しぼんやりとしていたが、今は視界がすっきりしているというか、頭が軽いというか。体が楽だし、なんだか空腹感もある。
それを霧藤に伝えると、霧藤は後悔するように小さな溜息をつく。
「やはり記録を取っておくべきだったな」
さっきから霧藤は何を言っているのだろう。
「まあ、とにかく良かったよ。初めての眠りが、君にとって気分のいいもので」
「……眠り?」
訝るように訊いた灯に、霧藤は窓に掛かっていた厚いカーテンを開いた。
灯はその向こうを見て、息を呑む。
灯が病院内に戻ったとき、まだ明るさが残っていた外は、いつの間にか深い深い夜の闇に包まれている。
どういうことだろう。
この違和感はなんなのか。
答えを求めて霧藤の顔を見る。
「そう、君は眠っていたんだよ。約四時間もの間」
眠っていた?
誰が?
私が?
灯は頭が混乱してきた。
霧藤がペンライトを点けながら、灯の前へと来る。
「こっちを見て」
目の前で揺らされるオレンジ色の光を追う。
「夢は見た?」
灯の反応を確かめながら、霧藤が訊いた。
「え?」
「夢は見なかったかい?」
「……分からない。何も見なかったと思う。ちょっと目を閉じただけのつもりだったから……」
「そうか。時間的にはレム睡眠の周期に入っていたはずなんだけど……やはり脳波を見ておけば良かった」
いつものように顎に手をやり考え込む霧藤に、灯は言った。
「なんでやらなかったの?」
少年の足元に散らばったままの、機械のコードを見る。これもそういった類のことを調べるためのものではないのか。
「それは鈴が……」
「りん?」
思わず訊き返した灯に、霧藤は珍しく、しまったというように一瞬顔をしかめたが、すぐにいつもの取り澄ましたような顔に戻る。
「そこの彼が、本人の意思の確認なしに、意識のない人間に勝手なマネをするなと、君に近づかせてくれなかったもんでね」
なるほど。『りん』というのは、この少年の名前らしい。
灯が寝ていたという四時間もの間、ここでこうして座っていたのだろうか。
「さて、灯君はそろそろ帰った方がいい。ご自宅には一応、君の不眠に有効そうな治療があったので、それを試していて遅くなると連絡をしてあるけど」
「……なんて言ってた?」
「あら、そうですか、と」
「……そう」
薄々、気づいてはいたが、もはや灯と家族の間にできた溝は、灯の不眠とは無関係になっているようだ。
それでも今までは、この体質さえ変われば……と小さな希望のようなものも、持ってはいたのだが。
「それで、この『りん』君は?」
珍しい霧藤の失敗をからかうつもりで言ってやる。
「彼のことは気にしなくて平気だ。君は送っていった方がいいかな。タクシーを呼んでもいい」
苦笑いをする霧藤に、灯はベッドから立ち上がると、
「余計なお世話よ」
スカートの皺を直して、部屋を出て行った。