待ち伏せされた悪役令嬢、幼馴染み騎士団長と初恋をやり直す。
白い床石の上をコツコツと靴音をさせて、私は大広間に続く廊下を歩いていた。
私は今夜、城で開かれる夜会へと行く。
そして、そこで婚約者である第三王子レスター・ラルストンに、婚約破棄をされるのだ。
こうして足取りを重く感じるのは、私がその事実を知っているから……悪役令嬢クラウディア・エズモンドとして転生している事実に気が付いたのが、ほんの数日前のこと。
今夜に婚約破棄されてしまうことは、もう防ぎようもなかったのだ。
私は乙女ゲームの世界の悪役令嬢で、その役割の通りに、ヒロインであるマリアに対し様々な嫌がらせしてきた。
今更、そんな私が何を言えば良いのだろうか……中身が変わったので、それは私ではありません知りませんなどと言えるはずもなかった。
「クラウディア様……」
背後から名前を呼びかけられて、私は振り向いた。
「まあ……オルランド……」
そこに居たのは、王立騎士団長オルランド・フィンリー。フィンリー公爵家の次男で……レスターと婚約しなければ、私は彼と結婚していただろうと両親からも聞いていた。
黒い短髪に青い目キリッとした精悍な顔立ち、整ってはいるけれど生真面目な性格が出ていて、凜とした佇まいが魅力的な人だ。
実はオルランドも、乙女ゲームの中のヒーローの一人。生真面目で素敵な騎士団長。今回、マリアはメインヒーローである第三王子レスターを選んだから、彼のヒロインマリアへの好感度は高くないのだろう。
だって、もし彼がマリアのことが好きなのなら、彼女に嫌がらせばかりした私のことが嫌いで憎らしいはずだけれど、無表情で平静なままで私を見つめている。
……いえ。オルランドとはもう何年も話していないので、何を考えているかわからないわ……それに、彼は乙女ゲーム内でも無表情がデフォルトで、感情が出にくい人だった。
「クラウディア様。あの場所へは、行ってはいけません」
「……え?」
私はオルランドは何を言っているのだろうと思った。だって、夜会会場である大広間はすぐそこだ。
私の正装姿を見れば行き先はわかるだろうし、開始時間は迫っているし、大方の貴族たちは入場済みだ。
「……あの場所へ行けば、クラウディア様の名誉が……酷く汚されることになります」
私はオルランドが何を言わんとしているのかを、ここで理解することが出来た。
何故だかわからないけれどオルランドは、私がマリアを虐めた罪でこれからレスター殿下から婚約破棄されることを知っているのだ。
「仕方ないわ。それだけのことをしたもの……私は甘んじて、受け入れるつもりよ」
記憶の中の私は嫉妬に駆られて、とんでもないことを仕出かしていた。階段から落としたり池に落としたり、馬車の車輪に細工をしたり……。
私の悪事の犠牲者となるところだったマリアがいま生きていて怪我も負っていないことを、神様に感謝しなければならない。
「いけません! それに、この状況で婚約破棄などと信じられません……俺はクラウディア様が悪いことをしたとはとても思えないのです。婚約者が居ながらにして他の女性に目を移すならば、嫉妬されて当然のことです……どちらの女性に対しても失礼です。もし、愛する人が出来てしまったと言うのなら、まずは婚約者クラウディア様と婚約解消をしてから行動すべきでしょう」
そういえば、騎士の家系で幼い頃から厳しく躾けられたオルランドは、とても真面目だった。
婚約者に愛する人が出来てしまった私の立場を知った上で、オルランドは同情してくれたのかもしれない。
「……そうであっても、誰かを傷つけたりすることは許されないわ」
悪役令嬢のつらいところだ。誰しも未来の伴侶たる婚約者へ別の異性が近付くことを嫌悪して当然だと思う。けれど、真実の愛に目覚めた二人からすると、私ことが悪役であって……。
「それはそうですね。ですが、喜ぶべきことに、すべて未遂に終わりました。クラウディア様。現に例の女性は、何事もなく、元気にしているではないですか……」
オルランドは私の言葉に食い下がるように言った。
彼は真面目で律儀な性格で、悪事を仕出かした私にも情状酌量の余地ありと言ってくれるのは素直に嬉しい。
けれど、真意がわからないのだ。私は第三王子レスター殿下……つまり、王族の婚約者で、今夜この夜会で婚約破棄を免れたところで、彼らと会うことをいつまでも逃げ続けることは許されない。
いつかはレスター殿下に婚約破棄されてしまう。もうこれは覆せない事実だった。
「何が言いたいの? オルランド。わからないわ……とにかく、私はもう行かないと……」
私はドレスの裾を持って急ぐことにした。もうすぐ国王陛下が現れて、夜会の開始を告げるだろう。いくら婚約破棄されるからと、悠々と遅刻することは躊躇われた。
たとえその後に、自分の名前が地に落ちてしまうことがあるとしても。
「……お待ちください」
オルランドは去ろうとする私の手を取り引き留めた。そこまでするなんて思って居なくて、驚いてしまった。
それに、これをする理由がまったくわからない。
だって、彼と話したのは数年振り。レスター殿下と婚約するとなって、元婚約者候補だったオルランドとは関わらないように両親から言い含められたのだ。
オルランド側もそれからよそよそしくなったから、同じようなことを親から言われたのかもしれない。
「オルランド……どうしたの?」
「俺と一緒に行ってください。せめて、傍でお守りしたいのです」
じっと見つめられて、ますます状況がわからなくなった。オルランドとの幼い頃、私たちは仲が良かったけれど、そういう関係では決してなかったもの。
「……私は婚約者が居るのよ。オルランド。貴方が何を言われてしまうか」
「レスター殿下がクラウディア様を大事にされていれば、俺とて何も言う必要もなかったし、貴女のことを諦められたのです。共に行きましょう。彼も婚約者以外をエスコートしているではないですか」
熱っぽく語られて私は口に手を当てた。だって、これは、まるで私のことを……。
「オルランド? ……あの」
「どうしてですか。クラウディア様は、何故、自分だけが悪いと思っているのですか。婚約者が居たのに、別の女性を優先するなど、怒って当然です。俺ならば絶対にしません。王子と婚約したからと初恋を諦めたのに……まさか、こんな結末が待っているなんて……」
切なそうに言い言葉をなくしてしまったオルランドを見て、私は胸が詰まる思いだった。
オルランドが……初恋を諦めたって、私のことよね? ええ。話の流れ的にはきっとそうだわ。
騎士団長オルランド・フィンリーの初恋は悪役令嬢クラウディア・エズモンドだったということ……? いえ。彼らが幼馴染みであったことは、乙女ゲーム内でも言及があったわ。
幼い頃の初恋相手だった……? 幼い頃のオルランドとの記憶はうっすらとあるばかり……もしかしたら、オルランドと婚約していたかもしれないと、そう言われた両親からの話はやけに覚えている。
クラウディアはもちろん、婚約者のレスター殿下のことが好きになり、だからこそ彼に近付くマリアに嫌がらせを重ねた。女性の恋の記憶は上書き……もし、綺麗な初恋であったとしてもそうかもしれない。
オルランドはその間もずっと、クラウディアのことが好きだったということ……? 別に嫌いで会わなくなったわけでもないし、好ましく思って居る異性ならそうなってしまいそう。
……もし、私の記憶が戻らずに、悪役令嬢クラウディア・エズモンドのままだったとしたら……? 嫉妬に理性を失い性格極悪になってしまっているクラウディアなら、オルランドから呼び止められても、夜会会場に向かっていたかもしれない。
私が……記憶を取り戻したから、何事かと立ち止まっただけで……そうよ。
転生した記憶がなければ、こんな会話を交わすこともなかったんだわ。
「オルランド……その、私」
「わかっています。クラウディア様が俺のことは好きでないということは……レスター殿下のことが好きでも構いません。ですが、今から……辛いことが待っています。その時に傍に居るくらいは出来ると思ったんです」
「あの、オルランド」
「王族より婚約破棄などされてしまえば、貴族令嬢としては致命的です。俺は……」
「待って! オルランド」
私は悲劇的な言葉を進めるオルランドに向き合って、キッパリと言った。
「は……はい」
オルランドはまさか私がそんなことを言い出すと思っていなかったのか、驚いた表情を浮かべていた。
私はそんな彼の顔をまじまじと見つめた。男性らしく凜として整った精悍な顔立ちに短く切りそろえられた黒髪……生真面目で不道徳な行為を嫌悪していそうな佇まい……。
「私……レスター殿下のこと、好きではないわ」
「え!」
「本当よ。だって、婚約しているのに、私以外の女の子のことばっかり。確かに好きだったことは認めるけれど、今はもう……好きではないの。婚約破棄されて無関係になれるなら、それで良いと思うくらいにね」
「そ、そうなのですか?」
オルランドはこれまで前提としていた事態が、まったく違っていたせいか、とても驚いていた様子だった。
ええ。そうなの。本当はクラウディアは貴方の思って居た通りの辛い状況だったのだけど、私は記憶を取り戻してすぐなので、いくら顔が良かろうがクズな行為を連発する婚約者になどまったく未練はないわ。
「それに、オルランドは私のことが好きなの……?」
私がはっきりとオルランドからの好意を口に出したせいか、彼の顔はみるみる赤く染まっていった。向かうところ敵になしと言われている騎士団長なのに、私の言葉ひとつでこんなにも動揺するなんて……なんだか、可愛く思えて来た。
けれど、それは数秒間のことで、彼は握っていた手に力を込めた。
「……そうです。俺の初恋でした。悲しい思いをさせるために諦めたわけではありません」
「ならば、私と結婚しましょう」
「……は」
私はオルランドの目を、真っ直ぐに見つめてそう言った。ええ。私は婚約者であるレスター殿下は好きではない。これから、まさに婚約破棄されるはずだった。
それに、オルランドの言っていることにも一理あると思ったのだ。
向こうは異性を常に傍に侍らせている。では、私にもその権利があるのではないかと。
第三王子レスター殿下よりも騎士団長オルランドの方が外見的には私の好みだし、私はエズモンド公爵家の一人娘で、王妃陛下より是非にとこわれなければ、レスター殿下の婚約者になることはなかった。
クラウディアは才知美貌を兼ね備えた公爵令嬢で、けじめも付けられずに女遊びをする方が捨てられるべきだと思うの。
「嫌なの? オルランド」
まさかそんなわけはないとは思っているけれど、私が微笑みかければ、彼は真っ赤な顔をして首を横に振った。
「いいえ。クラウディア……そう出来れば、嬉しいです」
オルランドは私の手を両手で包んでそう言った。
……良かった。そうね。オルランドの言う通りだ。私は婚約破棄される場所に、孤立無援で向かおうとしていた。
それを知った彼は、ここで私を待っていてくれたんだわ。一緒に断罪される覚悟で。
「では、今夜、私がレスター殿下に婚約解消を申し出るわ。理由は、幼馴染みと恋に落ちてしまったから。そうね。初恋同士だったことにしましょう」
「……クラウディア。君はお忘れかも知れないですけど、俺たちは結婚の約束もしていました」
苦笑いしたオルランドの腕に抱きつき、私は夜会会場の方向を見つめた。
「言って置くけれど、オルランド。私はもう、レスター殿下を好きではないことは確かよ。けれど、彼に近付く女性に嫉妬に駆られて怪我をさせようとしたり……ええ。とんでもないことをするような女なのよ。それでも良いの?」
「それは、俺が君以外を愛さないと誓えば、それで済む話ではないですか。クラウディア」
オルランドは余裕の笑みを浮かべた。ついさっきまで動揺していたけれど、あれは本当に突発的事態で驚いてしまっていただけらしい。
「そうね。世の男性はそれがわかっていない人が多すぎるわ。嫉妬は醜いと嫌悪するくせに、それを起こさせない努力を怠っている。私だって、彼に女性が近づかなければ、何もしなかったはずなのに」
オルランドは見上げる私の頬に触れて、優しく言った。
「俺はわかっています。クラウディア。君がとても愛情深い女の子で、レスター殿下のことを……本当に好きだったこともです」
その時、私の右目からぽろりと涙が落ちた。そうだった。クラウディアはレスターのことを本当に好きだった。好きだったから、蔑ろにされて悲しかった。
ずっと私のことだけを見ていて欲しかったのに、そうしてもらえなかったから。
「……オルランド。貴方は王族から、女性を奪ったことになるわよ」
「両陛下も向こうも相手が居るとわかっているので、そう問題にはなさらないかと……実は、今夜クラウディアが婚約破棄されることを教えてくれたのは、王妃陛下なのです」
「まあ! 王妃様が」
そうだった。レスター殿下と婚約が決まったのは、彼女の鶴の一声だった。私と結婚させたいと……彼女が望んだから。
「ご自分が無理矢理、クラウディアとレスター殿下と婚約させてしまったからだと……俺の元へ手紙を。だから、ここで待つことが出来たんです」
「それならば、何の問題もないわね。行きましょう。オルランド……レスター殿下より先に、私が彼を捨てることにするわ」
確かにマリアを害そうとしたことは事実だけれど、すべては未遂に終わっている。そして、王妃陛下がここにオルランドを待たせていたとするならば……レスター殿下との婚約を問題なく解消すれば、彼女がきっと、不問にしてくれるだろう。
「……良いと思います。俺はクラウディアのそういう勝ち気なところが好きだった。そういう君が見られて嬉しい」
その時、オルランドの顔に幼い男の子の顔が重なって見えた。クラウディアと幼い声で呼ばれたような気にも。
そうだ……私の初恋だった。けれど、臣下である公爵家が王族からの縁談を断ることなんて出来るわけがなくて……私は初恋を忘れることを選んだんだわ。
「ねえ。私たち初恋同士だったのね。オルランド……助けに来てくれてありがとう……」
正直に言えばすごく不安だったし、逃げ出したくて堪らなかった。けれど、いつかは受ける罰と言うのなら、早いほうが良いと覚悟を決めていたのだ。
そこに、一緒に行くと言ってくれたオルランドを、未来の伴侶として選ばないわけはなかった。
「行きましょう。クラウディア。婚約解消さえしてしまえば、自由の身です」
コツコツと石畳を歩く靴音が響いた。
そうだった。レスター殿下だってマリアだって、私のような悪役令嬢が居なくなれば嬉しいはず。
だから、全方面良い結末になるんだわ。
「そうね。オルランド。私……そうしたら、初恋をやり直しましょう」
私たちは既に、夜会が始まった大広間の扉へと向かった。貴族たちはもう踊り出していて、軽快な音楽が扉の向こうから聞こえて来る。
不思議なものだ。私はあの時、オルランドに呼び止められなければ、断罪されて地下牢へと収監されることになっただろうに。
あの時に立ち止まった、ただそれだけのことで、結末は大きく違うものになった。
Fin
最後まで、お読み頂きましてありがとうございました。
もし良かったら、評価お願いいたします。
また、別の作品でお会い出来たら嬉しいです。
待鳥




