第四章・1
第四章
―1―
灯はベッドの下に、まるで死体のように転がったままでいる、その人の近くにしゃがみこんだ。
小さな寝息が聞えてくる。
隣の部屋の床には絨毯が敷かれているが、この部屋にはそれがなく固い。
とりあえず、起こしてやった方がいいだろう。ベッドから落ちても起きないなんて、いったいどういう神経だ。
「ちょっと」
灯は寝ているその人物の肩を揺すった。
ずいぶんと小さく、華奢な肩。
「もしもし?」
なかなか起きようとしないその人に、灯は少し苛ついて、先ほどよりも揺する力を強くする。
すると、ピクリと体が反応を示した。
「ねぇ」
灯がもう一度、肩に置いた手に力を入れたときだ。
バシィッ!
鋭い音がして、灯の手にジンとした痛みが広がった。
眠っていた人物が上体を起こし、灯の手を払ったのだ。
急な出来事に驚いた灯は、床に尻餅をつく。
灯の手を払った人物は、急激に起こした体を灯から離すように後ずさり、パーテーションに勢いよくぶつかった。
ぐらりと揺らいだパーテーションは、灯が肩をすくめるのと同時に、大きな音を立てて倒れた。
光を遮っていた壁がなくなり、視界が少し明るくなる。
灯は自分の手を払った人物の姿を確認して、一瞬ポカンとした。
なぜだか想像もしていなかったのだ。そこにいる人物が、自分よりもいくつか年下であろう少年だとは。
全身黒っぽい服を着ている少年は、自分の両手で自分の体を抱えるようにしゃがみこみ、うつむいていた。
「ねぇ……」
灯が手を伸ばすと
「俺に触るなっ!」
強い口調でそんな言葉を叩きつけられる。
少年はまるで手負いの獣のような目で、灯を睨んでいた。
初めは呆気にとられていた灯も、だんだんと腹が立ってくる。
「何よ、あんたが床に転がってたから、こっちは親切に起こしてやったんでしょ? 何なのよっ!」
声を荒げて言い返すと、少年は眉間に皺をよせ、目を細めて灯を確認するようにじっと見た。
灯はふいと顔を逸らす。
すると、少年がさっきまでの勢いとは逆に、のそりと立ち上がり、ベッドにだるそうに腰を掛けた。険しかった目つきも、いつの間にか、とろんとした眠そうなものに変わっている。
「ごめん。寝ぼけてた……」
何それ。
「痛い?」
言いながら少年が灯の手を見る。悪い子ではなさそうだが。
「別に。それにしても、いきなり叩かなくたっていいいでしょ」
不機嫌に灯はベッドの上、少年の隣にどすんと座る。
「触られんの嫌いなんだ。特に寝てるとき」
面倒くさそうに言いながら、少年は隣に座った灯から少し離れる。
失礼な。潔癖性か何かなのだろうか。ここは病院なのだから、この少年にも何か問題があるはずだ。
「ちょっと肩を触っただけじゃない。何もしてないわよ」
「そんなの分からないだろ。俺は寝てたんだし」
少年は自分の腕や額に付けられたコードを、むしるように剥がした。機械が警告音のような音を出すが、それも少年は止めてしまう。
「だとしても、呑気に寝てたそっちが悪いんじゃない」
寝るという言葉に反応して、意地の悪い言い方をしてしまう。
「呑気に寝てたわけじゃないし、好きで寝てたわけでもない」
ものすごく不愉快そうな顔になった少年は、今度は独り言のように呟いた。
「これだから、眠りの恐さを知らない人は……」
偉そうなその言葉に、カチンとくる。
「知る訳ないでしょ、そんなの。私は眠れないんだから」
つい言い返した灯に、少年の重そうだった瞼が少し上がり、その目が灯の方を見た。
どうやら眠れないということに興味を持ったらしい。
そして少年は灯の顔を見て、何か疑問を持ったように眉を寄せ、何かを言いかけて口を開いた。
しかし、すぐに思い直したようにその口を閉じる。
「何よ。顔になんかついてる?」
「……なんでもない」
少年は灯から視線を外した。
「不眠症?」
少年が次に口にしたのは、ありきたりの病名だった。
灯は苦笑する。
「残念でした。私には眠るという機能そのものがないの。一度も眠ったことがないんだもの。特に眠りたいとも、思わないけどね」
さっきまで眠っていた少年を、馬鹿にするように言ってやる。
「そっちは何でこんなところにいるのよ」
灯は自分のことを教えたのだ。少年も話さないと、フェアじゃない。
少年がまた面倒くさそうな顔つきに戻る。
「眠り病」
今度は、灯が少年を見る番だった。
「俺は自分の意思に関係なく、眠りに落ちるんだ」
キョトンとしている灯に、少年は仕方なくというように続けた。