第7話「崩壊する医療現場」
「次の患者、運びます!」
救急ストレッチャーの車輪が廊下を軋ませながら滑る。
消毒液の匂いと血の臭いが入り混じる病院内。
神戸市民病院・救急センターは、爆発による負傷者で溢れかえっていた。
「この人、意識レベルGCS9、血圧85/50、外傷性ショックの疑い!」
「CT室はもう満杯よ!」
「ICUも、ERも、どこも空きがない!」
白衣を翻しながら、医師・朝倉健吾は額の汗を拭う間もなく、隣のベッドへと駆け寄った。
「次、トリアージA! すぐに輸血ライン確保! 呼吸管理も!」
「先生、O型のストックがあと5本しかありません!」
「……5本? それで終わりか?」
朝倉は眉をひそめながら、看護師に問いかけた。
「午前中に申請した分が届いています。それを含めて5本しかないんです。電話ができないため、連絡を取るために人を医療センターに送っています! でも……この状況では……必要分の確保が‥・」
看護師の声が少し震えている。
──間に合わない。
今運んでいる分が尽きたら、次はいつ届くのかも分からない。
赤十字の輸送ルートが機能しているのか、誰も確信を持てない。
それどころか、もしかするともう止まっているのかもしれない。
「……分かった。とにかく、ある分で回せ」
「はい……」
「家族が見つからない患者も多いです。本人確認ができていません……」
「とにかく、助けられる命を優先しろ!」
廊下には応急処置を待つ患者が溢れ、床には毛布が敷かれ、点滴スタンドが並んでいる。
もうここは、病院の中ではなく、仮設の医療施設のような状態だった。
「救急車、まだ来るのか?」
「途切れません!阪神高速湾岸線の崩落現場から搬送が続いています!」
「……マズいな」
「クソッ……なんでこんなに次々運ばれてくるんだよ!」
隣の医師がイラつきを隠さずに呻く。
「救急隊からの事前連絡もない。俺たちは何を準備すればいいのかもわからないんだぞ!」
「搬送元と連絡が取れないんだ。無線も電話もダメだ。救急隊も必死なんだよ……!」
誰もが殺気立っていた。
怒鳴るつもりはなくても、つい声が強くなる。
現場の混乱は、誰のせいでもない。だけど、このままでは……。
「院長は?」
手術着を着替える間もなく、朝倉は問うた。
応えたのは、病院の事務長・北村だった。
「……それが、院長は東京へ家族旅行で出ているようで、まだ戻れていません」
「こんな時にいないのか……」
「そもそも、関西圏の空路が閉鎖されてるみたいですし、仮に戻ろうとしても厳しいでしょう」
「……やれやれだ」
院長が不在。
指揮系統の最高責任者がいない以上、病院全体の統率を取るのは医局のトップ――つまり、朝倉に託されていた。
「朝倉先生! 10歳の男の子、胸部外傷、ショック状態!」
「気管挿管準備! 麻酔! すぐ持ってこい!」
看護師が急いで器具を手にする。
「先生、このままだと……」
「わかってる、あと3分もたせ!」
白衣の袖が血で染まる。
彼の手のひらには、小さな命が必死にしがみついていた。
突然、病院の照明が一瞬、ちらついた。
「……っ!」
医療スタッフが一斉に天井を見上げる。
オペ中の医師が、ほんの一瞬だけ手を止めた。
「電力が……?」
「病院の電力、今どんな状況だ!?」
「……非常電源に切り替わっています! ポートアイランドの系統が不安定で、部分的に自家発電へ移行中です!」
「くそっ、人工呼吸器とICUの機器は大丈夫なのか!?」
「いま確認中! 燃料備蓄は3日分……だけど、この状態じゃもたないかも!」
朝倉は、ちらりと病院の時計を見た。
都市封鎖が始まってから、すでに7時間が経過していた。
この異常事態は、まだ始まったばかりなのかもしれない――。