36 作戦
バルカン半島のサラエボとまったく関係なさそうな「京都」という単語に、小野とワタルは驚いた。
藤原が笑いながら説明する。
「実は、サラエボ事件で暗殺されるフランツ・フェルディナント大公は、事件の21年前、29歳のときに、世界一周旅行の途中で日本に立ち寄っているのです」
「そこで、この日本滞在中に、サラエボ事件を回避する『きっかけ』を作り、事件前に思い出してもらう、というのが今回のお二人の具体的な仕事となります」
「詳しくは、この資料をお読みいただければ分かるかと思います。それではよろしくお願いします」
藤原はそう言うと、小野とワタルにそれぞれ紙の資料を手渡すと、会議室を足早に出て行った。
† † †
「色々説明してくれたけど、結局何をしたらいいんだろう」
「閻魔庁の偉い人って、忙しいせいか肝心なところの説明が抜ける傾向がありますよね……」
二人だけになった会議室で、小野とワタルが愚痴を言いながら資料を読んだ。
……フランツ・フェルディナント大公の日本滞在中に、サラエボ事件を回避する「きっかけ」を作る。
大公にとって神秘的・非日常的な体験である日本旅行中に、日本の「精霊」から啓示を受けるという形で、サラエボ事件を示唆し、印象づける。
サラエボ事件回避に対しては、非常に強い復原力が働くため、平行世界の不安定化に留意しつつ冥官2名で臨機応変に対応する。
「きっかけ」の内容は、大公の状況に応じて臨機応変に検討する……
「この『冥官2名』が僕達ですかね?」
小野がワタルに聞く。
「そうみたいですね。ということは、我々が『精霊』役をするということですか……そして、とにかく臨機応変に対応・検討することになるみたいですね」
ワタルが苦笑しながら答えた。小野も苦笑しながら応じる。
「まあ、メインは欧米の所管庁らしいですし、僕達は念のための対応って感じかもしれませんね。気楽に、やるだけやってみますか」
二人は第1部門の会議室を後にした。
† † †
「ワタルさん、やはり着替えてきて良かったですね」
「そうですね。思ったより和服の方が多いんですね」
小野とワタルが来たのは、明治26年、西暦1893年8月13日、日曜日の夕方。京都の祇園、八坂神社前。小野とワタルは和服姿で、二人ともリュックを背負っている。
道行く人を見ると、洋服姿もいるが、多くは和服だ。小野とワタルの和服は、新品で生地も良いらしく、若干目立っているようだが、何とか溶け込めそうだ。
二人は、祇園から見て八坂神社の裏側・東側にある円山公園を抜けて、坂を上がったところにある旅館の前に来た。
阿佐美に調べてもらったところ、フランツ・フェルディナント大公は、今晩ここに滞在して、ひとり観想にふけるそうだ。「精霊」として大公に接触する絶好のチャンスだ。
しばらくすると、坂の下からぞろぞろと集団が上がってきた。先導する警官が群衆を追い払っている。
日本の官吏と思われる数名に先導されながら、立派なカイゼル髭の外国人の一団が坂を上がってきた。おそらくあの中の一人が大公のはずだ。
小野とワタルは、旅館の陰に隠れると、翻訳機を作動させ、消えるくんのスイッチを押した。そして、立派なカイゼル髭の外国人の一団に続いて、旅館に入っていった。
「殿下、こちらの部屋でございます」
2階の客室の入口で、側近の者が大公に説明した。何故かこの旅館の部屋の入口にはドアがなく、カーテンで仕切られている。
「ありがとう。それでは私はしばらく夕暮れの街を眺めるとするよ。皆もそれぞれ休憩してくれ」
「承知しました」
側近達にそう声をかけると、大公はカーテンを開け、2階西側に面した部屋に入った。
部屋の窓からは、円山公園をはじめ京都の市街地が一望できる。ちょうど日が落ちたところで、空はオレンジ色から徐々に暗くなりつつあった。
大公は、窓辺に胡坐をかいて座ると、静かに外を眺めた。
入口のカーテンは閉められているとはいえ、いつ側近が来てもおかしくない。早めに接触しよう。
小野は、姿を消したまま、大公の後ろから小声で話しかけることにした。
「大公殿下」
大公が座ったまま後ろを振り返った。小野が小声で話を続ける。
「大公殿下。お一人のところすみません」
「何者だ?」
さすがは大公。まったく動じず、声が聞こえる方に向かって尋ねてきた。




